学位論文要旨



No 113407
著者(漢字) 安田,正美
著者(英字)
著者(カナ) ヤスダ,マサミ
標題(和) 原子の相関に関する研究
標題(洋)
報告番号 113407
報告番号 甲13407
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4125号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,富士夫
 東京大学 教授 伊藤,良一
 東京大学 教授 渡部,俊太郎
 東京大学 教授 櫻井,捷海
 東京大学 助教授 五神,真
 東京大学 助教授 三尾,典克
内容要旨

 量子力学の誕生以来、物質粒子の示す波動的性質が認識されてきた。それは、de Broglieの物質波の概念により端的に表現される。実験的には電子・中性子等の素粒子により、その波動性があらわに示されてきたが、それらの複合粒子である原子についても、波長=h/pの波動としての振る舞いが期待される。

 この様に、概念的には理解されてきた原子の波動性であるが、これはごく近年に至るまで実際に確認される事はなかった。その理由として、(1)室温での原子のde Broglie波長が数オングストロームのオーダーであるために、この程度の大きさの回折格子等の作成が事実上不可能、(2)中性子等とは異なり、原子は固体結晶中を透過できない、等といったことが挙げられる。

 ところが、最近のレーザー冷却・トラッピング技術の進歩により、可視光の波長に迫り、さらにはそれを越えるde Broglie波長を持つ原子が得られる様になり、且つ、超微細加工技術の発展とも相まって、実際に原子の干渉縞を観測することが可能になった。さらに光学における種々の形式の干渉計の原子版が作成され、物理学の基礎的概念をテストするためのものから、その超高感度センサーとしての応用への道も模索されつつある。

 一方、光の場合には、いわゆる1次の干渉(電場の1次の相関関数、またはそれを規格化した1次のコヒーレンス関数で表現できるもの)に加えて、2次、さらにより高次の干渉効果の存在が知られている。それに関する理論も確率論を利用した古典的なものから、場の量子論に基づく量子力学的なものまでが考案され、それは量子光学として非常な発展を遂げている。

 その一方で、物質粒子の2次以上の高次の相関・干渉効果は実験的・理論的に、あまり検討されてこなかった。本研究では、レーザー冷却された極低温原子線を用いて、原子の相関効果を実験的に確認することを目的としている。

 光学においては、古くから相関測定が行われてきた。その最も初期の代表的なものが、Youngのダブルスリットによる干渉実験である。これは、光電場について2次の相関(干渉)を測定したもので、1次のコヒーレンス関数によって記述される。この実験は光の波動性の決定的な証拠としても重要である。これに対し、Hanbury-Brown,Twissは1950年代、電場の4次の相関を導入し、実際に実験を行った。これは、強度相関という概念を用いたものであり、2次のコヒーレンス関数によって記述される。この実験の理論的解釈が進むと時期を同じくして、レーザーが発明された。このレーザー光の性質を相関測定によって調べる際、強度相関測定の重要性が明らかになる。例えば、狭帯域フィルタを通過した太陽光とレーザー光で、Youngの干渉実験を行い、1次のコヒーレンス関数を測定してもその両者の差は現れない。差が現れてくるのは2次のコヒーレンス関数測定からである。2次以上に次数を上げて初めて、古典論と量子論の相容れない状況が現出する。この様に光学における高次相関測定は、光の量子論に関る興味を引くものである。原子の場合についても、その高次相関の測定は非常に意義深いものである。

 多粒子(今は2個)の相関を測定する為には、1つの外部量子状態に少なくとも2つの粒子が存在する必要がある。光の場合にはレーザーが存在し、この確率は1よりもずっと大きい。一方、物質粒子の場合について、この確率を、コヒーレンス時間(エネルギー幅の逆数程度)に見出される粒子数から見積もると、室温の原子線の場合、1.4×10-7となり、非常に小さい。そのため、物質粒子でこの種の測定は行われてこなかったのであるが、近年のレーザー冷却・トラッピング技術の発展により、この状況はかなり改善されてきた。特に、Bose-Einstein凝縮した原子気体については、高度に縮退した状態にあり、非常に有用な実験試料と成り得る。しかし、BEC原子は現在の所、容易に入手できる物ではない。そこで、通常のレーザー冷却された原子集団(MOTから解放された原子)で、上の見積もりを行うと、1.0×10-4となり、室温の原子線に比べて3桁の増大になる。実験的には、辛うじて検出可能なレベルにある。これで、本研究に於けるレーザー冷却の重要性が認識できる。

