学位論文要旨



No 113410
著者(漢字) 板谷,治郎
著者(英字)
著者(カナ) イタタニ,ジロウ
標題(和) チャープパルス増幅による高出力チタンサファイアレーザーの研究
標題(洋)
報告番号 113410
報告番号 甲13410
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4128号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,俊太郎
 東京大学 教授 清水,富士夫
 東京大学 教授 黒田,和男
 東京大学 教授 神谷,武志
 東京大学 助教授 五神,真
 東京大学 助教授 志村,努
内容要旨

 近年の高出力超短パルスレーザーの目覚ましい発展により、テーブルトップ規模でテラワット以上の高出力パルスの発生が可能となった。この一連の技術革新において最も重要な役割を果たしたものが、チタンサファイア結晶を代表とする新しい広帯域レーザー媒質と、チャープパルス増幅法である。チタンサファイアは約300nmにわたる非常に広帯域な利得スペクトルをもち、他のレーザー媒質ではなしえない超短パルスの発生と増幅を可能とした。また、チャープパルス増幅によって、超短パルスの非線形伝搬に伴う媒質の損傷が回避出来、飽和フルーエンスの高い固体レーザー媒質における高効率増幅が可能となった。

 この二つの技術により、チタンサファイアレーザーから10Hz以上の繰り返しで、時間幅100fs,ピーク出力1TW前後の高出力パルスが比較的容易に得られるようになっている。その結果、希ガス原子のイオン化、高次高調波発生といった高強度光電場下の物理現象の研究が急速に発展した。

 高強度光電場下での多くの新しい現象の探究には、レーザーの超短パルス化と高ピーク出力化が重要である。現在、チタンサファイア発振器から得られているパルス幅の最短記録は6.5fsである。しかしその一方で、50fs以下の高出力超短パルスをテラワットレベルまで増幅することは非常に困難である。なぜなら、広いスペクトル領域での位相補償が必要であり、高い増幅率に伴うスペクトルの狭帯化が不可避だからである。

 高出力超短パルスの応用において、パルスの瞬間的な電場強度だけでなく、時間的な履歴が重要となる実験も数多い。その一つが、固体ターゲットからの高密度プラズマ発生である。高密度プラズマ生成のためには、プラズマ膨脹の時間スケールよりも短い励起レーザーパルス(<〜1ps)を用い、数nsにわたってパルス前端部の強度をプラズマ生成の閾値以下(<1010W/cm2)に抑制することが必要である。例えば、照射強度1018W/cm2で高密度プラズマを生成する場合、パルスのバックグランドに対する尖頭部の強度コントラスト比として108以上という極めて高い値が必要である。高出力チャープパルス増幅レーザーにおいては、高出力化、超短パルス化と同時に、いかにして高いコントラストをもつクリーンパルスを発生させるかが、重要な課題となっている。

 本論文ではまず、チャープパルス増幅による高出力超短パルスチタンサファイアレーザーの開発について述べる。次に、テラワット級チタンサファイアレーザーにおけるパルスクリーニングと高密度プラズマ生成への応用について述べる。最後に全体の研究成果についてまとめる。

高出力超短パルスチタンサファイアレーザーの開発

 製作したレーザーシステムは大別して、発振器、パルスストレッチャー、増幅器列、パルスコンプレッサーから構成される。発振器はカーレンズモード同期チタンサファイアレーザーであり、その出力は、パルスエネルギー2.4nJ、スペクトルの半値全幅は約50nmである。超短パルス化と高出力化のためには、十分なパルス伸長による高効率増幅とパルス圧縮の両立、及びスペクトルの狭帯化の回避が必須である。そのために以下に述べるような手法を用いた。

 まずパルスストレッチャーでは、光学系の収差を低減するために、球面鏡からなる低収差オフナー光学系を用いた。それにより発振器からの超短パルスは約330psまで伸長され、効率的な増幅が可能となった。前置増幅器としては、再生増幅器を使用した。再生増幅器中でパルスは共振器中を多数回往復するため、高い増幅率と良好なビーム形状を得ることが出来る。しかし、再生増幅器に用いられる通常のポッケルスセルの場合、増幅中に四分の一波長電圧が印可され続けるため、顕著なスペクトルの狭帯化が生じる。この影響を最小限にするため、パルスの取り込みと取り出し時においてのみ四分の一波長電圧を印可される構成のポッケルスセルを使用した。また、高利得に伴うスペクトルの狭帯化を避けるために、著者らが考案した単層膜エタロンを再生増幅器中に挿入してスペクトル制御を行った。チタンサファイア再生増幅器においてスペクトルの狭帯化をエタロンで補償する場合、20fs付近のパルスに対する適当な厚みは数mとなる。そのようなエアギャップ型エタロンを製作することは、実際上非常に困難であり、ピエゾ素子等による厚みの制御が必要となる。それに対して、数m厚の蒸着膜の場合、正確な厚さの単層膜が容易に製作可能であり、また、基板と膜の材質を変えることによりスペクトル変調の深さを20%程度まで変えられるという利点がある。

