学位論文要旨



No 113278
著者(漢字) 中野,賢太郎
著者(英字)
著者(カナ) ナカノ,ケンタロウ
標題(和) 分裂酵母の低分子量GTP結合タンパク質Rhoの働き
標題(洋)
報告番号 113278
報告番号 甲13278
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3424号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 馬渕,一誠
 東京大学 教授 山本,正幸
 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 助教授 菊池,淑子
内容要旨

 細胞が分裂し、増殖する機構について調べることは生物の本質を理解するために重要である。細胞分裂は、生命情報の担い手である遺伝子を包込んでいる核を分配するための核分裂と、ミトコンドリアやリボソームなどのオルガネラも含めた細胞質を分配するための細胞質分裂に大別される。動物細胞では、核分裂後に細胞質分裂が生じるが、そのとき、紡錘体の中央にあたる細胞表層に分裂溝が形成される。分裂溝の細胞膜内側にはF-アクチンを主成分とする収縮環が形成され、それが収縮することにより細胞は2つにくびりきれる。収縮環の収縮はアクチン・ミオシンの相互作用によることが示唆されている。細胞質分裂において、分裂面の決定、収縮環の形成、収縮環の収縮とそれに伴う細胞膜の動的変動、そして収縮環の崩壊などが規則正しく進行する必要がある。現在までに、細胞質分裂に必要なアクチンやミオシン以外の複数の因子が同定されており、収縮環形成に重要な働きをしていると考えられている。それらの1つに低分子量GTP結合タンパク質Rhoがある。Rhoは、分子内に標的タンパク質と相互作用し情報を伝達するエフェクタードメイン、GTP/GDP結合ドメイン、GTP加水分解ドメインを持ち、GTP型(活性化型)とGDP型(不活性化型)の2種類の状態が存在する。ボツリヌス菌の産生する菌体外酵素の1つであるC3酵素は、Rhoの分子活性を不可逆的に阻害することが知られている。カエル卵やウニ卵へのC3酵素の顕微注入により細胞質分裂が阻害されることなどから、収縮環の形成とその維持にRhoが関与していることが示唆されている。

 分裂酵母Schizosaccharomyces pombeは円筒形の細胞壁に覆われた単細胞真核生物であり、遺伝子破壊などの遺伝子操作や突然変異株の取得が可能である。細胞周期の間期において、分裂酵母のアクチンは細胞の片端、あるいは両端にF-アクチンパッチとして局在し、細胞の極性伸長に重要な働きをしていることが示されている。一方、分裂期には、母細胞の中央にアクチンを主成分とするF-アクチンリングが形成され、核分裂後にF-アクチンリングは収縮を開始する。F-アクチンリングの収縮の進行に伴って細胞の外縁部から内部に向かい1次隔壁が形成される。1次隔壁が2つの娘細胞を完全に遮断するように形成された後、1次隔壁の両面において2次隔壁の形成が始まる。さらに2次隔壁の形成が完了した後に、1次隔壁が分解されて娘細胞は分離し、細胞分裂が完了する。2次隔壁の形成以前に1次隔壁の分解が生じた場合は細胞が溶解してしまう恐れがあるために、この過程は正確に制御される必要がある。母細胞の中央部にF-アクチンリングが形成される点で、分裂酵母の細胞質分裂の様式は動物細胞のそれと類似している。分裂酵母においては細胞質分裂に異常が生じる突然変異株の解析から細胞質分裂に関与する遺伝子産物がこれまでに数多く同定されており、これらの遺伝子は他の生物においても保存されていることが多い。このため分裂酵母の細胞質分裂の解析から得られた知見は動物細胞にも当てはまる可能性が高いことが予期される。そこで私は分裂酵母の5種類のrho遺伝子(rho1+〜5+)、及びRhoの負の制御因子rdi1+について解析を行った。

