学位論文要旨



No 113403
著者(漢字) 大泉,淳一
著者(英字)
著者(カナ) オオイズミ,ジュンイチ
標題(和) リオトロピック液晶ラメラ相およびスポンジ相の動的光散乱
標題(洋)
報告番号 113403
報告番号 甲13403
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4121号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西,敏夫
 東京大学 教授 早川,禮之助
 東京大学 教授 宮野,健次郎
 東京大学 助教授 伊藤,耕三
 東京大学 講師 木村,康之
内容要旨 I.はじめに

 界面活性剤や脂質などの両親媒性分子は、溶液中で会合して様々な構造を持った会合体を形成する。温度、濃度などの外部環境により、これらの会合体はさらに、その会合体を基本単位とした高次構造体を作ることが知られている。その代表として、本論文で対象とした2分子膜を構造単位としたラメラ相およびスポンジ相が挙げられる。両相の構造および物性は、近年、進展が著しい柔らかい低次元物体からなる凝集系の物理の典型例として非常に興味深い。

 ラメラ相は2分子膜と溶媒が交互に積層した1次元周期構造をもつリオトロピック(濃度転移型)液晶相である。その層の繰り返し距離dは界面活性剤濃度によって決まり、d=/(:膜厚)の関係が成り立つことが知られている(図1)。このため、濃度が数%の希薄なラメラ相では層間隔が著しく広がり、光の半波長程度(数百nm)にまで達する。このような柔らかい膜で構成されたラメラ相における長距離秩序は熱的に励起される膜の波打ち揺らぎにより、隣接する膜間で立体的な斥力(steric repulsion)が働くことによって維持されると考えられている。つまり、膜が積層して空間を充填することで膜の大きな熱揺らぎが長距離秩序をもたらし、その構造が安定化されるという、一見パラドキシカルな点にこの系の顕著な特徴がある。

図1.ラメラ相.

 一方、ラメラ相の高温または低濃度側に現われるスポンジ相は、溶媒が単連結した2分子膜によって2つの等価な連結領域に分けられたbicontinuousな構造をもち、膜の配向方向がランダムな等方的な相である。これまでに、中性子、X線を用いた散乱実験から、膜間の平均的な距離に対応する特徴的な長さが存在することが観測されている。

 本研究では第一に、希薄濃度における膨潤したラメラ相の長距離秩序を維持する膜の波打ち揺らぎを定量的に観測することを目的とする。このために非イオン性界面活性剤C12E5(ペンタエチレングリコールドデシルエーテル)水溶液系のラメラ相において、膜の熱揺らぎを決めるパラメータである膜の硬さを揺らぎ測定法である動的光散乱法(Dynamic Light Scattering;DLS)を用いて求め、その界面活性剤濃度(繰り返し距離)依存性を調べた。また、スポンジ相に対しては、従来の研究が主に構造解析を目的に行われてきたが、動的挙動に関しては研究が進んでいない現状を踏まえ、本研究ではC12E5水溶液系のスポンジ相においてDLS測定を行い、柔らかい膜で構成されたスポンジ相の動的挙動に関する知見を得ることを目的とした。

II.実験

 ラメラ相における測定は、C12E5濃度2-7%(繰り返し距離d182-73nm)の試料に対し、59℃において行った。熱処理によって、平行ガラスセル(0.1mm間隔)中でガラスに平行に層を配向させている。また、スポンジ相における測定は、濃度が0.5-8%(1600-75nm)の範囲で、また、温度はそれぞれの濃度でスポンジ相を示すところで行った。DLSの測定はホモダインの配置で、散乱角に対する散乱光強度の自己相関関数の測定を行った。さらに、試料が異方的なラメラ相では、試料の角度も同時に走査できる装置を開発し、実験を行った。(図2)

図2.DLS配置.
III.実験結果および議論(i)ラメラ相の動的光散乱

 ラメラ相において得られた散乱光強度の自己相関関数は単一緩和であり、そこから求められた相関時間の逆数の波数q=(qx,qy,qz)依存性を図3に示す。用いたDLSの配置では、膜の変位揺らぎと濃度揺らぎがカップリングしたbaroclinic modeと呼ばれる揺らぎモードが観測される。このモードに対しては、とqの間に次の関係式が成立する。

 

