本論文は、「水中RNAウイルスのRT-PCR法による定量に関する研究」と題し7章から構成されている。水中に微量で存在するウイルスを検出するために、水系感染性の腸管系ウイルスのモデルウイルスとしての大腸菌ファージを、分子生物学的な手法により定量的に検出する方法について研究した成果である。一般に、感染性の腸管系ウイルスを培養するのは容易ではなく、特別な施設と熟練した技術を必要とする。培養することなくウイルスを検出する方法としてはPCR(ポリメラーゼチェインリアクション)法が最も有望である。しかしながら、PCR法を水環境中の病原ウイルスの測定に適用するための知見は十分ではない。特に、不活化されたウイルスを誤陽性に判定することに関する定量的な知見、および、水中ウイルスを濃縮する技術が求められている。 本研究では、RT-PCR法を用いて紫外線照射により不活化されたウイルスを測定した場合に生じる誤陽性のメカニズムの解明と、RT-PCR法を用いて検出することを前提としたウイルス濃縮法の開発を試みている。実験の対象ウイルスとしては、腸管系ウイルスのモデルウイルスとして大腸菌RNAファージQを用いている。 第1章は序論である。 第2章は、既存の研究に関する総説を示している。 第3章は、大腸菌RNAファージQの定量法に関する検討である。RT-PCR法によってQを定量的に測定する3つの手法を確立している。第一の定量方法は、最も検出感度の高いRT-PCR法の検出結果にMPN法を適用する方法(normal RT-PCR定量法)である。normalRT-PCR定量法は、培養法のプラック数(PFU値)の約1/3の値を再現性よく与える定量方法であることを示している。第二の手法は、TaqMan ProbeによるPCR産物の定量法(TaqManRT-PCR定量法)である。プライマーの設計および酵素の選定、PCRサイクル数などの最適化を行ない、定量性を確認している。第三の手法として、PCRの増幅領域は通常の長さで逆転写領域を長くしたRT-PCR法にMPN法を組み合わせた、longRT-shortPCR定量法を開発している。 第4章は、紫外線照射により不活化されたQのRT-PCR法による検出に関する研究成果である。RNAウイルスを紫外線照射した場合に生じるRT-PCR法の誤陽性のメカニズムを、プラック法、normal RT-PCR定量法、および、long RT-short PCR定量法の三つの測定手法を用いて調べている。Q生残数は、プラック法では一次反応的に減少したのに対し、normal RT-PCR法およびlong RT-shortPCR法ではほとんど減少しなかったことから、Qの逆転写領域以外のRNAの損傷を誤陽性の原因とすることでは説明がつかないとし、増幅領域内のRNAに損傷があってもRT-PCR法ではQを陽性と判定していると説明している。すなわち、紫外線照射によりウラシルダイマー等の二量体が形成されても、逆転写反応は二量体で停止せずにcDNAを合成し続けることを示唆する結果を得ている。この結果より、RNAウイルスをRT-PCR法により測定する場合には、紫外線照射によって不活化されたウイルスを陽性として判定することになることから、紫外線照射消毒された水のウイルス的安全性を測定する際には、RT-PCR法はウイルス感染の危険性を過大評価する手法であると結論している。 第5章は、RT-PCR法で検出することを前提としたウイルス濃縮法の開発についてである。水中ウイルスの曝露に対する健康リスクを評価する場合には、100L程度の大量の水から1個の病原ウイルスを検出する手法が必要であり、既存の濃縮手法は、濃縮倍率が充分とは言えず、また、RT-PCR法による検出にも適していないことから、RT-PCR法による検出を前提としたウイルス濃縮法の開発を試みている。陽電荷膜と陰電荷膜の吸着材としての性能を総合的に比較した結果、無機の誘出液を用いることのできる陰電荷膜が吸着材として適当であることを示している。また、陰電荷膜からの誘出を容易にするための手段として、洗浄工程を考案し、洗浄液としてpH5程度の希硫酸溶液が適当であるとしている。この酸洗浄工程は、Qを誘出しないこと、マグネシウムイオンを誘出すること、Qを不活化しないこと、さらに、ビーフエキス溶液による誘出が容易になること、を確認し、陰電荷膜を用いたウイルス濃縮においては、酸洗浄は非常に効果があるとしている。 さらに、陰電荷膜法の誘出工程に、高いpHのNaOH溶液を用いるウイルス濃縮法を試み、誘出液のpH、誘出液量、洗浄液量および誘出速度を最適化を行っている。その結果、45%(標準偏差19%)という高いQ RNA回収率を得ている。この新しいウイルス濃縮法は、再濃縮が容易であると考えられるので、PCR法でウイルスを検出することを前提とする場合には、優れたウイルス濃縮手法となることを示している。また、この方法は、ウイルスの外套タンパクの特性からの影響を受けにくく、濃縮法としての大きな長所を持つものであることを示している。すなわち、水中ウイルス測定方法として、ウイルス濃縮からウイルス検出法までを総合的に考慮して評価すれば、本研究で開発された陰電荷膜吸着・酸洗浄・アルカリ誘出法は有力なウイルス濃縮法であるといえる。 第6章は、結論であり、第7章は、水中ウイルスの測定手法に関する提言である。 以上のように、本研究は、水の供給と水環境の安全性を確保するために重要なウイルス検出手法について、新しい知見を示しており、都市環境工学の学術の進展に大きく貢献している。 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |