学位論文要旨



No 113397
著者(漢字) 山中,宏治
著者(英字)
著者(カナ) ヤマナカ,コウジ
標題(和) 遠赤外領域における半導体量子構造中の電子物性と超高感度光検出への応用
標題(洋)
報告番号 113397
報告番号 甲13397
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4115号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 平川,一彦
 東京大学 教授 多田,邦雄
 東京大学 教授 神谷,武志
 東京大学 教授 榊,裕之
 東京大学 教授 荒川,泰彦
内容要旨

 GaAs/AlGaAsヘテロ接合中の2次元電子系に垂直に磁場を印加したときに生じるサイクロトロン吸収は、そのエネルギーがちょうど遠赤外光のエネルギーと同程度であり、2次元電子系の高移動度を反映して鋭い共鳴線を示す。さらにサイクロトロンエネルギーは磁場の関数であるので、このGaAs/AlGaAsヘテロ接合中の2次元電子系におけるサイクロトロン吸収を電気信号として取り出すことができれば、波長選択性が高く、波長可変なテラヘルツディテクターを実現することができる。そこで、本研究ではGaAs/AlGaAsヘテロ接合中の2次元電子系に垂直に磁場を印加した状態での光磁気抵抗応答(光が入射したときの磁気抵抗の変化)をフーリエ変換分光装置を用いて調べた。その結果,半導体ヘテロ接合中の高移動度2次元電子系のサイクロトロン吸収を利用して,従来のものと比較して300倍近い感度を持った遠赤外ディテクターが実現されることがわかった.またスプリットゲート量子構造の遠赤外光応答について調べた.

§1量子ホール状態における2次元電子系の遠赤外光磁気抵抗応答

 量子ホール状態における半導体ヘテロ構造中の2次元電子系の磁気抵抗の遠赤外光による変化を調べた.縦磁気抵抗(Rxx)の遠赤外光応答(Rxx)の測定には試料に定電流Iをバイアスした状態で,磁場Bとチョッパーにより変調された(13Hz)遠赤外光を試料表面に垂直に当てたときの光信号をロックインアンプにより検知した.図1(a)にIを0.12Aから12Aまで変化させたときの試料のRxxの磁場依存性を示す.Rxxは量子ホール状態の高磁場側ではIに依存しないのに対して,低磁場側ではIが小さいときにはRxxは小さくなっている.これは試料の両端に形成されたエッジ状態が電流を無散乱に運んで2次元のバルク状態の抵抗を短絡してしまうためであると考えられている.Iが大きくなるとエッジ状態と2次元のバルク状態の間の非平衡緩和が大きくなり,Rxxは大きくなる.図1(b)にはRxxの磁場依存性を示す.Iが大きいときにはランダウ準位占有数v=2,4などのv=偶数の量子ホール状態の両側で数百Rxxが観測された.量子ホール状態の高磁場側のはRxxはIにほとんど依存しないのに対して,低磁場側のRxxは複雑な挙動を示すことがわかった.すなわち,はじめはIが小さくなるにしたがって,Rxxも小さくなる.が,Iが非常に小さくなると再び,RxxはB=8T付近にピークを持つように生じる.またv=2,4の低磁場側に負のRxxが生じることがわかった.これまで2次元電子系の遠赤外光磁気抵抗応答のメカニズムについては,サイクロトロン吸収によって電子温度が上昇し,それに応じてRxxが変化するためであると考えられてきた.このメカニズムではRxxはRxxの温度微分∂R∂/Tを用いて,

 

 で表される.ここにTeは遠赤外光吸収による電子温度上昇で,吸収エネルギーP(),エネルギー緩和時間,電子系の比熱Ceを用いて次のように表される.

 

 Ceはフェルミ面上での状態密度に比例するので,2次元電子系がランダウ量子化している場合,v=偶数の量子ホール状態の近傍で非常に小さくなる.その結果,Iが大きいときにはv=偶数の量子ホール状態の近傍でのみ有限のRxxが観測される.

