学位論文要旨



No 113431
著者(漢字) 小西,知義
著者(英字)
著者(カナ) コニシ,トモヨシ
標題(和) TiO2被覆によるステンレス鋼の光防食
標題(洋)
報告番号 113431
報告番号 甲13431
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4149号
研究科 工学系研究科
専攻 金属工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻川,茂男
 東京大学 教授 牧島,亮男
 東京大学 助教授 木村,薫
 東京大学 助教授 月橋,文孝
 東京大学 助教授 篠原,正
内容要旨

 n型半導体であるTiO2皮膜を被覆することにより、光照射下において下地金属基板をカソード防食する試みは、当研究室において提案され、我々はこれを"光カソード防食"と呼ぶ。この防食法は、光照射されたn型半導体の電極電位が卑な方向、すなわちその半導体のフラットバンド電位に向かって卑化することを基本原理としている。この場合、TiO2皮膜は、非犠牲アノードとして半永久的に働き、基板金属をカソード防食しうる。

 本論文は、TiO2皮膜を304ステンレス鋼上に被覆し、光照射下におけるそのカソード防食特性を調べるとともに、最終的には夜間をも含めた屋外における光カソード防食実現を目指している。

 第一章では、従来の防食法についての概略を述べ、本研究の防食法としての位置づけをおこなうとともに、全章を通じて議論されるゾル-ゲル・ディップコーティング法による薄膜の特性、半導体電極についての基礎的な理論について記述した。

 第二章では、ゾル-ゲル法を用いて研磨まま304ステンレス鋼上にTiO2皮膜を被覆した試料を作製し、その光電気化学的特性を調べ光カソード防食への問題点や可能性を検討するとともに、環境遮断による保護皮膜としての性能を調査した。

 研磨まま304鋼上にTiO2皮膜を被覆した試料(TiO2/as pollished-304)は、そのn型半導体としての光電気化学的特性は、ITO成膜ガラス基板上のTiO2皮膜(TiO2/ITO)のそれに及ばない。すなわち、TiO2/as pollished-304の光電位・光電流は、TiO2の被覆回数を増大することによって改善されるものの、TiO2/ITOのそれに並ぶまで到らなかった。TiO2/as pollished-304のみに、光照射停止後に電位がゆっくりと貴化する興味深い現象が見られ、これは他のTiO2被覆基板(ITO成膜ガラス基板、Cr、Ni基板)では見られないものであった。不動態化臨界電流密度法によって、TiO2/as pollished-304の被覆欠陥率を調査したところ、一回被覆のもので約1/100、2回被覆で1/1000の欠陥率であった。一般にゾル-ゲル法により得られる皮膜は、高い気孔率を持つことが知られているが、このように欠陥面積率そのものは、その気孔率に比べ極めて小さい。事実、硫酸溶液中において、TiO2/as pollished-304では、硫酸が皮膜欠陥部を通じて304鋼基板に到達するまでの時間は、被覆回数の増大とともに大きく改善された。

 第三章では、二章におけるTiO2/as pollished-304の特異性-n型半導体としての特性が良くないものの、電位貴化遅延特性を有する-が、被覆過程における基板元素のTiO2皮膜内への侵入、およびそれに伴うTiO2皮膜の特性変化、を示唆するものであったことから、TiO2/下地基板界面、TiO2皮膜への基板元素の添加効果を調査した。また、金属基板上のTiO2皮膜の光効果をより効果的に得るためには、TiO2皮膜そのものの光電気化学的特性を知ることが重要であることから、TiO2皮膜の焼成温度がその結晶構造、光電気化学的特性に与える影響を調査し、光電流と光電位との関係を詳細に検討した。

 基板元素の影響がないITO成膜ガラス基板上のTiO2皮膜(TiO2/ITO)は、焼成温度の高温化とともに光電流の増加が見られ、それは特にTiO2皮膜がアナターゼ結晶化する400℃を境に大きく向上した。また、焼成温度の高温化とともに、カソード電流も同様に増加した。光電位は光照射時のアノード分極曲線と、光の有無に依存しない溶存酸素還元によるカソード分極曲線との交点として与えられる。しかしながら、焼成温度の高温化によるカソード電流の増加に比べ、アノード電流の増加の方が大きいため、非脱気溶液中における光電位はほぼ光アノード電流によって決定され、焼成温度の高温化に従い卑化した。

 1at.%のFe、CrまたはNiをTiO2皮膜へ添加すると、その光電流は1/100以下に減少した。このことから、金属基板上にTiO2皮膜を被覆する際には、基板元素のTiO2皮膜への侵入を抑えることが、より優れたn型半導体の特性を有する皮膜付与の条件となる。事実、各種基板/TiO2界面を調査した結果、基板元素の違いによるTiO2皮膜の性質は、被覆過程におけるTiO2皮膜側への基板元素の侵入量の差によって決定されていた。中でも、Cr基板上に被覆したTiO2皮膜は、Cr元素のTiO2皮膜への侵入量が少なく、優れた光効果を有していた。このことから、基板金属種によってはその界面に存在する酸化皮膜が、上記侵入を効果的に防ぐことを見い出した。

