学位論文要旨



No 113400
著者(漢字) 彭,家鵬
著者(英字)
著者(カナ) バン,ジアバン
標題(和) 多重量子井戸進行波型光変調器に関する研究
標題(洋) Studies on Multiple Quantum Well Traveling Wave Type Optical Modulators
報告番号 113400
報告番号 甲13400
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4118号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多田,邦雄
 東京大学 教授 神谷,武志
 東京大学 教授 高野,忠
 東京大学 教授 保立,和夫
 東京大学 教授 荒川,泰彦
 東京大学 助教授 中野,義昭
内容要旨

 将来のマルチメディア社会では、画像・音声等の大容量データのやり取りが頻繁になるため、より高速・広帯域な光通信システムの実現が求められている。レーザの直接変調法では波長推移(いわゆるチャーピング)を生じ、光ファイバの分散特性から伝送上不利となる。それに直接変調法の変調帯域はレーザの緩和振動周波数によって制限され、高速度変調には不向きである。このため低チャーピング特性を持つ外部高速度光変調器が注目され、研究開発が内外ともに活発になってきた。光変調器は、電極構造の点からは集中定数型(lumped constant type)と進行波型(traveling wave type)に大別される。集中定数型光変調器の変調帯域は素子の容量に制限されるのに対し、理論上では、進行波型光変調器は変調電界のマイクロ波と導波路を伝搬する光波との速度が一致すれば(いわゆる速度整合)、変調帯域は無限大となる。現時点の光変調器では駆動電圧が高いため、殆どは小信号動作でアナログ信号への応用である。しかし、大容量光通信システムで必要となる大信号動作の場合は、ドライバーの出力の点から駆動電圧に制限を生ずる。すなわち、高速度光変調器には低駆動電圧化が要請される。

 本研究ではまず、半導体バルク構造を有する進行波方向性結合器型光変調器の研究を始めた。しかし、半導体バルク構造における線形電気光学効果による屈折率の変化は小さいため、駆動電圧が高く、素子の寸法も大きくなってしまう。素子はマイクロ波伝搬損失を削減するために半絶縁性GaAs基板を使ってMBE法(成長温度は590℃)でクラッド層のAl0.07Ga0.93Asとコアー層のGaAsを結晶成長した。マイクロ波と光波との速度整合をとるためにはコアー層の下にn型不純物ドープされた薄い(200nm)Al0.07Ga0.93As層を成長した。この層によってマイクロ波の速度を遅らせることができるので速度整合が可能となる。

 方向性結合器の結合長を8.5mmに設計し、進行波電極はコプレーナストリップ(Coplanar Strips、CPS)型である。素子の構成の概要を図1に示す。作製した素子に対し直流、低周波、高周波変調実験を行った。光源はアルゴンレーザポンプされたTi:Sapphireレーザである。動作波長を920nmに設定し、測定系はパソコンにより自動制御される。高周波変調実験系はSwept Frequency Method法に基いて構築したものである。結果としては半波長電圧は15Vを超えた。高周波光応答の結果を図2に示す。変調帯域は22GHzであった。この変調帯域はマイクロ波の伝搬損失によって制限されている。

図1進行波方向性結合器型光変調器の構成図2半導体バルク構造を有する進行波方向性結合器型光変調器の変調特性。

 量子井戸に於ける電界に依存した屈折率及び吸収係数変化、いわゆる量子閉じ込めシュタルク効果(QCSE)では、屈折率および吸収係数がバルク構造に比べて大きく変化するため、その広帯域光変調器への応用が期待される。そこで、半導体量子井戸構造における大きな屈折率変化が得られる利点と、高速化のための進行波型電極構造の導入とにより、変調帯域がより広く、駆動電圧がより小さくできる光変調器を主眼として研究を行った。このような構成の光変調器の研究を行うのは我々が初めてである。

