学位論文要旨



No 113280
著者(漢字) 藤田,雅丈
著者(英字)
著者(カナ) フジタ,マサヒロ
標題(和) 分裂酵母Schizosaccharomyces pombeのプロテインキナーゼをコードするsck2遺伝子の機能解析
標題(洋)
報告番号 113280
報告番号 甲13280
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3426号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,正幸
 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 馬渕,一誠
 東京大学 助教授 榎森,康文
 東京大学 助教授 菊池,淑子
内容要旨 [I.]

 cAMP依存性プロテインキナーゼ(Aキナーゼ)は真核生物細胞中に広く存在しており、動物においては記憶の形成や免疫応答に関与している。代表的な実験室酵母である出芽酵母Saccharomycescerevisiaeと分裂酵母SchizosaccharomycespombeはともにAキナーゼカスケードによって細胞外の栄養条件を認識している。出芽酵母ではAキナーゼは生育に必須であり、Aキナーゼ欠損株の致死性を多コピー導入によって抑圧できる遺伝子としてSCH9が知られている。SCH9遺伝子産物はAキナーゼおよびCキナーゼと相同性をもつプロテインキナーゼで、Aキナーゼと基質の一部を共有していると考えられている。

 分裂酵母ではAキナーゼは生育に必須ではないが、その欠損株は生育速度の低下、細胞長の短縮、性的脱抑制などの表現型を示す(図1)。これらの表現型が出芽酵母SCH9の分裂酵母における相同遺伝子であるsck1を過剰発現することによって抑圧されること、また野生株でsck1を過剰発現するとAキナーゼ活性が昂進した場合と類似の表現型が見られることは、修士課程において明らかにしたところである。しかし、sck1単独の破壊株には当時、顕著な表現型が確認できず、相同遺伝子が存在する可能性も疑われていた。

図1 分裂酵母のAキナーゼ経路の因子。

 近年種々の生物種においてその遺伝子DNAの全塩基配列を決定するゲノムプロジェクトが進行しつつあり、出芽酵母の全塩基配列が今年決定されたことは記憶に新しい。分裂酵母においても英国サンガー・センターを中心にゲノムプロジェクトが進行しており、三本の染色体中の第一染色体についてはその約8割の塩基配列が1996年中に決定されている。本研究は、分裂酵母ゲノムプロジェクトにおいて同定されたSPAC22E12.14c遺伝子がsck1遺伝子と強い相同性を示したため、その機能解析を行ったものである。

[II.]方法と結果(1)SPAC22E12.14c(sck2)遺伝子過剰発現の効果

 分裂酵母のAキナーゼ触媒サブユニットをコードするpkal遺伝子を破壊した株は富栄養条件下での接合開始(性的脱抑制)、生育速度の低下、細胞長の短縮の表現型を示すが、分裂酵母sck1遺伝子を過剰発現するとこれらの表現型は抑圧される(sck=suppressor of loss of cAMP-dependent protein kinase)。SPAC22E12.14c遺伝子を過剰発現した場合も同様に接合開始が抑圧され、生育速度が野生株並みに回復し(表1)、また細胞長も野生株と同程度になっていた。すなわち、SPAC22E12.14c遺伝子が構造上のみならず機能面でもsck1遺伝子の相同遺伝子であることが明らかになった。以下、この遺伝子をsck2遺伝子と呼ぶ。

表1sck1遺伝子またはsck2遺伝子の過剰発現によるヘテロタリックpka1遺伝子破壊株の生育遅延の回復。窒素源の豊富なMM培地で測定した。

 野生株でsck1遺伝子を過剰発現すると、本来有性生殖(接合・胞子形成)を行うはずの窒素源飢餓下でも接合率が低く抑えられ(表2)、また細胞長は野生株に比べて長くなる(図2)。これらはAキナーゼ活性が昂進した変異株に見られる表現型である。sck2遺伝子を過剰発現した場合も同様の表現型となり(表2、図2)、過剰発現実験の結果はSck1p、Sck2pがAキナーゼと協同して機能することを強く示唆した。

表2sck1遺伝子またはsck2遺伝子の過剰発現による野生株の有性生殖の阻害。野生株に有性生殖を誘導するSSA培地で測定した。図2sck1遺伝子またはsck2遺伝子の過剰発現による野生株の有性生殖の阻害および細胞長の伸長。野生株に有性生殖を誘導するSSA培地で培養した。
(2)sck2遺伝子破壊の効果

 sck2遺伝子単独の破壊株の生育速度や細胞形態などを観察したが、野生株と異なる有意な表現型は見いだされなかった。しかしsck2遺伝子破壊によってsck1遺伝子破壊株の示す弱い性的脱抑制の表現型が増強された(表4)。Aキナーゼ活性が低下した変異株が強い性的脱抑制の表現型を示すことも考え合わせると、Sck1p、Sck2pがAキナーゼと協同して協同して有性生殖過程への移行を妨げていることが明らかになった。またsck1遺伝子sck2遺伝子二重破壊株の性的脱抑制の表現型が低glucose濃度でより強く現れたことは、Sck1p、Sck2pが細胞外のglucose濃度を感知する細胞内情報伝達系と関わりをもっていることを示唆している。

