学位論文要旨



No 113294
著者(漢字) 工藤,真理子
著者(英字)
著者(カナ) クドウ,マリコ
標題(和) 神経細胞接着分子へのポリシアル酸の結合についての研究
標題(洋) Studies of polysialylation on neural cell adhesion molecules
報告番号 113294
報告番号 甲13294
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3440号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩川,光一郎
 東京大学 教授 雨宮,昭南
 東京大学 教授 平井,百樹
 東京大学 助教授 大矢,禎一
 東京大学 講師 広野,雅文
内容要旨

 細胞接着分子は細胞表面に発現し、細胞間の相互作用に関わる重要な分子である。細胞接着分子は、単に分子同士の結合によって細胞同士を接着するだけではなく、結合に伴って細胞内に情報を伝える働きも持つことが知られている。

 細胞接着分子のうち、神経細胞接着分子(Neural Cell Adhesion Molecules;N-CAM)はポリシアル酸という糖鎖による翻訳後修飾によって、機能が劇的に変化するという特徴を持つ分子である。一般に膜タンパク質はリボソームによってペプチド部分が合成された後、小胞体及びゴルジ体を通過して細胞表面に発現するが、この過程において様々な翻訳後修飾を受ける。糖鎖の結合は翻訳後修飾の一つである。N-CAMは発現時期や発現部位によって、ポリシアル酸の結合を受ける場合と受けない場合とがあり、接着分子としての機能が変化することが報告されている。N-CAMはホモフィリックな結合によって細胞同士を接着する分子であるが、ポリシアル酸が結合すると、分子同士の結合が負に制御され、N-CAMを発現している細胞間の距離はむしろ広がることが示されている。これはタンパク質の機能が糖鎖修飾によって調節される興味深い現象である。また、脊椎動物の体組織においてポリシアル酸の付加を受ける分子はN-CAMと一部のナトリウムチャンネルに限られており、なぜ、同一の細胞で発現するタンパク質分子のうち特定の分子のみにポリシアル酸が結合するのか、ということも原因を明らかにするべき問題である。

 N-CAMは神経組織を始めとする、さまざまな組織で発現している。N-CAMへのポリシアル酸の結合は発生段階では広範囲に見られるが、生体では脳の海馬などの限られた部域で発現しているN-CAMのみがポリシアルの結合を受けていることが明らかにされている。ポリシアル酸はN-CAMどうしの結合を負に調節し、細胞間の距離を広げることから、細胞同士の相互作用を弱めることによって、発生過程における神経系の構築をスムースに行わせる働きを持っていると考えられている。また、ポリシアル酸が発現している海馬などの組織では、成体でも組織の作り替えが行われていると考えられている。

 このように、ポリシアル酸の結合はN-CAMの機能を調節する重要な修飾であるが、どのような機構によってポリシアル酸の結合が調節されているかについては不明な点が多く残されている。N-CAMが関わる現象を正確に理解するためには、N-CAMへのポリシアル酸の結合がどのような機構で制御されているのかについて明らかにすることが必要である。私はこの機構の解明を目的として、研究を行っている。

 ポリシアル酸はゴルジ体において、シアル酸転移酵素がドナーからアクセプターにシアル酸を繰り返し転移するという酵素反応によって合成される。シアル酸転移酵素のうち、ポリシアル酸を合成する活性を持つものをポリシアル酸転移酵素と呼ぶ。ポリシアル酸が合成される様子を図1に示した。図中でRで示した部分が、ポリシアル酸の結合を受けるタンパク質、すなわちN-CAMに結合している糖鎖に相当する。

 N-CAMに対するポリシアル酸の結合という酵素反応の制御機構を明らかにするためには、ポリシアル酸を合成するポリシアル酸転移酵素と、アクセプターとなるN-CAMの糖鎖構造の両面から研究を行うことが必要である。特に同時期に同じ細胞で発現しているタンパク質のうちN-CAMのみがポリシアル酸による修飾を受けるという現象にはポリシアル酸の基質特異性とアクセプター分子の構造が強く関与していると考えられる。

