学位論文要旨



No 113307
著者(漢字) 大森,琴絵
著者(英字)
著者(カナ) オオモリ,コトエ
標題(和) 四万十付加体の古温度構造とその発達史
標題(洋) Paleothermal structure and tectonic evolution of the Shimanto accretionary prism,Southwest Japan
報告番号 113307
報告番号 甲13307
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3453号
研究科 理学系研究科
専攻 地質学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平,朝彦
 東京大学 教授 木村,学
 東京大学 教授 末廣,潔
 東京大学 助教授 徳山,英一
 東京大学 助教授 石井,輝秋
内容要旨 1)はじめに

 プレート収束境界における付加体の成長は大陸地殻形成の一過程である.深さ数キロメートルより深いレベルの成長過程については,海洋調査による現世付加体の研究から情報を得ることが出来ないために,不明な点が多い.海溝斜面よりも陸側における付加体の短縮・肥厚化・上昇を伴う成長過程を理解するには,付加体内の物質移動経路の復元とテクトニクスの解明が必要であり,岩石に記録されている温度・圧力履歴の解析が有効である.現在,陸上に露出している地質時代の付加体は,その付加過程で緑色片岩相以下の変成作用を被っており,温度・圧力履歴に関する情報を記録していると考えられる.近年,四万十帯などの陸上の付加体において,低変成度領域の地質温度計を用いた変成分帯と付加体形成テクトニクスに関する研究が数多く行なわれてきている.本研究では,九州東海岸〜紀伊半島西岸に分布する白亜系四万十帯の古温度構造解析から,この問題の解明に取り組んだ.また温度構造解析にあたって,低変成度領域における地質温度計の精度の比較検討も行なった.以下に各々について,詳しく述べる.

2)低変成度領域における地質温度計の関係と有効性

 近年,白亜紀〜第三紀の付加体である四万十帯において,古温度構造解析の研究が進んできており,低変成度領域における様々な地質温度計が用いられている.しかし,各地質温度計の関係が不明なため温度構造の詳細な比較は困難である.また,温度構造の獲得年代を知るために,フィッショントラック年代などの熱年代指標を併せて検討することが必要だが,フィッショントラックは付加・埋没過程における二次的被熱によって短縮・消滅するため,年代値の解釈をするにあたってその影響を別途に評価し年代値の意味を考慮する必要がある.このため本研究では古温度構造解析を行なうにあたって,まず,四国地域において複数の地質温度計を用いて温度構造解析を行い,各手法を比較し手法間の関係を求めて,各手法の精度と有効性を検討した.輝炭反射率(以下反射率と略す)を基準として,沸石相解析・イライト結晶度,さらにジルコンのフィッショントラックアニーリングゾーン(以下ZPAZ)の関係を比較した.本研究地域では反射率0.5〜7.5%の試料が得られた.以下に反射率と各温度計の関係を述べる.

輝炭反射率/イライト結晶度

 四国徳島地域と高知地域で33個の岩石試料についてイライト結晶度(以下,結晶度)を測定した結果,調査地域全域から0.45〜0.83△°2の値が得られた.結晶度と反射率を比較した結果、同じ反射率を示す地点での結晶度は、±0.1°程度の広い幅を持って変化することがわかった.Underwood(1993)も,四国の第三系四万十帯で実験を行い,同様の結果を得ている.今回の実験結果から,両者のはっきりした相関関係を読みとることは出来なかった.本研究では結晶度の測定誤差を最小限にする実験を行っており,上記の結果が測定条件因るものとは考えにくい.両者の差を生じる原因はまだ明らかではないが,一つには測定反応平衡時間の違いが挙げられる.石炭化作用は,貫入岩体による接触変成作用のように地質的な時間スケールのなかで比較的短時間の熱イベントによっても十分に進行することがわかっている.イライト結晶度に関しては,反応時間に関する研究例が不十分である.今後,反応時間スケールが異なるケースにおける両者の比較研究が必要である.また松田ほか(1996)によれば,通常の結晶度測定実験で用いる2ミクロン以下のイライト試料中には,砕屑性の黒雲母が混入している可能性が高く(イライトと黒雲母の回折ピークの位置がほぼ重なっているため正確な結晶度の測定ができない可能性がある)このことがノイズの原因であることが指摘されている.以上のことから,現在までの所、従来の測定方法を用いた結晶度は,反射率と比較して地質温度計としての精度に欠けていると推定され,結晶度のみを用いた温度構造解を行なうに際には,試料数を増やすなどの対策が必要である.

輝炭反射率/沸石帯

 四国地域のメランジュ帯から採取した酸性凝灰岩中には,反射率0.9〜1.3%範囲で方沸石が出現するが,いずれも曹長石と共存していた.また,1.4%以上の地点では,曹長石のみが検出され方沸石は出現していない.よって,反射率1.3%が方沸石帯の上限であることが明らかになった.