 Sck1p、Sck2pとAキナーゼの関係をさらに詳しく検討する目的でpka1遺伝子破壊株においてsck1遺伝子、sck2遺伝子を破壊する実験を行った。pka1遺伝子破壊株の生育速度は野生株に比べて低下している。sck1遺伝子、sck2遺伝子のどちらが一方が破壊されても生育速度はpka1遺伝子単独の破壊株と変わらなかったが、sck1遺伝子、sck2遺伝子をともに破壊すると生育速度が大幅に低下した(表3)。sck1遺伝子sck2遺伝子二重破壊株の生育速度が野生株と変わらないことを考えると、分裂酵母野生株の生育速度は主にAキナーゼ活性によって保たれており、Sck1p、Sck2pはそれぞれが生育速度を「中程度」に保つ機能を共有していると言える。またpka1遺伝子破壊株においてsck1遺伝子、sck2遺伝子のどちらかを破壊すると細胞が凝集するのが観察された。sck1遺伝子sck2遺伝子二重破壊株では細胞の凝集性は認められないことから、Sck1p、Sck2pがAキナーゼと共通の機能を果たしていることがここでも明らかになった。

表3sck1遺伝子sck2遺伝子二重破壊がヘテロタリックpka1遺伝子破壊株にもたらす生育遅延の増強。完全培地YPDで測定した。表4sck1遺伝子破壊株、sck1遺伝子sck2遺伝子二重破壊株の示す性的脱抑制の表現型。窒素源の豊富なSD培地で測定した。
[III.]考察

 本研究では、分裂酵母ゲノムプロジェクトにおいて同定されたSPAC22E12.14c(sck2)遺伝子がsck1遺伝子と強い相同性を示したため、両遺伝子のコードするプロテインキナーゼ間、および両遺伝子のコードするプロテインキナーゼとAキナーゼとの間に機能重複があると仮定して実験を行ったもので、先述の実験結果はこれらの仮定を支持した。一次構造上の類似性から考えると、これらのキナーゼ間で(一部の)基質が共有されているために機能的な重複があるものと推定される。しかし遺伝子破壊が引き起こす酵母細胞の性的脱抑制の強度には差があることなどから全ての基質が共有されていない可能性もあり、Sck1p、Sck2pとAキナーゼとの基質特異性の異同を検討することは今後の重要な課題である。

 Sck1pについては休眠状態にある分裂酵母細胞において細胞外に栄養源(glucose、asparagine)が添加されたことを認識する細胞内情報伝達系の因子であることが最近報告されており、Sck2pも何らかの栄養源認識を行っている可能性が高い。pka1遺伝子破壊株にcAMPを添加してもsck1遺伝子あるいはsck2遺伝子を過剰発現したときに見られる細胞長の伸長などは観察されないため、Sck1pの活性がcAMPによって調節されている可能性は低い。Sck1pの活性調節機構を解明することは、分裂酵母の栄養源情報伝達経路を理解する上で重要である。

 Sck1p、Sck2pは出芽酵母のSCH9遺伝子がコードするプロテインキナーゼと高い相同性を示し、機能的にもその相同遺伝子であると言えるが、これ以外には相同遺伝子と呼べるものは今のところ見つかっていない。しかし分裂酵母と出芽酵母は進化的には遠い種であると考えられており、両酵母に相同遺伝子が存在する場合、他の真核生物にも相同遺伝子が存在することが期待される。現在進められている様々な真核生物でのゲノムプロジェクトの結果に注目しつつ、クロスハイブリダイゼーションやPCRによって相同遺伝子を探索し、その機能解析を行うことがSck1p、Sck2p、およびSch9pの機能をより詳しく解明する手がかりとなるものと考えられる。

