学位論文要旨



No 113428
著者(漢字) 山口,哲央
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ,ノリオ
標題(和) STMを基本とした気相成膜における核生成・結晶成長に関する研究
標題(洋)
報告番号 113428
報告番号 甲13428
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4146号
研究科 工学系研究科
専攻 金属工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,豊信
 東京大学 教授 梅田,高照
 東京大学 教授 牧島,亮男
 東京大学 教授 桑原,誠
 東京大学 助教授 寺嶋,和夫
内容要旨

 多様化する現在の材料プロセシングにおいてプロセス制御性の高い気相成膜に対する期待はますます高まり,既存の材料の特性の飛躍的向上,更には新機能の発現のために必要なナノメータースケールでの高度な組成・構造・組織制御を目指し,気相成膜過程のナノメーターレベルでの解明及び制御が求められている。一方,走査型トンネル顕微鏡(STM)は原子分解能を有する動作環境を選ばない実空間観察が可能な顕微鏡であるだけでなく,原子レベルで局所的な物性評価や超微細加工が可能であるため,核生成・結晶成長機構を原子レベルで解明するための非常に有効な手法の1つである。

 本研究は,STMを基本としたアプローチにより気相成膜における核生成・成長過程を解明・制御することを目的とした。成膜過程の高度制御が必要である高機能性材料成膜プロセスの中で,(1)化学気相堆積(CVD)の一例としての熱フィラメントCVD法によるダイヤモンド堆積過程と,(2)物理気相堆積(PVD)の一例としてのプラズマフラッシュ蒸発法による酸化物高温超伝導体YBa2Cu3O7-x堆積過程を対象とした。

ダイヤモンドCVDにおける核生成・結晶成長

 主にSTMを利用してダイヤモンドCVDにおける核生成・結晶成長過程のナノメーターレベルでのsemi in-situ評価及びプロセシング(核生成サイトの観察,初期核の同定,人工的核生成サイトの形成など)を行い核生成・成長過程の解明に有益な知見を得て,ダイヤモンドの選択核生成によるナノスケールでの結晶成長・構造制御の可能性を検討することを目的とした。

 Semi in-situプロセシング装置を新たに設計/開発した。これは雰囲気制御可能なチャンバー内にSTMプロセシング部とダイヤモンドCVD部が設置されている。CVD用のフィラメントからSTMへの熱を遮断するためCVD部とSTMプロセシング部とを耐熱シールドで分離し,両者間の基板移動をマイクロメーターヘッドを利用した精密ステージで行うことにより同一領域内における一連の堆積過程のナノスケールでのsemi in-situ評価及び合成・プロセシングが可能な装置である。

 原子レベルでフラットな高配向熱分解グラファイト(HOPG)(0001)基板を用いて,フィラメント温度2100℃,フィラメント-基板間距離5.5mm,CH4流量1sccm,H2流量49sccm,堆積時間10秒の条件でCVDを行い,semi in-situ観察した。人工的核生成サイトとして,大気中でのSTM超微細加工により直径30〜50nmの穴を200nm間隔で3×3個形成しておいたHOPG基板表面の同一箇所をCVD前後でSTM観察した。このような観察は上記の装置の開発によって初めて可能になったものである。原子状水素によるエッチングのため拡大し,面の露出により六角形上を呈した穴のいくつかに,エッジに沿ってほぼ同じ方向を向いた粒径10nm程度の八面体状の粒子が堆積した。これらの粒子はダイヤモンド初期核である可能性が非常に高い。またこの結果は,人工的核生成サイトの形成による結晶成長制御の可能性を示すものと考える。

 グラファイトを基板として用いる場合,ダイヤモンドは(0001)劈開面にはほとんど核生成せず,prism plane,あるいはprism planeを露出させるスクラッチ処理を施した(0001)面では核生成密度が劇的に向上することが報告されている。ダイヤモンドとグラファイト基板との間には〈111〉diamond‖〈0001〉graphite,の方位関係があることが実験,計算の両面から報告されており,面ではこの方位関係を容易に実現可能とされている。それゆえ,グラファイト基板でのダイヤモンド核生成過程の解明にはprism plane,特に面での核生成を調べることが重要である。CVD中の原子状水素エッチングによって露出させた規整面のSTM観察の結果,同じ面でも,核生成がみられる領域ではステップ高さが1nm以上,すなわちグラファイトのシートが3枚以上あることが明らかとなった。このようなステップは狭い面と見なせることから,グラファイト基板でのダイヤモンド核生成には面を露出させる必要があると結論された。

