学位論文要旨



No 113341
著者(漢字) 片山,浩之
著者(英字)
著者(カナ) カタヤマ,ヒロユキ
標題(和) 水中RNAウイルスのRT-PCR法による定量に関する研究
標題(洋)
報告番号 113341
報告番号 甲13341
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4059号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大垣,眞一郎
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 味埜,俊
 東京大学 助教授 古米,弘明
 東京大学 講師 大瀧,雅寛
内容要旨 はじめに

 水の微生物学的安全性を確保するための最重要課題として、水系感染性の腸管系ウイルスが挙げられる。これらのウイルスを培養するのは容易ではなく、特別な施設と熟練した技術を必要とする。ウイルスを培養することなくウイルスを検出する方法としてはPCR(ポリメラーゼチェインリアクション)法が最も有望である。しかしながら、PCR法を水環境中の病原ウイルスの測定に適用するための知見は十分に得られていないのが現状である。特に、不活化ウイルスを誤陽性と判定することに関する知見と、ウイルスを濃縮する技術が必要とされている。

 本研究では、RT-PCR法を用いてUV照射により不活化されたウイルスを測定した場合に生じる誤陽性のメカニズムの解明と、RT-PCR法を用いて検出することを前提としたウイルス濃縮法の開発を試みた。実験の対象ウイルスとしては、腸管系ウイルスのモデルウイルスとして大腸菌RNAファージQを用いた。そこで得られた知見を以下にまとめた。

定量的RT-PCR法(第3章)

 RT-PCR法によってQを定量的に測定する3つの手法を確立した。

 第一の定量方法は、最も検出感度の高いRT-PCR法の検出結果にMPN法を適用する方法(normal RT-PCR定量法)である。normal RT-PCR定量法は、培養法のプラック数(PFU値)の約1/3の値を再現性よく与える定量方法であることがわかった。

 第二の手法は、TaqMan ProbeによるPCR産物の定量法(TaqMan RT-PCR定量法)である。プライマーの設計および酵素の選定、PCRサイクル数などの最適化を行ない、定量性を確認した。

 第三の手法として、PCRの増幅領域は通常の長さで、逆転写領域を長くしたRT-PCR法(long RT-short PCR法、MPN値を算出する場合にはlong RT-short PCR定量法)を開発した。非特異的なプライマーを適用した結果と比較し、逆転写反応はプライマーに特異的な部位から反応を開始していることを確かめた。このlong RT-short PCR法で増幅が観察されれば、PCRの増幅領域のみならず、逆転写反応の開始点とPCR増幅領域に挟まれた領域のRNAもcDNAに転写されていたことが分かる。

UV照射によるQの不活化(第4章)

 RNAウイルスをUV照射した場合に生じるRT-PCR法の誤陽性のメカニズムを調べた。

 QをUV照射により不活化し、プラック法、normal RT-PCR定量法、long RT-short PCR定量法の三つの測定手法を用いてQ生残数を測定した。Q生残数は、プラック法では一次反応的に減少したのに対し、normal RT-PCR法およびlong RT-short PCR法ではほとんど減少しなかった。

 long RT-short PCR法のこの結果は、Qの逆転写領域以外のRNAに損傷が起きているから誤陽性が生じるというメカニズムでは説明がつかず、増幅領域内のRNAに損傷があってもRT-PCR法でQを陽性と判定していることを示している。UV照射によりウラシルダイマー等の二量体が形成されても、逆転写反応はそこで停止せずにcDNAを合成し続けることが明らかとなった。

 Qを用いて得られたこの結論は、RNAウイルスに普遍的な反応機構を用いているので、他のRNAウイルスにも適用可能であると考えられる。よって、RNAウイルスをRT-PCR法により測定する場合には、UV照射によって不活化されたウイルスを陽性として判定することになるといえる。UV照射消毒された水のウイルス的安全性を測定する際には、RT-PCR法はウイルス感染の危険性を過大評価する手法であるといえる。