図1 2次元電子系の縦磁気抵抗Rxx(a)と遠赤外光磁気抵抗応答Rxx(b)

 我々が観測したRxxがこの電子温度上昇によるメカニズムによって説明できるかどうか調べるために∂R/∂Tとを比較した結果,1が大きいときには電子温度上昇で説明できるのに対して,Iが小さいときには電子温度上昇で説明できないことがわかった.Rxx発生のメカニズムを明らかにするために,フーリエ変換赤外分光装置を用いて,Rxxの励起スペクトルを測定した.図2にv=2の量子ホール状態の前後でのRxxの励起スペクトルと各磁場での遠赤外透過測定の結果を示す.Iが大きいときにはRxxの励起スペクトルは対称なローレンツ型をしており,その形状は,半値幅も含めて,透過測定の結果と酷似していることがわかった.v=2.0および1.9の磁場ではIが小さいときにもスペクトルの形状は変化しないが,v=2.1および2.63の磁場ではIが小さいときにはスペクトルのピーク位置が透過測定の結果に比べて高エネルギー側にシフトしていること,高エネルギー側にテールを引いて,非対称になっていることがわかった.これらの実験結果はエッジ伝導がRxxを決定している,v=偶数の量子ホール状態の低磁場側かつIが小さいときには,空乏ポテンシャルによる閉じ込めの影響を受けている試料端近傍での光吸収がRxxに寄与していることを示している.

図2光磁気抵抗応答励起スペクトル

 空乏ポテンシャルの形状を放物形に近似して

 

 で表わすと、Kohnの定理より光吸収による共鳴は

 

 の周波数に期待される。したがって試料端近傍での共鳴エネルギーは2次元のバルク領域での共鳴エネルギーよりも大きくなる.実際の空乏電界のポテンシャルは完全な放物形ではなく曲率0は場所により異なっている。そのため、半値幅は2次元電子系の移動度から定まるものよりも大きくなってしまう。図2(b)のピーク位置シフト量から空乏ポテンシャルの閉じ込めエネルギーを逆算した結果,0=2.5×1012S-1であることがわかった.

 試料端での光吸収がRxxに寄与している領域(v>2,4,…かつI小)では,エッジ伝導状態が形成されており,Rxxは2次元のバルク領域とエッジ状態の間の非平衡緩和の強さによって決定されている.このことから,Iが小さいときに見られた負のRxxは次のように説明できる.試料端近傍でサイクロトロン吸収が起きると、遷移した電子は空乏ポテンシャルの勾配によりチャネルの内側へと移動し、できた正孔は外側へと移動する。この電荷の移動はポテンシャル勾配を弱めるように作用する。この結果,試料端におけるエッジ状態とバルク領域の距離は広がり、非平衡緩和は小さくなる。その結果,Rxxが減少する.試料端における光吸収によってRxxが増加するメカニズムとしては,v=2の量子ホール状態に近づくにつれて,エッジ状態とバルク領域の間のエネルギー非平衡が急激に大きくなるためであると思われる.

 Iが大きいときには,前述のようにRxxはCeに,したがってフェルミ面上での状態密度Dに,反比例する.v=2とv=4の量子ホール状態で,Dを比較すると,v=2のときのほうがDは小さくなるはずであるが,Rxxはv=4の時の方が大きい.この現象を解明するために,InSbからの遠赤外発光を光源として用いて,時間分解光応答測定を行った.その結果,v=4の近傍ではエネルギー緩和時間は3sから80sであるのに対して,v=2の近傍では500sから8msと非常に長いことがわかった.この結果はCeのv依存性も考慮に入れて,(2)式と矛盾する.さらにRxxの温度依存性を測定した結果,v=4およびそれ以下の磁場ではは熱力学的考察から考えられる挙動に一致するのに対して,v=2では温度依存性は非常に小さいことがわかった.以上から,v=2のような極限的な量子状態においてはもはや(1),(2)式で示されるような電子加熱モデルだけではRxxを説明できないことがわかった.

 低温・強磁場の極限においては各ランダウ準位はゼーマン分離を起こして,スピンギャップを生じる.このスピンギャップにフェルミエネルギーが存在するときの,すなわち,v=奇数の量子ホール状態におけるRxxについて測定を行った.図3にこの試料のRxx,∂R/∂T,Rxxを示す.v=2,4の偶数の量子ホール状態では正のRxxが見られるのに対して、v=1の低磁場側で大きな負のRxxがみられた。また∂R/∂Tとの対比からこのRxxは電子加熱モデルでは説明できないことがわかった.このv=1の低磁場側にみられる負のRxxの分光測定を行った結果,試料端近傍での光吸収によるものであることがわかった.これまで,v=奇数の量子ホール状態の低磁場側では,v=偶数の場合と異なり,エッジ伝導によるRxxの低下は見られないと考えられてきた.これは図3(a)からも明らかである.この理由としては,スピンギャップはサイクロトロンギャップに比べて非常に小さいために,エッジ状態とバルク領域との距離が小さいこと,また,GaAsにおいてはスピン軌道相互作用が強いために,異なったスピンを持った状態でも容易に交合してしまうためであると考えられてきた.しかしながら,われわれのRxxの測定からv=奇数の量子ホール状態においてもエッジ状態とバルク領域の緩和がRxxを決定する上で重要な役割を果たしていることがわかった.