 そこで、私は、N-CAMの糖鎖のうち、ポリシアル酸を結合している糖鎖についてその構造を明らかにした。そのために、ポリシアル酸を結合しているN-CAMが多量に発現していることが知られているニワトリ14日胚の脳から、ポリシアル酸を結合している糖ペプチドを多量に調製法を確立した。得られた糖ペプチドに対して、化学的手法、酵素学的手法、機器的手法を用いて詳細な解析を行った。その結果、明らかになった糖鎖の構造を、一般的な糖鎖構造と比較して、図2に示した。この構造は、硫酸基が3位に結合しているN-アセチルグルコサミン(GlcNAc)を側鎖に含み、また、GlcNAcへのガラクトース(Gal)の結合様式として、3位への結合(1型)と4位への結合(2型)の両方が存在していた。これらの構造は非常に特徴的なものであり、ポリシアル酸転移酵素による選択的なポリシアル酸修飾に関与していることが強く予想された。また、同様にして調製したブタ胎児の脳のポリシアル酸を結合している糖ペプチドが、ニワトリ初期胚から調製した糖ペプチドと近似した1H-NMRスペクトルを示したことから、N-CAMに上のポリシアル酸を結合している糖鎖構造は種を越えて類似したものであることが推測された。

 一方、N-CAMに結合するポリシアル酸の合成を行うポリシアル酸転移酵素については、活性がガン化したヒト培養細胞や、ニワトリ胚の脳で検出されており、また、哺乳類のマウス、ラット、ハムスター、ヒトからは、すでにcDNAが単離されている。これらのすでにクローニングされたポリシアル酸転移酵素のアミノ酸配列を比較し、系統樹を図3に示した。哺乳類においては、図3から明らかなように、STX/ST8Sia IIとPST-1/PST/ST8Sia IVの2つのポリシアル酸転移酵素ファミリーが存在している。この2種のポリシアル酸転移酵素は互いに他に依存せずに、どちらもN-CAMに対するポリシアル酸転移酵素活性を持つことが知られている。2種のポリシアル酸転移酵素は組織中で発現している部位が異なることがマウスで報告されているが、どのような理由で2つのポリシアル酸転移酵素が使い分けられており、また合成されたポリシアル酸にどのような違いがあるのかについては、不明である。

 そこで、私は2種のポリシアル酸転移酵素の存在が哺乳類に限られるのかどうかを明らかにするために、両生類であるアフリカツメガエルに存在しているポリシアル酸転移酵素のクローニングを行った。尾芽胚のライブラリーをスクリーニングして得られたクローンは哺乳類のSTX/ST8Sia IIとアミノ酸レベルで80%の高い相同性を持つものであったので、xSTXと名付けた。さらに、ツメガエルにおいてPST-1/PST/ST8Sia IVのホモログが存在しているかを明らかにするために、PST-1の塩基配列をプローブとして、ツメガエルゲノムDNAの制限酵素消化物に対してサザンブロッティングを行ったところ、xSTXをプローブとして用いた場合に得られるバンドとは異なるサイズのバンドが得られた。このことから、ツメガエルにおいても、2種のポリシアル酸転移酵素が発現していることが予想された。

 また、ツメガエルにおけるxSTXの発現についてもあわせて解析を行った。xSTXの時期的な発現パターンをノーザンブロッティング法で解析したところ、神経胚から発現を始め、前変態期に発現量が最大になり、その後はほぼ一定になることが明らかになった。これは、すでに知られているポリシアル酸の発現パターンと一致しており、ツメガエルにおいてxSTXが主要なポリシアル酸転移酵素であることが明らかになった。また、成体ではxSTXは脳・目・心臓に強く発現していることが明らかになった。脳・心臓ではポリシアル酸も発現していることがポリシアル酸に対する抗体を用いた免疫組織学的方法によって明らかになった。

 これまでポリシアル酸の発現は哺乳類を中心に発現が解析されており、発生過程では高い発現を示し、成体では発現している臓器のうちでも限られた部位にしか発現しないと考えられてきた。しかし、ツメガエルの脳・心臓では図4に示すように、広い範囲でポリシアル酸が発現していた。また、このようなポリシアル酸の成体での発現はツメガエルのみにみられる現象ではなく、食用ガエル、アカハライモリ、ゼブラフィッシュにおいても、同様の発現が見られることが明らかになった。これらの種ではポリシアル酸は成体になっても哺乳類の場合に見られるような減少を示さず、高い発現を続けていることになる。成体でのポリシアル酸の発現がどのような意味を持っているのかは、今後明らかにすべき問題点である。

 以上のように、私はN-CAMがポリシアル酸修飾を受ける機構について、N-CAMに結合している糖鎖構造を明らかにする生化学的な側面とと、ポリシアル酸転移酵素の構造や発現部位を明らかにする分子生物学的な側面から取り組んできた。その過程で、ポリシアル酸のアクセプター糖鎖は特徴的な構造を持つことを明らかにし、また、両生類のポリシアル酸転移酵素の発現についての解析を行った。

