学位論文要旨



No 113328
著者(漢字) イステッキ・イスマイル ジハンギリ
著者(英字)
著者(カナ) イステッキ・イスマイル ジハンギリ
標題(和) 日本の美術館の空間構成に関する研究 : 美術と空間の体験
標題(洋) Spatio-logic of art museum experience : Ten case studies in Japan
報告番号 113328
報告番号 甲13328
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4046号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 藤井,明
 東京大学 助教授 大野,秀敏
 東京大学 助教授 岸田,省吾
内容要旨 要旨

 この論文は、美術館における展示室の空間的側面と訪問者の行動のパターンの関係について論ずるものである。ここでは「スペースシンタックスモデル」と「視野モデル」を用い、空間のつながり関係を調査対象となった日本の10の美術館についてモデル化し示した。また、訪問者の探査行動と鑑賞のパターンや空間の利用行動などについて、それぞれ調査を行った。さらに、それらの結果を比較分析することにより、観察された行動のパターンと空間の変数との間にどのような関係があるかを調べた。

 美術館の展示空間は芸術作品の鑑賞を本来の目的とするが、そういった行為が展示空間へのアクセスと探査行動といった経験に関連づけられるビルディングタイプでもある。本論文の主要目的は、空間のデザインに関する選択肢が、美術館における訪問者のアクセス行動や探査行動にとって、どのような戦略的なアフォーダンスと潜在的な意味を持つことになるのかを明らかにしようというものである。つまり、異なる空間のつながり関係が、訪問者の美術館体験の一部としてどう認知されるかの法則性を理解し、さらに、異なる美術館のデザインがもつ基本的な戦略の違いについても明らかにしようとするものである。

 こういった美術館に関する知識は、デザインをする初期段階において最も有益である。なぜなら、デザインの初期段階においては、はっきりと理由が示され正当化されることはないものの、後に影響を残すような決定がなされることが多いためである。さらには、後になって増築等が計画されるときにも有益であろう。これらの相違点を理解することは、建築家にとってばかりでなく、環境行動論の研究者にとっても、アクセスや経路選択、環境情報などの視点からも興味深いものである。

第1章・研究背景

 この章では、美術館のテーマと展示に関連して、研究の前提、目的、議論の主要な点などを述べた。美術館は、芸術作品の鑑賞を本来の目的とするが、鑑賞行為が人々の展示空間での探査行動などの空間経験と関連づけられるものでもある。本論文では、美術館を人々が展示に触れる場としてのみ捉えるのではなく、美術館の空間を経験するための、空間的関係の場であると定義することとした。現代の芸術の文脈ではマルセル・デュシャンが言うように「鑑賞者が動きまわる経験自身が芸術のすべて」なのである。美術館の空間のつながり関係は、展示作品がどれほど多くの訪問者に鑑賞されるかという意味において、大きな役割を果たすのである。

 美術館には公共の場としての側面もある。美術館は他の人々と遭遇する社会的機会としての捉えることもできるが、そうした体験において、空間の配列関係は一義的な役割を果たす。展覧会では多くの人が同じ展示を見るが、そのことは、美術館が訪問者と展示作品のインターフェイスであるというのみならず、訪問者相互のインターフェイスでもあることを意味する。この解釈を展開すれば、例えば、ある展示が訪問者を一方向にのみ移動させるものならば、訪問者相互のインターフェイスはリニアーなシークエンスによって制限されることになり、人々の美術館の訪問体験は、形式的で、儀礼的なものとなるであろう。一方、展示が反対のものならば、訪問者の行動はまるでかくれんぼうのように分散され、訪問も非形式的なものになると考えられるのである。

 この研究では方法仮説として、美術館を、「空間とそこにおかれた芸術作品を一体として経験する場」として捉えるが、そのことによりデザインの基本戦略のあり方により、空間の配列とそこに隠された法則性がどうなるか、また訪問者にとってどんな意味を持つか、さまざまに異なる可能性を探る(図1.7、1.8)。