 但し、は化学ポテンシャル一定における層圧縮弾性率、K(=/d)は広がり弾性率、はslip係数、は溶媒の粘性率を表わす。図3の実線に示したように式(1)を用いた最適当てはめを行うことで、膜の硬さの濃度(繰り返し距離d)依存性を求めることができる。その結果、はdに対して単調減少することが分かった。波打ちが起きるような柔らかい膜においては、実効的な硬さが膜の熱揺らぎによって減少することが理論的に予想されており、次式に示すようには繰り返し距離dの増加とともに対数的に減少する。

 

 ここで、0は膜の局所的な硬さ、kBTは熱エネルギーである。パラメータは平均場理論による計算では1、繰り込み群を用いた計算では3となることが示されている。そこで、を対数補正項ln[(d-)/]に対してプロットすると、図4に示すように両者の間に線形の関係が得られ、最適当てはめから0/kBT=0.88、=2.6が求められた。以上のように、実効的な膜の硬さに対する理論が本研究により初めて実験的に確かめられ、また理論式に現われるパラメータの値としては3が妥当であることが分かった。

図3.ラメラ相のvs.qx2(2%).図4.実効的な膜の硬さ.実線は最適当てはめ.
(ii)スポンジ相の動的光散乱

 スポンジ相においては単一緩和から外れた自己相関関数が観測されたために、相関時間の分布を考慮した拡張指数型関数

 

 を用いて相関関数の解析を行った。ここでは相関時間の分布の広がりを表すパラメータである。さらに、各濃度における揺らぎの特徴的な大きさと散乱波数qに依存して、形の異なる相関時間()の波数分散が観測された。高濃度側での結果の例を図5(濃度5%)に、また低濃度側での結果の例を図6(0.6%)に示す。

図5スポンジ相のvs.q2(5%).

 高濃度側では、はほぼ1となり、相関関数は単一緩和を示し、またの分散は図5に示すように=Dq2の関係が成り立つことから、この緩和過程が通常の拡散型であることが分かる(Dは拡散定数)。このときEinstein-Stokesの式D=kBT/(6H)から揺らいでいる物体の流体力学的半径Hを求めるとHとなり、観測している揺らぎが、のサイズをもつスポンジ構造の単位セルの揺らぎであることが分かった。

 一方、図6において、低波数の領域では図5と同様に∝q2が成り立つが、高波数の領域では∝q3となり、それに伴ないは0.7まで減少する。このとき高波数側ではq>>1であり、スポンジ構造の単位セルより小さい波長領域、つまりセルを構成する2分子膜の膜内の揺らぎを観測していることになる。また、この場合には特徴的な運動の時間スケールが大きくなるために、濃度揺らぎの間での流体力学的なカップリングを考える必要性がある。このような濃度揺らぎと流体力学的変数とのモード結合を扱ったKawasaki理論によると減衰率はq>>1の極限で

 

 で与えられる。このようにモード結合理論によればq>>1の領域では、揺らいでいる実体の持つ形状などの個性がその動的性質には反映されないことになる。しかし、式(4)は高波数側で測定された波数分散(図6)と大きく異なってくるが、これは膜内の揺らぎ、つまり膜の波打ちを観測しているにもかかわらず、モード結合理論ではそれを特徴づけるパラメータである膜の硬さが考慮されていないためであると考えられる。

図6スポンジ相のvs.q2(0.6%).

 最近、ZilmanとGranekにより、硬さを持つ曲がる板の等方相における動的構造因子が膜の熱揺らぎとそのモード間の流体力学相互作用を考慮して計算された。それによると、q>>1領域における動的構造因子Sは近似的に

 

 のような拡張指数型関数で与えられ、減衰率は式(4)とは異なり弾性率に依存した、次式のような形で表わされる。

 

 本実験でも、測定により得られた自己相関関数は拡張指数型を示し、またパラメータはほぼ0.7となり、理論値2/3に近い値が得られた。また、高波数域での波数分散も図6の実線に示すように式(6)を用いた最適当てはめによりうまく説明でき、膜の熱揺らぎを考慮したこのモデルが本研究の実験結果を説明することが分かった。さらにこの当てはめからスポンジ相における膜の硬さを/kBT=1.7と求めることに成功した。

