学位論文要旨



No 113284
著者(漢字) 村上,政男
著者(英字)
著者(カナ) ムラカミ,マサオ
標題(和) v-srcでトランスフォームした細胞における内在性AP-1の活性化機構の解析
標題(洋) Activation mechanisms of endogenous AP-1 in v-src transformed cells
報告番号 113284
報告番号 甲13284
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3430号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 客員教授 伊庭,英夫
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 教授 山本,正幸
 東京大学 教授 山本,雅
内容要旨

 Fos及びJunファミリータンパク質から構成されるAP-1は細胞の増殖や癌化、分化に密接に関わる転写制御因子であり、種々の刺激により特異的に活性化されることがわかっている。しかしながら、その特異性がどのように決定されているのか、その機能制御がどのように行われているのかについては未知の部分が多く、これらのことを解明することは癌化や分化といった現象を分子レベルで理解するために重要であると考えられる。

 我々は、これまでにFosやJunのドミナントネガティブ変異体が、FosやJunの過剰発現によるトランスフォーメーションを効率よく抑制するだけでなく、src,yes,fps,ras,rafといった癌遺伝子によるトランスフォーメーションをも抑制することを見いだしている。この抑制実験の結果は、src,yes,fps,ras,rafによるトランスフォーメーションには、内在性のAP-1の活性化が必須の機能を果たしていることを示唆するものである。私は修士課程において、これらの癌遺伝子でトランスフォームした細胞における内在性AP-1の解析を行い、トランスフォーム細胞では内在性のc-JunおよびFra-2の発現量増大とFra-2の高度なリン酸化が観察され、これが内在性のAP-1活性上昇の原因であろうという結果を得た。

 私は本研究でv-srcでトランスフォームしたニワトリ胚線維芽細胞(CEF)と、トランスフォームしていないCEFからDNA affinity chromatographyによりhuman collagenase TREに結合する因子(AP-1)を精製し、免疫沈降法によりすべてのAP-1構成成分を同定することから開始した。これらを比較した結果、c-Jun及びFra-2の発現量増大とFra-2の高度なリン酸化によるSDS-PAGE上の見かけの分子量の増加以外の差異は検出されなかったことから、Fra-2のリン酸化がv-src等の癌遺伝子によるトランスフォーメーションに重要な役割を果たす可能性があると考え、このリン酸化を担うキナーゼ、その活性化機構の解析を進めた。まず、Fra-2のどの領域がリン酸化されるのかを調べるために、Fra-2のC末端側を欠失させた種々の変異体を作製し、これをGSTに融合させたものをin vitro kinase assayの基質として使用した。トランスフォームしていない細胞とv-srcでトランスフォームした細胞の抽出液を用いて、in vitroでこれらの基質をリン酸化させたところ、C末端側の領域がv-srcによるトランスフォーメーション特異的にリン酸化を受けることがわかった。このようなC端側の特異的リン酸化は、細胞を血清刺激した際にも同様に検出された(図1)。リン酸化アミノ酸分析の結果、in vivoおよびin vitroでリン酸化されたFra-2はセリンおよびスレオニン残基がリン酸化を受けていた。

図1 in vitro kinase assayGSTに融合させたFra-2及びその欠失変異体をin vitroでリン酸化させた。(T)-:トランスフォームしていないCEFの抽出液、+:v-srcでトランスフォームしたCEFの抽出液。(S)-:血清飢餓のCEFの抽出液、+:血清刺激したCEFの抽出液

 次に、Fra-2をリン酸化するキナーゼを同定する為に、Fra-2のC端側をGSTに融合させたものを基質に用いてin gel kinase assayを行なった。血清刺激およびv-srcでトランスフォームしたCEFの抽出液中には特異的に42kDaのキナーゼの活性化が検出された。私はこのキナーゼがMAP kinaseであると考え、血清刺激後のMAP kinaseおよびFra-2 kinaseの活性のkineticsをin gel kinase assayで比較解析したところ、MBPを基質にした場合とFra-2のC端領域を基質にした場合で、同一の分子量、同様のkineticsでキナーゼの活性が検出され、この活性は抗MAP kinase抗体による免疫沈降物の分子量と全く一致した。更に、in vitro kinase assayに用いた細胞抽出液をあらかじめ抗MAP kinase抗体で処理しておくとFra-2のリン酸化が大幅に減少し、また、活性化型精製MAP kinaseを用いてin vitroでFra-2欠失変異体をリン酸化させたところ、やはり、C端側の領域がリン酸化されていた。以上の結果から、細胞抽出液中に存在するFra-2 kinaseはMAP kinaseであることがわかった。

