学位論文要旨



No 113322
著者(漢字) 郁,小雯
著者(英字)
著者(カナ) ユ,シャオウェン
標題(和) 中華街の外部空間特性に関する研究
標題(洋)
報告番号 113322
報告番号 甲13322
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4040号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤井,明
 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 助教授 伊藤,毅
 東京大学 助教授 曲渕,英邦
内容要旨 1.はじめに

 この論文では、八つの都市(日本の横浜、神戸、オーストラリアのシドニー、カバラマタ、メルボルン、ブリスベン、ヨーロッパのロンドン、パリ)の中華街を研究対象にする。これらの都市の中華街に対し、その形成過程について、中国人の海外移住・定住の経緯と市街地の発展形態の関連から歴史的に考察を行うと同時に、中華街の外部空間の特性についての分析を行なう。

 研究はすべて現場調査に基づいて行う。歴史的な考察においては文献資料の他に現地の長老等による聞き取りも重視する。また、外部空間の分析では中華街に共通する風水要素と、ファサードの構成要素の関係について考察する。現場で撮影した317枚写真に基づいて行うが、写真の解析や要素の分析に際しては、所属研究室(藤井研究室)で開発している画像データ処理や数理的な手法を援用する。

2.論文の構成

 第1章では、研究の視点と目的について述べる。

 第2章では、調査の動機と対象、日程、事柄などの調査内容について説明する。

 第3章では、本論文の用語と定義した上で、華僑社会の形成と各中華街の歴史について概観し、移民の出身地と背景にも言及する。

 第4章では、風水と中華街の空間形成との関係について分析を行なう。風水思想の概要を述べ、その歴史や中国古代の都市計画などの考察を基づいて、中華街の空間における風水要素を抽出し、風水要素と各中華街の配置について分析する。また、風水要素相互の関係性や各都市の中華街の関係性についても考察する。

 第5章では、各中華街のファサード構成の特性について分析を行なう。画像データ処理を援用して、現場で撮影した317枚の写真を解析し、各中華街のファサード構成要素の特性と類似性を調査する。また、建築要素と都市の類似化や要素間の共有関係についての考察を行なう。

 第6章では、中華街の外部空間特性に関する分析の結果と展望についてまとめる。

3.風水要素と中華街の空間形成の分析1)風水要素と配置の分析

 中国風水の起源と中国古代固有都市計画を基づいて、各中華街の現場を考察した上で、中華街の空間における風水要素を抽出し、5つの分類とその下位の13項目(街の方向[東,西,南,北]、牌楼の配置[東,西,南,北]、吉祥動物[獅子]、亭[亭]、宗教建築[寺院,廟,祠,教会])に整理した。各中華街におけるこれらの要素の有無を調べ、分析する。

2)風水要素と都市の分析

 5つの分類とその下位の13項目の風水要素に基づいて、各要素間の関係性と各都市間の関係性の分類を試みる。数量化III類を用いて、風水要素と各都市を最小次元の空間に投象することにより、2次元の散布図として表現する。これにより、中華街における13項目の風水要素の相関を視覚的に捉えると共に、八都市の空間構造を風水要素の観点から類型化する。分析は、風水要素相互の関係性と都市相互の関係性という2つの観点から行う。

4.画像データ処理

 八つの中華街で現地調査した際に撮影した建物の写真は合計317枚である。これらの写真について、ファサードを建築要素に分解し、その構成を分析するために、中国の建物に特徴的な建築要素を決定する。中国古代の建築と中国の民居建築を参考にして、12要素を抽出する。これらの要素の有無を各建物のファサードについて調べ、建物写真を次のプロセスでデジタル画像処理したものを用いて、建築要素の要素表を作成する。

 1)スキャナを用いて建物写真をデジタルデータとして電算機に取り込む。

 画素数 522×742 pixel

 色 RGB(赤、緑、青)各256階調

 2)周囲の不要な部分をトリミングする。これは画素数を8bitの倍数にして処理を容易にするためでもある。

 画素数 504×704 pixel

 3)濃淡差の比較的鮮明なB(青)画像に対して、各画像毎に閾値を決めて2値化処理を行いビットマップデータとする。

 4)細線化処理を施し、線の幅員が1の線画データにする。

 5)孤立点等の小さいノイズを除去する。

 6)ビットマップデータをグラフィック・エディタで編集し、隠れている部分や、不要な部分の修正を行なう。

 7)建築要素毎に要素番号と位置(多角形)の座標をマウスを用いて入力し、ファイル化する。

 8)建築要素をタイルパターンに変換し、図化する。

5.ファサードの構成要素分析1)建築要素の分布と特性の分析

 各地域毎に中華街の建物を特徴づける構成要素の存在を調べたが、ある地域においてどの要素が卓越しているのか、あるいは地域間に共通性があるかどうかを調べるために構成要素の割合を示すレーダー・チャートを作成する。中国的な建物の構成要素として十二項目を選んだが、レーダー・チャートは建物総数に対してある要素を持つ建物がどの位の割合(%)を占めているかを図示したもので、放射状の十二本の枝に割合がプロットしてある。この枝の各点を隣りどう結ぶと星型の多角形が描かれるが、これは構成要素の比率を図形として視覚的に表現したもので、枝の長い部分が卓越する要素を、また多角形の形としての類似性が要素の共通性を表している。

