学位論文要旨



No 113305
著者(漢字) 和田,浩則
著者(英字)
著者(カナ) ワダ,ヒロノリ
標題(和) メダカの性染色体の解析
標題(洋) A study on sex chromosomes in the medaka fish,Oryzias latipes
報告番号 113305
報告番号 甲13305
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3451号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嶋,昭絋
 東京大学 教授 守,隆夫
 東京大学 助教授 三谷,啓志
 東京大学 助教授 朴,民根
 東京大学 助教授 藤原,晴彦
内容要旨

 動物の性決定機構は多様であり、様々な動物種で性染色体が同定されている。いくつかの種では(たとえば、ヒトやショウジョウバエのように)XY染色体は形態的に区別することが可能であり、かつY染色体上で機能している遺伝子の数は非常に少ないということが知られている。ヒトとショウジョウバエでは性染色体の由来が異なることが分かっているので、Y染色体の退化は進化の過程においてそれぞれの生物で独立に生じたものであると考えられる。このようなY染色体の退化の共通の機構として、性染色体間の組み換えの抑制によってY染色体上に突然変異が蓄積するという仮説が提唱されているが、組み換え抑制の原因については諸説がある(Charles worth,1991)。魚類のメダカでは以下のような報告から、進化的に未分化な性染色体を持つと考えられている。1)XY染色体は形態上区別できない(Iriki,1932)。2)Y染色体上に優性遺伝子rが存在し、XY染色体は組み換わる(Aida,1921)。3)XY性転換メスでXY間の組み換えが促進される(Yamamoto,1964)。本研究ではメダカを用い、そのY染色体の分化と組み換えの状態に注目し遺伝学的な解析を行い、性染色体進化の初期における組み換え抑制の原因についての考察を試みた。

 まず、メダカでこれまで常染色体性と考えられてきた体色変異遺伝子座lf(leucophore free)について連鎖解析を行い、性決定遺伝子座から2.2cMに位置することを示した。この性質を利用し、Qurt系統(Xlf/Y+)を交配によって作成し、白色素胞の有無で2日胚の性染色体型が判定できるようになった(すなわち、約97%の確率で2日胚の雌雄を予知できる)。

 メダカのY染色体上には、r(colorless x an thophore,Aida,1921)遺伝子座とlf遺伝子座のすくなくとも2つの優性遺伝子があることがわかった。このことから、メダカのY染色体は退化しておらず、発現している遺伝子が多数存在するのではないかと考え、次にY染色体上で転写されている遺伝子の検出を行った。メダカHNI系統に特異的な性染色体性RAPDマーカーを5つ(T7-7,LCF-2,U42-6,LCF-6,TyrA-3,Wada et al.,1995)単離し、戻し交配によって連鎖を確認した。これらを標識遺伝子座として、継代交配によってHNI系統の性決定領域をAA2系統に導入し、コンジェニック系統を作成した。コンジェニック系統由来細胞株とAA2系統由来細胞株を樹立し、mRNAの違いをディファレンシャル・ディスプレイ法によって比較することで、性決定遺伝子の近傍に存在する2つのY染色体性遺伝子(Yc-1,Yc-2)を同定した。Yc-2は哺乳類のリボゾームタンパクS6遺伝子と高い相同性を示した。これらの遺伝子は培養細胞においてX、Y染色体両方の遺伝子座から転写されていた。以上の結果から、メダカのY染色体は多数の転写される遺伝子を持つことが示唆された。

 次にr,T7-7,LCF-2,lf,U42-6,LCF-6,TyrA-3を標識遺伝子座として、XYオス、XXメス、XY性転換メスにおける性染色体間の組み換え(交叉)を、戻し交配によって調べた。まずYamamoto(1964)の方法に基づき、-エストラジオール処理によりXY性転換メスを作成した。それぞれの遺伝的背景の個体を用いた戻し交配、計633個体(XYオス318個体、XXメス178個体、XY性転換メス137個体)を用いて、標識遺伝子座間の組み換え頻度を比較した結果、XYオスではXXメスに比べ、性決定遺伝子座周辺での組み換えが著しく抑制されていた。たとえばrとlfの遺伝子座間の組み換え頻度はXYオスで1.9%であるのに対し、XXメスで17.4%であった。XY性転換メスではこのような抑制は見られず、XXメスと同様に高い頻度でXY染色体が組み換わった(rとlfの遺伝子座間の組み換え頻度は25.7%)。以上の結果から、メダカの分化していないY染色体においても組み換えの抑制が存在することがわかった。しかもこの抑制は、オスかメスか(おそらくは減数分裂過程の違い)によって決まっていて、Y染色体自体が決めているのではないことがわかった。言い換えれば、メダカのY染色体は組み換えを抑制するような物理的な変異(逆位や欠失など)を持たないにもかかわらず、オスで組み換えが抑制されていることを示している。この結果は、進化の過程において非常に早い段階で組み換え抑制機構が獲得されうることを示唆している。