YBa2Cu3O7-xナノクラスター成膜における核生成・結晶成長

 プラズマフラッシュ蒸発法は,粒径数m以下の原料粉末を高周波熱プラズマ中に噴入し,瞬時に蒸発させ温度制御された基板上に堆積させる方法であり,基板近傍の境界層で生成するナノメータースケールのクラスター(ナノクラスター)が成膜種である。プラズマフラッシュ蒸発法によるYBa2Cu3O7-x(YBCO)膜堆積過程のSTMを中心とした研究を通して,原子からの成膜とは異なる機構で成膜されている可能性があるクラスター成膜機構の解明に有益な知見を得るとともに,クラスター成膜の1例としてのプラズマフラッシュ蒸発法を,エピタキシャル膜の高速堆積から厚膜の超高速堆積まで応用可能な汎用プロセスとして確立することを目的とした。

 クラスターの基板表面での挙動に関する知見を得るため,開閉時間10〜30msの高速シャッターを用いて室温のHOPG(0001)基板に堆積したナノクラスターをSTM観察した。基板-トーチ間距離360mm,原料供給速度360mg/min,堆積時間17msで堆積した基板のSTM像にほぼ均一な,楕円状のクラスターが観察された。クラスターの高倍率像から,平均高さ0.2nmの2次元状のクラスター(2Dクラスター)に変形していることが明らかになった。高さ0.2nmという値はほぼ単原子層に相当することから,熱プラズマ中で形成されたクラスターは室温の基板上でさえ容易に変形可能であると考えられる。STM像から求めた2Dクラスターサイズ分布によると平均直径は4.8nmであった。これを球状クラスターの直径に換算すると1.9nmとなり,同条件でミクロトレンチ法から求めた値と良く一致することからクラスターが成膜種であることが再確認された。分子動力学法による基板より高温のクラスターの変形過程のシミュレーションではクラスター温度が十分高い場合には基板温度によらずクラスターは容易に変形するという結果が得られ,クラスターのSTM像と併せて考えると,ナノクラスターが高い内部エネルギーを持つ(’高温’である)可能性が示唆された。

 ナノクラスターからの成膜機構に関する知見を得るため,プラズマフラッシュ蒸発法によりSrTiO3(100)基板上に堆積したYBCO膜について,SEMによりミクロンオーダーの表面形態及び膜厚,STMによりナノメーターオーダーの表面形態(成長モードの変化),X線回折及びロッキングカーブ測定により結晶性を,それぞれ評価した。

 基板温度670℃,基板-トーチ間距離260〜310mm,原料供給速度60〜200mg/minでSrTiO3(100)基板上に堆積したYBCO膜のSTM像からクラスターサイズの増加に伴い成長モードはspiral growthから2D cluster nucleus growthへと変化することが示されたが,これは2次元クラスターサイズ(r2D)と2次元臨界核半径()の大小関係によって説明可能である。r2D<のときはクラスターは不安定なため表面で崩壊し,原子からの成膜と同様にspiral growthとなる。一方,r2D>の場合はクラスターは安定に存在できるため直接2次元核となりgrowth siteを提供し,2D cluster nucleus growthになる。

 YBCO膜の(005)ロッキングカーブの半値幅により結晶性を評価した。基板位置270mmで堆積した膜の半値幅の供給速度依存性を調べた結果,基板温度610℃では,150mg/min付近に極小を示した(半値幅0.13°)。基板温度640,680℃においても同様の傾向が見られた。半値幅のトーチ-基板間距離依存性も同様に極小を示した。一連の試料のSTM観察結果を考慮すると,この極小付近でspiral growthから2D cluster nucleus growthに成長モードが変化すると推測される。クラスターが小さくspiral growthする場合には,各々の結晶粒は非常に高い結晶性を持つが,growth centerであるらせん転位同士が僅かに傾いているため,膜全体としてみた場合の結晶性が低下し得る。一方,クラスターサイズの増加により2D cluster nucleus growthになると,クラスターが直接2次元核を形成しgrowth siteを提供するため,成長に欠陥を必要としない。ボイドのような欠陥が若干存在し得るものの,膜全体としてみた場合の結晶性は良くなると考えられる。更にクラスターが大きくなると付着成長になるため結晶性は再び低下する。以上より成長モードがspiral growthから2D cluster nucleus growthに変化する付近のサイズのクラスターが高速エピタキシャル成膜に適していることが示された。プラズマフラッシュ蒸発法は,熱活性化されて結晶化の活性化エネルギーと同じオーダーのエネルギーを有するホットクラスターを成膜種として利用することにより,従来のプロセスを超える高速エピタキシャル成膜が期待される,"ホットクラスターエピタキシー"機構による新しいエピタキシャル成膜法ということができる。

 ホットクラスターエピタキシーのYBCOエピタキシャル厚膜堆積への応用を試み,現在までに,表面が原子オーダーで平滑な,(005)ロッキングカーブ半値幅0.14°と非常に結晶性の良い厚さ1mのエピタキシャル膜の1m/minでの高速堆積と,膜厚4mで臨界温度90Kのエピタキシャル厚膜堆積に成功し,ナノクラスター成膜がエピタキシャル厚膜の高速堆積に有効であることを示した。