PCR法で検出することを前提としたウイルス濃縮法の開発(第5章)

 ウイルスの曝露に対する健康リスクを考慮すると、100L程度の大量の水から1個の病原ウイルスを検出する手法が望まれている。既存の濃縮手法は、RT-PCR法による検出に適していない等の様々な問題点があり、まだ標準的なウイルス濃縮手法はない。ここではRT-PCR法による検出を前提としたウイルス濃縮法の開発を試みた。

 陽電荷膜と陰電荷膜の吸着材としての性能を総合的に比較した結果、無機の誘出液を用いることのできる陰電荷膜を吸着材として選択した。

 陰電荷膜からの誘出を容易にするための手段として、洗浄工程を考案した。洗浄液としてpH5程度の希硫酸溶液を選び、Q吸着後の陰電荷膜の酸洗浄を試みた。酸洗浄工程では、(1)Qを誘出しないこと、(2)マグネシウムイオンを誘出すること、(3)Qを不活化しないこと、(4)ビーフエキス溶液による誘出が容易になること、を確認した。陰電荷膜を用いたウイルス濃縮においては、酸洗浄は非常に優れた効果があるといえる。

 ウイルスゲノムRNAの誘出を目的として、セルロース吸着・フェノール誘出法を試みた。疎水性のセルロースをフェノール層に、親水性のRNAを水層に分離することによって誘出を行った。水層に誘出したQRNAの回収率は低く(0.38%)、RNAとセルロースの吸着作用が強いことが明らかとなった。

 陰電荷膜法の誘出工程に、ウイルスの活性を無視した高いpHのNaOH溶液を用いるウイルス濃縮法を試みた。誘出液のpH、誘出液量、洗浄液量および誘出速度を最適化した結果、45%(標準偏差19%)という高いQRNA回収率を得た。この新しいウイルス濃縮法は、再濃縮が容易であると見込まれるので、PCR法でウイルスを検出することを前提とする場合には、優れたウイルス濃縮手法である。また、ウイルスの外套タンパクの性質に影響を受けにくいウイルス濃縮手法であることも、この濃縮法の大きな利点である。

 水中ウイルス測定方法として、ウイルス濃縮からウイルス検出法までを総合的に考慮して評価すれば、陰電荷膜吸着・酸洗浄・アルカリ誘出法は最も有力なウイルス濃縮法であるといえる。

審査要旨

 本論文は、「水中RNAウイルスのRT-PCR法による定量に関する研究」と題し7章から構成されている。水中に微量で存在するウイルスを検出するために、水系感染性の腸管系ウイルスのモデルウイルスとしての大腸菌ファージを、分子生物学的な手法により定量的に検出する方法について研究した成果である。一般に、感染性の腸管系ウイルスを培養するのは容易ではなく、特別な施設と熟練した技術を必要とする。培養することなくウイルスを検出する方法としてはPCR(ポリメラーゼチェインリアクション)法が最も有望である。しかしながら、PCR法を水環境中の病原ウイルスの測定に適用するための知見は十分ではない。特に、不活化されたウイルスを誤陽性に判定することに関する定量的な知見、および、水中ウイルスを濃縮する技術が求められている。

 本研究では、RT-PCR法を用いて紫外線照射により不活化されたウイルスを測定した場合に生じる誤陽性のメカニズムの解明と、RT-PCR法を用いて検出することを前提としたウイルス濃縮法の開発を試みている。実験の対象ウイルスとしては、腸管系ウイルスのモデルウイルスとして大腸菌RNAファージQを用いている。