 既往研究を調べてみると、展示空間のデザインと訪問者の利用や経験に関し、幾つかの問題点が明らかになった。今までの研究では、美術館の空間的側面に関しては、完全に欠落していたり、空間の経験が訪問者の精神的プロセスとして強調されすぎていたり、あるいは「全体構成」からみた空間セッティングではなく「ローカル」な空間的側面に偏って扱われていることが多かった(Klein,1993;Nomura et.al.,1993;Park,et.al.,1992;Ogawa,et.al.,1992;Wolf and Tymitz,1979;Borun,1977;Lakota and Kantner,1976;Winkel et.al.,1975;Humphreys,1974;Screven,1974;Bloom,1971;Borhegyi and Hanson,1968;Shettel et.al.,1968;Bechtel,1967;Borhegyi,1963;Weiss and Boutourline,1963;Bruner,1960;Melton,1935;Robinson,1928)。このように空間と空間変数に関して理解を欠くことは、結果として空間を環境決定論的に理解することに陥りやすい。また、空間と行動にかかわる変数の多くが事例固有のものとして検証されることになり、厳密な議論とはなりにくい。これらを克服するには、美術館における空間的側面と訪問者の行動との関係について、より包括的なアプローチによって空間を比較し、その法則性を理解すべきである。

 この論文の目的は、美術館における空間的側面(空間のつながり関係あるいは空間配列、さらには空間利用)と訪問者の行動(探査と鑑賞のパターン)との間にどのような関係があるかを探ることにある。そのためには、空間の行動的な意味をさぐる以前に、空間がどのようにしてつくられ、空間配列はどのように記述できるのかを知る必要がある。本論文では、既往研究とは異なる方法論、「スペースシンタックスモデル(Space Syntax)」 (Hillier 1996,Hillier and Hanson 1984)と「視野モデル(Visibility Field)」 (ぺネディクトにより開発された「アイソピスト理論」を発展させたものBenedikt and Burnham 1984,Benedikt 1979,Benedikt and Burnham 1984)の2つの研究手法を用いた。これらを用いる理由は、「到達可能性(permeability)」と「視認可能性(visibility)」という、美術館の空間の配列関係にとって重要な経験的特性を捉えるためである。スペースシンタックス理論は、到達可能性という空間的な特性を扱うものであり、視野モデルは視認可能性の特性を扱うための方法論である。

 本論文で明らかにしたいのは、美術館(あるいはそこでの展示)にアプローチするときの一般的なプロセスである。展示がなされた文脈や学芸員の意図といったものは特別重視しない。むしろ、空間のデザインの選択肢が、訪問者のアクセス行動や探査行動にとって、どのような戦略的なアフォーダンスと潜在的な意味を持つことになるのかを明らかにしようというのである。つまり、空間の配列関係の違いが、訪問者の美術館体験の一部としてどう認知されるかを法則的に理解し、さらに、異なる美術館のデザインがもつ基本的な戦略の違いをも明らかにしようとするものである。

第2章・研究方法

 ここでは、研究を行う上での分析の方法を、1)事例を選択した基準、2)調査とデータ収集の方法、3)分析の方法、の3項に分けて説明した。

 調査事例を選択する際の基準で重視した点は、美術館単体として作品を展示する機能を中心としているかという点であった。そのような観点から絞り込んだ美術館の中から10の調査事例を選んだ(図2.1)。また、その他の基準として、日本で戦後に建設されたものであること、比較的大規模で、空間の属性上(規模・動線・レイアウト)・歴史上・機能的なプログラム上、全体として多様なものとすること、があった。多様な調査対象を選ぶことにより、展示スペースのつながりや機能の実質的な違いを見いだすことができると考えたのである。

 調査対象の美術館では、それぞれ1週間の現地調査で、建築に関するサーベイを行い、訪問者の利用と行動のパターンを調べた。調査では次の5つの異なるデータを収集した。1)空間のレイアウト、2)展示のための空間構成、3)訪問者の探査パターン、4)訪問者の鑑賞のパターン、5)訪問者の居方、である。

