学位論文要旨



No 113371
著者(漢字) 西山,和孝
著者(英字)
著者(カナ) ニシヤマ,カズタカ
標題(和) 電子サイクロトロン共鳴型イオンスラスターの放電プラズマ
標題(洋)
報告番号 113371
報告番号 甲13371
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4089号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 荒川,義博
 東京大学 教授 安部,隆士
 東京大学 教授 河野,通方
 東京大学 教授 棚次,亘弘
 東京大学 助教授 吉田,善章
内容要旨

 イオンスラスター(イオンエンジンともいう)は電気推進ロケットの一種で、推進剤を静電的に加速して高速で噴射する。太陽電池から供給される電力で推進剤であるXe(キセノン)ガスなどの希ガスをプラズマ化し、2枚ないし3枚の加速電極が作り出す静電場によってイオンを抽出・加速する。またこれと同時に、イオンスラスターが負電荷だけを持たないようにするため、中和器と呼ばれるプラズマ源から同数の電子を放出する。発生推力は数十から数百mNと、きわめて小さいが、比推力は化学ロケットより一桁大きく2000〜5000秒である。比推力の小さい範囲においては比較的低推力の推進機として、衛星の姿勢制御や軌道保持のためのいわゆる二次推進装置に適している。またビーム電圧を上げて高比推力作動にすれば、長期作動ミッションの主推進に適したものになる。

 イオンスラスターの一種である電子サイクロトロン共鳴(Electron Cyclotron Resonance:ECR)型イオンスラスターは、従来の直流放電によりプラズマを生成する方式と異なり、放電用電極を必要としないことによるスラスターの長寿命化と構造の簡略化が期待できる。ECR型イオンスラスター図1に示すように1.主放電室、2.加速電極、3.中和器により構成されるが、中和器のプラズマも主放電室と同様マイクロ波で生成されるのが特徴であり、合計7個の電源を必要とする直流放電型に比べて電源個数が3個に減少することによって制御ロジックが簡単になる。このような利点を持つものの、現在のところ推進効率(=単位投入電力当たりの排気パワー)が直流放電型に及ばないという課題が残っている。

図1 電子サイクロトロン共鳴型イオンスラスターの構成

 そこで本研究では、ECR型イオンスラスターの放電室内部の放電現象の詳細を調べ、プラズマの状態がスラスターの性能に及ぼす影響を考察し、性能改善への指針を実験的に得ることを目的とし、以下のような研究を行った。

 まずはじめに、300W級イオンスラスターを模擬し、なおかつ放電室内部のプラズマの測定が容易なECRイオン源を新規に設計した。通常のイオンスラスターは軸対称の円筒形をしているため、放電室内部の分光測定は困難である。本研究で用いたECRイオン源(図2参照)は軟鉄の板を箱形に組んだ構造をしており、ECRが行われていると予想されるカスプ磁場領域の光学測定用に長方形の観測窓を備えている。

図 2イオン源の下半分の断面図と磁束密度分布

 イオン源の推進効率は単位イオンビーム電流を作り出すのに消費した放電電力であるイオン生成コストCiと、単位推進剤流量(電流値に換算)当たりのイオンビーム電流値である推進剤利用効率とを合わせて評価される。Ciは小さい程よく、uは大きい程よい。性能改善の方向を探るため、このイオン源でECRと直流の2種類の放電を行い、それぞれの性能特性(Ci-u曲線)を取得した(図3参照)。現状では直流放電のほうが、イオン生成コスト、推進剤利用効率ともに優れていることが分かった。

図3 ECR放電と直流放電の性能曲線(イオン生成コストと推進剤利用効率)

 次に観測窓からのプラズマ自然放出光を透過帯域幅3nmの液晶チューナブルフィルターを通して観測した。図4はECR放電と直流放電の発光分布の比較を行ったものである。直流放電では、磁場は単にイオンの拡散を防ぐために働くので、放電室中央から拡散してきたイオンが磁力線の吸い込み部分(カスプ)のみに存在するのに対し、ECR放電では磁場がプラズマ生成に寄与しており、ECR領域を通過する磁力線のうち磁石に近い磁力線上にイオンが多く存在することが分かる。また、ECR放電でマイクロ波電力を増大させたときに、発光領域の高輝度ピークが放電室中央部に移行する現象が見られた(図5参照)。

図4 ECRプラズマ(左)と直流放電プラズマ(右)のArll(476.5nm)の発光分布圧力0.5mTorr、放電電力50W図5 ECRプラズマのArll(476.5nm)の発光分布の電力による変化圧力0.5mTorr、マイクロ波電力10W(左)、50W(右)

