学位論文要旨



No 113351
著者(漢字) 徳増,崇
著者(英字)
著者(カナ) トクマス,タカシ
標題(和) 二原子分子衝突モデルの構築
標題(洋)
報告番号 113351
報告番号 甲13351
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4069号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 教授 松為,宏幸
 東京大学 教授 小林,敏雄
 東京大学 教授 久保田,弘敏
 東京大学 教授 西尾,茂文
 東京大学 助教授 丸山,茂夫
内容要旨

 近年,再突入時の宇宙往還機周りの流れ場やプラズマCVDなど極めて非平衡性の強い流れ場の解析が工学的に重要になってきている.また半導体素子の微細加工やマイクロマシンなど近年の機器の小型化により,微小な領域での流動現象の理解がますます求められている.これらの流れ場における現象を明らかにするにはその流れ場を原子,分子の運動として捉えた手法が必要であるが,その流れ場を構成するすべての粒子を分子運動論的に解析することは現在の計算機の性能では不可能であり,マクロな領域は直接シミュレーションモンテカルロ法等で解くことになる.このような場合,分子の衝突過程についてはメゾスケールのモデルが使われることになる.

 現在のところ二原子分子気体の流れ場を解析するメゾスケールのモデルとしては衝突断面積のモデルとしてVariable Hard Sphere(VHS)モデル,Variable Soft Sphere(VSS)モデルが,エネルギー交換のモデルとしてLarsen-Borgnakke(LB)モデルが最もよく用いられている.しかしながらVHSモデル,VSSモデルは輸送係数を単原子分子の分子運動論を用いて記述できるように構築されているため,二原子分子気体の解析に適用することは不適切であると考えられる.またLBモデルは局所平衡を仮定して導出されているため,これらのモデルを用いて局所平衡等を仮定できない衝撃波等の流れ場を解析することには疑問が残るところである.またこのモデルは緩和速度を調整するために任意パラメータ(非弾性衝突確率)を用いており,計算の際には流れ場に対して妥当なパラメータを設定しなければならない.よってこれらの流れ場を解析するモデルとしてはやはり二原子分子の分子運動論と分子の衝突力学に基づく衝突モデルを構築する必要があると考えられる.

 先ほども述べたように,現在の計算機の性能では流れ場を構成するすべての粒子を分子運動論的に解析することは不可能であるが,個々の分子の衝突過程を分子運動論的に解析し,その結果を用いて合理的な分子衝突のモデルを構築すれば,このモデルは局所平衡等の統計論的な仮定を用いていない,分子の衝突力学に基礎を置いたモデルであるため,これを用いることにより極めて非平衡性の強い流れを妥当に解析することが可能になると考えられる.

 このような観点から,本論文では分子の衝突力学に基礎を置いた二原子分子衝突モデルを構築することを目的とする.具体的には分子動力学法を用いて様々な条件における二原子分子の二体衝突をシミュレーションし,分子衝突時の分子の状態変化の過程を詳細に解析する.そしてこれらの知見により分子衝突時の状態変化に影響を及ぼす因子を特定し,その特性値を用いて非平衡な流れ場にも適用可能な二原子分子衝突モデルを構築する.この衝突モデルは衝突断面積モデルとエネルギー交換モデルの2つに大別できる.最後にこのモデルの妥当性を検証するため,平衡状態におけるエネルギー分布や輸送特性,一次元垂直衝撃波波面内の密度・回転温度分布を計算し,得られた結果と理論値や実験値との比較を行う.なお,衝突分子としてはN2を用いている.

 まず,分子動力学法を用いて様々な条件における分子衝突計算を行った(図1).ここでは衝突分子を窒素分子と仮定し,その分子を振動運動や解離を無視した剛体回転子として取り扱った.分子間ポテンシャルはその分子を構成する原子間に働くポテンシャルの和として表し,その原子間ポテンシャルは以下に示すLennard-Jones(12-6)ポテンシャルを用いた.

 

 またこのポテンシャルパラメータは分子軌道計算によって得られたN2-N2ポテンシャルとの比較により求めた.これによりポテンシャルパラメータはa=3.17×10-10[m],a=6.52×10-22[J]と与えられた.この二原子分子のポテンシャルは単原子分子のそれに比べてポテンシャル井戸が深いこと,単原子分子のポテンシャルは主に距離が遠い部分での二原子分子のポテンシャルに一致していることが確認された.このポテンシャルは粘性係数や熱伝導率の温度依存性を誤差数%の範囲で再現できることが示された.