 分裂酵母Rho1は細胞増殖に必須でありヒトRhoAと相同性が高いことから、その機能の重要性が予想された。最初に、rho1遺伝子破壊株の終末表現型を観察した。その結果、rho1遺伝子の欠失が球形の細胞を産出することを観察した。これらの球形の細胞では、細胞表層にF-アクチンパッチが散在していた。細胞内においてRho1はF-アクチンパッチの局在性の調節を介して細胞極性の決定に関与している可能性が考えられた。また培養時間の経過と共に、rho1遺伝子破壊株では萎縮した細胞が認められた。次に、Rho1の過剰発現が細胞に与える影響について調べた。その結果、Rho1過剰発現株は細胞形態が異常になり、細胞増殖ができなくなることが観察された。Rho1過剰発現株の表現型は大きく4つに分けられた。それらは膨れた細胞、分枝した細胞、多隔壁細胞、これらの形質を併せ持つ細胞である。Rho1の働きについてさらに詳細に観察を行うために、Rho1のGTP結合・加水分解領域、あるいはC末端脂質修飾部位に変異を導入した。活性化型Rho1を発現した細胞はRho1過剰発現株と同様な表現型を示した。F-アクチンについて調べた結果、膨れた細胞ではF-アクチンパッチが散在しており、分枝した細胞ではその先端部分にF-アクチンパッチが局在していることが観察された。一方、ドミナントネガティブ型Rho1発現細胞は、rho1遺伝子破壊株の終末表現型と酷似した球形の細胞と萎縮した細胞を産出した。さらに、C末端脂質修飾部位に変異を導入することで活性化型Rho1の発現による細胞形態の異常は認められなかったので、Rho1の機能には脂質修飾が重要であると考えた。また、電顕観察の結果、野生株と比較して活性化型Rho1発現細胞の細胞壁は厚く複数の層状からなるのに対し、ドミナントネガティブ型Rho1発現細胞の細胞壁は密度が低く、所々が欠けていた。さらに活性化型Rho1発現細胞の1次隔壁が2次壁合成後も分解されずに維持されていることが認められた。これらの結果は、Rho1が隔壁や細胞壁の合成の調節に関与していることを示唆した。

 抗Rho1抗体を作製し、Rho1の細胞内局在性について検討した結果、大部分のRho1が不溶性画分に存在することが示された。この不溶性画分を界面活性剤、あるいは高イオン強度液により処理した結果、界面活性剤によってのみRho1は可溶化されたので、Rho1が膜に直接的に結合していると判断した。次にGFP-Rho1融合遺伝子を用いた観察の結果、GFP-Rho1は隔壁が形成されるより以前に細胞の中央部に集積し始め、さらに分裂が進行するにつれて隔壁に沿って局在することが認められた。また間期の細胞においてはGFP-Rho1は細胞の先端に局在することが認められた。一方、C末端の脂質修飾がされないGFP-Rho1は細胞内に一様に分布した。これらの結果から、Rho1は細胞の成長端、及び隔壁形成部位に特異的に局在し、その脂質修飾が局在性に重要であると考えた。

 分裂酵母の脱リン酸化酵素であるカルシニューリン(Ppb1)の機能を阻害することにより多隔壁細胞が形成されることが報告されている。Rho1の過剰発現により多隔壁細胞が形成されることから、Rho1とPpb1の遺伝学的関係について検討した。その結果、Rho1がPpb1と多隔壁細胞の形成において拮抗的に働いている可能性が示唆された。分裂酵母のタンパク質キナーゼであるPck1とPck2は細胞内で重複した働きをしており、Pck2の過剰発現により多隔壁細胞が形成される。そこでRho1とPck1、Pck2の関係について解析を行った。その結果、Rho1がPck1あるいはPck2を介してPpb1と拮抗的に働いている可能性が示唆された。さらにTwo Hybrid法により検討を行った結果、Rho1はPck1及びPck2と直接に結合することが認められた。Pck1とPck2の細胞内局在性について検討した結果、どちらも細胞質全体に存在していたが、特に、隔壁領域に強い局在が認められた。これらの結果から、Rho1は隔壁形成部位においてPck1やPck2と相互作用し、1次隔壁の分解を抑制する可能性が考えれらた。2次隔壁の形成後にRho1を介したリン酸化経路がPpb1により不活性化されて1次隔壁の分解が生じた結果、娘細胞の分離が行われる可能性が考えられた。