 現地調査の後、さらに,「スペースシンタックスモデル(Space Syntax)」と「視野モデル(Visibility Field)」を用い、調査対象の美術館について空間の配列関係をモデル化し示した。また、訪問者の探査行動と鑑賞のパターンや空間の利用行動などについて分析した。さらに、それらの分析結果を比較することにより、行動のパターンと空間の変数との間にどんな関係があるかを調べた。

 「スペースシンタックスモデル」において、到達可能性という空間的特性を扱う手法としては、次の2つがある。

 第1のものは、「凸空間図(Convex Map)」というもので、空間の2次元的な拡張に関するものである。これを定義すれば、最大でかつ最も少ない数の凸空間からなる平面図の分節である。定義からそれぞれの凸空間内ではどこにいてもその空間のことは認知できので、凸空間は空間をレイアウトする上での「ローカルな構成要素」であると考えられる。

 第2のものは、「軸線図(Axial Map)」で、2次元平面を軸線の重なりで表現した図である。すべての凸空間のつながりをカバーするような最少の直線(軸線)よりなるものと定義される。軸線は空間のなかでの最も長い視線を表し、人が展示空間を歩くときの全体的な空間構成の認知を捉えようとするものである。

 定量化の手続きは、凸空間図、軸線図それぞれについて、ほかのすべての空間との位相距離を求めて、それを空間構成全体の中でのそれぞれの空間の相対的位置とする方法を用いた。

 一方、「視野モデル(Visibility Field)」は、ある位置からそのまわりの見えるであろうすべての点を示したものである。視野モデルの図はそれぞれの凸空間について個別に描かれるが、それを各美術館について行った(図2.4)。図は、個々の凸空間にいる訪問者が最大限見ることのできる範囲を客観的に示す。この方法により得られる美術館の視覚的なつながりを分析するために2つの異なる指標を導入した。

 第1の指標は、「内部の視覚的透明性(Inner-transparency)」で、それぞれの凸空間から見える凸空間の数が、総凸空間数あたりどれほどの割合であるかで定義する。この指標はゆえに、それぞれの凸空間から、空間の情報・展示作品・人々を含んだ周囲の状況をどれほど見ることができるかを示すものである(図2.5)。各凸空間の視覚的透明性について、つまり、それぞれの凸空間からどれだけの凸空間がみえるかについて、頻度グラフを作成した。グラフY軸の上部(正の領域)が、それぞれの凸空間から見える他の凸空間の数である。

 第2の指標は、「外部の視覚的透明性(Outer-visibility)」で、美術館の内部空間から外部のようすがどれほど理解できるかについて示すものであり、より大きなスケールを扱うのものである。この外部との視覚的つながりの指標は、外部のようすを見ることができる凸空間数が総凸空間数に対してどれほどの割合を占めるかによって求められる。これについても上と同様の頻度グラフを作成した。グラフのY軸の下部(負の領域)が各凸空間の外部との視覚的つながりを示す。内部から外が見えない空間はその値が0である。この指標は内部と外部が視覚的どのようにつながっているかを示すのものである。指標が高いものほど、視覚的につながっていることになる。

第3章・10の美術館の直観的プロファイル

 ここでは、まずはじめに、調査を行った10の美術館それぞれを紹介した。調査対象それぞれの概要を示すことによって、後に美術館の細かい分析や解釈を加える際、理解しやすいようにした。

 美術館の説明は次の3つの視点から行った。第一に美術館の背景になる情報を示し、どのような立地であるかを明らかにした。第二は、建築についての説明である。そこで美術館の空間構成について明らかにし、調査を行った展示スペースがどのようなものであるかを示した。第三に、調査した展示における空間構成について説明を加えた。