輝炭反射率/ジルコンのフィッショントラックアニーリングゾーン

 本研究で得られた7試料のデータと,Hasebe et al.,(1993),Tagami and Shimada(1996)のフィッショントラック年代データと反射率を比較した.アニーリング程度の判定はフィッショントラック年代と微化石年代(堆積年代)の比較とトラック長の解析結果から判断した.この結果,反射率1.2以上でアニーリングが始まり,3.9%以上の試料は完全アニーリングをうけて岩石の冷却年代を示すことがわかった.

各手法間の関係と最高被熱温度

 上記の輝炭反射率と各温度計の関係から以下の条件が決まる.Liou et al.(1992)の人工合成実験から,方沸石帯の上限は,約190〜200℃,また,ZPAZは約210〜360℃の範囲である(Yamada et al.,1995).このことから,本調査域では反射率1.1〜1.2%が200℃前後,4〜4.8%が約360℃程度の温度に相当すると推定される.しかし,この温度条件に相当する反射率/最高被熱温度の関係式は提唱されておらず,通常考えられている推定温度よりも50℃程度高い値を示す.

3)付加体の大規模肥厚機構としてのアウトオブシーケンススラスト

 付加体はその成長過程を通じて,Critical taperモデルに従って自己相似的に成長し,前弧斜面の角度が一定に保たれる.付加が進行すると小規模なスラストシートの形成だけでは楔型の形状を維持できなくなり,やがて付加体全体を切るような大規模スラストによって付加体の形態を維持するようになる.このようにして形成される巨大スラストが,それまでに形成された付加体内の構造とは構造形成過程・時間的に斜交する"アウトオブシーケンススラスト(以後,OSTと略す)である.OSTによって,著しく古い年代の岩体や,埋没深度の大きな岩体が突如のし上がってくるといった大規模なテクトニクスが進行する.

 四万十付加体の古温度構造の解析の結果,各域の四万十帯北帯中にはOSTによって形成されたと考えられる古温度構造のパターンが記録されている事が明らかになった(図1).九州・四国の四万十帯北帯は古温度構造から二つの温度構造ブロックに分けることが出来る.これに対し紀伊半島の東岸では温度構造ブロックは一つである.しかし,四国・九州および紀伊半島の各温度構造ブロックは,地質学的な背景が異なる地質体に生じているにも関わらず,南北約10km,各ブロックの高温部低・温部の温度差は約50℃程度を示し,類似した規模を持っている.

 そこで,各地域のスラストの規模を比較するためにスラストの形態復元を試みた.上記の温度構造のパターンが付加体の成長過程の最終段階に生じた大規模なOSTの活動によって形成されたと仮定し,各温度ブロックをスラストシートと見立て,単純な幾何学モデルを採用した(図2).まず,埋没深度の推定のために輝炭反射率を最高被熱温度に換算した(Sweeney&Burnham,1990;Easy Ro%,有効被熱時間=40m.y.;Tmax.(℃)=172(log Ro)+129).さらに,当時の地温勾配を,九州の同帯の変成鉱物相から推定された地温勾配(Toriumi&Teruya,1988;20-30℃/km)と現在の南海トラフ付加体の推定地温勾配(Ashi&Taira,1993;20-30℃/km)を元に,高く見積って30℃/kmとした.上記の数値をモデルに当てはめてスラストシート全体の厚さ(T),断層変位量(D),断層角度()を求めることが出来る(表1).その結果,調査地域全体に角度15°前後のスラストの運動によって,少なくとも付加体の数kmオーダーの短縮と上昇が生じており,OSTが付加体の大規模な成長機構として大きな役割を担っていると考えられる.また各地域における断層形態規模の類似性は,スラスト発生活動時のスラストシートの規模が地域やシートの違いよらず特定の規模を持っていることを意味しており,"一定量の堆積物の付加が,スラスト発生のトリガーになっている"という可能性を示唆している.また,スラスト形態と規模の試算結果から,温度構造に記録された付加体肥厚過程としてのアウトオブシーケンススラストによる大規模再配列運動は付加体内に残されている構造地質学的な情報に大きく影響を及ぼした運動の一つであると考えられる.