 中性原子をレーザー冷却するためには、そのエネルギー準位に閉じた遷移が存在する必要がある。通常アルカリ原子等では、基底状態と第一励起状態との間の遷移を利用する。しかし、Ne原子の様な希ガス原子の場合の第一励起状態は、基底状態から10数eV上にあるので、現存するCWレーザーを使用できないので、準安定状態のものを用いる。冷却・トラッピングには、波長640nmの、トラップから解放する為には、波長598nmのレーザー光を各々利用する。トラップ部の到達真空度(実験時)は約4×10-9torrである。トラップされた原子の数密度は、その立ち上がり時間から求まり、1.1×1011[1/cm3]であり、その温度は飛行時間法から、91.3[K]と求まる。また、Youngのダブルスリットの実験を行い、原子源の横方向の大きさの実効的な値として、80[m]が得られた。原子の温度から求まるde Broglie波長と、原子源の横方向の大きさから、原子の回折角が求まり、原子線によってコヒーレントに照射される面積の大きさが見積もれる。しかし、この大きさは0.21[mm]となり、原子検知器の大きさ12[mm]よりもずっと小さいので、静電場を利用した原子用凹レンズを使用し、コヒーレント照射面積を拡大した。これにより、原子源の実効的な大きさを減少し、空間的コヒーレンスを増大させた。

 強度相関(強度揺らぎ)について調べる際には、2次のコヒーレンス関数がどのようなものになるかの知識が必要になる。トラップに於ける原子の速度分布(Maxwell-Boltzmann分布)から、そのエネルギー分布を計算し、それを原子線のパワースペクトルとみなす。これをFourier変換すれば自己相関関数が求まり、正規化すれば1次のコヒーレンス関数を得る。原子波をガウス型不規則信号とみなせば、2次のコヒーレンス関数は次の様になる。

 

 ここで、は原子線のエネルギー幅を角周波数に換算したもの。この関数のグラフは、遅延時間ゼロ付近(コヒーレンス時間よりも小さい時間領域)でピークを持つ。これを波動的観点から見れば、強度揺らぎの相関を意味し、粒子的観点から見れば、バンチングを意味する。この「バンチング」は2原子が実際に接近している(分子の様に)事を意味するのではなく、共通の波面に沿ってやってくる傾向の存在を意味することに注意したい。冷却された原子線のエネルギー幅は約1MHzであるので、コヒーレンス時間はその逆数の1sec程度である。この間に原子の進行する距離は1mなので、原子検知器の表面はこの精度で原子波面に適合しなくてはならない。

 実験では、まず磁気光学トラップを生成し、そこに解放レーザー光を連続的に照射することで、CW超低速原子線を得る。原子の検出は光子計数法により行う。原子波面に適合する曲率半径の金蒸着鏡に、準安定状態Ne原子が衝突する時に、Penningイオン化によって放出される電子をMCPにより検出する。各原子の到着は、対応する実時間上のパルスにより知られる。このようなパルス列の測定から強度相関関数を求めるために、隣合う2つのパルスの間隔分布を求める方法を用いた。もし、原子を砂粒と同じ様な古典的粒子とみて、到着時刻の間隔分布を計算すると、殆どflatなものが得られる。即ち、各原子が全くランダムにやってくるはずである。これに対し、波動的な振る舞いを示すものとみれば、コヒーレンス時間内に次の原子を検出する確率が高くなるはずである(バンチングの傾向)。

 実際の実験での原子カウントの典型的な値は100[1/s]であり、この場合、コヒーレンス時間内に2個の原子を検出する確率は非常に小さいので、SN良く相関関数を求めるためには、数十時間のデータ積算時間を要する。バンチングの効果が2原子間の引力的相互作用によるものである可能性を排除するため、また、電気ノイズ等の影響により、単一の実験では原子の相関の有無を明確に示す事は難しいので、比較実験を行った。変化させるものは原子用凹レンズの使用の有無である。(コヒーレント照射か否か)

 その結果を以下に示す。(左:凹レンズ使用、右:凹レンズ不使用)

図表

 コヒーレント照射の場合には、=0付近にピークが見られる。即ち、コヒーレント照射の場合には期待されるバンチングの効果がみられ、インコヒーレント照射の場合にはそれが見られない。これで原子相関の効果を示せたが、上の比較実験には一つ問題点がある。それは、比較実験の2つの場合で、原子の通過する場が異なることである。凹レンズを使用する際には原子の軌道が広げられ、検出器表面と異なる金属表面に衝突して電子を放出し、それを検出する危険がある。そこで、次の比較方法では原子の通過する場を共通にし、原子検出器表面と原子波面を適合させるか否かを変化させた。具体的には、原子検出鏡を正しくセットするか、傾けるかという事である。この実験結果を以下に示す。(左:正しくセットしたもの、右:傾けたもの)

図表

 相関関数のグラフで両者の差を認める事は容易ではないが、実験式でフィッティングを行い、統計解析をすれば、両者に統計的に有為の差があることが解る。これにより、この比較方法によっても原子の相関効果を示す事ができた。これを、原子波の強度揺らぎの存在と解釈すれば、Youngの干渉縞の実験よりも一つ高い次数で原子の波動性を示した事になる。また、使用した原子がボーズ粒子であることから、2粒子が同じ状態を占める確率が高い事を示せたと言え、量子統計力学効果の一つの現れであると解釈できる。将来的には、2重ピークのエネルギー分布を持つ原子集団を用いた原子ビートの観測、半整数スピンを持つ(フェルミ統計に従う)21Neによるアンチバンチングの観測、更に、ボーズ凝縮した原子を用いて強度相関測定を行い、その統計的性質を調べる事といった発展が期待される。

