量子箱へのトンネル伝導は、将来の超高集積低消費電力回路の主要な構成素子になると考えられている、単電子トランジスタや単電子メモリが動作するときの、重要な要素機構である。現在の微細加工技術の制約上、将来実現されると思われる10nm級の量子箱をつくることは容易ではないが、ある種の材料系の結晶成長を利用すれば、結晶成長の原理にしたがって、10nm級の量子箱を得ることができる。結晶成長で得られる量子箱は、均一性や面内での位置の制御に問題はあるものの、量子箱へのトンネル伝導を調べることは十分に可能である。そこで、GaAs/AlGaAs系に対して、10nm級の量子箱となるInAsを用いて、量子箱へのトンネル伝導の研究を行った。 本研究の目的は、10nm級のInAs量子箱を介するトンネル伝導を調べるにあたって、まず、InAs量子箱がトンネル障壁となるAlGaAs層中に埋め込まれたとき、どのような電子状態にあるかを調べることである。次に、InAs量子箱を介するトンネル伝導を行う素子を設計・試作し、量子箱へのトンネル伝導の特質を調べることである。その結果、量子箱へのトンネル伝導を要素機構とするような将来のデバイスへの指針を得ることである。 最初に、MBE(Molecuar Beam Epitaxy)で、InAsをGaAs/AlGaAs上に堆積させたとき、具体的にどのような構造が形成されるかを、AFM(Atomic Force Microscopy)を用いて調べた。図1は、MBEにより、成長温度450度程度で、GaAs2ML(monolayer)/AlAs6ML上にInAsを堆積させた例である。この場合、最初InAsは2次元成長するが、ある臨界膜厚をこえると、図1のように3次元成長するようになる。図1は、3次元成長に転移してすぐのAFM像で、堆積量は、1.5ML程度である。AFM観察の結果から、3次元成長で生じた凸構造は、高さ3nm程度、直径20nm程度であり、この材料系のド・ブロイ波長(30nm程度)と比較すると、高さ方向は1桁小さく、面内方向はほぼ同等の大きさであることがわかる。したがって、このInAsの凸構造は、量子箱構造の性質を帯びていると考えられる。 図1 GaAs2ML/AlAs6ML上のInAs量子箱のAFM像 次にPLによるInAs量子箱構造の評価について述べる。特に、トンネル素子への応用という観点から、InAs量子箱構造がAlGaAs障壁に埋め込まれた場合に注目して調べた。MBEによって作製された試料の構造図を図2に示す。このとき作製されたInAs量子箱構造は、同様の条件で作製された試料のAFM観察から、直径20nm程度、面密度1*1011cm-2程度である。なお一連の試料は、Al組成依存性を調べるために、7MLのAlGaAsのAl組成xを変化させている。PLの測定は、He-Neレーザを励起光源として、15Kで行った。Al組成xが増加するにしたがって、ピークエネルギーが高エネルギー側へ移動し、半値幅が増大していく様子がわかる。ピークエネルギーが高エネルギー側へ移動していくのは、InAs量子箱構造の波動関数のしみだしがAlGaAs層の影響を受けているためである。InAs量子箱が3次元的な量子閉じ込めをうけていることを反映して、障壁層を変化させたときのエネルギーギャップの変化が量子井戸の場合に比較して、大きくなっている。また半値幅が増大するのは、InAs量子箱構造の大きさの違いを反映して、各々の量子箱によって波動関数の障壁層へのしみだしが異なるので、AlGaAs層からの影響の受け方が異なることを示している。 図2 AlGaAs中に埋め込まれたInAs量子箱のPLによるエネルギーギャップの評価。(左図)サンプル構造と模式的なバンド図(右図)PLの結果。 PLで得られた結果をもとにして、InAs量子箱構造の伝導帯側の基底準位を介した共鳴トンネル伝導を観測することをねらいとして、InAs量子箱構造共鳴トンネルダイオードを作製した。