審査要旨

 本論文は、分裂酵母であらたにみつかった、cAMP依存性プロテインキナーゼ(Aキナーゼ)に高い相同性をもつ産物をコードする遺伝子sck2について、主として分子遺伝学的な解析を行った結果を述べたものである。代表的な実験室酵母である出芽酵母Saccharomycescerevisiaeと分裂酵母Schizosaccharomycespombeは、ともにAキナーゼを用いて細胞外の栄養条件を認識している。出芽酵母ではAキナーゼは生育に必須であり、Aキナーゼ欠損株の致死性を多コピー導入によって抑圧できる遺伝子としてSCH9が知られている。SCH9遺伝子はプロテインキナーゼをコードしており、そのキナーゼドメインはAキナーゼおよびCキナーゼと高い相同性を示す。Sch9pキナーゼはAキナーゼと基質の一部を共有していると考えられている。一方、分裂酵母ではAキナーゼは生育に必須ではないが、その欠損株は生育速度の低下、細胞長の短縮、性的脱抑制などの表現型を示す。出芽酵母SCH9の分裂酵母における相同遺伝子と考えられるsck1遺伝子を過剰発現することによってこれらの表現型が抑圧されること、また野生株でsck1遺伝子を過剰発現すると、Aキナーゼが活性化された場合と類似の表現型が見られることを、論文提出者は修士課程において明らかにした。しかし当時の研究では、sck1遺伝子単独の破壊株には顕著な表現型が確認できず、sck1の相同遺伝子が存在する可能性が残されていた。

 本研究で論文提出者は、分裂酵母ゲノムプロジェクトにおいて近年その塩基配列が同定されたSPAC22E12.14c遺伝子に注目した。この遺伝子は塩基配列の比較から明らかにsck1遺伝子の相同遺伝子と考えられたので、"sck2"と命名してその解析を進めた。過剰発現実験の結果、sck2はsck1の場合と同様に、Aキナーゼ欠損株の示す性的脱抑制、細胞長短縮、生育速度低下の表現型を抑圧した。またsck2の過剰発現が野生株の接合を阻害して細胞を伸長させる点は、Aキナーゼ活性が昂進した場合に類似していた。

 一方遺伝子破壊実験の結果、sck2単独の破壊株には細胞形態、生育速度および胞子の発芽、有性生殖過程について野生株と異なる有意な表現型は観察されなかった。しかし、sck1遺伝子破壊株の示す弱い性的脱抑制の表現型がsck2破壊によって増強されることが明らかとなった。この表現型が低glucose濃度でより強く現れることは、Sck1p、Sck2pが細胞外のglucose濃度を感知する細胞内情報伝達系と関わりをもっていることを示唆している。またAキナーゼ欠損株は生育速度低下の表現型を示すが、その株においてsck1,sck2両遺伝子をともに破壊すると生育速度がさらに低下することが判明した。すなわち、Aキナーゼ、Sck1p、Sck2pは生育速度を維持する機能を共有していると考えられる。さらに、Aキナーゼを欠いた胞子の発芽率は野生株に比べて低いが、そこにsck1遺伝子破壊を組み合わせると発芽率が極端に低下した。しかしAキナーゼ欠損株においてsck2遺伝子を破壊した場合にはそのような効果は見られず、sck1とsck2が全く等価ではないことも明らかになった。これら以外の表現型として、Aキナーゼ欠損株においてsck1遺伝子またはsck2遺伝子のどちらか一方または両方を破壊すると細胞が凝集しやすくなることも観察されている。

 以上の結果は、sck1,sck2両遺伝子のコードするプロテインキナーゼ間、および両遺伝子のコードするプロテインキナーゼとAキナーゼとの間に機能重複があるという考えを支持するものである。一次構造上の類似性から考えると、これらのキナーゼ間で(一部の)基質が共有されているために機能的な重複があるものと推定される。しかし遺伝子破壊が引き起こす酵母細胞の性的脱抑制の強度に差があることなどから、全ての基質が共有されていない可能性も示唆されており、Sck1p、Sck2pとAキナーゼとの基質特異性の異同を検討することが今後の重要な課題として残された。またSck1pについては細胞外に栄養源(glucose、asparagine)が添加されたことを認識する細胞内情報伝達系の因子であることが最近他のグループから報告されており、その際のSck1pの活性調節機構の解明と、Sck2pが何らかの情報伝達を行っている可能性を検討することも今後の課題として残されている。

 以上、本研究ではあらたなプロテインキナーゼと考えられる産物をコードするsck2遺伝子についてその基本的な性格づけを行い、その産物のAキナーゼ、Sck1pキナーゼとの相互作用を解明した。得られた結果の多くがまだ記述的なレベルのものであり、問題提起に終わっている点には不満も感じられるが、研究は遺伝学的解析としてひと纏まりをなすものであり、分野に対して十分有用な情報を提供しているものであると本委員会は全員一致で判定した。なお、本研究は山本正幸との共同研究であるが、大部分を論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 よって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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