学位論文要旨



No 113290
著者(漢字) 飯塚,晶子
著者(英字)
著者(カナ) イイヅカ,アキコ
標題(和) ラット生殖腺におけるゴナドトロピン受容体の発現とその調節機構
標題(洋) Expression of gonadotropin receptors and its regulatory mechanism in rat gonads
報告番号 113290
報告番号 甲13290
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3436号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 守,隆夫
 東京大学 助教授 竹井,祥郎
 東京大学 助教授 岡,良隆
 東京大学 助教授 藤原,晴彦
 東京大学 助教授 朴,民根
内容要旨

 ゴナドトロピン、すなわち濾胞刺激ホルモン(FSH)と黄体形成ホルモン(LH)は、下垂体前葉より分泌され、生殖腺の標的細胞に作用して細胞増殖やステロイドホルモンの合成を促進することにより配偶子形成を促す。ゴナドトロピンの作用は下垂体から分泌されるホルモンの量、すなわち血中のゴナドトロピン濃度によって調節されている。一方、ホルモンの作用は標的細胞の感受性にも大きく依存しており、標的細胞におけるホルモン受容体の性質やその発現量は、生殖腺内部においてゴナドトロピン作用を局所的に決定しうる要因であるといえる。

 ゴナドトロピン受容体は、いずれも7回の膜貫通部位をもつGタンパク質共役型受容体であるが、生殖腺ではオルターナティブスプライシングやポリA付加部位の多様性によって生じた多種類のmRNAが発現している。これらのmRNA分子はそれぞれ異なった塩基配列をもつために、細胞内の翻訳効率や、コードしている受容体タンパク質の構造に差異が生じるものと考えられる。実際にブタのLH受容体に関するin vitroの実験からは、不完全な受容体タンパク質、特に細胞膜貫通領域をコードしていない分子が可溶性のホルモン結合タンパク質となること、また、それらの分子は単独で培養細胞で発現しても受容体としての機能は持たないが、完全長の受容体と同時に発現した場合には、細胞のホルモン応答能を増幅するという興味深い現象が報告されている。私は、このような受容体mRNA分子の多様性が、ラット生殖腺における標的細胞のホルモン感受性の調節に関与しているのではないかと考え、様々な生理条件下におけるmRNA分子、特にLH受容体mRNAの発現パターンを解析することによって多様なmRNA分子種の存在意義を考察した。

 LH受容体の遺伝子は約2100塩基対よりなる11個のエクソンと、その間の10個のイントロン、それらの両側の非翻訳領域で構成されており、受容体タンパク質のN末端側の細胞外領域を1番目から10番目のエクソンが、また7回膜貫通部位とC末端側細胞質領域を11番目のエクソンがコードしている。LH受容体をNorthern hybridizationで検出すると、ラットの生殖腺ではポリA付加部位の異なる約6.5kb、4.2kb、2.6kb、2.3kb、1.8kb、1.4kbなどの複数のバンドが検出される。一方、Aatsinkiら(1992年)はラット卵巣のLH受容体mRNAを逆転写PCR法で増幅し、完全長の受容体cDNAに加えて4種の分子種を単離した。これらはいずれもオルターナティブスプライシングにより遺伝子配列の一部を欠いており、中でもエクソン11の5’端266塩基対を欠失した分子(isoform B)のクローンが最も多く得られた。このisoform Bでは翻訳の際にフレームシフトが生じるため、膜貫通領域の前の終止コドンで翻訳が終わり、細胞外領域のみをもつタンパク質が合成される。このisoform B由来の受容体タンパク質が生殖腺細胞のホルモン感受性の関わっているならば、isoform B型のmRNAと完全長mRNAの発現量の比率は、卵巣内の組織の種類や濾胞の成熟度に応じて異なる可能性が高い。そこで第一章では、卵巣内で大量に発現しているisoform Bと完全長mRNA分子の発現を比較した。実験には、isoform Bと完全長mRNAいずれもがコードしているエクソン1-9(プローブA)、isoform Bがコードしていないエクソン11の5’末端部分(プローブB)の2カ所のcRNAプローブを作製し、in situ hybridizationを行った。その結果、双方のプローブによるシグナルはいずれも内莢膜細胞、黄体細胞、間質細胞、および成熟濾胞の顆粒膜細胞に局在しており、組織間におけるシグナルの濃淡変化も双方のプローブで同様の傾向を示した。このことから、卵巣においてはisoform Bと完全長mRNAの発現の比率が組織間でほぼ一定であること、すなわちこれらのmRNA分子は同じ調節機構のもとで発現していることが示唆された。また、LH受容体mRNA分子のポリA付加による多様な分子種についても、Northern hybridizationによる研究から、幼若ラットおよび成体ラットの卵巣内においては、発現量が変動する際も全分子種が一斉に増減するのみで、それらの量比は組織やホルモン環境に関わらず一定であることが報告されている。これらの結果から、卵巣において、LH受容体mRNAの多様な分子種の発現は積極的な調節を受けていないことが示唆された。