そのために障壁層にAlAsを用いている。素子構造を図3に示す。このとき作製されたInAs量子箱構造は、同様の条件で作製された試料のAFM観察から、直径20nm程度、面密度1*1011cm-2程度である。したがって今、仮に直径50mのメサダイオードを作ったとすると、1個のダイオードには100万個オーダのInAs量子箱構造が含まれていることになる。 4.2Kで測定されたI-V特性を図3に示す。Aの素子では、順バイアス電圧V=186mV付近に鋭い電流ピーク構造が、V=195mVに小さなショルダー構造が見られる。(なお、順バイアスは電子が基板側から上側の電極に移動していく場合と定義する。) 図3 InAs量子箱を障壁層に埋め込んだトンネル素子の構造図と模式的なバンド図(左)。電流電圧特性(右)。異なる電流電圧特性も、おなじ基板から作製された異なる素子のものである。 I-V特性に見られるこれらの構造について、以下に述べる理由から、1個の素子に100万個オーダのInAs量子箱構造が含まれているにも関わらず、1個のInAs量子箱構造を介した共鳴トンネルであると考えられる。第1の理由は、V=186mV付近に見られる電流ピークから、電圧係数1/3を仮定して見積もられる、この共鳴トンネルピークに関わる準位のエネルギー幅は、3mV程度で、InAs量子箱構造の集団をPLで観測した場合の半値幅に比べて、極めて小さい。 第2の理由は、1個のInAs量子箱構造を介する共鳴トンネル電流を、I=ef exp(-2kb)の関係式(e:電荷素量、f:attempt fequency、エミッタの電子が単位時間あたりの障壁に入射する回数、k=(2m*V)1/2/h、V:障壁の高さ、b:障壁層の長さ)を使って見積もると、およそnA程度となり、実験と大きな差は生じない。 第3の理由は、統計的なばらつきである。通常の共鳴トンネルダイオードでは、ほぼ同じI-V特性が得られる。しかし、図3の電流電圧特性は明らかに、通常の共鳴トンネルダイオードの場合と異なる。また、もしI-V特性に見られる電流ピークが、多数個(>10)のInAs量子箱構造を介した共鳴トンネル電流の和であるなら、InAs量子箱構造の分布を反映した大きさの共鳴トンネル電流が、同じ電圧付近に観測されるはずである。しかし、図3はこれとも異なっている。 次に磁場を電流に垂直に加えた場合のI-V特性の変化を図4に示す。このときの電流の変化の様子は、InAs量子箱の磁場と垂直な面内方向の波動関数のフーリエ変換で定まるので、この振る舞いから、波動関数の形状と空間的な広がりを評価することができる。解析の結果、最初の電流ピークを生じさせるInAs量子箱の準位の波動関数は、ガウシアンがよい近似となり、その空間的広がりは20nm程度で、AFMの観察結果と近い値を示した。 最後に、磁場を電流に対して平行に加えた場合の変化を図5に示す。磁場に対する共鳴トンネル電流の振動が見えないこと、B=3Tくらいまでは、ほとんどI-V特性が変化しておらず、磁場の影響がないことから、エミッタのInAs量子箱のもたらす歪みによって、面内方向の運動が量子化され、エミッタも0次元状態を形成していると考えられる。B=3Tの磁気長から、エミッタの空間的広がりを求めると、30nm程度になる。 図4 磁場を電流に垂直に加えた場合の共鳴トンネル電流の変化。図4 磁場を電流に平行に加えた場合の共鳴トンネル電流の変化。 以上、実験をとおして、10nm級InAs量子箱を解するトンネル伝導について検討してきた。10nm級量子箱では、そのサイズの小ささから、流れる電流も少ないが、それに加えて、面内の波動関数の重なりを反映して、電流の大きさが変化する。したがって、量子箱へのトンネル伝導を要素機構とするデバイスを実現する場合、その電子状態を知ることが以前よりもいっそう重要な鍵になると思われる。 |