 また私は、Rho1の負の調節因子であるRdi1はRho1を細胞膜から隔離し、Rho1の働きを抑制することを示した。rdi1遺伝子破壊株を37℃で培養することにより、多隔壁細胞の出現が認められた。この結果は、Rho1の活性調節が細胞の分離に重要であることを示唆した。

 Rho1以外の分製酵母のRhoについて解析した結果、Rho2とRho4が細胞極性、及び隔壁形成の調節に関与していること、Rho3がF-アクチンリングの形成位置の決定機構や細胞極性の調節に関与していることが示された。さらにRho5の高発現により、rho1遺伝子破壊株の致死性が抑圧されたことから、Rho1とRho5は重複した働きをしていることが示唆された。

 出芽酵母Saccharomyces cerevisiaeにおいてはアクチンと相互作用する因子が50種類程度存在することが予想されており、現在までに35種類以上が同定されている。一方、分裂酵母のアクチン細胞骨格の調節機構についてはあまりよく知られていない。そこで私は、アクチン重合阻害剤ラトランキュリンを用いた解析、及びアクチン調節タンパク質であるarp2の遺伝学的解析を試みた。分裂酵母の野生株をラトランキュリンで処理した結果、薬剤の濃度依存的に細胞極性の調節やF-アクチンリングの形成に異常が認められた。また、アクチン遺伝子変異株、プロフィリン遺伝子変異株、rho4遺伝子破壊株、pck遺伝子破壊株などは、ラトランキュリンに超感受性を示した。そこで、ラトランキュリン超感受性変異株(las)をスクリーニングすることにより、分裂酵母の細胞極性や隔壁形成の調節機構に関与する遺伝子を同定することを試みた。その結果、26株のlasを取得することに成功した。これらのうち温度感受性を示す8株について細胞形態を観察した結果、細胞極性や隔壁形成に異常が認められた。

 最近、アクチン類似タンパク質(Arp)が注目を集めている。Arp2とArp3は他の5種類のタンパク質と共にArp複合体を形成し、アクチン重合の調節に関与している可能性が示唆されている。そこで分裂酵母のArp2の遺伝学的解析を試みた。分裂酵母のarp2+遺伝子をクローニングした結果、他の生物のArp2遺伝子と高い相同性を示した。遺伝子破壊実験の結果、分裂酵母のArp2は細胞増殖に必須であることが示された。さらにarp2遺伝子破壊株の終末表現型を観察した結果、細胞内に明瞭なF-アクチンパッチが形成されてず、極性成長ができない細胞が観察された。

 本研究から得られた分裂酵母のRho遺伝子に関する知見から、分裂酵母の隔壁形成機構の解析が促進されることが期待される。またlas変異株の原因遺伝子の同定などにより、分裂酵母のアクチン細胞骨格の調節機構がさらに解明されるであろう。

隔壁形勢におけるRho1の役割の模式図
審査要旨

 本論文は2部からなり、第1部は分裂酵母におけるRhoならびに関連遺伝子の解析、第2部は分裂酵母のアクチン細胞骨格の調節機構にかんする解析について述べられている。

 細胞周期の間期において、分裂酵母Schizosaccharomyces pombeのアクチンは細胞端にF-アクチンパッチとして局在し、細胞の極性伸長に重要な働きをしている。分裂期には、母細胞の中央にF-アクチンリングが形成され、核分裂後にF-アクチンリングは収縮を開始する。F-アクチンリングの収縮の進行に伴って隔壁が形成され、細胞分裂が遂行される。母細胞の中央部にF-アクチンリングが形成される点で、分裂酵母の細胞質分裂の様式は動物細胞のそれと類似している。分裂酵母においては突然変異株の解析から細胞質分裂に関与する遺伝子産物が数多く同定されており、他の生物でも保存されていることが多い。このため分裂酵母の細胞質分裂の解析から得られた知見は動物細胞にもあてはまる可能性が高い。