 各中華街に対して描いたレーダー・チャートをもとにファサードの特性分析を行なう。重要な結果として、全ての中華街において最も枝が長いのは「装飾墻壁」で、「装飾墻壁」は卓越した要素であることが判明した。いずれにおいても「装飾墻壁」は50%を越え、とりわけ横浜では91%に達している。合計でも317店舗中、242軒にあり、4軒の内の3軒が装飾墻壁を持つことになる。

2)建築要素と都市の類型化

 各都市の中華街における12項目の建築要素のデータに対して、数量化III類を適用し、要素および都市の分類を試みる。分類に際しては、解析結果を2次元の平面上に散布図としてプロットすることにより、視覚的に表現し、12項目の要素間の関係や八つの都市の中華街の空間構造の類似性を分析する。

 数量化III類を適用するデータは、あるひとつの要素が建物のファサードに存在する時に"1"を、そうではない時には"0"を当てはめて作成した行列である。この行列に対して固有値を求め、1以外の最大の固有値及び次位の固有値に対応する固有ベクトルを求める。それぞれの固有ベクトルの値を平面上にプロットし、距離的に近いもの同士を分類する。

 分析結果により、12項目の要素は次の三つのグループに分けられる。

 (1)要素1、2(陽台、欄干)。

 (2)要素8、12(装飾墻壁、装飾門)。

 (3)要素9、4、7、11、5、6(花格窓、屋檐、装飾柱、門楼、腰檐、檐口)

3)要素の共有関係と典型の抽出

 中華街のファサードに特徴的な12項目の要素が、それぞれの建物にどのように共有されているか、その共有関係の構造を把握するために、グラフを用いて表現してみる。建物B1と建物B1が12項目の要素を共有するか否かによって行列Aを作成する。ここで行列Aの要素a11は、建物B1とB1が共有する要素の数とする。この共有関係をグラフで表現する。

 共有要素の数で重み付けされたグラフをもとに、典型的な建物を抽出する。グラフの隣接行列の最大固有値に対応する固有ベクトルを用いる。固有ベクトルの値が大きいほど典型的な建物であるとみなすことができる。中華街において、最大固有値に対応する固有ベクトルの値が高い順に、上位20建物、及び上位10建物を典型として抽出する。また、八都市の全建物に対して、同様な手法を適用する。

 各中華街の共有関係を表すグラフと典型的なファサードの抽出結果から次の二つの特性を読みとることができる。

 (1)建物相互に共有関係が最も強いのは日本の横浜であり、次が神戸である。日本の中華街には中国的なファサードを持つ建物が多いことがわかる。中国的な12要素の全てを有する建物である横浜中華街46番建物は他の多くの建物が同じ要素を持つ最も典型的な建物である。

 (2)各中華街の街並みは、中国の建築として特徴的な要素をもつファサードが連続的に分布するのではなく、局所的な集中性を持っている。

6.終わりに

 オーストラリア、日本、ヨーロッパの八つの都市での現地調査をもとに、中華街の外部空間の特性を形態学的に考察した。各中華街について現場調査のほかに、歴史的な経緯を調べ、近代史において中国人移民がどのように位置づけられるかについて言及した。その過程において、華僑社会の強固なネットワークを維持し、共同体として存続するためには、中国人としての共通の意識をなんらかの形で共有なものとする必要性が認められた。意識は形象化することにより、より鮮明になるが、その表現のひとつとして中華街が存在するのではなかろうか。中華街の外部空間に表象された中国的なものとその意味性は文化の固有性を主張し、異国への同化を妨げる働きがあるように思われる。この感覚を実証するために調査と分析を行ったが、その際に特に着眼したのは外部空間の風水要素と建築要素である。これらの要素を画像処理技術と数理的な手法を援用して分析、さまざまな角度から中華街の外部空間に対する特性の記述を試みた。

 中華街の形成の歴史は古く、また、現在進行中の出来事である。したがって、その全体像を明らかにすることは極めて困難で、限定された視点からの記述にとどまるが、本論文は世界各地の中華街を共時的に比較したところに意義があり、ひとつの現代都市論になっている。中華街は現代都市として充分に魅力的な空間を備えている。

審査要旨

 本論文は世界各地の中華街の外部空間の特性を調査・分析したものである。対象としたのは、オーストラリアの4都市(シドニー、カバラマタ、メルボルン、ブリスベン)、日本の2都市(横浜,神戸)、ヨーロッパの2都市(ロンドン、パリ)である。

