学位論文要旨



No 113287
著者(漢字) 小林,史郎
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,シロウ
標題(和) 送粉者に適応したホタルブクロの花形態に関する進化生態学的研究
標題(洋)
報告番号 113287
報告番号 甲13287
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3433号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,雅啓
 東京大学 教授 田嶋,文生
 東京大学 助教授 野崎,久義
 東京大学 教授 柏谷,博之
 東京大学 教授 雨宮,昭南
内容要旨

 被子植物の多様な花形態を生み出した一つの要因として送粉者への適応進化があったことは、特定の送粉者のグループに対応して特定の花形態が収斂的に進化しているという、送粉シンドロームと呼ばれる現象から推定される。しかし送粉シンドロームの個々の特徴がどのような適応によって進化したのかについては、まだ未解決の部分が多い。ハナバチ(膜翅目ハナバチ上科の総称)は送粉者の重要な一群である。花蜜を報酬とするハナバチ媒花では、蜜腺を隠す管状の部分を持つことが特徴的であり、これは訪花者の種とその吸蜜姿勢を限定することで花粉の授受を確実にする機能を持つことが実証されている。また、しばしば大型の花を持ちハナバチの体を包むような広い花筒を備えることも特徴的である。このような形態には明らかに生産のためのコストがかかるため、なんらかの適応的意義を持ち自然選択を受けなければ進化的には維持できないと考えられる。大型のハナバチがいない地域において複数の種で花筒の小型化が見られることも、広い花筒が自然選択によって維持されていることを支持し、さらにその自然選択が送粉者に関連するものであることを示唆する。本研究の目的は、ハナバチ媒花における広い花筒の機能(適応的意義)を明らかにすることである。

 本研究ではホタルブクロを材料に用いた。ホタルブクロはキキョウ科に属する自家不和合性の多年草であり、雄性先熟の両性花を持つ。開花時、葯はすでに裂開しており花粉は花柱側面の集粉毛に付着しているが、柱頭面はまだ現れていない(雄性期)。およそ3日後に柱頭の先端が3裂して柱頭面が現れるが、通常このときには花粉はすでになくなっている(雌性期)。以下では雄性期・雌性期の意味で♂・♀の表記を用いる。ホタルブクロの主な送粉者はトラマルハナバチである。トラマルハナバチのいない伊豆諸島の個体群(シマホタルブクロ)は、より小型のハナバチに送粉され、ホタルブクロよりも小型の花を持つ。

 本研究ではまず、(1)花冠サイズに変異のある実験集団において繁殖成功を測定し、重回帰分析を用いて、広い花筒を好む選択圧の存在を検証した。次に、(2)繁殖成功の中間段階を測定することにより、その選択圧が繁殖のどの段階に働いているかを特定した。最後に、(3)ここまでの結果から示唆された選択圧の働く機構、すなわち広い花筒の機能について、その実証を試みた。

(1)広い花筒を好む選択圧の検証方法

 花冠長50mm以上のホタルブクロの花をL、50mm未満のものをM、シマホタルブクロをSとし、以下のような実験集団を設定した(図1)。1995年(12集団):栽培株3個体(各1花、♂のL・M・S)と野生株1個体(3または4花、♀でサイズは不定)。1996年(8集団):栽培株4個体(各1花、♂のL・Mと♀のL・M)。♂・♀の花ともに1日目の新鮮な花を用いた。実験以外の訪花を防ぐため、実験までは栽培株は温室内におき、野生株は袋かけをしておいた。各個体は父性解析が可能なように選択した。栽培株は均等に配置し、地表からの高さも一定に保った。栽培株の花については花冠長と花冠幅をあらかじめ測定しておいた。花粉の混入を防ぐために、周囲50m以内に開花している野生株は実験開始前にすべて除雄した。この集団を3〜4時間のあいだ野生のトラマルハナバチに訪花させた。実験後、♀の花は袋かけをし、果実が熟した後に種子を栽培して父性解析に用いた。♂花の葯は回収し、初期花粉数の推定に用いた。

 種子の花粉親は電気泳動度に多型のある5酵素、PGM・PGI・SKD・LAP・AATの遺伝子型によって同定した。初期花粉数は葯長への回帰によって推定したが、この推定残差が花冠長・花冠幅と無相関であることを確認した。重回帰分析の説明変数としては、♀の繁殖成功に関しては花冠長・花冠幅・実験時間・実験年を、♂の繁殖成功に関してはこれらに初期花粉数を加えたものを用いた。グループSのシマホタルブクロは、花サイズ以外にも和合性などに明らかな違いがあることを考慮して解析には用いなかった。

