本論文の目的は、輻射加熱防御試験時の大出力輻射加熱シミュレータとしての燃焼駆動式CO2ガスダイナミックレーザー(Combustion Driven CO2 Gas Dynamic Laser,CD CO2GDL)の流れ場を制御しかつ流れ場及びレーザーの光学的性質を計測することである。 惑星の科学観測の為には探査体を惑星大気中に突入させるのが効果的である。その為、探査本来の目的である通信系、観測系の整備はもちろんのこと、探査体が受ける過酷な空力加熱に耐える熱防御系を設計することが必要である。突入時には、衝撃波離脱距離が短いことから、高温衝撃波から探査体への熱伝達機構は対流(伝導)よりも輻射が卓越する。木星大気突入時の代表的な軌道に対する輻射加熱量は50[kW/cm2]で、その時の対流加熱量の約3倍となる。このようなミッションに対しては、飛行試験を行なうことは難しいので、地上で試験を行なう為のシミュレータを準備し、それを用いて熱防御系の研究開発を行なうことが必要となる。 以上のように、輻射加熱防御系の研究が今後の宇宙開発に必須であることに鑑み、東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻では、輻射加熱シミュレータとしてCO2GDLの研究を行なっている。 燃焼駆動式CO2GDLは、高速空気力学、高温気体力学、燃焼学、熱流体工学、光物理学、量子統計力学、化学等の非常に広範な分野に渡った研究分野を駆使して研究されるレーザー装置であり、学際的性質を有している。 本論文では、振動非平衡な超音速流れ場を制御し、その状態でのCO2GDL性能を表す各種パラメーターを計測している。本論文の特色は、レーザー媒質として最も重要な役割を演ずるCO2濃度を時間分解分光学的手法により計測していることである。 CO2GDLでは、CO2濃度を定量測定することが高効率レーザー発振化の観点から必須である。特に、燃焼駆動式であれば、レーザー発振する為には二酸化炭素の最適な濃度が存在するはずである。それにもかかわらず、その濃度を数値計算によって推算している例が多く、これでは実際の流れ環境を調べているとは言えず、十分ではない。つまり我々の知る限り、これまで世界各国で行われてきた研究では、CO2GDLのCO2濃度を無侵襲計測した例は報告されていない。 このように、燃焼駆動式CO2GDL共振器の流れ場という振動非平衡な流れ場の濃度分析を実験的に取り扱い、数値計算結果と比較した研究例はない。CO2GDLの実験的研究においては作動流体の濃度を数値的に解きその運転環境を予測したものが主であり、その計算方法もほぼ完成されている。これに対し実験的な手法による濃度分析研究は殆どなされていない。 数値的予測の役割はコンピューターの利用という手軽な方法で実際の環境を予測することである。そのような予測には燃焼平衡計算コードが使われることが多い。この計算コードによってもある程度は指針を与えることが出来るが、しかし計算条件と実際の作動条件にはおのずから相違が生じ、やはり実験的な手法で濃度を実際に求めることが望ましい。本論文はこのような問題点を克服するために、CO2GDLの実際の環境下での濃度を計測し、その値をもって装置の運転環境に一定の指針を与えるものである。 本論文の目的は次の2点である。 (1)CO2GDL装置を振動非平衡な流れ場として制御する為の装置の研究 CO2GDL装置を振動非平衡な流れ場発生装置にするためには2つの過程が必要である。まず1つは燃焼によって生成された高温・高圧気体を、超音速ノズルによって急膨脹・急冷却させて、数密度反転を発生させることである。もう1つは、そのようにして発生した輻射エネルギーを取り出す為の光共振器を設置することである。この2つの要素が組み合わされてはじめてレーザー出力の取り出しが可能となる。従って、超音速ノズル及びエジェクター装置の組み合わせにより流れ場を制御して振動非平衡状態を作り出す。 以上のようにして流れ場の制御を行ない、その装置の有効性を調べる。 (2)振動非平衡な超音速流れ場での時間分解分光計測 レーザー出力は燃焼室状態、光共振器の仕様といった装置の作動条件に大きく影響される。特に、作動気体としての二酸化炭素濃度の変動に大きく左右される。そこで、赤外吸収分光法に基づいた無侵襲方法で計測を行なう。また、HITRAN molecular databaseを利用した数値計算により、CO2分子の吸収断面積あるいは吸収係数を任意の圧力・温度下で求める。以上の結果を、二酸化炭素の振動モードに対する理論的考察と組合わせて評価し、本CO2GDL装置の二酸化炭素濃度を実測することにより、これまで濃度推算に使われてきた代替手段である燃焼平衡計算結果との差異について考察している。 本論文第1章では、輻射加熱防御法研究の必要性と、その研究に使用出来るCO2GDLの位置付けについて述べている。さらに、CO2GDLを最適環境で運転するためには、CO2濃度を計測する必要性があることと、その有用性が述べられている。