学位論文要旨



No 113365
著者(漢字) 李,永雨
著者(英字)
著者(カナ) リ,ヨンウ
標題(和) 帆走艇セール設計へのCFDシミュレーションの応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 113365
報告番号 甲13365
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4083号
研究科 工学系研究科
専攻 船舶海洋工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮田,秀明
 東京大学 教授 加藤,洋治
 東京大学 教授 藤野,正隆
 東京大学 助教授 山口,一
 東京大学 助教授 佐藤,徹
内容要旨

 帆走艇セールの技術開発は素材、設計法、製作法の3つの部分がそれぞれ相関をもって発展させられなくてはならない。最も最近開発されたセールは、ケブラー或はカーボン繊維の層と、プラスチックフィルムを層状に張り合わせたラミネートセールである。素材と製作法において大きな進歩があったと言える。セールの設計法に対しては、経験的な知識が尊重される一方でいくつかの数値計算法が採用されてきた。市販ソフトに極く定性的な性能予測を可能にするものもあるが、本格的なセール特性解析法に関する研究としては、揚力面理論や渦格子法によったものがいくつか存在する。しかし、一方では、このような粘性を考慮しない空気力学的解析法に限界があることも事実である。風上帆走用のジブセールやメインセールでは風上側先端部や風下側の広い範囲において流れが剥離することも多く、また二翼間の干渉に粘性効果も予想される。特に、二翼が存在する場合には幾何学的な形状も大変複雑であり、境界層と流れの剥離、翼端渦も大変複雑なパターンを示す。従って、粘性を考慮したナビエ・ストークス式に基づいた解析法が開発されることが期待されてきた。

 本研究はこのような背景で開発された、粘性流体でのセールの空力特性の数値解析法と形状作成法及び性能評価法を結合させることによって構成されたセールの設計法に関する研究である。アメリカズ・カップ級を始めとする多くのレース艇で用いられるフラックショナル・スループリグ(Fractional sloop rig)を対象とし、その複雑な形状を簡便に処理できる接合格子法と変形を伴うセールの特性解析が可能な移動格子法を導入して構成したものである。本論文では構造応答を取り入れない計算とし、最終的な最適形状を求める設計作業に使えるものとして開発した。

 帆走艇セールの空力特性を解析する手段として、本研究では非圧縮性粘性流体におけるNavier-Stokes方程式を数値計算によりシミュレーションする。使用する計算コード、WISDAM-Vは、流体の支配方程式を有限体積法によって離散化し、MAC(Marker and Cell)法のアルゴリズムにより時間発展的に解くものである。計算法の特徴としては、移動・変形するセールの数値解析に対応できる移動格子法を用いている。スキームとしては、移流項の差分には3次精度上流差分を、拡散項には2次精度中心差分を用いている。圧力解法は、一般曲線座標系で差分展開されたポアソン方程式をSOR(Succesive Over Relaxation Method)法を用いて解いている。

 本研究の対象であるフラックショナル・スループリグは二枚の翼で構成されている形状で、二翼がオーバーラップする部分があり、そこでの二翼間の空間が非常に狭く、しかも上下方向にも高さの差、オーバラップの変化があるため、単一格子で全体を歪まないように構成させるのは非常に難しい。特に、セールは柔軟な弾性体であるため、帆走状態に応じて形状が大幅に変化する。帆走艇セールの性能解析はいろいろな帆走状態で行わなくてはならないため、様々な形状に対応できるような格子生成法が必要である。即ち、ジブセール・メインセールのオーバーラップ部が変化したり、船体のセンターラインとなすセールの角度が変わっても簡単に対応できるようにする必要がある。

 そのために、本研究ではH-Hタイプの3次元境界適合格子を用い、格子生成を簡単に行っている。本論文の第3章で説明する接合格子法を用いることによってトリミングを行う場合の変形するセールの動的特性の計算も問題なく簡便に適用できることを確認した。又、この格子法による保存性の検討として、単一格子での計算結果と比較して保存性の満足度を確認した。

 数値計算の精度は数値解析のアルゴリズム、格子間隔と用いられた乱流モデルに依存する。特に剥離を伴う翼の挙動と特性を十分に理解するのは翼の設計上非常に重要なことである。従って、本論文の第4章では、帆走艇セールの3次元剥離現象が実用的な規模の計算労力で再現できるように、代表的な乱流モデルの効果を検討した。使われた乱流モデルは翼の数値計算に広く使われているBLモデル、JKモデルとLESに用いられるSGSモデル、そして本研究で提案した新モデルの二層SGSモデルである。