図3試料の磁気抵抗Rxx(a),磁気抵抗の温度微分∂R/∂T(b),光磁気抵抗応答Rxx(c)
§2スプリットゲート量子構造の遠赤外光応答

 スプリットゲート量子構造はその量子化エネルギーがちょうど遠赤外光のフォトンのエネルギーに対応していること、またゲート電圧を変化させることにより閉じ込めエネルギーを変化させることができることから、波長可変な遠赤外ディテクターの原理として高い可能性を秘めていると考えられる。本研究ではAlGaAsスプリットゲート量子細線(QWR)と量子ポイントコンタクト(QPC)の遠赤外光応答について調べた.QWRに磁場と遠赤外光を試料表面に垂直に当てると,QWRの縦磁気抵抗Rxxが変化することがわかった.また,この光信号の分光測定をした結果,ゲート電界によりQWR構造を形成されているときには,ゲート電圧をかけて,閉じ込めエネルギーを大きくしていくにしたがって,ピーク位置が高エネルギー側にシフトしていくことがわかった.このピークシフト量から(4)式を用いてゲート電界による閉じ込めエネルギーを見積もった結果を図4に示す.この遠赤外測定から見積もった閉じ込めエネルギーを磁気抵抗測定から見積もった閉じ込めエネルギー,電磁界計算から求めた閉じ込めエネルギーと比較した結果,遠赤外測定から見積もった閉じ込めエネルギーは電磁界計算から求めた閉じ込めエネルギーとよく一致するのに対して,磁気抵抗測定は閉じ込めエネルギーを小さく見積もってしまうことがわかった.これはKohnの定理から遠赤外測定は,QWR中の電子-電子相互作用の影響を受けないのに対して,磁気抵抗測定ではハートリーポテンシャルの分だけ,浅くなったポテンシャルを求めることになるからであると考えられる.

図4スプリットゲート量子閉じ込め構造の閉じ込めエネルギー

 QPCはポイントコンタクト部の状態密度によってのみ電気抵抗が決定し,ゲート特性に量子化プラトーを生じる.QPCの電気抵抗値は長さ・幅にスケールしないために,非常に小さい面積で高感度の遠赤外ディテクターとして応用できる可能性がある.高抵抗Si半球面レンズを用いてQPCの遠赤外光応答を調べた結果,QPCの光応答には電流に依存しない成分(光起電力Vx)と電流に依存する成分(光磁気抵抗変化Rxx)の2成分があることがわかった.図5にv=4の磁場におけるQPCの磁気抵抗RxxVx,およびRxxのゲート電圧依存性を示す.光起電力成分が光磁気抵抗変化成分に比べて大きいことがわかる.またRxxはRxxの量子化プラトーの両端でのみ発現することがわかった.また分光測定の結果,Vxの共鳴エネルギーはゲート電圧に依存せずに,ゲートのかかっていない領域におけるサイクロトロン吸収に一致するのに対して,Rxxの共鳴エネルギーはゲート電界により閉じ込めを加えると高エネルギー側にシフトすることがわかった.以上からVxはゲートのかかっていない領域におけるサイクロトロン吸収による電子温度上昇がポイントコンタクトをはさんで非対称に生じているため,また,Rxxはポイントコンタクト部における光吸収によりRxxの量子化プラトーの形状がなまるためであると考えられる.

図5磁気抵抗Rxx,光起電力信号Vx,光磁気抵抗変化Rxxのゲート電圧依存性
審査要旨

 本論文は、半導体ヘテロ構造やナノ構造中に形成される低次元電子系の電気伝導特性と遠赤外光の相互作用を調べ、遠赤外光照射による電気抵抗変化を測定することにより、極微細領域における低次元電子系の電子状態を明らかにすることができることを示すとともに、光磁気抵抗変化の発生機構、およびそれを応用した超高感度遠赤外光検出器の可能性を論じたものである。論文は全6章よりなる。

 第1章は序論であり、まず本研究において対象としている遠赤外(テラヘルツ)領域の電磁波を発生・検出できる半導体デバイスが実現されてこなかった理由を紹介するとともに、今後望まれているテラヘルツ光の応用分野について概説している。続いて、半導体ヘテロ構造や量子ナノ構造中で実現される特異な電子状態を用いることで、超高感度の遠赤外光検出器が実現できる可能性があることを述べ、本研究の背景と目的を明らかにしている。