 動物細胞において低分子量Gタンパク質Rhoはアクチン細胞骨格の制御や細胞質分裂に重要な働きをしていることが知られている。そこで論文提出者は第1部において分裂酵母の5種類のrho(rho1+〜5+)、及びその制御因子rdi1+について解析を行った。分裂酵母Rho1は細胞増殖に必須でありヒトRhoAと相同性が高いことから、その機能の重要性が予想された。rho1遺伝子破壊細胞、Rho1過剰発現細胞、及び変異型Rho1発現細胞を観察した結果、Rho1の活性調節がF-アクチンの局在性の調節を介して細胞極性の決定に重要であることが示唆された。さらに、C末端脂質修飾部位に変異を導入したRho1はその機能を損失することから、Rho1の働きには脂質修飾が重要であると考えた。

 抗Rho1抗体を作製し、Rho1の細胞内局在性について検討した結果、大部分のRho1が細胞膜に直接結合していることが分かった。次に、発光クラゲの緑色蛍光タンパク質遺伝子であるGFPとRho1の融合遺伝子(GFP-Rho1)を用いた観察の結果、GFP-Rho1は隔壁が形成されるより以前に細胞の中央部に集積し始め、さらに分裂が進行するにつれて隔壁に沿って局在した。また間期の細胞においてはGFP-Rho1は細胞の先端に局在した。一方、C末端の脂質修飾がされないGFP-変異Rho1は細胞内に一様に分布した。これらの結果から、Rho1は細胞の成長端、及び隔壁形成部位に特異的に局在し、その脂質修飾が局在性に重要であると考えられた。

 分裂酵母のタンパク質キナーゼであるPck1とPck2は細胞内で重複した働きをしており、細胞極性の決定、及び隔壁形成に重要であることが示されている。そこでRho1とPck1、Pck2の関係についてTwo Hybrid法により検討を行った結果、Rho1はPck1及びPck2と直接に結合することが認められた。Pck1とPck2の細胞内局在性について検討した結果、どちらも細胞質全体に存在していたが、特に、隔壁領域に強い局在が認められた。さらに遺伝学的解析の結果、Rho1はPck1やPck2を介してカルシニューリン(Ppb1)と拮抗的に隔壁形成において働いている可能性が示唆された。また、Rho1の負の調節因子Rdi1を単離して解析を行った結果、Rdi1はRho1を細胞膜から隔離し、Rho1の働きを抑制することが認められた。rdi1遺伝子破壊株を37℃で培養することにより、隔壁形成の異常が認められた。

 Rho1以外の分裂酵母のRhoについて解析した結果、Rho2とRho4が細胞極性、及び隔壁形成の調節に関与していること、Rho3がF-アクチンリングの形成位置の決定機構や細胞極性の調節に関与していることが示された。さらにRho5の高発現により、rho1遺伝子破壊株の致死性が抑圧されたことから、Rho1とRho5は重複した働きをしていることが示唆された。

 第2部では分裂酵母のアクチン細胞骨格の調節機構について明らかにするために、アクチン重合阻害剤ラトランキュリンを用いた解析、及びアクチン調節タンパク質であるArp2の遺伝学的解析を試みている。分裂酵母をラトランキュリンで処理した結果、薬剤の濃度依存的に細胞極性の調節やF-アクチンリングの形成に異常が認められた。そこで、ラトランキュリン超感受性変異株(las)をスクリーニングすることにより、分裂酵母の細胞極性や隔壁形成の調節機構に関与する遺伝子を同定することを試みた。その結果、細胞極性や隔壁形成に異常を示す突然変異株が取られた。また、分裂酵母のarp2+遺伝子をクローニングし、遺伝子破壊株を作製した結果、分裂酵母のArp2は細胞増殖に必須であることが示された。さらにarp2遺伝子破壊株の終末表現型を観察した結果、細胞内に明瞭なF-アクチンパッチが形成されず、極性成長ができない細胞が観察された。

 本研究から得られた分裂酵母のRho遺伝子に関する知見から、分裂酵母の隔壁形成機構の解析が進展することが期待される。またlas変異株の原因遺伝子の同定などにより、分裂酵母のアクチン細胞骨格の調節機構を解明する道が開けた。

 本文第1章は荒井律子、馬渕一誠との共同研究を含むが、論文提出者が主体となって実験を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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