 検討した結果として、平衡モデルと非平衡モデルの境界層と剥離の再現における特徴を考察し、各乱流モデルによる数値解の安定性と信頼性が確認された。帆走艇セールの設計用の性能解析プログラムにはBLモデルが最もふさわしいことが判った。更に、本研究で提案した簡便な新モデルは乱流応力の輸送方程式を解かなくてはならない非平衡モデルの結果とほぼ近い結果を示すことを確認し、計算労力の面で、長所を持つことが判った。

 本計算法の精度の検討として、第5章で水槽実験との比較及び今までのセール設計法の主流であった渦格子法との比較を行った。比較した結果として、本計算法による結果は、実験結果と定量的には全体的に約8割程度であるが、セールの特性を良く表現しているのが確認された。渦格子法による結果は、見かけ風向角20°までは全体的に約1割程度大きく、20°以上では失速現象による剥離した流場が評価できていないことが判った。

 二翼干渉を受けるジブセールは単独状態より、横力係数が実験では2倍、本計算法では1.8倍大きくなる同じ傾向であることが示された。同様に、メインセールの場合でも、実験での横力係数は0.88倍、本計算法では0.77倍小さくなる同じ傾向であることが示された。二翼干渉を受けるジブセールは流体力が増加し、メインセールは流体力が若干減少する傾向であることが判った。

 第6章で、本研究で行っている設計法のプロシージャーを形状決定法、解析法、評価法、帆走艇全体との関係に大別して説明した。

 初期形状設計法としては、セールの形状を決定する六つの形状決定パラメータを用いて数式セール形状を作成し、実際帆走状態での展開形状を弾性解析用有限要素法ソフトを用いて決定してから、CADソフトでフェアリングを行う方法を用いる。この方法によって、実際の帆走状態でのセールの形状設計に、より近づけることになる。

 セールの性能解析プログラムに入力される最終的なセール形状が決定されると、性能解析を行い、性能評価法を用いてそのセールの特性データを作る。帆走艇の性能は各構成要素間の流体力とモーメントの釣り合い状態で決められる。しかし、そのバランスは非定常的であるため、一律的に決定される問題にもならない。特に、実帆走状態でのセールは風、帆走条件、人間によって常に制御され、表面の圧力分布と張力がバランスする平衡状態で形状が決定されるフレキシブル翼である。このような理由で、セールの優劣関係の評価は非常に難しい問題になる。従って、セールの優劣関係の判断は与えられた一つの条件下で決められるものではなく、広い範囲における性能の優劣と帆走艇全体の性能との関係を判断しなくてはならない。評価関数や目的関数が一律的に決らないため、一般的に行われている最適化手法の応用は問題点が多い。設計者とセーラにより人為的に決定する部分が多い問題である。

 本研究ではセールの性能評価法として、性能評価の計算を三つの段階に分けて行うこととする。セールの形状決定パラメータを二つに大別し、第1段階はプロファイルを決定するコード長と高さを最適化するサイクルで、第2段階は高さ方向の各断面での2次元的な翼の形状を決定するドラフト、最大ドラフト位置、ねじれ角、前縁での入射角、後縁での流出角を最適化するサイクルである。それから、最終段階として広い範囲における性能の評価を行う目的で、決定されたセールの風速・風向角の変化に対する計算と性能評価を行う。得られた空力特性の結果を揚抗比、推力と横力の関係、推力とヒールモーメントの関係、そして風圧中心点の変化の評価項目で整理、データベース化する。

 上記のような方法を用いて任意のセールの特性データが完成されると、設計法の最終段階の帆走艇全体との関係から任意の帆走状態での帆走艇の姿勢と力のバランスが決り、上記のような評価項目によってどのセールがより少ない適切なヨーモーメント及び少ないヒールモーメントで、より大きな推力を得るかという判断基準が構築されるようになる。

 セール設計への応用を目的として第7章では、セールの特性評価の最初段階であるプロファイルの変形による性能への影響を本数値計算法を用いて解析した。セールのプロファイルを決定する形状決定パラメータである高さとコード長、及びローチの値を変化させて得られた8種類の形状の性能評価を行い、性能評価の項目別に整理した。

 帆走艇全体の性能との関係を評価する時、評価項目別に整理した結果で帆走艇全体のバランス関係が分かり、その評価の結果が設計に反映できる可能性を示した。即ち、同じ横力、或は同じヒールモーメントにおいて、より大きな推力を生み出すセールを選ぶことができるようになる。

 セールのドラフト及びツイスト角の変形はセール周りの流場特性を簡単に変化させるパラメータであるため第8章では、ドラフト・ツイスト角の変形による流場特性の変化及び空力特性の変化を解析・評価した。

