本論文は4章からなり、第1章ではSilene latifoliaの雄性生殖器官特異的遺伝子(MROS)のcDNA全長配列と、in situハイブリダイゼーションによる転写産物の組織特異性の解析結果について述べている。第2章は初期の蕾で転写産物の蓄積が見出されたMROS3に注目し、そのゲノミッククローンを単離し、マルチカラーFISHにより染色体マッピングを行った結果が示されている。第3章はY染色体をレーザーマイクロダイセクションで単離し、そのY染色体DNAの性質について解析した結果について記されている。第4章は雄特異的DNA断片を単離して雌雄判定プラーマーを作製し、花粉一個の雌雄判定を行った結果が述べられている。 本論文の申請者は遺伝子発現と染色体ゲノムの両方向から、S.latifoliaの生殖器官分化機構を解析した。特にY染色体は雄性生殖器官を制御していると予測されたことから、両者の関係を分子細胞遺伝学的方法で検証した。発現側からの解析として、Y染色体上には雄性生殖器官の分化に関わっている遺伝子の存在が示唆されていることから、雄性生殖器官特異的遺伝子のキャラクタライゼーションを行った。ノーザンハイブリダイゼーション及びin situハイブリダイゼーション法により、MROS1、MROS2、MROS3がタペータム、葯壁、花粉に時期特異的に発現していることを明らかにした。特に非RI標識のin situハイブリダイゼーション法の観察に改良型暗視野顕微鏡を用いることで鮮明な観察像を得ることが可能となった。さらに、その中のMROS3のゲノミッククローンをinverse PCRで速やかに単離し、その遺伝子構造を解析した。この解析を通じて遺伝子の進化を考える上で重要な手がかりになるトランスポゾン様配列の挿入や近傍領域におけるレトロトランスポゾンの存在を明らかにした。特筆すべき点は、このゲノミッククローンをプローブにマルチカラーFISH法により染色体にマッピングした点であり、これはS.latifoliaの染色体における低コピー遺伝子の直接マッピングの初めての成功例である。 染色体ゲノム側からの解析として、雄性生殖器官分化に重要な役割を果たすS.latifoliaのY染色体をUVマイクロレーザービームを用いたレーザーマイクロダイセクションで単離した。論文提出者の卓越した点は顕微鏡のステージとレーザースイッチを制御するソフトウェアを開発し、このマイクロダイセクション装置を自動化したことである。また、DOP-PCRの導入によりY染色体一本からDNAを直接増幅することに成功した。このY染色体特異的DNAをプローブにFISHを行い、Y染色体中には短いプローブで検出できる高度反復配列が含まれていないことを明らかにした。高等動物で見られる特異的な反復配列を高等植物の性染色体は含まないことは、植物の性の2型性の成り立ちを知る上で重要な知見である。また、Y染色体特異的STSを得るためにRAPD法により雄特異的DNA断片を得て、その塩基配列を決定した。その配列から設計したPYS1-STSプライマーはS.latifoliaのゲノム側からの雌雄判定プローブとして有効であることがわかった。そのPYS1-STSプライマーを用いて花粉一個の雌雄の判定が可能であることを示した。花粉一個の回収にはLaser pressure catapulting(LPC)法を用いた。このLPC法はレーザービーム透過フィルムを用いて微小試料を敏速に回収できる優れた方法である点も評価できる。さらに、PYS1をプローブとして用いたFISH法によりY染色体とX染色体の片腕は相同的な領域を持つことが示唆された。 上記のような分子細胞遺伝学的解析を通して、論文提出者はS.latifoliaの性分化を制御する性染色体は進化的に新しく、ゲノム的な分化があまり進行していないことを明らかにした。また、論文提出者が雌雄異株植物の雄性生殖器官から単離した遺伝子は、植物の性分化機構の分子マーカーとして非常に有用であり、高等植物の性分化機構の分子細胞学的解析に大いに活用されていくと考えられる。。さらに、論文提出者が開発または改良した数々の観察法や単離法は、高等植物の研究に留まらず生物科学分野全般の進展に大きく寄与しており、本論文提出者の業績は優れている。なお、本論文の第1章は黒岩常祥、河野重行、酒井敦、高野博嘉、内田英伸、東山哲也、稲田のりこ各氏との共同研究、第2、3、4章は黒岩常祥、河野重行両氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 |