 通常の矩形量子井戸構造における屈折率変化は吸収端付近ではバルク構造より二桁大きいが、同時に、この波長帯域において吸収係数も大きい。そのため、実際のデバイスへの応用のためには、光の挿入損失が著しいから、動作波長を励起子の吸収ピークから離さなければならない。しかし、励起子の吸収ピークから離れると屈折率の変化は急速に小さくなり、結局、得られる屈折率変化はバルクの2倍程度である。そこで屈折率変化が通常の矩形量子井戸構造より一桁も大きくできる五層非対称結合量子井戸構造を用いてデバイスを試作し、変調実験を行った。実験の結果は五層非対称結合量子井戸構造の優位性を指示するものであった。図3に示したのは今回用いた矩形量子井戸構造と五層非対称結合量子井戸構造である。励起子吸収ピーク波長はそれぞれ830nm(矩形量子井戸)と785nm(五層非対称結合量子井戸)である。基板もバルク構造と同じ半絶縁性のGaAs基板を用い、量子井戸構造は両方ともにAl0.3Ga0.7As/GaAs系で、結晶成長の手段もMBE法を用い、成長温度は590℃である。

図3矩形量子井戸構造(左)と五層非対称結合量子井戸構造(右)

 量子井戸構造は吸収ピークの裾効果により挿入損失が大きいため、バルク構造のように長い相互作用長の構成は利用できない。従って、光導波路と進行波電極の設計に変更を要する。作製した変調器は方向性結合器型とMach-Zehnder干渉計型の二つを用意した。進行波電極も同じくCPS型で、バルク構造に適用する進行波電極より透過特性と反射特性のいい素子が得られた。量子井戸構造は共にAl0.3Ga0.7As/GaAs系であるので、動作波長は短波長帯域に設定する。五層非対称結合量子井戸を用いた素子の直流変調実験の結果と対照するために、矩形量子井戸構造を用いた素子の変調実験の結果を合わせて図4に示す。共に20周期の多重量子井戸を含み、同じ条件でプロセスを行った。上図はMach-Zehnder干渉計型の結果である。励起子吸収ピークから長波長側に70nmの離調波長で、明らかに五層非対称結合量子井戸構造を用いた素子の屈折率の変化が矩形量子井戸よりも大きく、同じ相互作用長(2mm)であっても五層非対称結合量子井戸構造を用いた素子の半波長電圧は3Vであることに対して矩形量子井戸構造を用いた素子の半波長電圧は8Vであった。消光比は両方とも最大10dB以上が得られた。これらの結果から五層非対称結合量子井戸構造を用いれば光変調器の低駆動電圧化ができることが分かる。

図4直流変調実験の結果。(a)は矩形量子井戸構造、(b)は五層非対称結合量子井戸構造。

 五層非対称結合量子井戸を用いた進行波型光変調器の高周波変調実験の結果を図5に示す。3dB変調帯域が50GHzを越えるという結果が得られた。本研究では半導体多重量子井戸構造を用い、半導体バルク構造より駆動電圧が低く素子の寸法が小さく、しかも変調帯域を大きくできることが立証された。五層非対称結合量子井戸構造の優位性とデバイスへの応用の可能性が実証された。

図5五層非対称結合量子井戸構造を用いた進行波型光変調器の高周波変調実験の結果。
審査要旨

 本論文は、量子井戸光導波路を用いた半導体進行波型光変調器を始めて試作、研究し、駆動電圧は低く押えたまま変調帯域幅を大幅に向上させて超高速低電圧素子を実現した成果を記述したもので、英文7章よりなる。

 第1章は序論であって、本研究の背景と目的、論文構成等を述べている。2.5Gb/s程度以上の高速光ファイバ通信における光変調には、半導体レーザの直接変調方式に代って外部光変調方式が採用されており、なかでも量子井戸光導波路における量子閉じ込めシュタルク効果による光吸収変化を利用した光変調器が多用されている。これはいわゆる集中定数型素子で、変調ビットレートは素子キャパシタンスにより制限されるが、小形化を進めても40Gb/s程度以上にすることは困難であり、反面、駆動電圧の上昇や消光比の劣化をまねくことが問題となっている。むしろ逆に素子長を大にして低電圧化や消光比向上をはかり、同時に、変調電磁波が光波と同期して伝搬するように工夫していわゆる進行波型素子とすれば、40Gb/s以上の超高速化も期待できるが、このような研究は少なく、特に半導体量子井戸を用いた素子の研究は皆無である。本研究の目前は量子井戸光導波路を用いた進行波型光変調器を研究し、変調帯域幅が広く駆動電圧は低い素子を開発することである。