 空間構成という立場から見ると、美術館ははじめに示した2つのコンセプト、すなわち、「到達可能性」と「視認可能性」という2点によって分類することができると考えられる。これらの分類軸は、訪問者が美術館という場所を体験する上において極めて重要な意味をもつ。「到達可能性」は、シークエンシャルな歩みをコントロールしたり、あるいは、より自由な動きを許したりと、訪問者の動きのパターンをコントロールする度合いを意味するものである。一方、「視認可能性」は、境界をはっきりさせ、部分的にしか空間を見せないなど視界を制限したり、逆により広い範囲を自由に見せたりというように、訪問者にとっての周辺の見えかたのコントロールの度合いを意味するものである。

第4章・美術館の展示空間の空間構成

 この章は主に空間をモデル化により記述することを目的とする。その記述は、訪問者の行動や空間利用の意味を解釈する際の基礎となる。記述するのは、美術館の空間の配列関係、展示における空間構成のあり方、という2つの部分よりなる。

 モデル化による記述を進めると、空間のつながり方が異なっているとの直感を確かめることができた(図4.1)。そればかりでなく、より厳密で一貫した美術館空間の相互の関係を捉えることができた。美術館での人の動きにはある種のコントロールが働いていると考えられ、そこにはある傾向をもった法則性があると理解することができる。したがって、空間のつながり関係に関する記述から得られた結果は、対象となった美術館空間の相互的な関係を厳密に記述するものであり、そこには空間に関するある種のコントロールされた法則性が見いだされる。

 分析によって明らかにされた空間構成の法則性は次のように要約できる。

 (1)美術館の展示の状況は、凸空間の集合体と軸線図の集合体とに分割できるが、特に凸空間の集合体として捉えることにより、美術館の空間構造の連続性・分節性が明確に認識された。

 (2)一方で、床面積が大きくなれば凸空間や軸線などに細かく分節される傾向が見られた。同様に、床面積が大きくなればより多く作品が展示される傾向が見られた。

 (3)実際の展示においてはテーマごとの「展示部門」を設け、複数の分節された空間にひとまとまりの展示の意味を与える。各展示部門の連続性を確保するために、空間の「到達可能性」と「視認可能性」がコントロールされている。例えば、もし、多くの凸空間に分節され空間としての到達可能性が低いのならば、これを補完し視認可能性を確保するように軸線上からは連続性が確保されているといったことである。

第5章・訪問者の探査行動のパターン

 この章では、訪問者の探査行動パターンと空間の変数の間に何らかの法則性が見られるか、比較により検証した。第一に「どの空間を訪ねたか」(A)、第二に「どれほどの頻度か」(B)という探査行動パターンに関する二つの相互に関わりあう問題を扱った。各ケースにつき15人の訪問者の行動パターンをそれぞれの軸線図のパターンに呼応して分析した。

 (1)探査行動パターンは、一般的に空間に展示された作品数とは独立であった。このことは、展示の重要性を強調する「展示作品の集まっているところに人は集まる」(Lakota,1976)といった多くの既往研究の結果とは矛盾する。

 (2)むしろ「空間を頻繁に利用するかどうかは同じ空間にどれほど立ち止まっている人がいるかに影響を受ける」という結果が得られた。視界に入る人の数もある程度の関係が見られたこともこれをサポートする。探査行動パターンは、美術館の空間のつながり関係によって最も影響を受けているといえる。それは次のような点に要約できる。

 (3)全体のつながり関係の構成より、隣接する空間とのローカルな関係が、どの空間が最も多くの被験者訪ねられたか(A)と、ある空間を被験者がどれほど頻度通過したか(B)との両者に大きな影響を与えた。特に後者はより大きく影響を受けた。

 (4)全体の空間のつながり関係も、探査行動パターンの(A)(B)二つの問題に対して影響を与えたが、これはローカルな空間のつながり関係に比べ影響の少ないものであった。

 (5)このように空間のつながり関係と(A)(B)の探査行動パターンとの間には強い相関関係がみられた。そのため美術館への総訪問者数がわかれば、どの空間にどれくらい人が分布するであろうかは、予測可能なものであることがわかった。