審査要旨

 本論文は、「リオトロピック液晶ラメラ相およびスポンジ相の動的光散乱」と題し、界面活性剤2分子膜の高次構造体であるリオトロピック(濃度転移型)液晶ラメラ相とスポンジ相の揺らぎに関して動的光散乱法を用いて行った研究をまとめたもので、5章からなる。結論として、本研究はラメラ相およびスポンジ相の動的挙動に新しい知見を与え、近年、進展が著しい柔らかい低次元物質からなる凝集系の物理の研究に寄与するであろうと述べている。

 第1章は序論であり、本研究の背景・目的について述べている。2分子膜と溶媒が交互に積層したラメラ相は、界面活性剤濃度の減少によって層間隔が光の半波長程度にまで及ぶような長距離秩序をもつ。このような長距離秩序は膜の熱揺らぎによる隣接する膜間の立体斥力によって維持されている。つまり、膜が積層して空間を充填することで膜の大きな熱揺らぎが秩序をもたらしてその構造が安定化されるという、一見パラドキシカルな性質に2次元系としての膜の特徴が反映されている。そこで本研究では、動的光散乱測定によってラメラ相における揺らぎを観測して、膜の熱揺らぎがラメラ相の物性に及ぼす影響を明らかにすることを目的にしている。また、スポンジ相は一続きの2分子膜がランダムに空間を2等分した等方相である。このようなユニークな構造をもつスポンジ相について、現在までに研究が進んでいないそのダイナミックスを、動的光散乱による揺らぎ測定から明らかにすることをもう一つの目的としている。

 第2章では、本研究のもとになる膜の統計物理について紹介している。はじめに、ラメラ相とスポンジ相の基本単位である2分子膜の連続弾性体理論とそれから導かれた膜の性質について述べている。さらに、実際に動的光散乱実験で測定される両相の揺らぎについての理論に関して述べられている。

 第3章では、本研究で用いた動的光散乱スペクトロスコピーの原理、実際の測定装置とデータ解析についての詳細が述べられている。

 第4章では、ラメラ相とスポンジ相における揺らぎの動的光散乱による測定結果を示し、解析およびそれに対する議論を行っている。ラメラ相の動的光散乱測定では、その揺らぎモードの解析から膜の熱揺らぎを決定するパラメータである膜の硬さを求めている。その層間隔依存性は、膜の熱揺らぎによって実効的な膜の硬さが層間隔に対して対数的に減少することを予測した理論と一致している。よって、本研究で初めて実験的にこの理論が検証され、理論式に現われる未知のパラメータが見積もられている。さらに、スポンジ相の動的光散乱では、各濃度における揺らぎの特徴的な大きさと散乱波数qに依存して、自己相関関数の形と減衰率の波数分散の異なる2領域が観測されている。高濃度、低波数(q<1)領域の場合、相関関数は単一緩和を示し、拡散型∝q2の関係が成立している。これから求められた濃度揺らぎの流体力学的半径Hがスポンジ単位セルの特徴的な大きさ程度になることから、散乱の原因はスポンジ構造の単位セルによる揺らぎであるとしている。また、低濃度、高波数(q>1)領域の場合、相関関数は相関時間に分布をもつ拡張指数型を示し、の波数分散に∝q3の関係が成立している。この波数域では、スポンジ単位セルより小さい領域、つまりセルを構成する2分子膜の膜内の揺らぎが観測されるために、膜の揺らぎを制御するパラメータとして膜の硬さが重要になる。そこで、弾性をもつ板の集合体に対して板の熱揺らぎとそのモード間の流体力学相互作用を考慮した最近の理論との比較を行い、相関関数が拡張指数型となることを実験的に確認し、実験から得られたの波数分散に対する当てはめによって、スポンジ相における膜の硬さが初めて定量的に見積もられている。

 第5章は本論文全体の結論にあたり、得られた結果の総括をしている。結論として、ラメラ相の動的光散乱測定から熱揺らぎによる膜の波打ちが実効的な膜の硬さを減少させる現象をはじめて実験的に観測して、熱揺らぎが膜の物性に及ぼす影響を明確にした。また、スポンジ相の動的光散乱測定からq<1、q>1領域それぞれのスポンジ相の揺らぎの機構を明らかにしている。

 以上の内容をまとめると、2次元物質(2分子膜)から構成される3次元系であるラメラ、スポンジ両相において、動的光散乱法による揺らぎの測定から、そのダイナミックスの分子的機構を明らかにしている。従って、本研究は低次元物質からなる凝集系の物理に対して知見を与えるものであり、物理工学に寄与するところが非常に大きい。よって本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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