 解析した結果として限界流線とセール両面の圧力差の変化を示した。限界流線での特徴としては、標準メインセールよりドラフトとツイスト角が大きいメインセールの風上側の上層部での剥離が大きく収まっているのが判った。解析結果を考察すると、ジブセールの変形によるメインセールへの干渉影響は小さく、メインセールの変形によるジブセールへの干渉影響は大きいことが判った。従って、実際のレースで、帆走コースや帆走状況の変化に伴ってセールのトリミングを行う場合には、ジブセールのトリミングよりメインセールのトリミングによる影響は非常に重要なことであると考えられる。

 第9章ではセールの性能評価法の最終段階の風向角変化による性能への影響を考察した。風や帆走条件が変化すると、セール形状も人為的に、自然的に変形される。風向角が連続的に変化し、これに伴って物体形状も変化する問題であるため、数値実験を行う本計算法に移動格子法を導入することによって、風向角変化による性能変化のCFDシミュレーションを可能にした。実際の帆走状態で展開されたセールの形状は、形状決定法で説明した有限要素法ソフトを用いて決定した。

 解析・評価された結果でポーラーカーブを書くことができた。即ち、帆走艇の性能予測プログラムであるPPSにこのポーラーカーブが用いられ、帆走艇の性能及びセールの性能に対する最終データが得られる可能性を示した。

 第10章で本研究を通して得られたセールの空力特性及び設計法の流れをまとめた。

 1.接合格子法を用いることによって、二枚の翼で構成される帆走艇セールの複雑な形状に対するCFDシミュレーション用の格子生成が簡単に行えるようになった。接合格子法を用いることによってトリミングを行う場合の変形するセールの動的特性の計算も問題なく簡便に適用できることを確認した。

 2.帆走艇セールの3次元剥離現象が実用的な規模の計算労力で再現できるようにした。シミュレーションによる剥離の構造が、実験との比較によって正しいことが確認された。

 3.セール周りの流場の特性として、ジブセールの上端から発生した翼端渦はメインセールとの干渉によって3次元剥離渦となることが観察された。従って、セール周りでの3次元渦は翼端渦だけでなく、3次元剥離渦も生成されるのを発見した。単独翼の性能と二翼による性能は流れの干渉、剥離などの複雑なメカニズムによって構成されており、粘性を考慮した解析法によってそれらが明らかになった。

 4.帆走艇セールの設計ルーチンを作成した。セールは帆走状態、風、人間によって制御され、表面の圧力分布と張力がバランスする平衡状態で形状が決定されるフレキシブル翼である。セールの最適形状を決定するため、一つの特定帆走状態での優れた形状を探索する方法では問題が多いので、広い範囲においての空力特性を評価し、帆走艇全体との流体力とモーメントの釣り合い状態を決めることによって優劣関係を判断しなくてはならない。そのため、本研究で提案している設計法と性能評価法は帆走艇セールの設計に最もふさわしいものであると考えられる。

 5.本研究で開発した数値計算法を用い、セールの性能評価法に応用し、本計算法の有用性を示した。具体的には、セールの初期形状の変化による空力特性の変化を考察し、各形状決定パラメータが空力特性に及ぼす影響を明らかにした。

審査要旨

 本論文は、粘性流体でのセールの空力特性の数値解析法と形状作成法及び性能評価法を結合させることによって構成されたセールの設計法に関する研究である。アメリカズ・カップ級を始めとする多くのレース艇で用いられるフラックショナル・スループリグ(Fractional sloop rig)を対象とし、その複雑な形状を簡便に計算用格子に再構成できる接合格子法と変形を伴うセールの特性解析が可能な移動格子法を導入して構成したものである。本論文では構造応答を取り入れない計算とし、最終的な最適形状を求める設計作業に使えるものとして開発されている。

 第2章では帆走艇セールの空力特性を解析する手段としての非圧縮性粘性流体におけるナビエ・ストークス方程式の数値シミュレーション法を説明している。使用する計算コード、WISDAM-Vは、流体の支配方程式を有限体積法によって離散化し、MAC(Marker and Cell)法のアルゴリズムにより時間発展的に解くものである。計算法の特徴としては、移動・変形するセールの数値解析に対応できる移動格子法を用いている。スキームとしては、移流項の差分には3次精度上流差分を、拡散項には2次精度中心差分を用いている。圧力解法は、一般曲線座標系で差分展開されたポアソン方程式をSOR(Succesive Over Relaxation Method)法を用いて解いている。