 これらの改善により、再生増幅器の自己発振スペクトルは半値全幅12nmから32nmへ約3倍広げられ、パルス増幅後のスペクトルとしては半値全幅で55nmが得られた。再生増幅後、パルスは二段のマルチパス増幅器により880mJまで効率的に増幅された。マルチパス増幅器中の飽和増幅によるスペクトルシフトを補償するため、ストレッチャー中に円形マスクを挿入し、補助的にスペクトル形のバランスを調整した。平行配置の回折格子対からなるコンプレッサーでは、回折格子間距離と入射角の二つの自由度を用いて、三次までの位相補償を行った。また、空気中での非線形伝搬を避けるため、パルス圧縮は真空中で行われた。その結果、ほぼフーリエ限界の超短パルスを得ることが出来、次のような出力を得た。

図表
チタンサファイアチャープパルス増幅レーザーにおけるパルスクリーニング

 チャープパルス増幅レーザーにおいてパルスのコントラスト比を低下させる要因として、位相歪みによるペデスタルとAmplified Spontaneous Emission(ASE)によるバックグラウンドが考えられる。50fs以下の超短パルスレーザーでは広帯域の位相補償が難しいことから、位相歪みによるペデスタルとASEのどちらがプラズマ実験において問題となっているのか自明ではなかった。そこで著者らは、ダイナミックレンジ約108,光学遅延2nsをもつ三次自己相関計を製作し、テラワット級チタンサファイアレーザーの広ダイナミックレンジ波形測定を行った。その結果、ナノ秒の時間スケールにおいて発振器のコントラスト比は107以上であるのに対して、増幅後のパルスにはコントラスト比105の平坦なバックグラウンドが存在することが確認された(図1,×印)。このバックグランドの時間スケールは、伸長されたパルス幅と較べて十分長いことから、位相歪みによるペデスタルではなく、増幅器からのASEであると結論された。

 ASEの主な起源は、再生増幅器における106を超える高い増幅率と考えられる。そこでASE抑制のため、J程度のクリーンなパルスを発生させて、それを再生増幅器に注入するという実験を行った。通常のチャープパルス増幅レーザーにおける種パルスのエネルギーはnJ程度であるのに対し、数Jの種パルスを用いることにより、増幅器列での全増幅率は約三桁低減され、ASEが抑制される。

 実験では、発振器からの種パルス(時間幅50fs,エネルギー3nJ)を伸長せず、はじめに共焦点マルチパス型の前置増幅器で約3Jまで増幅した。次いで、パルスを可飽和吸収フィルターに通し前置増幅器からのASEを除去したところ、コントラスト比109の非常にクリーンなJパルスを得た。このパルスを、再生増幅器を含むチャープパルス増幅システムへ送り、パルス伸長、増幅、圧縮を行った。その結果、数nsの時間スケールにおけるコントラスト比は107となり、約100倍のASE抑制が達成された(図1,丸印)。

図1:高ダイナミックレンジ三次自己相関波形。

 得られたクリーンパルスを用いて、照射強度1017W/cm2で炭素ターゲットからの高密度プラズマ生成実験を行った。高密度プラズマに特徴的な現象として、イオン化ポテンシャルの低下(Continuum Lowering)がある。これは、プラズマ中でのイオンの高励起状態の準位が近接するイオンや自由電子からの外場よって乱され、束縛状態ではなくなる現象である。高ダイナミックレンジ時間分解X線分光を行った結果、プラズマ生成初期においてイオン化ポテンシャルが最大10%低下していることが見出された。

結語

 チャープパルス増幅による高出力チタンサファイアレーザーを製作し、繰り返し10Hzでピーク出力22TW,時間幅22fsのパルスを得た。このような高出力超短パルスを得るために、低収差ストレッチャーによる十分なパルス伸長とそれによる高効率増幅、再生増幅器中での単層膜エタロンによるスペクトル制御、コンプレッサーでの入射角のずらしによる三次までの位相補償等を行った。特に単層蒸着膜からなるエタロンでのスペクトル制御は、著者らによって初めて行われたものである。

 得られたピーク出力は、1995年に達成された米国UCSD(University of California,San Diego)グループの出力(4.4TW,18fs)を上回り、仏Ecole Polytechniqueの出力(25TW,32fs)に次ぐ世界最大級のものである。仏グループと較べた場合、著者らのシステムは再生増幅器とスペクトル制御を行っている点が異なり、出力としてはより短いパルス幅と良好なビームパターンを得ることが出来た。また、100TW級へのスケーリングが可能である点で優れているといえよう。