 第1章は序論である。

 第2章は、既存の研究に関する総説を示している。

 第3章は、大腸菌RNAファージQの定量法に関する検討である。RT-PCR法によってQを定量的に測定する3つの手法を確立している。第一の定量方法は、最も検出感度の高いRT-PCR法の検出結果にMPN法を適用する方法(normal RT-PCR定量法)である。normalRT-PCR定量法は、培養法のプラック数(PFU値)の約1/3の値を再現性よく与える定量方法であることを示している。第二の手法は、TaqMan ProbeによるPCR産物の定量法(TaqManRT-PCR定量法)である。プライマーの設計および酵素の選定、PCRサイクル数などの最適化を行ない、定量性を確認している。第三の手法として、PCRの増幅領域は通常の長さで逆転写領域を長くしたRT-PCR法にMPN法を組み合わせた、longRT-shortPCR定量法を開発している。

 第4章は、紫外線照射により不活化されたQのRT-PCR法による検出に関する研究成果である。RNAウイルスを紫外線照射した場合に生じるRT-PCR法の誤陽性のメカニズムを、プラック法、normal RT-PCR定量法、および、long RT-short PCR定量法の三つの測定手法を用いて調べている。Q生残数は、プラック法では一次反応的に減少したのに対し、normal RT-PCR法およびlong RT-shortPCR法ではほとんど減少しなかったことから、Qの逆転写領域以外のRNAの損傷を誤陽性の原因とすることでは説明がつかないとし、増幅領域内のRNAに損傷があってもRT-PCR法ではQを陽性と判定していると説明している。すなわち、紫外線照射によりウラシルダイマー等の二量体が形成されても、逆転写反応は二量体で停止せずにcDNAを合成し続けることを示唆する結果を得ている。この結果より、RNAウイルスをRT-PCR法により測定する場合には、紫外線照射によって不活化されたウイルスを陽性として判定することになることから、紫外線照射消毒された水のウイルス的安全性を測定する際には、RT-PCR法はウイルス感染の危険性を過大評価する手法であると結論している。

 第5章は、RT-PCR法で検出することを前提としたウイルス濃縮法の開発についてである。水中ウイルスの曝露に対する健康リスクを評価する場合には、100L程度の大量の水から1個の病原ウイルスを検出する手法が必要であり、既存の濃縮手法は、濃縮倍率が充分とは言えず、また、RT-PCR法による検出にも適していないことから、RT-PCR法による検出を前提としたウイルス濃縮法の開発を試みている。陽電荷膜と陰電荷膜の吸着材としての性能を総合的に比較した結果、無機の誘出液を用いることのできる陰電荷膜が吸着材として適当であることを示している。また、陰電荷膜からの誘出を容易にするための手段として、洗浄工程を考案し、洗浄液としてpH5程度の希硫酸溶液が適当であるとしている。この酸洗浄工程は、Qを誘出しないこと、マグネシウムイオンを誘出すること、Qを不活化しないこと、さらに、ビーフエキス溶液による誘出が容易になること、を確認し、陰電荷膜を用いたウイルス濃縮においては、酸洗浄は非常に効果があるとしている。

 さらに、陰電荷膜法の誘出工程に、高いpHのNaOH溶液を用いるウイルス濃縮法を試み、誘出液のpH、誘出液量、洗浄液量および誘出速度を最適化を行っている。その結果、45%(標準偏差19%)という高いQ RNA回収率を得ている。この新しいウイルス濃縮法は、再濃縮が容易であると考えられるので、PCR法でウイルスを検出することを前提とする場合には、優れたウイルス濃縮手法となることを示している。また、この方法は、ウイルスの外套タンパクの特性からの影響を受けにくく、濃縮法としての大きな長所を持つものであることを示している。すなわち、水中ウイルス測定方法として、ウイルス濃縮からウイルス検出法までを総合的に考慮して評価すれば、本研究で開発された陰電荷膜吸着・酸洗浄・アルカリ誘出法は有力なウイルス濃縮法であるといえる。

 第6章は、結論であり、第7章は、水中ウイルスの測定手法に関する提言である。

 以上のように、本研究は、水の供給と水環境の安全性を確保するために重要なウイルス検出手法について、新しい知見を示しており、都市環境工学の学術の進展に大きく貢献している。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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