 Fra-2のC端側にはアミノ酸配列上MAP kinaseによってリン酸化されると予想される部位が6箇所(Thr残基3つとSer残基3つ)存在する。そのうち2箇所はPro-Ala-ILe-Thr-ProとPro-Leu-Ser-Proという典型的なMAP kinaseのリン酸化のコンセンサス配列を有している(図2)。私はまず、これら2箇所を1つずつ破壊した変異体(XおよびY)と、両方を破壊したもの(XY)、6箇所中N末側に局在する3つのThrを破壊したもの(T)、残りのC末側に局在する3つのSerを破壊したもの(S)、6箇所すべてを破壊したもの(TS)を作製し、これらをGSTおよびHA-tagに融合させたものを用いて解析を行なった。まず、活性化型精製MAP kinaseを用いて、GSTに融合させた基質をin vitroでリン酸化させたところ、変異体X、YおよびXYは、野生型に比べリン酸化の程度が減少していたが、それでもかなりリン酸化を受けていた。一方、変異体Tではリン酸化の程度が大幅に減少し、変異体TSではほとんどリン酸化を受けないことがわかった(図3)。次に、これらのFra-2変異体にHA-tagを付け、レトロウイルスベクターでCEFに過剰発現させ、in vivoにおけるFra-2のリン酸化の状態を免疫沈降法で解析した。休止期の細胞では、野生型Fra-2はリン酸化の程度の差によりスメアなバンドを形成していたが、血清刺激によりこれらの複数のバンドはすべて高分子量側にシフトした。そして、それぞれの変異体のシフトの程度からThr残基の複数箇所のリン酸化がFra-2の見かけの分子量増加に重要であることがわかった。また、in vivoで観察されたこのようなFra-2のシフトはMAP kinaseによるin vitroでのリン酸化でも同様に観察され、複数箇所のThr残基のリン酸化がFra-2の見かけの分子量増加に大きく寄与していることがわかった。

図2 Fra-2点変異体の構造白丸はSer/Thr-Pro配列、黒丸は典型的なMAP kinaseのリン酸化配列を指す。(BD:塩基性領域、LZ:ロイシンジッパー)図3 in vitro kinase assayGSTに融合させた野生型Fra-2及びその点変異体をin vitroで活性型MAP kinaseによりリン酸化させた。

 次に、私はfra-2のプロモーター解析を行ない、v-srcでトランスフォームしたCEFにおけるfra-2の発現上昇の機構を調べた。fra-2プロモーターの種々のエレメントに欠失及び点変異を導入したものをレポーター遺伝子の上流につなぎ、CAT assayを行なったところ、v-srcトランスフォーム細胞でのfra-2の発現はCRE-like配列および2つのAP-1結合配列を介して上昇していることがわかった(図4)。ところが、同様のプロモーター解析を内在性のAP-1活性の低いF9細胞を用いてfosやjunのexpression vectorをcotransfectionして行なったところ、c-fos+c-junでは高いプロモーターの活性化が見られるものの、fra-2+c-junでは活性はほとんど検出できなかった(図4)。この結果は、内在性のAP-1の活性が亢進しているv-srcトランスフォーム細胞において、c-Jun/Fra-2ヘテロダイマーがAP-1の主要構成成分であるという観察と一見矛盾するように見える。しかし、これらの2つの系において決定的に異なると考えられるのは、v-srcでトランスフォームしたCEFではFra-2が高度にリン酸化を受けていることである。これらのことを説明するために私は1つの作業仮説を提唱する(図5)。すなわち、Fra-2がリン酸化を受けていない場合、c-Jun/Fra-2ヘテロダイマーは弱い転写活性化能しか持たないためfra-2の発現量は低いレベルで保たれている。ところが、Fra-2がMAP kinaseによりリン酸化された場合、c-Jun/Fra-2ヘテロダイマーは強い転写活性化能を獲得し、fra-2のプロモーターに存在するCRE-like配列およびAP-1結合配列を介してFra-2の発現を増大させるという"positive autoregulation"によりAP-1の活性が制御されており、これがトランスフォーメーションに重要な働きをしているものと考えるのである。v-SrcはMAP kinase以外にも多くの系を活性化することが報告されていることから、私はMAP kinaseを直接活性化する方法として構成的に活性化したMEK1変異体を導入してこの作業仮説の検証を試み、構成的なMAP kinaseの活性化のみでCEFはトランスフォームし、その細胞内ではFra-2のリン酸化とfra-2の発現が著しく亢進していることを示した。

図4 fra-2遺伝子のプロモーター解析(左)fra-2のプロモーター構造及び、CATアッセイに用いた構築物。黒四角は野生型エレメントであり、白四角は変異を導入したエレメントである。(中)v-srcでトランスフォームしたCEFでのCATアッセイの結果。(右)F9細胞での結果。図5 トランスフォーメーションにおけるAP-1活性化のモデル