 中華街は世界各地に分布しているが、その外部空間には一目で中華街とわかる特性がある。本研究はこの特性の成因を図象学的な視点から分析したもので、先ず、空間の配置則として四方位にもとづく施設配置に着目し、それが中国古来の風水思想に由来することを明らかにしている。風水要素として取り上げたのは、街の配置、牌楼、亭、宗教建築、吉祥動物像の5つの要素で、これらの有無とその位置を分析することにより、中華街が風水の具現として計画されていることを明らかにしている。次に、中華街の持つ独特なファサード様式に着目して、これがどのような建築要素から成立しているかを検証している。要素として取り上げたのは、陽台、欄干、屋頂、屋檐、腰檐、檐口、装飾柱、装飾墻壁、花格窓、装飾吉祥物像、門楼、装飾門の12の要素である。これらが中華街のファサードの構成要素としてどのように分布しているかを調べ、その出現頻度と共有関係から各中華街の特性について分析し、典型とみなせるいくつかの建物を抽出している。これらの分析により、各中華街の類似性と差異性とを明らかにし、中国的な外部空間構造の本質について論究している。

 論文は6章から成り、巻末にデータリストと参考資料リストを付加している。

 第1章は序論で、研究の視点および研究の目的について述べている。

 第2章は調査概要で、調査の動機、対象都市について述べた後に、1994年から97年にかけて実施した調査内容について記述している。

 第3章は中華街の歴史で、中華街と華僑社会の歴史的形成過程の概説に続き、調査対象となった8都市の中華街の歴史について概観し、最後に各中華街の移民の出身地と文化的な背景について纏めている。ここで注目されるのは、ヨーロッパの中華街の場合、2次移民が多いということである。

 第4章は風水思想と中華街の空間形成に関する分析で、先ず、中国における風水思想の歴史的な展開について考察し、それがやがて都市空間の構成原理となる過程をまとめている。次いで、方位法、地相の重要性を指摘した後に、中華街に見られる風水要素として、街の配置、牌楼、亭、宗教建築、吉祥動物像を選んだ理由を述べている。これら5つの風水要素の有無とその位置を各都市について分析し、四方位の重要性を再確認している。また、5つの風水要素の有無を行列化したものに数量化III類を適用し、風水要素相互と中華街相互の類似性について検討している。

 第5章は中華街のファサード構成の特性に関する分析で、先ず、ファサードを形成する建築要素として、陽台、欄干、屋頂、屋檐、腰檐、檐口、装飾柱、装飾墻壁、花格窓、装飾吉祥物像、門楼、装飾門の12の要素を選んだ理由と各要素の特徴を示している。次いで、ファサード写真を画像処理して2値の線画にする技法の説明があり、建築要素の抽出方法とその表示方法に関する解説がある。各建物から抽出された建築要素の有無は、各中華街毎にひとつの表にまとめている。ファサードの構成要素の分析は、先ず、建築要素の出現頻度を調べ、中華街毎の全建物に対する割合を計算し、その結果をレーダー・チャートとして表現している。これにより、各中華街において卓越する要素がわかり、また、チャートの形態的な類似性から、似た構成要素から成る中華街が明らかになる。結果としてロンドンとパリ、横浜と神戸が類似している。次に、建物要素の有無にもとづく分析のひとつとして、数量化III類を適用した建物要素と都市(中華街)の類型化を試みている。その結果として建物要素は大きく3つのグループに、また、中華街はふたつのグループに分かれることを示している。次いで、建物要素の共有関係を示すグラフを描き、これに基づいて各建物の最大固有値に対応する固有ベクトルを計算している。この固有ベクトルの大きい建物は共有関係の強いものと考えられ、その値の大きいものはその中華街の典型的な建物と見なせる。各中華街に対して、中国的な建物要素を共有する建物が多い地域と典型的な建物を抽出し、個別にその特性について論じている。

 第6章は結論で、本研究により中華街の歴史的形成過程とその背景となった移民史が明らかになったこと、中華街の空間配置の決定因として風水要素が重要であること、また、建物のファサードに見られる建築要素が、中国的な外部空間の形成に大きく寄与していることを指摘している。

 以上要するに、本論文は現代の中華街の外部空間を風水要素と建築要素というふたつの観点から比較的に捉えることにより、その配列的な特性と形態的な特性を明らかにしたもので、現代都市論として極めて独創的なものである。本研究は、各中華街に対する現地調査をもとに行われていて、共時的な中華街の外部空間特性を定性的に調べ評価したものになっている。中華街に対する従来の捉え方が異国趣味的で曖昧なものであったのに対し、本論文はその由縁を実証的に検討、分析したもので高く評価できる。これは建築計画学、都市計画学の分野に新たな視点を導入するもので、その意義は極めて大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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