 第2章は、半導体ヘテロ接合中の高移動度2次元電子系に強磁場を印加したときに実現される量子ホール効果状態において、遠赤外光の吸収により2次元電子系の磁気抵抗が大きく変化すること、さらにこの光磁気抵抗変化効果の発生機構を明らかにするとともに、本効果を遠赤外光検出に用いることにより超高感度遠赤外光検出器が実現できることを論じたものである。半導体ヘテロ構造中に形成される2次元電子系に垂直方向に強い磁場を印加すると、電子はサイクロトロン運動を始める。特に印加した磁場が十分強い時、電子のサイクロトロン運動は量子化され、サイクロトロンエネルギーだけ分離した等間隔のランダウ準位が形成される。GaAs/AlGaAsヘテロ構造中の2次元電子系に垂直に数テスラの磁場を印加したときのサイクロトロンエネルギーは、ちょうど遠赤外光のエネルギーと同程度であり、電子系は狭帯域の遠赤外光を共鳴的に吸収する。本論文では、まずGaAs/AlGaAsヘテロ構造中の2次元電子系がサイクロトロン共鳴光吸収をしたときに、量子ホール効果状態という特殊な状況下でのみ、その磁気抵抗に大きな変化が現れることを見いだし、その励起電流依存性やスペクトルを系統的に検討している。その結果、光磁気抵抗変化の発生機構には、従来から指摘されていた光吸収による電子温度の上昇のみならず、試料端付近のエッジ状態と呼ばれる特異な電子状態が関与している成分があることが明らかになっている。さらに光磁気抵抗変化の時定数や温度依存性の測定から、従来の電子温度上昇モデルの妥当性を議論している。また、この量子ホール効果を遠赤外光検出器として応用した場合、従来の遠赤外光検出器と比較して、数百倍の超高感度を有すること、狭帯域で波長可変性を有すること、動作インピーダンスが低く低雑音であることが期待される等、多くの利点を有していることを述べている。

 第3章は、半導体ヘテロ構造中の2次元電子系に強磁場を印加し、ランダウ準位が電子スピン分離している状態における光磁気抵抗応答を議論している。2次元電子系に垂直に磁場を印加したときに形成されるランダウ準位は、スピンを考慮に入れるとゼーマン分離により縮退がとけて、エネルギーの低い上向きスピンとエネルギーの高い下向きスピンの二つのランダウ準位に分かれる。フェルミ準位がこのスピンギャップの間にある場合にも状態密度は極小となるため、大きな遠赤外光磁気抵抗応答を示す可能性がある。観測された光磁気抵抗応答は、バルク2次元電子の光吸収による電子温度上昇モデルから予測されるものとは異なっており、スピンギャップにおける光磁気抵抗応答が、光励起された電子-正孔により試料端におけるスピン-軌道相互作用が変調されることにより発生していることを明らかにしている。

 第4章は、遠赤外光照射による光磁気抵抗変化効果の測定が量子細線構造のような量子ナノ構造中の電子状態を直接的に明らかにする手法として、きわめて有効であることを論じている。わずかな間隙を有するゲート(スプリットゲート)を有する量子細線構造中では、電子の横方向量子化エネルギーは数meV程度であり、量子細線中のサブバンド間遷移は遠赤外の領域で起きる。本論文では、スプリットゲート量子細線構造に遠赤外光を照射したときに発生する磁気抵抗の変化を測定し、試料自身を光検出器として用いることにより、単一量子細線構造であっても、その中の電子閉じ込めエネルギーを直接的に求めることができることを示している。また、従来電子の閉じ込めエネルギーを求める手法として用いられてきた磁気抵抗測定においては、その解析において注意が必要であることも述べている。さらに本効果を用いることにより、ゲート電圧により波長可変な遠赤外光検出器が実現できることを示している。

 第5章は、スプリットゲート長をサブミクロンまで短くした量子ポイントコンタクト構造が示す光磁気抵抗応答について論じている。量子ポイントコンタクト構造中では、電子はバリスティックにチャネル中を伝導しており、特異な光磁気抵抗応答が期待される。量子ポイントコンタクトの遠赤外光応答を分光測定した結果、その成分には光磁気抵抗変化成分と光起電力成分の2種類があり、光磁気抵抗変化はスプリットゲートによる狭さく部における電子加熱で、また光起電力効果はアンゲート部における熱起電力で生じていることを明らかにしている。

 第6章は結論であり、本研究で得られた主要な成果をまとめている。

 以上のように本論文は、強磁場下の量子ホール効果状態にある2次元電子系や量子ナノ構造中の低次元電子系に遠赤外光を照射したときに現れる磁気抵抗の変化を詳細に検討し、その発生機構を明らかにするとともに、量子ホール効果状態や量子ナノ構造中で実現される特異な電子状態の解明にもきわめて有効であること、さらに光磁気抵抗変化効果が超高感度遠赤外光検出器に応用可能であることを示したものであり、電子工学に貢献するところが少なくない。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/1889