 本研究では、v-srcによって引き起こされるトランスフォーメーションにおいて、MAP kinaseの構成的な活性化がFra-2のリン酸化を介したAP-1の活性化を誘導し、これがトランスフォーメーションの直接の原因であることが示された。v-srcで引き起こされる構成的なMAP kinaseの活性化では、増殖刺激で誘導される一過的なMAP kinaseの活性化とは異なり、c-Fosの発現誘導を介さずにAP-1の活性化が誘導されていた。今後は、発癌や分化の機構を考える上で各々のシグナル伝達系の一過的な活性化だけではなく、より長い時間軸で構成的な変化をもたらす機構の解明がますます重要になると考えられる。

審査要旨

 Fos及びJunファミリータンパク質から構成されるAP-1は種々の刺激により特異的に活性化されることがわかっていて、転写制御因子として細胞の増殖・癌化・分化に密接に関与するものと考えられている。本論文は、v-srcでトランスフォームした細胞における内在性のAP-1の活性化機構について詳細に解析している。

 FosやJunのドミナントネガティブ変異体が、FosやJunの過剰発現によるトランスフォーメーションを効率よく抑制するだけでなく、src,yes,fps,ras,rafといった幅広い癌遺伝子によるトランスフォーメーションをも抑制することが示されたことから、src,yes,fps,ras,rafによるトランスフォーメーションには、内在性のAP-1の活性化が必須の機能を果たしていると考えられた。

 そこで本研究では、v-srcでトランスフォームしたニワトリ胚線維芽細胞(CEF)と、トランスフォームしていないCEFからDNA affinity chromatographyによりhuman collagenase TREに結合する因子(AP-1)を精製し、免疫沈降法によりすべてのAP-1構成成分を同定することからトランスフォーメーション機構の解析を開始した。これらを比較した結果、c-Jun及びFra-2の発現量増大とFra-2の高度なリン酸化によるSDS-PAGE上の見かけの分子量の増加以外の差異は検出されなかった。構成成分の比較からFra-2のリン酸化がv-src等の癌遺伝子によるトランスフォーメーションに重要な役割を果たす可能性があると考え、このリン酸化を担うキナーゼ、その活性化機構の解析を進めた。種々の欠失変異体及び点変異体を用いた解析から、Fra-2はC末端の領域に存在する複数のセリン及びスレオニン残基がMAP kinaseにより特異的にリン酸化を受けることを突き止めた。

 次に、fra-2のプロモーター解析を行ない、v-srcでトランスフォームしたCEFにおけるfra-2の発現上昇の機構を調べた。fra-2プロモーターの種々のエレメントに欠失及び点変異を導入したものをレポーター遺伝子の上流につなぎ、CAT assayを行なったところ、v-srcトランスフォーム細胞でのfra-2の発現はCRE-like配列および2つのAP-1結合配列を介して上昇していることがわかった。ところが、同様のプロモーター解析を内在性のAP-1活性の低いF9細胞を用いてfosやjunファミリー遺伝子のexpression vectorをcotransfectionして行なったところ、c-fos+c-junでは高いプロモーターの活性化が見られるものの、fra-2+c-junでは活性はほとんど検出できなかった。この結果は、内在性のAP-1の活性が亢進しているv-srcトランスフォーム細胞において、c-Jun/Fra-2ヘテロダイマーがAP-1の主要構成成分であるという観察と一見矛盾するように見える。これに対し、論文提出者は作業仮説を提唱している。すなわち、Fra-2がリン酸化を受けていない場合、c-Jun/Fra-2ヘテロダイマーは弱い転写活性化能しか持たないためfra-2の発現量は低いレベルで保たれている。ところが、Fra-2がMAP kinaseによりリン酸化された場合、c-Jun/Fra-2ヘテロダイマーは強い転写活性化能を獲得し、さらにfra-2のプロモーターに存在するAP-1結合配列を介してFra-2の発現を増大させるという"positive autoregulation"によりAP-1の活性が引き起こされ、これがトランスフォーメーションに重要な働きをしているものと考えるのである。論文提出者はさらに構成的に活性化したMEK変異体を用いてMAP kinaseの活性化を誘導しただけでCEFはトランスフォームし、その細胞内ではFra-2のリン酸化とfra-2の発現が著しく亢進していること、さらにはF9の系で活性型MEKの導入によりc-Jun/Fra-2の転写活性化能が活性化されることを示し、この仮説を検証している。

 本研究により、癌遺伝子v-srcでトランスフォームした細胞での内在性のAP-1活性化の重要性とその分子機構の解明が著しく進んだといえる。これは、細胞の癌化における転写制御因子の活性化の重要な経路を解明した点で極めて興味深い成果である。よって、論文提出者、村上政男は生物化学及び分子生物学の分野において研究遂行能力を持ち、博士(理学)の学位を受けるに充分な資格があると判断した。尚、本論文はSonobe M.Martha、宇井基泰、蕪山由己人、渡部博貴、和田忠士、半田宏、伊庭英夫各氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を進めたことを確認した。

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