 第2章はOptical Modulator Theoryと題し、光変調器の基礎理論、特に集中定数型および進行波型素子の変調周波数特性に関する理論を要約している。

 第3章"AlGaAs/GaAs Heterojunction Structure Traveling Wave Directional Coupler Type Optical Modulators"では、本研究の手始めに行なったバルク光導波路を用いた方向性結合器型素子の研究成果を述べている。半絶縁性GaAs基板上に分子線エピタキシー法によりAlGaAsクラッド層、GaAsコアー層、AlGaAsクラッド層、GaAsキャップ層等を積層し、ウェットエッチング法により結合部長8.5mmの方向性結合器型光変調器を形成した。進行波電極は蒸着Alからなるコプレーナ・ストリップ型である。コアー層の下に薄い高ドープn型層を挿入してあり、変調電磁波を半導体内部に引き入れ、マイクロ波屈折率を増大させることを意図している。Sパラメータ測定結果から求めたこの素子のマイクロ波屈折率は3.9であり、実験波長920nmにおける光波屈折率3.55に近いので、速度不整合のみを考えれば3dB変調帯域幅fは45GHzと算出される。swept frequency法で実測したfは22GHzにとどまったが、これはマイクロ波伝搬損失が周波数と共に増大するためであることが判明した。

 第4章は"AlGaAs/GaAs Multiple Quantum Well Traveling Wave Type Optical Modulators"と題し、多重量子井戸光導波路における量子閉じ込めシュタルク効果による屈折率変化を用いた方向性結合器型およびマッハ-ツェーンダー干渉計型素子について記述している。ウェーファは、通常の矩形ポテンシャル分布AlGaAs/GaAs量子井戸を20組積層してコアー層とした以外は第3章の場合と同様であるが、マイクロ波減衰および光吸収損失を低減するために結合部長あるいは干渉計アーム長を2mmに短縮し、デバイス平面パターンも改良設計してある。いずれの素子もfは測定器限界50GHzを越えていたが、特にマッハ-ツェーンダー干渉計型では、励起子吸収ピーク波長より70nm長波長側に離調した900nmの光波長において、スイッチング電圧8V、消光比12dBが得られた。

 第5章"Five-step Asymmetric Coupled Quantum Well(FACQW)Structures"では、非対称5層構造結合量子井戸について述べている。これは変形ポテンシャル量子井戸の一種であって、上記のように大きく離調した光波長域でも矩形ポテンシャル量子井戸よりも大きな屈折率を得るために新たに考案されたものである。

 第6章は"FACQW Traveling Wave Type Optical Modulators"と題し、前章の非対称5層構造結合量子井戸を20組積層したコアー層を有するマッハ-ツェーンダー干渉計型素子の試作実験結果を述べている。f実測値は50GHzを越え、55GHz程度と推定されたが、これはマイクロ波屈折率が2.7と小さく速度不整合がやや大であること、およびマイクロ波減衰が影響していることが原因で、改善可能と考えられる。励起子吸収ピーク光波長785nmから65nm離調した850nmにおけるスイッチング電圧は3Vで、4章記載の矩形ポテンシャル量子井戸を用いた素子に比べて大幅に低下した。なお消光比は11dBであった。半導体を用いた光変調器としては極めて高速かつ駆動電圧も十分低い素子が実現された。

 第7章は結論であって、上記の緒結果を総括するものである。

 以上のように本論文は、半導体進行波型光変調器に量子井戸構造を始めて導入して、変調帯域幅55GHz、スイッチング電圧3Vという超高速低駆動電圧素子を実現すると共に、非対称5層構造結合量子井戸が通常の矩形ポテンシャル量子井戸よりも低電圧化に有用であることを実証したもので、電子工学上貢献するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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