 また、チャープパルス増幅による高出力チタンサファイアレーザーにおいて高ダイナミックレンジ三次自己相関測定を行った。その結果、コントラスト比105のASEが数nsの長い時間スケールで存在することを明らかにした。このようなASEの存在は、固体ターゲットを用いた実験や、増幅器からのエネルギー抽出といった観点から、非常に重大な問題である。そこで、チャープパルス増幅の種光としてASEのほとんどないJパルスを用いて、パルスクリーニングを行った。その結果、コントラスト比は107に改善され、約100倍のASE抑制が達成された。

 このクリーンパルスを用い、照射強度1017W/cm2で固体ターゲットからのプラズマ生成実験を行ったところ、高密度プラズマ中でのイオン化ポテンシャル低下が確認され、パルスクリーニングの有効性が実証された。

審査要旨

 テラワット級の高ピーク出力レーザー技術の発展によって、高次高調波発生に代表される高強度電場下の様々な物理現象の研究が活発に行われるようになった。その中で、レーザーパルスの高エネルギー化や時間幅の短縮、高品質化を図ることにより、高強度電場下の新しい物理を更に切り拓いていくことができる。この論文はそのような観点に基づいて、新しい分野を拓くための高ピーク出力レーザーの開発を要旨としている。論文は五章からなっている。

 第一章は序論で、研究の背景と目的を述べ、論文の構成を説明している。まず初めに高強度光電場下での物理現象に関する研究の歴史を振り返り、レーザーのピーク出力の向上に伴い、イオン化や高次高調波発生等、様々な興味深い現象とその応用が見つかってきたことを概説している。次に高強度光電場下の物理研究のための道具としての高ピーク出力レーザーの発展を振り返り、本研究で用いられたチタンサファイアレーザーのもつ卓越性について述べている。さらに高ピーク出力パルスの時間的な品質の重要性について述べている。以上の点を踏まえて、この研究の目的は高強度電場下の物理現象を探究するための高ピーク出力レーザーに関する技術をレーザーパルスのピーク出力と時間的な品質の二点で高めることである、と明確化している。

 第二章では、レーザーシステムを製作する上での設計指針と留意点について詳説している。具体的にはまず増幅器の効率についてFrantz-Nodvickの定式に基づいた数値解析を行って、マルチパス増幅器でのエネルギー取り出し効率について述べている。次に、固体レーザー媒質で超短パルスの効率的な増幅を行うためのチャープパルス増幅法について説明している。また、超短パルス化を押し進めるために必要な手法である精密な分散補償とスペクトル整形による広帯域増幅を、具体的な数値例に基づいて議論している。パルス圧縮に用いられる平行配置回折格子対での入射角と間隔の二つの自由度を用いれば、三次までの高次分散が補償できることが示されている。スペクトル整形に関しては、初めにスペクトルの狭帯化を引き起こす原因について数値例を用いて議論しており、再生増幅器中でのゲインナロウイングとポッケルスセルによる効果が大きな問題であることを指摘している。次に、広帯域増幅のための手法として単層蒸着膜からなるエタロンを再生パルス整形に用いることを提唱し、モデル計算をしてその有効性を示している。

 第三章では、前章で述べられた設計指針に基づいて実際に開発された高ピーク出力超短パルスレーザーシステムについて詳述している。具体的にはまず高エネルギー化のために、オフナー光学系と呼ばれる無収差光学系を利用してパルス伸長を行っている。また、再生増幅器では単層膜エタロンによる再生パルス整形とポッケルスセルの改良により広帯域増幅を実現している。平行配置回折格子対での三次までの分散補償によってフーリエ限界までのパルス圧縮を行っている。最終的にはパルス幅22fs、ピーク出力22TWという記録が得られており、25fs以下のパルス幅領域では世界最高値を実現したと主張している。

 第四章ではまずチャープパルス増幅によるチタンサファイアレーザーシステムについて系統的な高ダイナミックレンジ測定を行い、増幅後のパルスは高増幅率に伴う自然放出光雑音を背景に持っていることを明らかにした。このような背景雑音を抑制するために、新しい光学系によって裾のないマイクロジュールパルスを発生させて、これを種パルスとしてチャープパルス増幅するという実験を行った。その結果、増幅された自然放出光による雑音を100倍程度抑圧することに成功している。すその抑圧されたパルス光源は固体ターゲットからの高密度プラズマ発生に必須であり、得られたパルス用いて実際に高密度プラズマの軟X線分光実験を行っている。その結果、5x1022/cm3の高電子密度生成が有効に行われていることを確かめている。すその抑制により、超短パルス高ピーク出力レーザーを用いた高強度光電場下の物理の研究対象が、気体だけでなく固体まで拡大されたと主張している。

 第五章は結論である。

 以上に述べたような世界のトップレベルの優れた実験成績を得たのみならず、用いた諸手法についてその制御性、成立条件、予想特性などを系統的に調べてよく記述しており、同一分野での研究者にとって有益であるばかりでなく、レーザー物理、レーザー工学に広く影響を与える知見を多く提供しており、物理工学に大きく寄与するものといえる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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