学位論文要旨



No 113309
著者(漢字) 芳野,極
著者(英字)
著者(カナ) ヨシノ,タカシ
標題(和) 北西ヒマラヤ、コヒスタン島弧の岩石学・構造地質学と下部地殻の進化
標題(洋) Evolution of the Lower Crust : Evidence from Petrology and Structural Geology of the Kohistan Arc,NW Himalayas
報告番号 113309
報告番号 甲13309
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3455号
研究科 理学系研究科
専攻 地質学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鳥海,光弘
 東京大学 助教授 小屋口,剛博
 東京大学 教授 木村,学
 東京大学 助教授 永原,裕子
 横浜国立大学 教授 有馬,眞
内容要旨

 下部地殻は地殻の約半分を占め、大陸の成長過程を理解する上で大変重要である。しかしながら、その形成機構はいまだによく理解されていない。下部地殻の進化過程を研究する1つの方法は、過去の下部地殻が露出したとされるグラニュライト相の変成作用を広域に被った地質帯を調査することである。ところが、世界各地に分布するグラニュライト帯のほとんどは火山岩中の捕獲岩から得られた下部地殻の組成に比較して珪長質であり本来の下部地殻を表していないことが最近指摘されるようになった。北西ヒマラヤに位置する白亜紀の島弧とされるコヒスタン島弧は、他のグラニュライト帯に比較して大規模な玄武岩質の下部地殻の断面を提供していることから下部地殻に関する研究に適しているものと考えられる。本研究では、このコヒスタン島弧を調査し、塩基性下部地殻の形成過程・高温の変成時の岩石と流体相の相互作用・流体の移動機構について考察した。

 コヒスタン島弧の下部地殻は、ほとんどガブローノライトを起源とする複輝石グラニュライト・ザクロ石グラニュライト・角閃岩からなる塩基性変成岩で構成されている。複輝石グラニュライトは幅広く分布し、角閃岩中ではポッド状に産している。ザクロ石グラニュライトは複輝石グラニュライトの高圧相でコヒスタン島弧の最南部に分布する。それらの岩相の関係は野外観察から複輝石グラニュライトにザクロ石グラニュライトが脈状に形成され、さらに両岩相を角閃岩の形成をもたらした斜長石に富む脈が切っているのが観察される。つまり、白亜紀のコヒスタン島弧の下部地殻の時間進化は、1)ガブローノーライトの生成、2)中圧から高圧下でのグラニュライト相の変成作用、3)グラニュライトの広域の吸水反応による角閃岩の形成の順で起こったものである。

 塩基性下部地殻の形成機構は、海洋プレートの沈み込みに関連した地殻へのマグマの底付け作用(magmatic underplating)が多大に貢献していると考えられている。そこで、下部地殻の厚化に関して一つの束縛条件を与えるために、マグマの貫入後に被った変成作用時の温度・圧力経路を、複輝石グラニュライトとザクロ石グラニュライトおよび角閃岩の鉱物平衡反応を用いて推定した。一般に、高温の変成作用時には非常に拡散が速く、多くの鉱物は組成が均質化し、累進変成経路を推定することは難しい。しかしながら、単斜輝石中のAlはFe,Mgなどに比較して拡散は遅いことから、高温時の累進変成の情報を残している可能性がある。コヒスタン島弧の複輝石グラニュライトに含まれる輝石と斜長石は、明確なAlの累帯構造を保持している。単斜輝石は、そのコアにおいて結晶時での高温状態を示す離溶ラメラが発達し、離溶ラメラを伴わないリムではAlの累帯構造が観察されることから、コアはマグマから直接晶出し、その後リムが変成作用時に成長したものであると推定された。北部の岩石では、単斜輝石のAlはコアからリムへ一度増加し、縁辺部で急速に減少する。逆に、斜長石のアノーサイト成分はコアからリムへ一度減少し、単斜輝石との粒界付近で増加する。また、南部の岩石では、斜長石のアノーサイト成分も単斜輝石のAlの量もリムに向かって増加する。これらの関係は、北部での単斜輝石中のCa-tschermakite成分の変化の重要性と南部での翡翠輝石成分の変化の重要性を示す。単斜輝石と斜長石の粒界には石英がフィルム状に生じていることから、石英を伴った斜長石の分解によって、AlはCa-tschermakite成分またはひすい輝石成分として、単斜輝石へ固溶する反応が示唆される。組成累帯構造の類似性に基づき、変成作用時の斜長石と単斜輝石の成長面は常に平衡であったと仮定すれば、温度圧力経路を推定することが可能である。見積もられたピーク時の変成温度圧力は約800℃で0.8-1.2GPaと見積もられ、南に向かってピークの圧力が増加する傾向が見られた。ザクロ石を含む鉱物組み合わせから推定された温度圧力条件も南のザクロ石グラニュライトに向かって圧力が連続的に増加する同様の傾向を示した。累帯構造に基づく変成経路の推定は、調査された岩体全てで顕著な圧力上昇の累進変成作用があったことを示唆する。この圧力上昇は下部地殻の上方での荷重による地殻の厚化作用に起因する。コヒスタン島弧の下部地殻のほとんどはハンレイ岩に起源を持ち、変成作用開始時の圧力が中部地殻に対応することから、下部地殻の荷重は中部地殻に貫入したハンレイ岩によるものである。また、研究地域の北部、すなわち岩体の上部からは温度圧力の低下を示す後退変成経路が推定された。ザクロ石を含む鉱物組み合わせから推定された温度圧力を考慮すると北部の変成経路は初期の等温減圧に続く等圧冷却の経路を示し、南部の岩体の変成経路は等圧冷却のみの経路を示す。この後退変成経路の相違は、両岩体の中間部に貫入したシート状の花崗岩体に起因されている。花崗岩体は周囲のハンレイ岩より密度が軽いために岩体上部が選択的にアイソスタシーを保つために上昇したものであると解釈される。