 二原子分子である気体分子の運動は,重心の並進と重心回りの回転に分けて考えた.並進運動はニュートンの運動方程式に従い,加速度は固体原子から気体の各原子に働く力の和より計算した.回転運動は分子座標系を用いて記述し,空間座標系における分子の配向の計算にはEuler角に代わって4元数を用いて行った.時間積分はベルレ法の一つの形式であるかえる跳び法により,時間刻み0.1[fsec]で行った.初期状態として2つの分子を分子の進行方向と同方向に3[a],分子の進行方向と垂直方向に分子の衝突係数b[a]だけ離したところに配置し,分子に初期相対並進エネルギーetrから誘導される相対並進速度と回転エネルギーer1,er2から誘導される角速度1,2を与えた.計算は分子が再び十分離れるまで計算を行い,計算終了後の分子の相対並進速度と角速度1,2を記録した.この計算をある初期相対並進エネルギーetr,回転エネルギーer1,er2において分子の初期位相と角速度ベクトルの方向,衝突係数をランダムに変化させて全部で10000回の計算を行い,これらの計算を分子の初期相対並進エネルギーetr,回転エネルギーer1,er2の組み合わせを変えて全部で858通りの計算を行った.そして得られた膨大な計算結果を解析した.

Fig.1:分子衝突計算概略図

 まず,個々の分子衝突に対する各パラメータの影響について解析を行った.その結果,分子の衝突後のエネルギーは同一の初期エネルギー,衝突係数でも分子の初期位相,角速度ベクトルの方向によって大きく,複雑に変化することが確認された.そこで角速度ベクトルの方向や初期位相をランダムにふって衝突後の分子のエネルギー交換率を調べたところ,衝突係数が小さい間は分子のエネルギー交換率は同一の衝突係数でも分子の初期位相や角速度ベクトルの方向に応じて様々な値を取るが,ある衝突係数を境に急激に減少し,それ以上の衝突係数で衝突した分子は初期位相や角速度ベクトルの方向に関係なくほとんどエネルギー交換を起こさないことが確認された.

 この衝突係数以下の衝突係数で衝突した分子のデータだけを整理した結果,衝突後のエネルギー分布は衝突前のエネルギをピークとして持ち,広範囲にわたった指数関数型の分布となることが示された.また回転エネルギーの分布は回転ベクトルの方向を考慮するとより指数関数型の分布に近くなることが確認された.また二原子分子の散乱角は同一の衝突係数でも分子の初期位相や角速度ベクトルの方向によって様々に変化するが,その分布はほぼ窒素分子を単原子分子と考えたときのポテンシャルによる散乱角のまわりに分布しており,その-側の散乱は二原子分子のポテンシャルのほうが大きいことが示された.

 このシミュレーションの結果と二原子分子気体の粘性係数の分子運動論的表記から衝突断面積モデルを構築した.また非弾性衝突断面積を定義して計算の効率化を図った.これらの衝突断面積は並進エネルギーの増加とともに減少していること,並進エネルギーだけではなく回転エネルギーの変化によってもその値が変化することが確認された.また衝突断面積の回転エネルギーに対する依存性は並進エネルギーが小さい場合に特に顕著であることが確認された.またエネルギー交換モデルは指数関数型とし,モデル関数のパラメータはモデル関数の確率,分散値がMD計算の値と等しくなるように決定した.このモデル関数は初期相対並進エネルギーetr,回転エネルギーer1,er2のみの関数とし,実際のDSMC計算では特性値をテーブル化して用いた.

 この衝突モデルの妥当性を検証した結果,本モデルはT=300[K]平衡状態のエネルギー分布の理論値を精度よく再現できるが,温度が低い部分(T=10[K]),高い部分(T=700[K])については若干の計算誤差が発生することが示された.また緩和速度の計算を行ったところ,本モデルはT=300[K],400[K]における緩和速度について衝突の部分にモデルを用いない計算結果と同様の値を再現できることが確認された.さらに本モデルはT=300〜500[K]程度の粘性係数の温度依存性を精度よく再現できること,熱伝導率については数%の違いがあるものの,その温度依存性の傾向をよく表せることが示された.最後に本モデルを用いて一次元垂直衝撃波の計算を行った結果,本モデルは一次元垂直衝撃波波面内での密度,回転温度の分布を広範囲のマッハ数にわたって精度よく再現できることが示された.また従来のモデル(LB-VHSモデル)と比較してもより正確に衝撃波波面内の密度,回転温度分布を再現できていることが確認された.これらの結果から,利用できる温度範囲に制約があるが,本研究で提案した二原子分子衝突モデルは二原子分子の衝突を適切に計算し得ることが示された.