結果と考察

 60♀花/20集団のうち成熟した34果実/17集団の種子を解析した。その結果、実験集団外からの花粉の混入によると考えられる種子も少数の果実で見出された。このような果実を含む3集団を除き、28果実/14集団について繁殖成功を推定した。♂花間での比較では、28果実中21果実でLの花粉による種子が最多であった。また、95年度に解析した448種子中、シマホタルブクロが父親であったものは12種子(2.6%)であった。

 重回帰分析の結果、♂の繁殖成功は花冠幅と正の有意な偏相関を示した(表1)。すなわち、花冠幅が広い花ほど雄性繁殖成功が大きいという傾向がみられた(図2)。この偏相関は各年度ごとでも統計的に有意であり、また♀の花冠幅とも無関係であった。一方、♀の繁殖成功は花冠長・花冠幅のいずれとも有意な偏相関を示さなかった(表1)。

 これらの結果は花冠幅に対する正の選択圧の存在を示す。ハナバチ媒花の広い花筒を維持するような選択圧が実験的に示されたのはこれがはじめてである。この選択圧は、花の雄機能を通じたものであった。

(2)繁殖において選択圧が働いている段階の特定方法

 上記(1)の実験集団での送粉実験で、送粉者の飛来ごとに訪花の順序と各花での滞在時間を記録した。このデータから、各♂花ごとに被訪花率(飛来あたりの訪花数)と平均訪花順位(飛来後の一連の訪花の中での順位の平均)を求めた。また、実験後に♂花の花柱を回収して残存花粉数を測定し、初期花粉数との差として花粉搬出数を推定した。被訪花率・平均訪花順位・花粉搬出数の3変数を、花冠長・花冠幅・初期花粉数・実験時間・実験年の5変数を説明変数として、重回帰分析した。滞在時間については説明変数から実験時間を除外し、同一の花への異なる訪花での滞在時間を繰り返し測定として分析した。

 花粉の授精能力をLとSで比較するために次の実験を11セットおこなった。LとSの新鮮な♂各1花からすべての花粉を回収し、十分に混合した後に新鮮な♀に人工授粉した。上記(1)と同様に授粉花粉数(=初期花粉数)の推定および父性解析を行い、各♂の授精能力を示す変数として繁殖成功/授粉花粉数を求めた。人工授粉実験における各♂の「繁殖成功/授粉花粉数」と送粉実験における各♂の「繁殖成功/搬出花粉数」をそれぞれ、花冠長・花冠幅・初期花粉数・実験時間・実験年の5変数を説明変数として重回帰分析し、両者の偏回帰係数に有意な差があるかどうかを検定した。さらに、花冠幅との有意な相関が見出された被訪花率を第6の説明変数として繁殖成功を重回帰分析した。

結果と考察

 被訪花率は花冠幅と、滞在時間は花冠長と、花粉搬出数は初期花粉数と有意な正の相関を示した(表1)。また、送粉実験での各♂の繁殖成功/花粉搬出数は、繁殖成功と同様に花冠幅と有意な偏相関を示した。この偏相関は被訪花率によっては説明されなかった。この結果は、花冠幅への選択圧が花粉搬出以後の段階に働くことを示す。

 一方、人工授粉実験での各♂の繁殖成功/授粉花粉数は花冠長・花冠幅・初期花粉数のいずれとも有意な相関を示さなかった。そして、繁殖成功/花粉搬出数と繁殖成功/授粉花粉数の花冠幅への偏回帰係数には有意差がみとめられた(表1)。この結果は、花冠幅への選択圧が花粉の柱頭到達以前の段階に働くことを示す。

 したがって花冠幅への選択圧は、花粉の花からの搬出から柱頭への到達までの間の段階に働いている。この段階に働く選択圧はこれまで知るれていないが、この結果から、花粉搬出数は雄性繁殖成功の推定値としては不適切であると言える。この選択圧の働く機構としては、花粉の落下率を減らしマルハナバチへの花粉の付着率を増加させるという可能性が考えられる。

(3)広い花筒の機能方法

 野外集団においてマルハナバチの訪花時に、落下した花粉およびマルハナバチに付着した花粉を回収し、その数を測定した。それぞれについて花冠長・花冠幅・初期花粉数・開花後の日数とマルハナバチの滞在時間を説明変数とする重回帰分析をおこない、偏回帰係数の差を検定した。

結果と考察

 花粉落下数は花冠幅と負の、滞在時間・開花後の日数と正の、それぞれ有意な偏相関を示した。すなわち、花冠幅が広いほど花粉落下数は減少した。一方、花粉付着数は花冠長と負の、滞在時間と正の有意な偏相関を示した。しかし花冠幅との偏相関は有意でなく、花冠幅と両者との偏相関には有意な差がみとめられた(図3)。

 この結果を用いて、花粉の付着率(花粉付着数/花粉搬出数)は花冠幅が広いほど増加することが明らかになった。花冠幅による花粉付着率の変動は、およそ2倍と推定された。したがって、広い花筒の機能の少なくとも一部は、花粉付着率を増加させることであると考えられる。

 花冠幅が広いときに花粉落下数が減少することは、マルハナバチと花粉の接触がゆるやかになることで説明できる。広い花筒を持つハナバチ媒花は多くの場合、花筒の広さによってハナバチと花粉との接触がゆるやかになるような形態である。このことは、本研究で見出された花粉付着率の増加という機能が、一般のハナバチ媒花においても広い花筒を進化させた可能性を示唆する。

結論

 (1)マルハナバチに送粉されるホタルブクロにおいて、広い花筒の花冠幅には雄機能を通じた正の選択圧が働いている。

 (2)この選択圧は、花粉の花からの搬出から柱頭への到達までの段階に働いている。

 (3)広い花筒の機能の一つは、花粉落下率を減少させることである。

表1 ホタルブクロの送粉実験人工授粉実験における繁殖成功と関連する変数の重回帰分析結果、および偏回帰係数の差の検定結果。数値は偏回帰係数±1標準誤差を示す。図1 ホタルブクロを用いた送粉実験のデザイン図2 実験集団での送粉実験における♂花の繁殖成功と花冠幅との関係図3 開花1日目のホタルブクロへのマルハナバチの一回訪花時における、滞在時間あたりの花粉落下数及び花粉付着数と花冠幅との関係
審査要旨

 本論文は前章と3章からなり、前章(総論)は本研究の背景、意義および課題、第1章はトラマルハナバチによって送粉されるホタルブクロにおいて広い花冠が維持される選択圧の存在の検証、第2章はその選択圧がはたらいている繁殖段階の特定、第3章は広い花冠の機能(適応的意義)について述べられている。前章で述べられているように、被子植物は現在の地球上で最も種数(陸上植物の90%以上)が多くかつ著しく多様化している。そのようになったのは、花を訪れ花粉を運んでくれる動物(送粉者)と、送粉者を誘引する花弁をもった花との関係が非常に密接で、そのために一方の変異が他方に重大な影響を及ぼすからである。その結果、送粉者が似ていれば、花も植物の系統にかかわらず形態や色が似ることが起こる。したがって、送粉する動物とかかわり合いながら起こった花の形態の進化は、被子植物の進化を解明する上で最も興味深い課題の一つである。論文提出者は、この課題に取り組むために、マルハナバチが送粉する釣り鐘状の広い花冠をもつ植物としてホタルブクロを研究材料として適切に選んで、一連の研究に取り組んでおり、着眼点は面白く、以下のような新しくて興味深い成果を得た。

 まず第1章で、花冠のサイズが異なる個体からなる実験集団を用いて得られた観察データを重回帰分析することによって、花冠幅がより大きくなる方向に選択圧がかかり、しかもその選択圧が花の雄の機能(花粉による雄性の繁殖成功)をとおして作用することを明らかにした。一方、雌(胚珠)としての繁殖成功は花冠幅によって左右されないという結果を得た。両性花をもつ植物では解析が比較的容易な雌の機能に着目した研究例は多いが、本研究はホタルブクロのようなハナバチ媒花で広い花冠が維持される選択圧の存在を実験的に初めて示した研究であり、価値が高いと判断する。また、雄の機能を通してその選択圧がかかることを示したことは、これまで研究者が気づかなかった点であり、両性花の進化を解明する上で重要な発見である。

 第2章では、花粉による雄性の繁殖成功にかかわっている可能性があるいくつかの繁殖段階について、第1章と同様の実験集団を用いた観察データを重回帰分析して、第1章で示された選択圧は、花粉がマルハナバチによって花から搬出されてから雌蕊の柱頭に到達するまでの間の段階ではたらくことを明らかにした。この段階に選択圧がはたらくことを示した最初の例である。このことから、雄性繁殖成功の推定値としてこれまで提唱されてきた花粉搬出数を用いることは合理的でないことも明らかにしたことは、注目に値する。

 第3章では花粉搬出に関する2因子(花粉付着数と落下数)について重回帰分析して、花粉付着率(付着数/搬出数)が花冠幅と正の相関があることを明らかにした。花粉の落下数を抑えて、送粉者への付着効率を上げるように花冠幅が大きくなる方向に進化したことをホタルブクロで示した本論文は、同じような釣り鐘状の花冠をもった多くの植物でも同様の選択が作用していることを示唆するものであり、花形態と送粉者との共進化を明らかにする上で重要な貢献を果たしたといえる。とくに、両性花の雄機能を通しての選択が花形態の進化に重要な役割を果たしたことを明らかにしたことは、花の形態進化に関する今後の研究に大きな一石を投じたと評価できる。

 なお、本論文第1〜3章は井上健(信州大学)、加藤雅啓の共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究計画の設定、分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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