 一方、ラット精巣におけるLH受容体mRNA分子の発現様式は、卵巣と異なることが知られている。すなわち、精巣で大量に発現している1.8kbのmRNA分子は、他の分子種の発現が抑制される実験条件下でもその発現量が減少しない。このことは、精巣において、各LH受容体mRNA分子の発現パターンを調節する複数の機構が存在する可能性を示している。精巣においてゴナドトロピンは生殖細胞の分裂と精子形成の進行を促進することから、逆にそれらがライディヒ細胞の機能調節に関わっているのではないかと考え、第2章では、精子形成を実験的に停止させ、そのことがLH受容体mRNAの発現に影響を与えるかどうかを解析した。まず、成体雄ラットに対して、潜伏精巣手術を行った。潜伏精巣手術は、通常陰嚢内で低温に保たれている精巣を腹腔内に固定することで精細管上皮を退化させる手法である。この手術を片側の精巣にのみ行い、同じ血中ホルモン濃度条件下の左右の精巣を比較した。この手術によって腹腔内精巣の重量は7日目以降に著しく減少したが、組織学的観察では手術後3日目に、既に生殖細胞、とくに精子細胞の退化が始まっていることが確認された。LH受容体mRNAの発現をNorthern hybridizationで検出したところ、正常な精巣および陰嚢内で大量に発現している1.8kbのmRNAのバンドが、腹腔内精巣では手術後3日目以降に著しく減少していた。このような発現パターンの変化は正常な組織像を維持する陰嚢内精巣で見られなかったことから、これは精巣内部の機構により引き起こされたものであることが示された。また、精巣輸出管を結紮することにより精巣内の温度変化によらず精子形成を停止させた場合にも、潜伏精巣手術と同様、1.8kbのmRNAの発現量が減少することが明らかになった。これらの結果は、1.8kb mRNAの発現が精巣内に存在する独自の機構によって調節されており、その調節機構が生殖細胞の退化と密接に関連していることを示すものである。一方、潜伏精巣手術はFSH受容体mRNAの発現パターンには影響を及ぼさなかったことから、このような発現調節機構はライディヒ細胞のLH受容体に特有のものであることが示された。

 第3章では、以上の研究結果を踏まえた上で、いくつかの疑問点にこたえるべく実験を行った。まず、正常な精巣においても1.8kb mRNAの発現が精子形成と関連しているのか否かを調べるため、精巣の発育段階におけるLH受容体mRNAの発現パターンを解析した。生後22日から75日までのラット精巣におけるmRNAの発現をNorthern hybridizationで検出したところ、30日齢までは1.8kb mRNAが相対的に非常に少ないのに対し、それ以降はその発現だけが急激に増加し、45日齢では全mRNA分子種の中で最も多くなるという結果が得られた。また、精子細胞は30日齢以降の精細管内で観察された。このことから精巣に特異的な大量の1.8kb mRNAの発現は、実験的な環境下のみならず、正常な発生過程においても精子形成と密接に関連して発現してくることが示された。

 最後に、1.8kbのmRNAの生体内での機能を検討するため、その分子構造をNorthern hybridizationで解析した。LH受容体のエクソン1-9、エクソン11の5’端、エクソン11の3’側をコードする3種類のプローブA、B、Cを作製し、精巣のRNAサンプルに対してハイブリダイズしたところ、1.8kbのmRNAはプローブA、プローブBとハイブリダイズし、プローブCとはハイブリダイズしないことが示された。これにより、この分子がエクソン11の5’端付近まで、すなわち細胞外領域のほぼ全域をコードしている可能性が強く示唆された。細胞外領域にはホルモンとの結合部位が存在するため、この部分をコードするタンパク質はホルモンとの結合性を持つことが知られている。また、精巣内の1.8kb mRNAは、効率は低いもののリボゾームと会合していることが報告されているので、生体内でも実際にこのmRNA分子由来のタンパク質が合成されている可能性が高いものと考えられる。