 下部地殻における流体の分布・組成・移動機構は、高温の条件下での変成反応を促進し、珪長質マグマの生成にも深く関与している。下部地殻の流体の組成は一般に二酸化炭素に富むことが推定されており、含水鉱物をあまり含まないグラニュライト相の岩石の起源は二酸化炭素に富む流体の浸透によると考えられている。しかしながら、地殻断面における流体の分布・移動機構に関する体系的な理解は得られていない。コヒスタン島弧下部地殻において、流体の通過または浸透した痕跡として珪長質脈の周囲や脈状に発達した反応帯が全域にわたり観察される。この反応帯は、より深部に起源をもつ流体が下部地殻を通過する際、周囲の岩石と反応しザクロ石・スカポライトを形成したものであり、その反応帯は、ザクロ石反応帯・スカポライト-角閃石反応帯・Mo閃石反応帯に大別された。さらに、コヒスタン島弧最南端部に均質な産状を呈するザクロ石グラニュライトもその境界付近で脈状の産状を呈することから上記の反応帯の一つの様式として考慮された。ザクロ石の分布は非常に多様である。複輝石グラニュライト中では、ザクロ石の分布は必ず脈状を呈し、カミラ角閃岩体北部の複輝石グラニュライト中に保持されたザクロ石は珪長質脈の近傍に産する(タイプ1)。カミラ角閃岩体の南部のザクロ石の産状は明確な珪長質脈を伴わずに脈状に発達している(タイプ2)。どちらのタイプも原岩である複輝石グラニュライトと反応帯の主要元素の全岩組成はNaが反応帯で減少している以外は変化はないので周囲の複輝石グラニュライトの一部を置換して発達したと考えられる。脈の中心に向かってザクロ石の体積比と各鉱物のMg/Fe比は増加し、角閃石と斜方輝石の体積比の減少がみられた。ザクロ石の産状は岩石全体系での圧力上昇や温度減少を示すのではなく、流体組成の局所的な変化を反映している.角閃石の消費は水の活動度の低い流体の浸透によって引き起こされ、ザクロ石を生成し、さらに低下した水の活動度のもとで斜方輝石の分解を促進したものと推定された。タイプ1とタイプ2の産状の違いは流体の移動機構の違いを反映している。タイプ1はクラックにともなった低い水の活動度をもつ流体の注入により母岩との局所的な圧力勾配によって水が反応帯から取り去られたものであると解釈される。タイプ2は反応帯の中心で地質温度圧力計で推定された圧力が高いことから、水の活動度の低い流体が破壊を伴わずに粒界に沿って浸透し、局所的に圧力を上昇させたものであると解釈された。一方、ザクロ石の分布が均質的なザクロ石グラニュライトの産状から輝石グラニュライト中の局所的な脈状への変化することは、流体の移動機構の変化に対応していると考えられる。水のフガシティの低い流体は高圧で粒間流体の連結により均質なザクロ石グラニュライトを形成し、圧力が減少すると水圧破砕により脈状に変化したことが示唆される。これは、石英と水の間のぬれ角が高圧で減少するという報告と調和的である。