審査要旨

 本論文は「STMを基本とした気相成膜における核生成・結晶成長に関する研究」と題し,気相成膜における核生成・成長過程を走査型トンネル顕微鏡(STM)を基本としたアプローチにより解明・制御することを目的とした研究をまとめたものである。実プロセスとしては,熱フィラメントCVD法によるダイヤモンドの堆積過程とプラズマフラッシュ蒸発法による酸化物高温超伝導体YBa2Cu3O7-x(YBCO)堆積過程を対象としている。論文は4章から構成される。

 第1章では,先端材料プロセスとしての気相成膜法と,結晶成長分野におけるSTMの有効性について概説し,本研究の動機と目的について述べている。

 第2章は熱フィラメントCVD法によるダイヤモンド堆積過程に関する。大気圧〜低真空領域で行われるダイヤモンドCVDには超高真空を必要とする電子線を用いたin-situ分析法の適用が困難であり,その核生成・成長機構には不明な点が多い。そこで本研究では,雰囲気制御可能な反応器内にCVD部とSTM加工・観察部とを耐熱シールドで隔離し,精密ステージにより基板を両部間で往復移動させることにより,同一視野内における一連の堆積過程のナノスケールでのsemi in-situ評価を可能とする装置を開発した。本装置を用い,STM超微細加工により高配向性熱分解グラファイト(HOPG)基板上に人工的核生成サイトとして直径約40nmの穴を200nm間隔で3×3個形成し10秒間CVDを行い,同一箇所の変化をSTM観察した。穴は原子状水素エッチングのため面が露出した六角形状に拡大し,その穴のエッジに沿ってほぼ同じ方向を向いた八面体状の粒径10nm程度のダイヤモンド粒子の堆積を確認し,人工的核生成サイトの形成による核生成制御の可能性を示した。更に,エッチングによって形成された規整面のSTM観察の結果,グラファイト基板でのダイヤモンド核生成には面を露出させる必要があることを見出し,ダイヤモンドの核生成について結晶学的に論じている。

 第3章はプラズマフラッシュ蒸発法による酸化物高温超伝導体YBa2Cu3O7-x(YBCO)堆積過程に関する。プラズマフラッシュ蒸発法は成膜種としてナノメータースケールのクラスターが考えられ,原子からの成膜とは異なる機構で成膜されている可能性がある。そこでクラスターのサイズや基板表面での挙動に関する知見を得るため,開閉時間10〜30msの高速シャッターを用いて室温のHOPG(0001)基板に堆積した生成物をSTMにより詳細に観察し,クラスターが成膜種であることを実際に確認するとともに,結晶表面に到達したクラスターが単原子層に相当する0.2nmの2次元状のクラスターに容易に変形することを見出している。更に,クラスターの変形過程の分子動力学シミュレーションにより,温度が十分高い場合には基板温度によらずクラスターは2次元状に変形するという結果を導出し,実験と理論の両面から熱プラズマ境界層中で生成するナノクラスターが高い内部エネルギーを持つ可能性を示唆した。他方,SrTiO3(100)基板上に堆積したYBCO膜についてのSTMによる詳細な観察結果及びX線ロッキングカーブ測定による結晶性の評価から,クラスターサイズの増加に伴い成長モードはspiral growthから2D cluster nucleus growth(2DCNG)へと変化すること,並びに成長モードが変化する付近で最も結晶性が良い膜が得られることなどを示した。更に,YBCOエピタキシャル厚膜高速堆積を試み,表面が原子オーダーで平滑な厚さ1mのエピタキシャル膜の1m/minでの高速堆積や,膜厚4mのエピタキシャル厚膜堆積に成功し,本法がエピタキシャル厚膜の高速堆積に有効であることを実証した。以上を総合し,ホットクラスターエピタキシー機構を提案するとともに,プラズマフラッシュ蒸発法は従来のプロセスを超える高速エピタキシャル成長に適しており,今後多様な材料への適用が期待されるとしている。

 第4章は総括であり,本論文全体の成果がまとめられている。

 以上を要約すると,本研究は気相成膜における核生成・結晶成長過程の解明・制御を念頭におき遂行され,ダイヤモンドCVDにおいてこれまでに例のない同一視野内のナノスケールでのCVD過程を観察し新たな知見を得るとともに,プラズマフラッシュ蒸発法によるYBCO成膜においてはクラスターの特異性を明らかにし,新たなエピタキシャル成長モデルを構築するという成果を上げた。本研究の成果は単に上記特定プロセシングにとどまらず,薄膜プロセシング全般の発展に寄与し,材料工学への貢献が大である。よって本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

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