同時に、これまでの濃度推算方法についても概観している。 第2章では、CO2GDL装置の理論的な考察をしている。即ち高温気体力学的、量子統計力学的に扱った多原子分子の振る舞いについて説明している。 第3章では、実際に振動非平衡な超音速流れ場として制御するシステムについて述べ、次にその流れ場を計測するシステムについて説明している。 第4章では、第3章の原理に基づいて行なった実験結果をまとめる。実験の結果、低燃焼室圧力で高い微小信号利得係数が得られている。また、レーザー発振も容易に実現できる様になったことを述べている。 第5章では、赤外分光法の理論につき論じる。直線分子の振動回転スペクトルについての量子統計力学的考察を行なっている。また、赤外線の吸収が発生する機構について考察している。以上の原理に基づいて、赤外吸収分光法の支配法則となるLambert-Beer則の適用方法について議論する。 第6章では、CO2GDL作動時における二酸化炭素濃度を具体的に分光計測するために必要な方法の議論に重点が置かれる。そのためにまず、低圧チャンバー、CO2-N2混合フリージェット及びCO2GDL共振器内でのcold flow試験を行なう。これによってまず、CO2濃度の分光計測方法を定性的に議論している。 さて、赤外吸収分光法により実際の流れ場に対して分光計測を行なう前に、分光実験する分光計で検量線(calibration equation)を作成しておく必要がある。そこで検量用の真空セルを硝子細工により自作し、そのセルを用いてCO2濃度をパラメーターにして検量線を作成する。あわせてLambert-Beer法則が適用可能であることも確認している。 次に、実際にCO2GDL共振器を分光計測対象として分光実験を実施する。実験では、高輝度赤外光源を信号源として利用している。また、測定波長である4.31mの赤外光を効率よく透過させるために、共振器窓材としてサファイア(Al2O3)を使用している。CO2GDLシステム動作開始から完了までの間におけるCO2分子の赤外透過率変化を、時間分解的に分光計測する。これにより、燃焼気体が超音速ノズルを経て共振器へ到達するという過程を経た、CO2分子の時間的濃度変化を取得することが出来る。この観測によると、CO2GDL装置の本燃焼が達成されている間には、CO2分子の4.31m透過率はほぼ一定値で推移していることがわかる。 CO2濃度の定量化のための支配法則としてLambert-Beer法則を適用する。この法則からCO2濃度を定量計算出来る。その結果、燃焼平衡計算結果との相違が認められる。その相違は、実際の燃焼状態が化学平衡状態でないことを示唆している。同様の傾向が、過去の本GDL研究からも確認されている。 次に数値計算により、CO2分子の吸収係数について考究している。この計算は、実際の赤外吸収分光計測において実験の補助的役割を演じる。本数値計算では、計算に必要な分光学的パラメーターに関するデータを、HITRAN molecular databaseに求める。そのdatabaseを利用してCO2の吸収係数を計算する。この計算ではまず、databaseにある膨大なデータの中から、必要なデータを切り出す。次に、line shape functionをVoigt関数で近似する。Voigt関数は、複素積分を実行しなければ求められないが、その複素積分を近似的に求めるアルゴリズムを利用してVoigt関数を計算する。同時に、任意の温度における線強度をdatabaseを利用して数値計算する。吸収係数は、これらVoigt関数と線強度の積で与えられる。その際に、中心波数より25cm-1内に含まれる全ての吸収線の翼の影響も加味して吸収係数を算出している。CO2分子の吸収係数に関する温度依存性については、温度変化に鈍感な吸収線を使うことでその不確定性を回避することが出来る。本数値計算法により、温度を変化させて吸収係数の温度依存性を考察する。その結果、本実験では殆ど温度依存性が無いことを確認している。また、この数値計算手法により、一般の化学種についての吸収係数または吸収断面積を推算することも可能である。次に、分光計の装置関数を考慮したCO2分子の濃度計算式を提案している。これは上記の数値計算によって濃度を議論する場合に有効である。さらに本手法が一般の空気力学分光計測にも適用可能であることを示唆し、本手法の汎用性を確認している。 第7章は結論であり、振動非平衡流の制御及び計測の研究から得られた知見をまとめている。 以上の様にして、CO2GDL装置にてCO2濃度を無侵襲かつ時間分解的に分光計測している。東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻における一連のCO2GDL研究では初めて、本論文によってCO2GDLでの二酸化炭素の濃度を分光学的に実測する手法が確立されている。 |