 コヒスタン島弧のスカポライトはCO2とSO2-4を多く含んでおり、複輝石グラニュライト中ではまれにヴェイン状に出現し、ザクロ石グラニュライト中では比較的頻繁に産する。反応組織からスカポライトは先在したザクロ石と斜長石を消費して形成したものであり、相平衡熱力学計算から高いCO2活動度が見積もられた。脈状の産状は、スカポライトが火成起源ではなく流体の浸透に伴う岩石流体間の二酸化炭素のバッファー反応に起源をもつことを示す。また、コヒスタン島弧のザクロ石グラニュライト中の硫酸に富むスカポライトは、流体相中のSO2を高圧下でバッファーしたものである。さらに、脈状に産するスカポライトの周囲の岩石で硫化物が磁鉄鉱に取り囲まれている産状を呈することから、その生成は高い酸素分圧のもとで起こったものであると推定される。スカポライトは高圧下で安定な相なので、その存在は、二酸化炭素と硫酸が固相として下部地殻で蓄積されていることを示す。

審査要旨

 芳野君の博士論文はヒマラヤ西部のコヒスタン地域に分布する高度変成岩地域の構造地質学的と岩石学的研究にもとづく下部地殻における物理過程の詳細をあつかったものである.構造地質学的研究ではコヒスタン地域の構造要素である鉱物線構造、面構造、剪断運動のセンスとともに、鉱物脈を多数はかり、時間的な順序関係を明らかにした.その結果変成作用、つまりグラニュライトから高温のかくせん岩相程度の変成作用における鉱物線構造、面構造、クラックの形成、および後退変成作用におけるやや低温の鉱物組み合わせをもつ線構造や面構造などを識別した.鉱物脈は岩石学的研究と重ね合わせることにより後に紹介するようにきわめて独創性の高いモデルの提案となる.

 岩石学的研究では、コヒスタン地域のうち研究されたカミラ岩体は南部から北部にかけてざくろ石グラニュライトから輝石グラニュライトへと漸次変化することが明らかにされた.現在この岩体はほとんどがかくせん岩となっていて変成作用の温度圧力を示す鉱物組み合わせは見られないが、芳野君の調査によりその中にも高温の変成作用を示す部分が局部的に残っており、その部分の岩石を集中的に研究することによって、カミラ岩体の南部に位置するジジャル岩体および北部に位置する輝石グラニュライト岩体との連続的な変成作用の条件の変化が明らかにされた.また、変成作用の温度圧力経路は岩体に含まれるざくろ石、斜長石、輝石の化学組成の累帯構造から推定され、次第に圧力と温度が上昇していることが示された.さらにカミラ岩体全体をかくせん岩化している後退変成作用についても検討され、北部では等温減圧、南部では等圧冷却の熱史が記録されていることが明らかにされた.

 この岩石学的研究と構造地質学的研究を結合させて、島弧下部地殻の形成過程のモデルが提案された.この地域の変成作用が6-12kb、700-800度程度のグラニュライトそうであることから明らかに地殻下部の温度圧力条件での変成作用と結論される.さらに構成している岩石は玄武岩組成を持つものでありはんれい岩であったと推定されるので地殻下部に貫入した玄武岩マグマが結晶化し、引き続きグラニュライト相の変成作用を被ったと考えられる.そして、その変成作用は次第に圧力と温度が上昇する経路を示していることから、次々と丈夫にマグマがシル上に積み重なることにより地殻が厚くなる過程を示すと考えられた.これはつまり地殻物質の底づけ過程を意味している.すなわち、地殻の発達過程は基本はマグマの底付け過程によることを明らかにした.

 地殻下部における重要な過程のうち流体の移動と集積過程は未知の要素が多く研究が進んでいない.本博士論文では流体と岩石の反応の結果形成された鉱物脈に注目し、その組織が岩体の下部から上部へと規則的に変化する事を発見した.すなわち下部では流体の移動の結果反応によって形成されたざくろ石やかくせん石などは輝石や長石の間に均質に出現するが、上部にいたるとその形成が鉱物脈やそれと類似の構造を持つ部分に局所化することを発見した.これは流体と岩石との反応がグラニュライト相の高温高圧下でのことが示されたので、地殻下部における流体の移動経路の遷移の直接的な証拠を示したことになる.つまり、地殻最下部では流体は粒子の境界に浸透的に移動することが可能であるが約30km程度より上部の条件では局所的にクラックを発生しそこが流体の移動経路であるということによってこのような変化が起こることがモデル化された.

 以上のように地殻下部の基本的な発達過程のうちマグマの底付け過程が支配的である点、流体移動の経路に関する遷移が下部地殻で起こったということを示した点はいずれも独創的でり、十分に博士(理学)の学位を受けるにふさわしいと判断された.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54003