表1 アウトオブシーケンススラストの形態復元図1 四国四万十帯北帯の古温度構造図2 古温度構造形成モデル
文献Ashi,J.,and Taira,A.,1993,Thermal structure of the Nankai accretionary prism as inferred from the distribution of gas hydrate BSRs,in Underwood,M.B.,ed.,Thermal evolution of the Tertiary Shimanto Belt,southwest Japan:An example of Ridge-Trench interaction,Volume 273:Boulder,Colorado,G.S.A.special paper,p.137-149.Hasebe,N.,Tagami,T.,and Nishimura,S.,1993,Evolution of the Shimanto accretional complex:A fission-track thermochronologic study,in Underwood.M.B.,ed.,Thermal evolution of the Tertiary Shimanto Belt,southwest Japan:An example of Ridge-Trench interaction,Volume 273:Boulder,Colorado,G.S.A.special paper,p.121-135.Sweeney,J.L.,and Burnham,A.K.,1990,Evaluation of a simple model of vitrinite reflectance on chemical kinetics:American Association of Petroleum Geologists Bulletin,v.74,p.1559-1570.Tagami,T.,and Shimada,C.,1996,Natural long-term annealing of the zircon fission-track system around a granitic pluton:Journal of Geophysical Research,v.101,p.8245-8255.Toriumi,M.,and Teruya,J.,1988,Tectono-metamorphism of the Shimanto Belt:Modern geology,v.12,p.303-324.Underwood,M.B.,Laughland,M.M.,and Kang,S.M.,1993,A comparison among organic and inorganic indicators of diagenesis and low-temperature metamorphism,Tertiary Shimanto Belt,Shikoku,Japan,in Underwood,M.B.,ed.,Thermal evolution of the Tertiary Shimanto Belt,southwest Japan:An example of Ridge-Trench interaction:Boulder,Colorado,G.S.A.special paper,p.45-62.Yamada,R.,Tagami,T.,Nishimura.S.,and Ito.H.,1995b,Annealing kinetics of fission tracks in zircon:an experimental study:Chemical Geology,v.122,p.249-258.
審査要旨

 本論文はプレート沈み込みによって形成された付加体の代表的な例である四万十帯の隆起上昇過程を、古熱構造の復元により論じたものである。論文は6章から構成される。

 第1章では、まず、造山帯の発達過程における付加体の肥厚化の重要性が述べられている。それもとづいて四万十帯の研究史がまとめられ、さらに問題の提起がされている。この問題に対するアプローチとして、とくに古温度構造研究の有効性を論じるとともに白亜紀四万十帯における研究の重要性が示されている。この導入部は簡潔で要領を得ている。

 第2章では、調査・試料採集地域の地質概要についてまとめられている。ここでは、これまでに得られた堆積年代、各地質帯の分布、構造線について、それぞれの対比を行い四万十帯の全体像を明瞭にしたものである。

 第3・4章では、四万十帯の変成分帯と各地質温度計の有効性について吟味がされている。まず,四万十帯の大部分が低度の変成領域にあることが示され、中高度変成帯で活用されている緑色岩類中の変成鉱物の組み合わせによる地質温度圧力の見積りが、広範囲にわたって適用できないことが述べられている。従って,他の地質温度計として、凝灰岩の沸石相鉱物、頁岩中のイライト結晶度、放散虫層状チャートの石英結晶度,砂岩に含まれる木片化石の輝炭反射率の有効性が検討された。その結果、輝炭反射率が最も系統的で大きな違いがあり、地質構造との対応が明瞭であること、さらに、第三紀貫入花崗岩体の接触変成帯における変化が示されている。また、フィッショントラック年代測定の結果も導入し、フィッションの焼きなまし度(アニーリング)からの温度見積りとの比較検討を行っている。以上の議論に基づき、輝炭反射率による温度見積りが有効であると結論づけている。この章での議論は本論文の基礎となるものであり、付加体の温度構造解析手法の評価としての意義が十分に認められる。

 第5章では、輝炭反射率のデータの記述と古温度構造解析結果が述べられている。まず、四万十帯における輝炭反射率による温度見積りについては、構造運動としての評価を最小に見積もるように設定するために,最高被熱温度が最も小さくなるような尺度を選んでいる。この点は,構造運動規模の見積もりをする際に,過大な評価を避けるために有用な方法である。これをもとに,各地の輝炭反射率の測定結果から,四万十帯全域に普遍的な古温度構造の規則性を認めた。古温度構造は,四万十帯の基本構造であるメランジュや、タービダイト帯のスラストパイル全体を切っており、四万十帯中の第一級の構造単元であることが明らかにされた。この成果は、付加体の2次的な大構造単元を初めて明らかにしたものである。

 第6章では、第5章で明らかにした古温度構造単元のテクトニクスについて論じている。ここでは、古温度構造単元が初生的な構造を切るスラスト、すなわちアウトオブシーケンス・スラストによって形成されたことが示され、その幾何学的な構造について温度勾配を仮定して論議している。その結果より、このスラストの角度と変位を求め、10°前後の付加体の6〜9km程度の肥厚化と、少なくとも10km程度の短縮に貢献していることを指摘した。さらに、このようなアウトオブシーケンス・スラストが、現在活動中の南海トラフの地震断層と類似したものであった可能性が述べられている。この議論は、付加体の肥厚化過程を初めて定量的に論じたものであり、大きな意義がある。

 以上のように、本論文は付加体の成長過程を初めて明らかにしたものであり、手法、結果、議論とも十分な評価を与えることがでる。よって、博士(理学)の学位が授与できると認める。

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