 第四章では、まず、ゾル-ゲル法によりTiO2皮膜を304鋼に被覆する際に生じる、Feを中心とした基板元素のTiO2皮膜への侵入機構を調査した。研磨まま304鋼にゾル-ゲル法TiO2被覆を施す場合、TiO2皮膜への基板元素の侵入の機会としてゾル液中浸漬時と引き上げ時(D1)および湿潤ゲル皮膜の焼成時(D2)における基板の溶解による取り込み、および高温での焼成時の乾燥ゲル皮膜中への熱拡散による侵入(D3)などの可能性が考えられる。各焼成温度でのTiO2皮膜/研磨まま304鋼の界面を、XPSによって調査したところ、研磨まま304鋼基板で高い光効果が得られないのは、主としてD1とD3による基板構成元素のTiO2皮膜への侵入が起こることに起因していた。

 前章の結果をふまえ、基板元素の侵入を防ぐための前処理方法として、304鋼表面の酸化皮膜中のCr濃度をより高めるために、硝酸温浴中における不動態化処理を行い、その有効性を検討した。304鋼基板を60℃の10%硝酸水溶液中で30分間自然浸漬する不動態化処理を施し、次いで400℃で焼成した被覆鋼は、Cr基板およびITO基板上のそれに比肩する優れた光効果を示した。不動態化処理によって付与されるCrに富む酸化皮膜は、上述侵入過程D1と400℃におけるD3とを抑制した。

 焼成温度の上昇とともに、動電位法孔食電位Vc’が卑化したが、500Wの超高圧Hgランプによる光照射下における電位は、それよりきわめて卑であるため防食上、問題はなかった。さらに欠陥面積率が約80%以下であれば、被覆鋼の光電位は304鋼のすきま腐食再不動態化電位(ER,CREV)を超えない-304鋼はすきま腐食を起こさない-ことが判明した。

 五章ならびに次の六章では、光照射停止後の電位貴化遅延の機構を解明するとともに、この現象を利用した夜間をも含めた光カソード防食法の確立を目的とした。ゾル-ゲル法により304鋼上に被覆したTiO2皮膜の内部、特にその基板側には多量のFeが侵入することを三章において指摘した。また、この現象は、同じ被覆手段を用いたNiおよびCrのTiO2被覆基板には見られないものであった。

 第五章では、ITO成膜ガラス基板上にFeを添加したTiO2を内層として被覆し、さらに無添加のTiO2層を外層として重ねて被覆することにより、304鋼上のTiO2皮膜を模擬した試料を作製し、2章で見られたTiO2/as pollished-304の電位貴化遅延現象の機構の解明を試みた。その結果、この試料において光照射停止後の電位貴化遅延現象が、304鋼上のTiO2皮膜と同様に生じた。この電位貴化遅延現象は内層側のFe添加量増加とともにより顕著になり、添加量増加に伴う内層側での蓄積電荷量に深く関係していた。試料作製ままで、TiO2中のFeは3価の価数をとり、pH6.0の試験溶液中において、光照射および定電位保持による-650mV付近の電位域で3価から2価に還元されることが考えられた。添加されたFeの殆どが、Fe(II)→Fe(III)+e-の反応に寄与するが、その寄与する割合は、内・外層の焼成温度に依存していた。

 また、第一遷移金属のうち、TiO2中で効果的に電荷蓄積・放出の酸化還元サイトとして働くのはFeに次いでV、Cuであった。Feは光電位から暗電位の-650〜200mVの電位域内で、ちょうど2価と3価の価数変化を生じるために最も効果的に酸化還元サイトとして働いていた。

 六章では、前章の結果をふまえて電位貴化遅延特性を高める皮膜構造の最適化条件を、皮膜のカソード特性の視点から検討するとともに、より優れた電位貴化遅延特性を有するTiO2被覆304鋼の作製を試みた。さらには、最適化された条件のもと作製されたTiO2被覆304鋼の暴露試験を行った。

 同一内層厚さにおけるFe濃度の増大と、同一Fe濃度での内層厚さの増大は同じ効果を持っていた。すなわち、内層に添加したFeによる電荷蓄積は正味のFe添加量により決定されることがわかった。また、外層被覆のない試料においては、光照射により十分卑な電位を生じることができないが、1層以上の外層被覆を施すことにより十分卑な電位を呈し、光照射停止後の電位貴化遅延特性も効果的に得られた。

 窒素により脱気されカソード反応が抑制された溶液中においては、電位貴化遅延特性は向上した。また、TiO2皮膜のカソード特性は、二章と同様に焼成温度の影響を強く受けたが、カソード反応が抑えられた皮膜焼成条件のものほど、電位貴化遅延特性が向上した。以上のように、電位貴化遅延特性は、皮膜内部の電荷蓄積量の他にその電荷の消費であるカソード反応に大きく影響を受けた。

 五、六章の結果から、ITO成膜ガラス基板上で優れた電位貴化遅延特性を有するFe添加TiO22層構造皮膜の最適条件は、3000〜7000C/cm2の蓄積電荷を保持できるFeを内層に添加すること、そして無添加のTiO2を200℃で1層以上外層被覆をすること、であった。