 複数の原子・イオンスペクトル線の発光分布を比較することで、電子のエネルギー分布の空間分布について考察した結果、発光領域の高輝度部分が弱磁場側に移動する場合も含めて、常に強磁場側のECR磁場に近い磁力線上でのほうが電子温度が高いことが分かった。このことから、高輝度部分の移動は高エネルギー電子の密度が高い領域が移動していることを意味するといえる。後述する静電探針測定から求めた電子密度と合わせて考えると、高域混成波共鳴(Upper Hybrid Resonance)が起こることでECR磁場よりも弱い磁場でも電子加熱とプラズマ生成が起こっていると説明できる。

 次にラングミュアプローブ、エミッシブプローブ、マイクロ波プローブを用いて、放電室のほぼ全域で電子温度Te、電子密度ne、マイクロ波電界強度Eなどの2次元分布を得た。代表的な結果として図6に電子温度分布の一例を示す。発光分布から予想されるとおり、ECR領域付近での電子の加熱状況が読み取れる。電子温度の分布状況は放電条件によりほとんど変化せず、その大きさのみが電力に応じて増減する。一方、電子密度分布は電力、または圧力の増大にともなって放電室中央へ分布を広げていくことが分かった。これらの結果は先に述べた発光分布から得た結果と一致する。マイクロ波の電界強度はECR領域において2kV/m程度であり、プラズマ点火時においても、プラズマの存在しない大気中での測定結果同様、放電室内で定在波が存在することが分かった。

図6 電子温度分布圧力0.3mTorr、マイクロ波電力50W

 プローブによる測定によると、ECR放電では高密度、高電子温度領域が磁石に近い場所に存在していた。これは、磁石表面や放電室壁面へのイオンの損失が多くなることを示唆している。そこで、イオン損失量の磁石上での分布を磁石表面に固定した分割電極を用いて調べた。その結果、ECR放電はイオン損失分布の広がり、トータルの損失電流ともに、直流放電の2倍程度であることが分かった。この実験結果を用いて、壁面損失イオンの全生成イオンに対する割合であるイオン損失率fを計算し、イオン生成コストとの関係をプロットしたものが、図7である。

図7 イオン生成コストとイオン損失率の関係

 図7から、ECR放電でのイオン損失率が直流放電に比べて大きいことが分かる。しかし、ECR放電と直流放電は共通の理論曲線でフィッティングされることから、放電室内の全生成イオンを作り出すのに必要な平均的なエネルギーは両方の放電方式でそれほど違いがないことが分かった。このことから、ECR放電はプラズマの生成能力自体が劣っているわけではなく、生成したプラズマをうまく引き出せていないことが、イオン生成コストを高めているということが明らかになった。このイオン損失率をいかに低減するかがECR放電での推進性能を向上するための鍵となると言える。損失量そのものを減らすことは困難であるが、ビームとして引出す量を最大になるように設計することで損失の割合を低減することは可能である。そこで、ビーム電流の増大をはかるべく、グリッドの位置を従来よりも15mm上流側に移動し、ECR領域に近づけてみた結果、図8に示すように放電圧力が小さいときのイオン生成コストが、従来の放電室に比べて2割程度低減できた。

図8 放電室短縮によるイオン生成コストの低減(マイクロ波電力50W)

 イオン生成コストを決定する要因としては、イオン壁面損失率fのほかに、電離反応に関る高エネルギー電子の閉じ込め時間がある。が小さいということは、電離反応を起こす前に電子が壁面に損失するか、電離反応以外の衝突を起こしてエネルギーを失いやすいことを意味する。イオン生成コストを低減するにはを大きくすることもまた有効である。そこで最後に、磁石表面の電位状態を制御することで、イオン損失の抑制と、電子を反発することによる電子閉じ込めの向上を狙った実験を行った。

 磁石表面の状態は以下の3通りである。

 1.従来通り磁石をプラズマにさらした状態。(GND)

 2.磁石表面を絶縁材のテープで覆う。(INSULATED)

 3.磁石表面を絶縁材のテープで覆いその上に導電性テープをはる。このテープを内部電極とし、様々な電位にバイアスする。(BIASED)

 3列の磁石の表面状態の様々な組み合わせのうち、イオン生成コストの低減効果がみられた代表的な場合を図9に示す。このように放電圧力によって最適な磁石の表面状態が異なっていたが、イオンスラスターの作動領域を越えた高い放電圧力の場合を除いて、イオン生成コストの低減が可能であった。

図9 内部電極のバイアス、磁石表面の絶縁によるイオン生成コストの低減(マイクロ波電力50W)