第6章・訪問者の鑑賞のパターン

 さらに、鑑賞のパターンが、空間のつながり関係や空間利用といった空間変数と何らかの関係があるかを探った。鑑賞のパターンについての二つの問題点を検討した。第一に「どの空間で訪問者は時間を費やすか」(滞在時間レベル:(C))であり、第二に「どれほど頻繁に空間で立ち止まって鑑賞しようとするか」(注意レベル:(D))であった。これらを確かめるため、それぞれのケースにつき、それぞれの凸空間に15人の鑑賞のパターンを割り当てて分析した。

 調査結果から、空間のつながり関係のパターンは、(C)(D)どちらの鑑賞パターンにも僅かな影響しか与えなかったことがわかった。むしろ空間利用により関係が深かった。分析した点をまとめると次のような空間利用の役割が明らかになった。

 (1)訪問者が展示室に留まる時間(C)、さらには、訪問者が鑑賞するために立ち止まるパターン(D)は、その先の空間に何があるかではなく、与えられた空間に何があるかに間係が深かった。

 (2)特に、驚くべきことは、人、特に立ち止まった人が多くいることが、同じ空間にある作品の影響よりも強いことである。

 (3)一方、訪問者の鑑賞パターンと、展示作品及び他の訪問者との視覚的なつながりのパターンとの間には、特に強い相関関係はない。つまり、少なくとも、美術館を訪問する個人の行動のパターンは、その場にいる人との相互関係によって大きく影響を受けるのである。つまり「人の振りを見ながら」鑑賞しているのである。これらを総合して解釈すると、日本社会においてはグループ形成や対人的関係が個人の行動に及ぼす影響が大きいという社会科学分野での指摘が裏付けられるともいえる(Nakane,1973)。

 (4)さらに、外部空間の視認可能性も、訪問者の鑑賞パターンに影響を与える。分析から、展示室の外部空間の視認可能性が増すと、つまり、室内と外部がより視覚的につながると、訪問者はより少ない時間しか展示室に留まらないことがわかった。これは注意レベル(D)において同様である。

第7章・結論

 ここでは、論文の結論を、美術館の空間の配列関係、訪問者の探査パターン、訪問者の鑑賞パターンといった、それぞれの分析から得られた結果をまとめて考察した。議論の中心は、空間を組織づける法則とそこでの訪問者の経験に関するものである。

 この研究を通じ、美術館には特有の空間の法則があることがわかった。訪問者が美術館を経験することは、その空間の法則を適用することであるともいえる。さらにいうと、個々の美術館のデザインの意図しているところやプログラムからの要求によって、美術館の異なる空間がどういった戦略的なアフォーダンスと潜在的な意味を持つことになるのかが予測できるのである。

 極端な二例を考えてみる。例えば、日本における美術館の幾つかにおいては、訪問者が展示に長時間注意を向けることが目的とされ、訪問者相互の強い社会的インターフェースが生じせしめられたものがある。その結果、展示空間には強い境界のコントロールと固いシークエンシャルな空間のつながり関係が見られ、相対的に排他的で儀礼的な空間となっている。これは、単に美術品を展示し示すという文脈に集中したことの一つの結果であろう。しかし、よりダイナミックな空間のつながり関係を持ち、境界のコントロールが弱い美術館が計画されるならば、訪問者は展示室をより自由に移動したり、鑑賞したりできる。こういった空間では、個人的に「見るべきもの」を発見し、個人的な芸術作品との関係を構築することができるのである。この二つの例は極端なものであるが、現実にはこれらの間に空間の法則の適用例が、社会的インターフェースと個人的な探索行動の点からさまざまに存在するのであり、法則の適用によってこれらをおおよそ予測できるのである。

 以上、美術館によって空間の質が大きく異なり、そこでの人々の経験も異なっていることが明らかにされたが、このことは建築家がどのような意図で美術館を設計するかを決めるのに大きな手助けとなろう。建築家と学芸員は、芸術家と協同し、鑑賞する者が芸術作品をどのように眺め、個人的なそして社会的な地平をどのようにして理解し、楽しみ、評価すべきかについて手助けする必要があると考えられる。