 304鋼上にもITO成膜ガラス基板上と同様に、Feアルコキシドを用いてより積極的にFeを内層側に添加することで、従来の焼成時の偶発的なFeの侵入によって2層構造を有した試料に比べ、より優れた電位貴化遅延特性を有するTiO2被覆304鋼の作製ができた。このように作製したTiO2被覆304鋼を屋外に暴露した結果、その光カソード防食能を確認することができた。

 こうして、他の基板金属上にも304鋼と同様の光照射停止後の電位貴化遅延特性の付与が、上記の2層構造皮膜を被覆することにより原理的に可能になった。そして、各種金属基板の屋外における光カソード防食への道が開けたものと思われる。

審査要旨

 n型半導体であるTiO2を金属上に被覆し、光照射下に於いて下地金属を非犠牲的にカソード防食するという新しい防食法が近年提案されている。

 本論文は、最も一般的に使用されている汎用ステンレス鋼である304鋼において、通常の光照射下のみならず暗状態(夜間)にもこの防食法を拡張しようとしたもので、全7章から成る。TiO2被覆法としては組成、膜厚の制御が容易なゾル-ゲル・ディップコーティング法を用いている。

 第1章は緒論であり、従来の防食法を分類し、全章を通じて議論されるゾル-ゲル法による薄膜の特性、半導体電極についての基礎的な理論を記述したうえで、本研究の防食法としての位置づけについて論じている。

 第2章では、研磨ままの304(18Cr-9Ni)鋼およびCr・Ni純金属基板上にTiO2皮膜を被覆した試料を作製し、光電気化学的特性を調べ、その光カソード防食への可能性や機能向上のための問題点、保護皮膜としての性能を検討している。下地基板種類によりTiO2皮膜のn型半導体としての特性が異なり、特に研磨まま304鋼およびNi基板上に被覆したTiO2皮膜の光電気化学的特性が、Cr上のそれに比べ劣ることを見い出している。

 第3章では、金属基板上のTiO2皮膜の光効果をより効果的に得るための前準備とし、TiO2皮膜そのものの光電気化学的特性を調査するとともに、第2章でみた下地金属基板がTiO2皮膜へ与える影響の要因を調べた。基板金属は、被覆過程においてTiO2皮膜へ侵入することによってTiO2皮膜の特性に影響を与える。すなわち、TiO2中に侵入した(添加された)Fe、CrおよびNiは、TiO2皮膜のn型半導体としての性能を劣化させる。

 第4章では、研磨まま304鋼上にゾル-ゲル法でTiO2皮膜を被覆する場合、基板元素の侵入が被覆過程のどこで生ずるかを特定するとともに、その侵入を防ぐ304鋼基板の前処理の検討を行っている。ここで用いた前処理-硝酸温浴中における不動態化処理-は、304鋼の不動態皮膜中のCr濃度を高めることがわかっているが、この皮膜はTiO2皮膜の最適焼成温度域下限である400℃において、TiO2被覆過程における基板金属のTiO2皮膜への侵入を効果的に防ぐため、高い光効果を持つTiO2皮膜が得られるとしている。

 第5章では、ゾル-ゲル法でTiO2被覆した304鋼に特有に見られる光照射停止後の電位貴化遅延現象の機構を、添加元素の視点から検討した。その結果、この現象は、被覆形成過程に304鋼基板からTiO2皮膜内に侵入したFeによって生じることを見い出した。すなわち、研磨まま304鋼上に被覆されたTiO2皮膜は、基板側(内層)には基板から侵入したFeを含むTiO2層、外側(外層)には侵入元素に侵されていないplain TiO2層、の2層構造を偶発的に形成していた。この内層中のFeは試料作製ままでは3価(Fe3+)をとり、光照射により2価(Fe2+)に還元され、そして光照射停止後に再び3価にゆっくりと酸化される。この反応が持続しうる間、基板金属は卑な電位を保ちうるというわけである。

 第6章では、前章の結果をふまえて電位貴化遅延特性を高める皮膜構造の最適化条件を検討するとともに、より優れた遅延特性を有するTiO2被覆304鋼の作製を試みている。内層のFeは電荷貯蓄の役目を担い、また外層のFe(添加元素)に侵されていないTiO2層部分は、光照射による電位卑化の役目、および内層に貯蓄された電荷のカソード反応による消費を抑制する役目を担っていた。さらに、304鋼上にFeアルコキシドを用いてより積極的にFeを内層側に添加することで、従来の試料に比べより優れた電位貴化遅延特性を有するTiO2被覆304鋼の作製ができた。このように作製したTiO2被覆304鋼を屋外に自然暴露する試験によって、夜間をも含めた光カソード防食能を確認している。

 第7章は総括である。

 以上のように本論文は、酸化物半導体としてのTiO2の特性に基づいた光カソード防食法を、夜間をも含む屋外条件にも適用可能としたものであり、本防食法の工学的適用をはかる上での意義は大きく、金属表面工学の発展・鉄鋼材料学の充実に寄与することが期待される。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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