 イオンコスト低減に内部電極のバイアスは有効であるものの、ECR型イオンスラスターの利点である電源数の低減による簡単化に反する。これに対し磁石表面の絶縁方式は、比較的簡単に実現できる。加速電極の配置と穴の設計の最適化などを同時に行うことで10%以上の推進性能の向上が見込めるだろう。

 以上のように本研究では、ECR型イオンスラスターの放電室内部のECRプラズマの特性を実験的に明らかにし、プラズマの分布状態がイオン生成コストに代表される推進性能に与える影響を調べた。これらの結果を踏まえて放電室の改良を行った結果、イオン生成コストの低減に成功し推進性能改善の指針が得られた。

審査要旨

 修士(工学)西山和孝提出の論文は「電子サイクロトロン共鳴型イオンスラスターの放電プラズマ」と題し,7章と付録よりなっている。

 電子サイクロトロン共鳴(Electron Cyclotron Resonance:ECR)型イオンスラスターは,導波管によって放電室に導入されたマイクロ波によりプラズマを生成し,二枚ないしは三枚の多孔状電極により加速し推力を発生する電気推進機である。従来の直流放電によりプラズマを生成する方式と異なり放電用電極を必要としないため,スラスターの長寿命化と構造の簡略化が期待できる。さらに,中和器のプラズマも主放電室と同様マイクロ波で生成されるため,必要となる電源の種類と数が大幅に減らすことができ,制御ロジックの簡単と信頼性の向上が望める。しかしながら,このような利点を持つ一方で,エネルギー変換効率が直流放電型ほど高くなく,性能改善は今後解決すべき課題となっている。

 提出者は本論文で,ECR型イオンスラスター放電室内部の放電現象を詳細に調べ,放電プラズマの挙動がスラスターの性能に及ぼす影響を考察し,性能改善への指針が実験的に得られたことを述べている。

 第1章は序論であり,本研究の背景,すなわちECR型イオンスラスターの放電プラズマの特性を明らかにすることの必要性を論じ,研究の目的と意義を述べている。

 第2章においては,実験装置および実験方法が説明されている。放電室内部のECRプラズマの測定を容易にするために矩形のECRイオン源を新たに設計・製作し,ECRプラズマの光学的観測を可能にした。さらに,電子密度,電子温度,空間電位等の測定用の各種プローブや,スラスターの性能改善を試みる実験の装置について説明されている。

 第3章は,発光分光によるECRプラズマの診断について述べている。ECR放電では磁場がプラズマ生成に大いに関与しており,ECR領域を通過する磁力線のうち磁石に近い磁力線上にイオンが多く存在することを述べている。また,放電室圧力やマイクロ波電力を増大させたときに,発光領域の高輝度ピークが放電室中央部に移行する傾向があることを指摘している。

 第4章では,各種プローブによるECRプラズマの診断について論じている。この実験では発光分光で測定不能な放電室全域でのプラズマの分布状態を静電プローブによって調べた。放電電力を増大させた場合,電子密度の上昇に限界があり,その値がマイクロ波の周波数で決定されるカットオフ密度で制限されることが明らかになったと述べている。

 第5章では,ECRプラズマの形状と磁場形状に関する考察がなされている。放電室内部のすべての磁力線はECR共鳴層を通過するため,どの磁力線上でプラズマが生成しても不思議はない。しかしながら現実には,磁石間をほぼ最短距離で結ぶ磁力線上にプラズマが集中していることが分光測定とプローブ測定の実験結果から判明している。そこで,提出者は,磁力線ごとにどの程度電子が加熱されうるかを見積もる簡単なモデルを提案し,その結果は実験で得られた結果をうまく説明できるものと指摘した。

 第6章では,本研究で用いられたイオン源のスラスターとしての性能の評価と性能改善の試みについて述べられている。同一イオン源で直流放電を行った場合との性能比較及び発光分布と壁面へのイオン損失量の比較から,ECR型では直流放電型に比べて生成プラズマに占める損失イオンの割合が大きいと指摘している。このイオン損失を低減するための加速電極の位置変更に加えて,壁面への高エネルギー電子損失を低減するための壁面電位制御を行うことで,性能の改善が図れることを実験的に明らかにしている。

 第7章は結論であり,本研究で得られた結果を要約している。

 以上要するに,本論文は電子サイクロトロン共鳴型イオンスラスターの放電プラズマの特性を調べ,推進性能に及ぼす因子を明らかにするとともに性能改善への指針を得たものであり,その成果は宇宙推進工学上貢献するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54008