 本研究の対象であるフラックショナル・スループリグは二枚の翼で構成されている形状で、二翼がオーバーラップする部分があり、そこでの二翼間の空間が非常に狭く、しかも上下方向にも高さの差、オーバーラップの変化があるため、単一格子で全体を歪まないように構成させるのは非常に難しい。特に、セールは柔軟な弾性体であるため、帆走状態に応じて形状が大幅に変化する。帆走艇セールの性能解析はいろいろな帆走状態で行わなくてはならないため、様々な形状に対応できるような格子生成法が必要である。即ち、ジブセール・メインセールのオーバーラップ部が変化したり、船体のセンターラインとなすセールのツイスト角が変わっても簡単に対応できるようにする必要がある。

 そのために、本研究ではH-Hタイプの3次元境界適合格子を用い、格子生成を簡単に行っている。本論文の第3章で説明する接合格子法を用いることによって、トリミングを行う場合の変形するセールの動的特性の計算も問題なく簡便に適用できることを確認している。

 本論文の第4章では、帆走艇セールの3次元剥離現象が実用的な規模の計算労力で再現できるように、代表的な乱流モデルの効果を検討した。使われた乱流モデルは翼の数値計算に広く使われているBaldwin-Lomaxモデル、Johnson-KingモデルとLarge-Eddy Simulationに用いられるSub Grid Scaleモデル、そして本研究で提案した新モデルの二層SGSモデルである。結果として、平衡モデルと非平衡モデルの境界層と剥離の再現における特徴を考察し、各乱流モデルによる数値解の安定性と信頼性が確認され、結局、帆走艇セールの設計用の性能解析プログラムにはBLモデルが最もふさわしいことが判っている。

 第5章で水槽実験との比較及び今までのセール設計法の主流であった渦格子法との比較を行っている。比較した結果として、本計算法による結果は、セールの特性を良く表現しているのが確認されている。また、渦格子法による結果は、見かけ風向角20°までは全体的に約1割程度大きく、20°以上では失速現象による剥離した流場が評価できていないことが判っている。

 第6章では、本研究で行っている設計法のプロシージャーを形状決定法、性能解析法、性能評価法、帆走艇全体との関係に大別して説明している。初期形状設計法としては、セールの形状を決定する六つの形状決定パラメータを用いて数式セール形状を作成し、実際帆走状態での展開形状を弾性解析用有限要素法ソフトを用いて決定してから、CADソフトでフェアリングを行う方法を用いる。この方法によって、実際の帆走状態でのセールの形状設計により近づけている。

 このような方法を用いて任意のセールの特性データが完成され、設計法の最終段階の帆走艇全体との関係から任意の帆走状態での帆走艇の姿勢と力のバランスが決り、評価項目によってどのセールがより少ない適切なヨーモーメント及び少ないヒールモーメントで、より大きな推力を得るかという判断基準が構築されるようになる。

 第7章では、セールの特性評価の最初段階であるプロファイルの変形による性能への影響を本数値計算法を用いて解析している。セールのプロファイルを決定する形状決定パラメータである高さとコード長、及びローチの値を変化させて得られた8種類の形状の性能評価を行い、性能評価の項目別に整理している。帆走艇全体の性能との関係を評価する時、評価項目別に整理した結果で帆走艇全体のバランス関係が分かり、その評価の結果が設計に反映できる可能性を示した。即ち、同じ横力、或は同じヒールモーメントにおいて、より大きな推力を生み出すセールを選ぶことができることを示した。

 第8章では、ドラフト・ツイスト角の変形による流場特性の変化及び空力特性の変化を解析・評価している。解析結果を考察すると、ジブセールの変形によるメインセールへの干渉影響は小さく、メインセールの変形によるジブセールへの干渉影響は大きいことが判った。従って、実際のレースで、帆走コースや帆走状況の変化に伴ってセールのトリミングを行う場合には、ジブセールのトリミングよりメインセールのトリミングによる影響は非常に重要なことであることが示されている。

 第9章ではセールの性能評価法の最終段階の風向角変化による性能への影響を考察している。風や帆走条件が変化すると、セール形状も人為的に、または、自然的に変形される。風向角が連続的に変化し、これに伴って物体形状も変化する問題であるため、数値実験を行う本計算法に移動格子法を導入することによって、風向角変化による性能変化のCFDシミュレーションを可能にした。流場の情報を見ながら、トリミングや製作上の問題点を指摘することができるようになった。

 第10章で本研究を通して得られたセールの空力特性及び設計法の応用をまとめている。

 このように、本論文は帆走艇セールの性能評価と設計のための新しい数値シミュレーションを構築し、その有効性を明らかにしたものである。これらはすべて、全く新しい技術の開発である。よって本論文は工学博士の学位に相当するものと認められる。

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