 今後は本研究で明らかになったN-CAMに特異的な糖鎖構造が、どのようにして認識され、N-CAMに対する選択的なポリシアル酸修飾を引き起こすのかを明らかにしたい。現在、仮説として、N-CAMを認識してゴルジ体のうちのポリシアル酸転移酵素の局在部位にN-CAMを運ぶ分子が存在しているのではないかと考えている。そのためには、リボソームで翻訳されたN-CAMが、ゴルジを通過していく過程での挙動を明らかにする方法を開発し、、またN-CAMと親和性を持つような分子がゴルジ体に存在しているかどうかをアフィニティークロマトグラフィーなどの方法で調べてたいと考えている。

図1ポリシアル酸は(I),(II)の酵素反応によって作られたシアル酸(NeuAc)の繰り返し構造に対して、(III)に示したポリシアル酸転移酵素が繰り返してシアル酸を転移することによって合成される。図2N-CAM上のポリシアル酸を結合している糖鎖(A)と一般的に見られる3本鎖N型糖鎖(B)を比較して示した。ポリシアル酸を結合している糖鎖に特徴的な構造は四角で囲った側鎖部分に多く見られる。図3すでに見いだされているポリシアル酸転移酵素と本研究でアフリカツメガエルから見いだされたポリシアル酸転移酵素の類似性を系統樹として示した。図4ツメガエルの臓器(A,B,脳;C,D,心臓;E,F,小腸)でのポリシアル酸の発現の様子をポリシアル酸に対する抗体を用いた組織染色(A,C,E)によって検出した。B,D,Fはコントロールとして一時抗体の代わりにマウス腹水を用いた。(Bar;0.5mm)
審査要旨

 本論文は2章からなり、第1章はニワトリ胚脳から調製したポリシアル酸結合糖ペプチドのコア糖鎖の構造解析、第2章はアフリカツメガエルのポリシアル酸転移酵素のクローニングと発現解析について述べられている。これらは、神経細胞接着分子(N-CAM)へのポリシアル酸修飾がどのようにして調節されているかを明らかにする目的で行われた研究である。

 第一章では、N-CAMの糖鎖のうち、ポリシアル酸を結合している糖鎖についてその構造を明らかにした。ポリシアル酸を結合しているN-CAMが多量に発現していることが知られているニワトリ14日胚の脳から、ポリシアル酸を結合している糖ペプチドを多量に調製する方法を確立し、得られた糖ペプチドに対して、化学的手法、酵素学的手法、機器的手法を用いて詳細な解析を行った。その結果、明らかになった糖鎖構造は、硫酸基が3位に結合しているN-アセチルグルコサミン(GlcNAc)を側鎖に含み、また、GlcNAcへのガラクトース(Gal)の結合様式として、3位への結合(1型)と4位への結合(2型)の両方が存在していた。これらの構造は非常に特徴的なものであり、特に3位が硫酸基で置換されたGlcNAcは本研究によって初めて糖タンパク質の糖鎖中に見出された構造であった。ポリシアル酸転移酵素は、このようなN-CAM上の糖鎖構造を認識して、ポリシアル酸の生合成を行うことが強く予想された。

 第2章では、N-CAMに結合するポリシアル酸の合成を行うポリシアル酸転移酵素については両生類であるアフリカツメガエルに存在しているポリシアル酸転移酵素のクローニングを行った。ツメガエル尾芽胚のライブラリーから得られたクローンは哺乳類のSTXとアミノ酸レベルで80%の高い相同性を持つものであり、xSTXと名付けられた。xSTXの発現の様子をノーザンブロッティング法で解析したところ、尾芽胚から発現を始め、前変態期に発現量が最大になり、その後はほぼ一定になることが明らかになった。これは、すでに知られているポリシアル酸の発現パターンと一致しており、ツメガエルにおいてxSTXが主要なポリシアル酸転移酵素であることが明らかになった。また、成体ではxSTXは脳・目・心臓に強く発現していることが明らかになった。脳・心臓ではポリシアル酸も発現していることがポリシアル酸に対する抗体を用いた免疫組織学的方法によって明らかになった。これまでポリシアル酸の発現は哺乳類を中心に発現が解析されており、発生過程では高い発現を示し、成体では発現している臓器のうちでも限られた部位にしか発現しないと考えられてきた。ツメガエルの成体でのポリシアル酸の発現がどのような意味を持っているのかは、今後明らかにすべき問題点であると考えられた。

 なお、本論文第一章は、北島健、井上貞子、塩川光一郎、ハワード・R・モリス、アン・デル、井上康男との共同研究であり、本論文第二章は、高山英次、田代康介、深町博史、中田貴博、多田隈卓史、北島健、井上康男、塩川光一郎との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証をおこなったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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