学位論文要旨



No 113392
著者(漢字) 上野,賢一
著者(英字)
著者(カナ) ウエノ,ケンイチ
標題(和) 広がりを持つ電源モデルによる脳波および脳磁図電源推定に関する研究
標題(洋)
報告番号 113392
報告番号 甲13392
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4110号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 教授 原島,文雄
 東京大学 教授 岡部,洋一
 東京大学 教授 原島,博
 東京大学 教授 廣瀬,啓吉
 東京大学 教授 藤田,博之
 東京大学 助教授 廣瀬,明
内容要旨

 脳磁図および脳波は、開頭することなく脳機能を調べるための計測法としてfMRI(functional Magnetic Resonance Imaging)やPET(Positron Emission Tomography)などの他の手法とともに大きな期待を集めている。そのなかでも、脳波と脳磁図は他に類を見ない高い時間分解能を得ることができるために、測定、解析する意義は十分に大きい。現在のところ刻々と変化する脳内のニューロンの活動をミリ秒オーダで調べる手段は他にない。しかし、脳波や脳磁図信号から脳内の電気的活動を詳しく調べるためには、活動源をモデル化して推定する必要がある。この推定問題を解くために多くの手法が提案されているものの、それぞれに問題点があり、脳波、脳磁図計測の脳機能計測技術としての立場を確立するには至っていない。現状で信頼性の高い推定結果を導くことができるのは、極めて限られた場合のみであるといえる。具体的には、脳内の活動領域が1カ所ないしは2カ所で、しかも大きく広がることなく狭い範囲に限られるときのみである。その際、電源は脳内の一点にある電流双極子として表現される。電流双極子モデルは、最も単純化されたモデルであり、パラメータの数が少ないので推定問題を解くためには非常に都合がよいが、反面、適用できる場合が限られ、得られる情報も少ない。今後の研究の進展により電源推定の可能性が広がり、得られる情報が増えてゆけば、脳波、脳磁図計測の重要性は大きく増し、また、生理学的に興味ある知見もそこから導き出されるであろう。

 脳内電源推定問題において、本研究で着目するところは、脳内電源の広がりと強さについてである。実際の脳内電源は多数のニューロンの相乗的な活動であり、いくら局在している電源であってもそれは点であるはずなく空間的に分布している。これを一つの点に存在する電流双極子モデルであると仮定して電源推定を行う場合、広がりの大きさなどの局在電源の分布の様子に関する情報が失われている。また、脳磁図を用いて電源推定を行う場合、推定できない方向成分が存在する。このことから、脳磁図をもとに推定された電源は2次元の方向成分しか持たず、その大きさについて最小値しか提供しない。したがって、現在の脳磁図を用いた電源推定では、電源の大きさについて十分な議論がなされていない。

 そこでまず、電流双極子モデルを一歩進めて広がりを表現できる電源モデルHSD(Hexagonal Spreading Dipole)モデルを提案した。これは、正6角形の頂点と中心に6角形面に垂直な方向を向く等しい大きさの電流双極子PHSDを合計7つおいたものであり、正6角形の一辺の長さに相当するパラメータRを大小することにより電源の広がりを表現する。1nAm/mm2の一様な電源密度、円状の広がりを有する電源について、これを用いて脳磁図の電源推定シミュレーションを行った。また、比較のために単一電流双極子モデルを用いて同じ条件のもとで推定を行っている。図2に電源の位置zに関して生じた誤差、図3に電源強さ|P|に関して生じた誤差を示す。位置推定に関しては単一電流双極子モデル、HSDモデルとも精度の良い推定結果を得ることができたと言える。しかし、電源の強さに関して単一電流双極子モデルを用いた推定では、最大13.6%の誤差を生じている。この誤差は、電源の位置が頭部モデルの表面から深い位置にあるほど、また、広がりの大きさが大きいほど大きくなる傾向にあることが分かった。これに対して、HSDモデルを用いた推定における誤差はほとんど2%以内となっており、ほぼ正確な推定結果が得られている。これらの結果から、HSDモデルは電源の強さを推定するときに、電流双極子よりも信頼性の高い推定を行うことができるであろうと考えられる。

図1HSD model図2電源推定の誤差(電源位置)図3電源推定の誤差(電源モーメント)

 推定される円状電源の半径aとHSDの推定パラメータRの関係を調べたところ、ほぼ次の関係式を満たすことが確認された。

 