審査要旨

 この論文は、美術館における展示室の空間的側面と訪問者の行動のパターンとの関係について論じたもので、その目的は、空間設計上の選択肢が、美術館における訪問者のアクセス・探査行動に対して、どのような戦略的・潜在的意味を持つのかを明らかにしようとするものである。

 論文は7章で構成される。

 第1章では、美術館を研究の対象とした背景・目的を述べている。本論文では、美術館を単に人々が芸術作品に触れる場としてのみではなく、マルセル・デュシャンが言うように「鑑賞者が動きまわる経験自身が芸術のすべて」として美術館の空間自体を経験する場としてもとらえ直し、さらに、人々と遭遇する社会的機会を提供する公共の場としての側面に注目して、空間の配列関係はが果たす役割の重要さを指摘している。また、既往研究を調べ、幾つかの未解決の問題点を明らかにしている。

 第2章では、研究方法を、1)事例選択基準、2)調査とデータの収集方法、3)分析方法、に分けて説明している。1)では作品展示機能を中心とした美術館の中から、戦後の建設であり、比較的大規模で、空間属性上・歴史上・プログラム上、多様なものとしてる。2)では建築と利用者の行動のパターンをそれぞれ1週間の現地調査を述べてている。3)では「スペースシンタックスモデル(Space Syntax)」と「視野モデル(Visibility Field)」について空間の配列関係のモデル化を示している。

 第3章では調査対象の10箇所の紹介を、1)美術館の背景と立地情報、2)建築的空間構成、3)調査展示スペースの空間構成に分けて示している。

 第4章では美術館の訪問者の行動や空間利用の意味を解釈する際の基礎となる展示空間のモデル化を行っている。1)展示の状況を凸空間の集合体と軸線図の集合体とに分割することによって、空間構造の連続性・分節性が明確に認識できること、2)床面積の増大に応じて凸空間・軸線などに細かく分節され、より多く作品が展示される傾向が見られたこと、3)実際にはテーマごとに複数の分節空間がまとまり、その連続性確保のために、空間の「到達可能性」と「視認可能性」がコントロールされていることが示されている。

 第5章では、軸線図のパターンに呼応してそれぞれの15人の訪問者の行動パターンを分析し、訪問者の探査行動パターンと空間変数との間の法則性を比較検証している。すなわち、1)探査行動パターンは展示作品数とは独立であること。これは、「展示作品数に応じて訪問者数も伸びる」(Lakota,1976)といったいくつかの既往研究結果とは異なることを示し、2) 「空間利用の頻繁さはそこに滞在している人数に影響を受ける」という結果を示し、3)隣接空間との関係が、訪問者数(A)と、通過者数(B)とに影響を与え、特に後者には大きく影響したこと、4)全体の空間の連結関係は、上記(A)(B)に対してはそれほど影響を与えないこと、そして、5)隣接空間の連結関係と(A)(B)との間には強い相関関係がみられたことを示している。

 第6章では訪問者の鑑賞パターンを滞在時間(C)注目程度(D)に分け、空間の連結関係や空間利用といった空間変数との関係を分析し、これらが(C)(D)どちらにも僅かな影響しか与えないこと、逆に、立止まる人の多さが、展示作品の影響よりも強いことを示している。これらを総合して解釈すると、日本社会においてはグループ形成や対人的関係が個人の行動に及ぼす影響が大きいという社会科学分野での指摘(Nakane,1973)を裏付けたことになる。さらに外部空間の視認可能性も鑑賞パターンに影響を与える、つまり室内と外部がより視覚的につながると、訪問者は短時間しか展示室に留まらないことを示している。

 第7章では、上記の各分析から得られた結果をまとめて考察して、美術館特有の空間法則を示している。

 以上、美術館は訪問者と展示作品のインターフェイスを提供する場であるだけでなく、訪問者相互のインターフェイスを創り出す場でもあることを発見し、空間との関連性を明確にすることにより、美術館デザインにおける新しい知見を提示した。

 よって本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

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