審査要旨

 素粒子のみならず、複雑な構造と質量を持った物体も波動的性質を持つことは量子力学の教えるところであり、今日それを疑う科学者はいないであろう。しかし、複雑な物体が実際に干渉や回折を起こしているところを目で見えるようにすることは、最も簡単な複雑物体である原子に対してさえ、ごく最近まで不可能であった。これは原子でさえ、室温における平均波長が10-11cm程度しかなく、回折像を分解できる粒子検出器がなかったことによる。近年のレーザー冷却技術の進歩により、原子気体を極低温まで冷却し、光の波長より長いドブロイ波長を持った原子を作れるようになった結果、原子の世界でも光と同じように干渉効果を利用したさまざまな研究、デバイスの開発が行なわれはじめている。光学の世界ではレーザーの発明によって光波の輝度が飛躍的に向上し光学干渉デバイスの多様な発展をもたらした。原子の場合にも1995年のボーズアインシュタイン凝縮の成功により同様な発展をもたらす可能性があるコヒーレントな原子気体が生成されている。しかし、原子はもちろんのこと、光学においても、その干渉効果はほとんどすべてが1粒子の干渉現象を使ったものである。1粒子干渉はその波動源の性質、例えばコヒーレントな波動か熱的な波動源かなど、による異差は全く現れない。波動源の性質が関与する効果は少なくとも2個の粒子が関与する多粒子干渉において現れる。ところが、2粒子干渉現象を観測するためには少なくとも2個の粒子が同一量子状態に存在しなければならない。光学では、レーザー発明により同一量子状態に多数の粒子(光子)が存在する状態は容易に作れるようになり、量子光統計(狭義の量子光学)の分野が花開き、量子暗号など多粒子干渉が本質的な役割をになう工学的応用も研究されるようになった。また、レーザー発明以前でもブラウンツイスの強度干渉計のような先駆的研究もあった。しかし原子では多原子干渉効果の実験的研究は今まで全く行われなかった。これは、室温原子気体の量子力学的密度が非常に小さく、同一状態に2個の原子が存在する確率は実質的に零であったことによる。レーザー冷却はこの値を数桁改善し、存在確率を1/10000程度まで高めることが出来るようになった。

 本論文は、著者等が、この機会を捉えて初めて原子気体の2粒子干渉効果を観測した先駆的研究の成果を記述したものである。空間的に単一モードに制限した準安定状態の極低温ネオン原子線の2原子時間相関スペクトルを観測し、原子のエネルギー分散の逆数に相当する幅のピークを観測した。物理的には光におけるブラウンツイスの強度干渉と等価である。この観測は、原子のみならず質量がある粒子気体で多粒子干渉効果を直接観測したただ一つの例である。

 本論文は6章からなり、第1章は序章で、上記の背景が簡潔に述べられている。第2章はこの実験成立の必須条件であるレーザー冷却の解説に当てられている。第4章は強度相関で観測されるスペクトルの理論の記述で、原子線をランダムな波動とした取り扱いと、粒子光学的取り扱いの両方でスペクトルを導出している。

 第3章と5章は実験に関する記述である。レーザー冷却によりこの種の実験が可能になったとはいえ、2粒子縮退の確率は1/10000にすぎず、綿密に設計された実験装置の構築と忍耐強いオペレーションが必要であった。実験には、まず、観測領域を空間的に単一モードに制限し、時間的にも原子波の波面が検出器表面と一致させる必要がある。第3章は原子の空間的制御に必要な原子光学の理論的検討に当てられている。第5章は実際の実験装置構成と測定結果についてである。実験を成功させたもう一つの鍵は、非常に小さい確率で起こる2原子相関の信号をノイズから拾い出し、また、装置から出る擬似信号から区別する手段の開発にあった。通常の荷電粒子検出器から発生するトランジェントな擬似信号を避けるため、著者等は金属鏡面を4分割した独創的な準安定状態ネオン原子検出器を開発した。また、量子相関の検出を確定するため、単一空間モードからの信号と空間的にインコヒーレントな場合の信号を交互に測定する原子光学の配置を案出した。このような工夫をもってしてもノイズレベル以上の信号を得るためには長時間のオペレーションが必要であった。著者等は千時間を超える試行錯誤と約百時間にわたる連続オペレーションの後に、初めて2原子相関スペクトルの観測に成功した。第6章はまとめと今後の展望である。

 アルカリ原子のボーズアインシュタイン凝縮の成功により、間もなくコヒーレントな原子線が原子干渉の研究に使われるようになると考えられる。本論文の研究成果は、研究自体が基礎科学上の大きな成果であるだけでなく、コヒーレント原子線の量子統計的評価のための有用な研究手段を提供し、また、もっと将来は、丁度、現在光学で始まっているような多粒子干渉の技術的応用にも道を開くものである。

 よって本研究は工学の進歩に寄与するところが大きく、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54635