審査要旨

 本論文は内部自由度として回転運動を持つ二原子分子の衝突をMD法を用いてシミュレートし,分子衝突時の特性値の中でマクロな量に影響を及ぼす因子を特定し,その特性値を用いてDSMC計算において必要な衝突断面積とエネルギー交換モデルを構築することを目的としている.

 多原子分子の衝突過程は非常に複雑である.よってその最も簡単な二原子分子でさえも,その内部自由度間のエネルギー移動を力学的に厳密に解析することは,その自由度の多さから現時点では成功を見ていない.よってDSMC計算で用いる二原子分子の衝突モデルに関しては局所平衡などを仮定した現象論的な立場から構築されているものが主流を占めている.しかし衝撃波や自由噴流など局所平衡が仮定できない流れ場を解析する際にはこのような局所平衡を仮定したモデルを用いることには疑問が残り,やはり分子の衝突力学に基づいた分子衝突モデルを用いる必要があると考えられる.

 以上の理由から,本論文では分子衝突時の状態変化を力学的に解析するために二原子分子の衝突を数値的に再現し,得られた膨大なデータに対してその特性を最もよく表現できるように二原子分子衝突モデルを構築している.数値計算においては分子を剛体回転子とみなし,ニュートンの運動方程式を解くことにより分子衝突を再現している.最後にこのモデルの妥当性を検証するためにこのモデルを用いて様々な流れ場を計算し,計算結果と実験値や理論値との比較を行っている.

 本論文は全6章から構築されている.

 第1章は「序論」であり,研究の目的,関連する研究の概要について述べられている.

 第2章は「MD法による分子衝突計算」であり,二原子分子の衝突を分子動力学法を用いて計算する際に用いた仮定や分子間ポテンシャルの決定法,基礎方程式等について述べられている.分子間ポテンシャルはその分子を構成する2つの原子間に働くポテンシャル力の和より決定するとし,そのポテンシャルパラメータは量子力学的に求められたポテンシャルとの比較により求められている.

 第3章は「分子衝突計算結果の解析」であり,上記手法を用いて計算した膨大な分子衝突計算結果を,主にエネルギー変化の様子,衝突時のエネルギー分布,散乱角分布に着目して整理,解析している.ここでは分子衝突時のエネルギー交換は同一のエネルギー状態であっても分子の初期位相や角速度ベクトルの方向,衝突係数によって様々に変化することや,衝突後のエネルギー分布が指数関数型の分布になること等が示されている.またこれらの分布の特性値がマクロな流れ場のどのような部分に影響を及ぼすのかについても解析を行っている.最後にポテンシャルの妥当性についても述べられており,第2章で用いたポテンシャルは元のポテンシャルと同等のエネルギー分布を計算できることが示されている.また振動運動を無視したことによる影響がどの程度であるかを,第2章で述べられた計算手法による結果を振動運動を量子力学的に考慮して計算された結果と比較することにより見積もっている.

 第4章は「二原子分子衝突モデルの構築」と題され,本論文の最も主要な部分である.ここではDSMC法に用いる分子衝突計算に用いる衝突断面積モデルとエネルギー交換モデルを,第3章で得られた分布形状から流れ場のマクロな量に影響を及ぼす因子を保存させることに着目して構築している.ここでは衝突断面積モデルを粘性係数の分子運動論的表記と第3章で述べた分子衝突の計算結果から導出している.またエネルギー交換モデルには指数関数型分布を用い,そのパラメータはこのモデル関数の確率と分散値が分子動力学法による計算結果と一致するように求められている.またこの特性値をDSMC法で用いるためのテーブルの構築方法やその補間法についても述べられている.

 第5章は「二原子分子衝突モデルの検証」であり,本研究で構築された衝突モデルが流れ場のマクロな量をどの程度再現できるかを検証している.ここで構築されたモデルは平衡状態での並進エネルギー及び回転エネルギーの分布や,二原子分子の輸送係数を正確に計算できること,局所平衡等が仮定できない衝撃波内部の密度分布や回転温度分布を,広いマッハ数にわたって任意パラメータを用いること無しに正確に計算できていることが示されている.

 そして第6章が「結論」である.

 これらを総合し,分子衝突時のエネルギー交換についての分子運動論的評価が与えられるとともに,それをマクロな流れ場の計算に適用する方法が示された.

 本論文のように分子の衝突を力学的に取り扱ってその特性値を求め,その特性値を用いてモデルを構築した例は少なく,そのため衝撃波内部の流れ場などでチューニングパラメータを用いずに実験値を再現することが困難であった.本研究はこのような非平衡領域の計算においてもチューニングパラメータを用いずに実験結果を正確に再現できる点に関して特に優れている.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54005