 最後に、Qurt系統においてXY組み換え体と考えられる個体の子孫を調べている過程で、性比がメスに偏る家系を発見したので、その遺伝学的解析を行った。この家系において12匹のオスについて553匹の子孫を調べた結果、わずか2匹のみ(0.4%)がオスになり、残りはすべてメスになった。性染色体性RAPDマーカー、T7-7を用い家系分析を行った結果、この家系では染色体型に依存せずに性が決定されていることが分かった。さらに、この偏った性比は異なる温度条件下(20℃、27℃、30℃)および異なる塩濃度条件下(真水、1/10海水、1/2海水)で発生させた場合も変わらなかった。同様の報告がAida(1936)によってなされており、メダカでは性染色体以外にも性を決定する要素が存在することが示唆された。性比異常系統の存在は、メダカの原始的な性染色体が不安定であり、何らかのきっかけ(たとえば、XY染色体間の組み換え)で性決定異常を引き起こす可能性があることを示している。

 集団遺伝学的な解析から、性決定遺伝子座はすくなくとも二つの独立した突然変異で生じると考えられている(Charlesworth,1991)。進化の初期の段階において、これらの二つの変異は両方が劣性である時に集団中に保たれやすいと考えられる。しかし、性決定遺伝子が性比を決定することのみによって集団の適応度を上げていると仮定すると、祖先型の性決定様式に非常に大きな淘汰圧がかからなければ、組み換えの抑制を説明することは難しいと思われる。これらの問題は、性染色体上には個体の適応度に関与するような重要な遺伝子が存在するという仮定により解決するようにみえる(Rice,1987)。今後、性決定遺伝子座近傍の遺伝子群を同定していくことが、性染色体進化を解明する鍵になると考えられる。

 哺乳類やショウジョウバエは非常に特殊化したY染色体をもつので、これまで、これらのモデル実験動物を使って性染色体の起源や進化を解析することは困難であった。とくに脊椎動物では実験交配や継代飼育が容易ではないため、分類・系統学的な手法でしか性染色体の進化を解析することができなかった。本研究から、メダカは性染色体進化初期の遺伝学的な実験モデルとして非常に有用であることが示された。さらに本研究によってなされた、2日胚の雌雄の判別を可能とするQurt系統の確立、コンジェニック系統とその培養細胞の作成、複数の性染色体性DNAの単離、性比異常系統の単離は、今後の魚類における性決定機構・性分化機構の解析の基礎になるものと考えている。

<引用文献>Charlesworth B (1991) The evolution of sex chromosomes. Science 251:1030-1033Aida T (1921) On the inheritance of color in a fresh-water fisth, Apolocheilus latipes with special reference to sex-linked inheritance. Genetics 6:554-573Aida T (1936)Sex reversal in Apolocheilus latipes and a new explanation of sex differentiation. Genetics 21:136-153Iriki S (1932) Preliminary note on the chromosomes of Pisces I. Apolocheilus latipes and Lebistes reticulatus. Proc. Imp. Acad. Japan 8:262-263Rice W (1987) Genetic hitchhiking and the evolution of reduced genetic activity of the Y sex chromosome. Genetics 116:161-167Yamamoto T (1964) Linkage map of sex chromosomes in the Medaka, Oryzias latipes.Genetics 50:59-64 Wada H, Naruse K, Shimada A,Shima A (1995) A genetic linkage map of a fish, the Japanese medaka Oryzias latipes. Molecular Marine Biology and Biotechnology 4:269-274
審査要旨

 本論文は、5章からなる。第1章ではlf遺伝子座が性染色体に連鎖していること、第2章では性比が偏る家系の遺伝学的解析、第3章ではY染色体上で転写されている遺伝子の検出、第4章では性染色体間の組み替え抑制の検索、第5章ではこれらの結果の集団遺伝学的考察を行った。

 動物の性決定機構は多様であり、様々な動物種で性染色体が同定されているが、Y染色体の退化は進化の過程においてそれぞれの生物で独立に生じたものと考えられている。先人の研究により、メダカの性染色体は進化的に未分化と考えられている。本研究ではメダカを用い、そのY染色体の分化と組み換えの状態に注目し遺伝学的解析を行い、性染色体進化の初期における組み換え抑制の原因について考察した。

 第1章では、これまで常染色体性と考えられてきた体色変異遺伝子座lfについて連鎖解析を行い、性決定遺伝子座から2.2cMに位置することを示した。これを利用し、Qurt系統(Xlf/Y+)を交配によって作成し、白色素胞の有無で2日胚の性染色体型の判定が約97%の確率で可能になった。

 第2章では、Qurt系統においてXY組み換え体と考えられる個体の子孫を調べている過程で、性比が♀に偏る家系を発見したので、その遺伝学的解析を行った。この家系において12匹の♂について553匹の子孫を調べた結果、わずか2匹のみが♂になり、残りはすべて♀になった。性染色体性RAPDマーカー、T7-7を用い家系分析を行った結果、この家系では染色体型に依存せずに性が決定されていることが分かった。さらに、この偏った性比は胚を異なる温度および塩濃度条件下で発生させた場合にも変わらず、メダカでは性染色体以外にも性を決定する要素が存在することが示唆された。性比異常系統の存在は、メダカの性決定機構が原始的で不安定であり、何らかのきっかけ(たとえば、XY染色体間の組み換え)で性決定異常が生じる可能性があることを示している。

 第3章では、Y染色体上で転写されている遺伝子の検出を行った。メダカHNl系統に特異的な性染色体性RAPDマーカーを5個単離し、戻し交配によってこれらの連鎖を確認した。これらを標識遺伝子座として、継代交配によってHNl系統の性決定領域をAA2系統に導入したコンジェニック系統を作成した。コンジェニック系統とAA2系統に由来する細胞株を樹立し、mRNAをディファレンシャル・ディスプレイ法で比較して、性決定遺伝子の近傍に存在する2つのY染色体性遺伝子Yc-1とYc-2を同定した。Yc-2は哺乳類のリボソームタンパク質S6遺伝子と高い相同性を示した。これらの遺伝子は培養細胞においてX、Y染色体両方の遺伝子座で転写されていた。

 第4章では7標識遺伝子座を用いて、XY♂、XX♀、XY♀性転換における性染色体間の組み換え(交叉)を、戻し交配によって調べた。まずYamamoto(1964)の方法によりXY性転換♀を作成した。それぞれの遺伝的背景の個体を用いた戻し交配、計633個体(XY♂318個体、XX♀178個体、XY性転換♀137個体)を用いて、標識遺伝子座間の組み換え頻度を比較した結果、XY♂ではXX♀に比べ、性決定遺伝子座周辺での組み換えが著しく抑制されていた。XY性転換♀ではこのような抑制は見られず、XX♀と同様に高い頻度でXY染色体が組み換わった。以上の結果から、メダカの分化していないY染色体においても組み換えの抑制が存在することがわかった。しかもこの抑制は、♀か♂か(おそらくは減数分裂過程の違い)によって決まり、Y染色体自体が決めているのではない。言い換えれば、メダカのY染色体は組み換えを抑制するような物理的な変異を持たないにもかかわらず、♂で組み換えが抑制されていることを示している。この結果は、進化の過程において非常に早い段階で組み換え抑制機構が獲得されうることを示唆している。

 第5章では、以上の結果について集団遺伝学的考察を試みた。先人の集団遺伝学的な解析から、性決定遺伝子座はすくなくとも二つの独立した突然変異で生じ、進化の初期の段階において、これらの二つの変異は両方が劣性である時に集団中に保たれやすいとされている。しかし、性決定遺伝子が性比を決定することだけで集団の適応度を上げているとの仮定で組み換えの抑制を説明することは、祖先型の性決定様式に非常に大きな淘汰圧がかかる場合以外は、きわめて困難である。これらの問題は、性染色体上には個体の適応度に関与するような重要な遺伝子が存在するというRiceの仮定により説明可能に思える。

 本研究により、2日胚の雌雄の判別を可能とするQurt系統の確立、コンジェニック系統とその培養細胞の作成、複数の性染色体性DNAの単離、性比異常系統の単離が行われ、メダカは性染色体進化初期の遺伝学的な実験モデルとして非常に有用であり、当該成果は魚類における性決定機構・性分化機構の解析の基礎になるものと考えられる。

 なお、本論文第1章は、島田敦子、成瀬 清、深町昌司、嶋 昭紘との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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