審査要旨 | | 平衡状態からの揺動に対する線形応答はいわゆる久保理論によって明確な基礎づけを与えられ成功を収めている.しかしながら,平衡状態から遠く離れた非平衡・非定常系における熱・エネルギー伝搬などの輸送現象に対しては量子力学に基づく第1原理的な取り扱いはほとんど不可能であり,従来適当な確率過程モデルを考えたり,適当な熱浴との結合を考えるなどの方法で議論されてきた.本研究では,温度の異なる物体間のエネルギーの伝搬という非平衡系での代表的な現象を,確率的な揺動を用いず純粋に系の量子力学的な発展のみを用い,正確に取り扱うモデル・方法を提案している.そして,従来の熱浴を仮定する方法と比較し,熱浴の自由度をどのように近似的に消去すべきか,また,可積分系と非可積分系での熱的な擾乱に対する応答がどのように異なるのかを明らかにすることを目的としている. 本論文では,第1章において研究の背景として非平衡系の取り扱いの困難性を歴史的に概観し,古典論でのエネルギー拡散の必要条件であるランダムネスと非線形性の役割について述べ,本研究の目的を述べている. 第2章の前半では,まず,異なる温度を持つ物体間のエネルギー伝搬を力学的な取り扱いを定式化している.その方法は,ともに熱平衡状態にある二つの系を接触させた後,密度行列に対する力学的なフォンノイマン方程式に従って合成系を時間発展させ,一方の系の全自由エネルギーの時間的な変化とそのエネルギー重心の時間変化を調べるものである.次に,この手法を1次元タイトバインディングモデルに適用し,(i)自由フェルミオン,ボゾン系に対するエネルギー伝搬の解析的な表式,(ii)ランダムネスの効果,(iii)準周期的なモデルでの伝搬,について議論している.その結果,(a)並進対称性のあるモデルおよび準周期モデルではエネルギーの伝搬は二つの系の温度差が有限である限りバリスティックであること,(b)ランダムネスのある系ではランダムネスの特徴的な大きさが温度差程度になるまではバリスティックであり,それを越えるとエネルギーの伝搬が生じないことが数値的に観測され,ランダムネスの程度によるある種の転移が見られること,を示している.また,数値計算を行った系が有限系であることの効果の考察,伝搬速度の温度依存性,化学ポテンシャルの効果などについての考察も行っている. 第2章の後半では,系に熱浴を取り付け,熱浴の自由度を消去して得られるリウビル方程式を解いて時間発展を記述する従来の方法と,本研究で得られた結果の比較を行っている.まず,系の端に熱浴を取り付け,その自由度を第2ボルン近似で消去した場合の結果について議論している.その結果,等エネルギーモード結合のみを残す近似では,エネルギー伝搬の局所性を記述できず,物理的に正しくない結論を与えること,多モード結合を考慮する近似をとると,物理的に妥当な結果が得られ,本研究の結果とよく一致することを示している.次に,ふたつの系を温度のことなる熱浴と結合させ,等エネルギーモード結合と多モード結合のふたつの近似に対してエネルギーの伝搬を議論し,輸送現象などのように局所性が重要になる現象に対しては,多モード結合の近似を取る必要があることを結論している. 第3章では,可積分系と非可積分系における熱的な擾乱の影響の相違いを再帰現象によって議論している.対象としては,相互作用のあるスピンレスフェルミオン系と(ランダムネスや長距離相互作用を導入し可積分性を壊せるようにした)ハイゼンベルグスピン系をとっている.その結果,最大振幅を持つ再帰現象の時定数のシステムサイズ依存性を調べると,強磁性スピン系の場合には,可積分系では系のサイズとともに線形に再帰時間が増大するが,非可積分系では指数関数的に増大することを示している.しかしながら,反強磁性スピン系では非可積分系でのこの指数間数的な増大は考察したシステムサイズの範囲では見られていない.この結果を,考察するためにルードヴィッヒノルム(2つの状態の間の「距離」を定義するもの)を可積分系,非可積分系のそれぞれに対して計算し,その比較を試み,熱的な擾乱の影響はこの程度のシステム(12サイト)では,可積分性よりも基底状態の縮重度やギャップの有無が大きく影響する可能性が高いことを議論している. 第4章は以上の結果を簡潔にまとめ,今後の展望について述べている. 以上を要約すると,本研究では,強い非平衡・非定常状態での熱エネルギーの伝搬を第1原理的な力学的な発展方程式として記述し,ランダムネスの影響,従来の近似の妥当性,可積分性の有無の効果について解析している.特に,有限温度では,ランダムネスの大きさをパラメータとしてある点で伝搬-局在の転移が見られることを数値的に見い出している.また,従来の熱浴を取り付ける方法と比較し,単純な等モード結合では輸送現象は正しく記述できないこと,多モード結合近似を採用することによって妥当な結論を導けることを示している.さらに,可積分系と非可積分系における熱的な擾乱の影響を議論し,強磁性スピン系での再帰現象の違いを見い出している.このことから,1次元のタイトバインドモデルという簡単化されたモデルで示されたことではあるけれども,短時間にわたる現象ではこのような力学的な方程式に基づく方法が有用であることを提案している.本研究で得られた知見は,応用上たいへん基本的かつ重要な輸送現象に対して新しいアプローチの可能性を与えるものであり,物理工学の基礎,特に非平衡・非定常現象論に対する貢献が大きい.よって,本論文は,博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる. |