 この関係式はHSDモデルの推定パラメータRの解釈のために有効である。

 しかし、Rについての推定は特に不安定となることがシミュレーションで確認された。実質上、このパラメータRを単独で推定することは不可能であることが分かった。このパラメータRと関連の大きいパラメータは電源モーメントの大きさ|PHSD|である。Rとaの関係が式(1)で表されること、電源の密度が一様であるので電源の広がりの大きさ(面積)がそのモーメントの大きさに比例すること、HSDモデルによるモーメントの推定が正確であることなどから、

 

 が導かれる。この関係式を導入すれば電源の広がりと大きさを含めて有効な推定を行うことができる。もちろん、電源密度が一定であるという仮定が成立しているとした場合の議論であるので注意を要する。

 電源の存在する面を決定するためには電源の全ての成分を知る必要がある。しかし、脳磁図信号は脳内電源の半径方向成分に関して不可視的であるので、逆にこの成分を推定することは不可能である。脳磁図以外の情報に頼るほかないことは明らかである。一つの手法として、脳磁図の電源存在領域を皮質面に制限することは有効であると思われる。電源の面を決定することができれば式(2)を用いた推定を行うことができる。MRI画像から非侵襲的に皮質形状を抽出すれば、その上に電源領域を固定することができるであろう。皮質面の自動抽出については研究が進められているが、容易ではないので、本研究ではMRIによる脳の形態情報を使わずに、脳波信号がもつ情報を推定問題に取り入れることを試みる。脳波は脳磁図とは異なり、半径方向成分信号源に対して高感度であるため、電源の面を決定する有効な情報源となることが期待できる。

 脳波電源推定問題では脳磁図の場合とは異なり、極端に導電率の低い頭蓋骨による影響を受けやすいため3層球モデルを用いるべきであり、また、モデルの多少の違いによって推定結果を変えてしまうような事態は極力避けねばならない。図4は頭蓋骨層の導電率sが変化した場合の脳波の空間パターンを示す。として、k=0.1,0.8,1.0,1.2,10.0と変化させた。左は実波形、右がピーク値を基準に正規化したパターンを表している。やはり実波形で比較すると20%程度の導電率の変化がピーク値に及ぼす影響は大きく、モデルの不適合が電源推定結果に及ぼす悪影響もまた大きいと考えられる。一方、正規化されたパターンで比較すると20%程度の導電率の変化による影響は非常に小さい。この結果から、実測値をそのまま評価することは危険であり、電源推定のためには新たに補正パラメータを導入して電源推定に用いることが望ましいと思われる。

図4頭蓋骨層の導電率の変化が脳波空間パターンに及ぼす影響

 以上の脳磁図、脳波を用いたシミュレーション結果を踏まえてHSDモデルを用いた電源推定手法を提案する。

 HSDモデルの電源位置推定は単一電流双極子推定による結果と大きく異なることは考えられないので、単一電流双極子推定を先に行い、これを初期値とすることは有効である。電源のモーメントについては、単一電流双極子のモーメントの7分の1をHSDモデルの電流双極子モーメントの初期値とする。

 電源の分布密度が分かれば、式(2)の関係を利用してR=F(|P|)と表せる。HSDモデルがつくる脳磁図と脳波の値をそれぞれBHSD,J(r,p,R)、VHSD,i(r,p,R)とすれば、脳磁図と脳波信号の導出式は、それぞれ、

 

 

 と表現される。式(4)のuは先に述べた補正パラメータである。これらを用いて次の二つの評価関数を最小化する。

 

 X2MEGの評価では、HSDモデルの電流双極子の半径方向成分と接線方向成分の比を固定してHSDモデルのパラメータ、電源位置およびモーメントの方向3成分を推定する。

 この電源推定手法の有効性を実証するために、体性感覚脳波および脳磁図の同時計測を行い、電源推定を試みた。刺激部位は左手首正中神経であり、皮質の電源の密度については動物実験で推定されている0.4nAm/mm2を用いた。潜時80msecの信号について電源推定結果を図5に示す。推定された部位は、中心後溝付近であり、SIの後ろよりの2野あるいは更に中心後溝の後ろの連合野の活動である可能性が高い。推定された電源の強さPは13.8nAm、R値は2.58mmであり、これから電源の広がりの面積は33.1mm2と見積もられた。ここでは、電源密度としての見積もりの最大値を用いたので、実際にはこれよりも小さい電源密度である可能性が高い。すなわち、電源の広がりについては、最小値が見積もられたと言える。