 ラット精巣における1.8kbのmRNAの機能はいまだ明らかになっていないが、本研究により、精細管内の細胞がこのmRNA分子の発現を通じてライディヒ細胞の機能を調節している可能性が示された。このことは、精巣内にライディヒ細胞のLH感受性を局所的に調節しうる独自の機構が存在することを示唆しており、今後、精巣機能、とくに精子形成との関連の解明が望まれる。

審査要旨

 本論文は3章からなり、第1章は卵巣における黄体形成ホルモン(LH)受容体の発現、第2章は精細管上皮の退化時のLH受容体mRNAの発現様式の変化、第3章は幼若ラット精巣におけるLH受容体mRNAの発現様式の変化とmRNA分子の構造について述べられている。

 ゴナドトロピンは、生殖腺の発達やステロイドホルモンの産生に必須の下垂体ホルモンであり、その受容体は生殖腺においてホルモン作用を局所的に調節しているものと考えられている。近年の解析により、生体内ではサイズの異なる多様なmRNA分子が発現していることが明らかになった。このようなmRNAの多様性は、受容体タンパク質に構造や機能の多様性をもたらし得ることから、標的細胞のホルモン感受性の調節に関わっている可能性が指摘されているが、現在までにその存在意義は全く明らかになっていない。そこで本研究はゴナドトロピン受容体mRNAの多様性の生物学的な意義を解明することを目的として行われた。

 mRNA分子の多様性は、転写物へのポリA tailの付加位置の違いと、オルターナティブスプライシングによって生じることが知られている。ラットの卵巣では、オルターナティブスプライシングによって生じたLH受容体mRNA分子種が完全長のmRNA分子よりも多く発現していることから、第1章ではこのことに着目し、組織特異的なオルターナティブスプライシングの調節機構の有無をin situ hybridizationによって解析した。実験では、完全長mRNAとスプライシングによる分子種(isoform B)の両方、または完全長mRNAのみを検出できる2種類のプローブを使用することによって、それぞれのシグナルの分布を比較した。その結果、2種のプローブによるシグナルは、莢膜、顆粒膜、黄体細胞において全く同様の分布を示したことから、完全長mRNAとisoform Bは卵巣内のLH標的細胞においてほぼ一定の割合で同時に発現していること、すなわち組織特異的なオルターナティブスプライシングの調節機構は卵巣内に存在しないことが示唆された。

 第2章では、精巣に特異的なLH受容体mRNAの発現パターンに着目し、これを調節する機構を調べるため、まず片側潜伏精巣手術によって精子形成を停止させた。その結果、腹腔内に固定した精巣では精巣に特異的に大量に発現している1.8kbのmRNAが著しく減少していた。同一個体内の陰嚢内精巣の発現パターンは変化しなかったことから、潜伏精巣手術による発現パターンの変化は精巣内で引き起こされたものであることが示された。さらに、同様の変化は精巣輸出管の結紮によって精細管上皮を退化させた場合にも引き起こされること、潜伏精巣手術後の発現パターンの変化は、精細管内の精細胞の退化とほぼ同時に始まることが明らかになった。これらの結果から、成熟ラットの精巣で発現している1.8kbのLH受容体mRNAの発現は、精細管内部の精細胞が退化する条件下で抑制されることが示された。

 第3章では、正常な精巣の発達過程におけるLH受容体mRNAの発現パターンを解析することにより、生後35日齢以降1.8kbのmRNAの発現量だけが急激に増加することが明らかになった。これは精細管内に精細胞が出現する時期であることから、正常な精巣においても、LH受容体1.8kbのmRNA分子の発現調節に精細管内の生殖細胞が関わっている可能性が示唆された。さらに1.8kbのmRNA分子の構造をNorthern hybridizationにより解析した結果、この分子はこれまで知られていた受容体遺伝子の細胞外領域の前半部分だけでなく、エクソン11の5’端付近までをコードしていることが明らかになった。このことから、このmRNA分子が細胞外領域のほぼ全体を含んでおり、このmRNA分子が翻訳された場合、その産物がホルモン結合タンパク質として、LH受容体を発現しているライディヒ細胞のホルモン感受性を修飾する可能性が示唆された。

 本研究により、ラットの生殖腺におけるLH受容体mRNA分子の調節機構の一端が明らかになった。特に精巣については、1.8kbのmRNA分子の発現が精細管内部の細胞によって調節されている可能性が示唆された。このことは、精巣内にライディヒ細胞のLH感受性を局所的に調節しうる独自の機構が存在することを意味しており、LH受容体mRNA分子の多様性が生殖細胞の機能とステロイドホルモン合成の相互の調節機構において何らかの役割を果たしている可能性を示唆するものである。

 なお、本論文の第2章および第3章は守 隆夫氏、朴 民根氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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