図5 HSD modelを用いた電源推定結果

 以上本論文では、電源位置推定において優れている脳磁図の弱点を補うような形で脳波情報を活用し、一つの推定電源を構成した。位置の推定精度を損なうことなく電源の大きさや広がりまでが推定された。特に、電源の強さについては十分に興味ある知見が得られるであろうと考えられる。広がりの推定に関しては、電源の密度についての更に深い議論が重要である。

審査要旨

 本論文は、「広がりをもつ電源モデルによる脳波及び脳磁図電源推定に関する研究」と題し、脳磁図及び脳波の電源推定問題において電源の広がりの大きさを有効に推定するための手法を提案するとともにその有効性を示したもので、全7章から成っている。

 第1章は「序論」であり、脳磁図及び脳波の電源モデルに関する研究の歴史と背景をまとめている。これまで用いられてきた脳波及び脳磁図の脳内電源モデルについてその歴史をたどり、脳磁図と脳波の電源推定問題における本研究の位置づけを明らかにしている。

 第2章は「脳波・脳磁図信号源」と題し、脳波及び脳磁図信号源の神経生理学的な理解を示し、その電磁気学的な解釈を論じている。ニューロンの電気活動と脳磁図及び脳波信号の関係について述べ、推定される脳内信号源は脳内の神経活動の一部であることを説明している。

 第3章は「電源推定問題」と題し、電源推定問題の現状をまとめるとともに本研究に用いた電位、磁界計算式を提示している。脳波、脳磁図信号の順問題計算式からそれぞれの信号のもつ特徴を明らかにしている。また、これまでの電源推定研究において広がりを推定する有効な手法は存在しないことを示し、今後の電源推定研究の方向性について論じている。

 第4章は「広がり情報を有する電源モデル」と題し、電源推定に用いるための新たな電源モデルとしてHSD(hexagonal spreading dipole)モデルを提案し、これを用いた脳磁図電源推定シミュレーションを行っている。HSDモデルは少ないパラメータで電源の広がりを表現することを目的とした電源モデルである。最適パラメータ探索のためのアルゴリズムはLevenberg-Marquardt法を用いている。単一電流双極子モデルとの比較から、HSDモデルは電源位置推定においては同等の推定精度、電源のモーメントを推定においてはより高い精度での推定が期待できることを示している。広がりを表すパラメータは、他のパラメータに比べ脳磁図信号に寄与するところが非常に小さいことを示し、電源モーメントの大きさとの関連からこれを有効に推定することを提案している。また、脳磁図情報のみでは電源の広がる面を決定できず、電源の広がりまでを有効に推定することが不可能であることを示し、脳波情報を推定問題に取り入れることの有用性を論じている。

 第5章は「脳波情報の導入」と題し、脳波情報を電源推定に取り入れるために脳波の空間パターンシミュレーションを行い、脳磁図と脳波を組み合わせた脳内電源推定手法を提案している。脳波の信号源を推定するためには頭蓋骨の影響が無視できないことをシミュレーションにより明らかにし、少なくとも3層モデルを用いる必要があると論じている。また、頭部モデルの持つパラメータの僅かなずれによって電源推定結果が大きく誤ったものになることを防ぐために、脳波信号に乗じる補正パラメータの導入を提案している。脳磁図と脳波のシミュレーション結果を踏まえて、脳波と脳磁図の同時計測からHSDモデルを用いた電源推定を実現するための一連の手法を提案している。脳磁図のもつ高い電源推定精度を損なうことなく脳波情報を有効に組み合わせた効果的な推定法として期待できる。

 第6章は「体性感覚誘発脳磁図・脳波計測」と題し、実際に脳磁図と脳波を同時計測して提案する電源推定手法の適用を試みている。左手5指と手首正中神経の電気刺激を行い、磁気シールドルーム内でNeuromag社製122チャネルSQUIDシステムによる脳磁図計測、脳波計測を行った結果を示している。正中神経刺激により誘発され、潜時約90msec付近に現れた脳磁図信号パターンが明瞭な局所性の高い信号源のパターンを示していたため、この成分について電源推定を試みている。なお、電源の空間密度の値は、ヒトの皮質における最大値として見積もられている値を用いている。その結果、電源の位置と同時にモーメントと広がりの大きさの推定値が得られている。

 第7章は本論文の「むすび」であり、本論文で得られた成果を要約し、今後の研究の展望を述べている。

 以上本論文は、脳波と脳磁図情報を有効に組み合わせた広がりを持った脳内電気活動源の推定法を提案し、体性誘発脳磁図の電源推定を行い、その有効性を明らかにしたもので、電子工学及び生体情報工学上貢献するところが少なくない。よって本論文は博士〔工学〕の論文審査に合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54632