学位論文要旨



No 113434
著者(漢字) 中村,哲也
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,テツヤ
標題(和) 放射光による希土類-遷移金属合金の磁性の研究
標題(洋)
報告番号 113434
報告番号 甲13434
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4152号
研究科 工学系研究科
専攻 金属工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 七尾,進
 東京大学 教授 牧島,亮男
 東京大学 教授 佐久間,健人
 東京大学 教授 山本,良一
 東京大学 助教授 木村,薫
内容要旨

 希土類(RE)-遷移金属(TM)磁性体の高性能磁性材料としての重要性が急速に拡大する中で、磁気構造や電子状態などの微視的な磁気特性の理解を深めることが要請されている。RE-TM系合金の磁性を特徴づけるTM-3d電子とRE-4f電子間の相互作用(3d-4f相互作用)は、軌道磁気モーメントも関与して複雑である。近年、放射光X線を用いた磁性の研究が極めて新規性の強い研究手法として台頭し、磁気モーメントのスピン成分と軌道成分を独立に評価することが可能になった。そこで得られる磁性に関する知見は中性子磁気散乱やメスバウアー分光などの従来の磁気構造解析では原理的に不可能であり、他の実験法では得ることができない貴重なものである。しかし、測定や解析の種々の面では初期検討段階にあり、積極的な開拓が必要とされている。本研究では、希土類-遷移金属合金の磁性についての詳細な知見を得るために、磁気異方性と軌道磁気モーメントの間の相関評価と、スピン磁気モーメントと軌道磁気モーメントを分離した磁気構造の取得をはじめとして、希土類-遷移金属合金の磁気構造と電子状態に関する微視的な情報を広範に取得することを目的とした。その手段として放射光の偏光特性を積極的に利用したX線磁気XANES、磁気EXAFS、磁気XES、さらに、X線磁気ブラッグ散乱の実験を行い、X線による磁性研究の新しい分野を展開した。

磁気XANESによるRE-TMアモルファス薄膜における電子状態の評価

 本研究では、まず、光磁気ディスクの材料として既に実用化されているFe-Tbアモルファス薄膜を取り上げ、その垂直磁気異方性の起源について放射光を用いて調査した。Fe-Tbアモルファス薄膜の垂直磁気異方性の発現は、磁気モーメントの軌道成分(Morb.)の増大が原因であることが予想されながらも、これまで、Morb.に関する情報は得られておらず垂直磁気異方性の起源は完全には理解されていない。そこで、磁気XANES(X-ray Absorption Near Edge Structure)実験を行い、3d-4f相互作用を媒介するTb5d電子の軌道磁気モーメントについて調べた。その結果、図1で示したように薄膜の垂直磁気異方性エネルギー(Ku)に依存してTb5d電子の磁気モーメント中の軌道成分が増加することが明らかになった。Tb5d電子はFe3d電子における磁気モーメントの軌道成分増大を混成によってTb4f電子に伝搬し、異方性の軸を揃える役割を担っていると考えられる。

図1 Fe-Tbアモルファス薄膜の5d電子に関する(Morb./Mspin)5dのKu依存性。波線は最小自乗フィッティング。
磁気EXAFSによるスピン分極分布解析

 スピン分極分布を動径構造関数として得るために、磁気EXAFS(Extended X-ray Absorption Fine Structure)の実験を行った。磁気EXAFSは動径分布の中心原子に対して元素選択性があり、元素の種類を分類した情報を得ることが可能である。従来の解析法から得られる動径分布は、スピン分極の大きさの分布についてのみ議論できるものであったが、符号付きで表示できなければ、磁気構造解析としては不十分である。そこで磁気EXAFSが原理的にスピンの符号情報を含むことに着目し、DyFe2合金における実験で得た良質の磁気EXAFSスペクトルを基に検討を行った結果、符号付きでスピン分極分布を得る新しい解析手法を考案するに至った。C15ラーベス相の結晶構造をもつDyFe2合金ではFeの周りの環境は、吸収原子であるFe原子の最近接をFe原子、第2近接をDy原子が占めている。

図2 DyFe2のFe K-edgeにおける磁気EXAFSの解析結果。(a)通常のEXAFSによる動径分布関数(実線)、(b)磁気EXAFSのフーリエ変換(c)スピンの符号を考慮した磁気EXAFSのフーリエ変換(実線)。

 図2(a)はEXAFSによる通常の動径分布関数であり、r=2.22Åとr=2.91Åのピークは、それぞれ最近接のFe原子と第2近接のDy原子に対応する。(c)の実線が新しい解析法による磁気的動径分布関数で、Fe原子位置で負符号、Dy原子位置で正符号となり、FeとDyのスピンモーメントが互いにフェリ結合していることが如実に反映されている。波線はいずれもEXAFSの理論計算を基にしたシュミレーション結果である。解析結果とシュミレーション結果の一致が良好であることは、結晶構造が既知の物質において、磁気EXAFS実験と簡単な計算を組み合わせることによりスピンの分極分布を決定することができることを示している。さらに、未知物質中の特定元素原子の周りのスピン磁気モーメントの結合方向を簡単に知ることができることを示した画期的な成果である。

多電子励起にともなう磁気円二色性

 RE-TM合金のREを中心としたスピン分極分布を得るための磁気EXAFS実験では、多電子励起(MEE)にともなう磁気円二色性(MCD)の影響が一部の実験データに関する正確な解析を阻害している。MEEは主に1光子によって2個の内殻電子が励起される現象であり、全体の吸収量の1%程度にすぎないが、相対的に非常に大きなMCDを示す興味深い現象である。これまでに、MEEのMCD(MMEE)の構造については磁気EXAFSスペクトルとの重なりが大きく、分離が困難であることを理由に詳細な情報は得られていない。本研究では磁気EXAFSからの影響が小さいRE-TMアモルファス薄膜を試料として、磁気XAS(X-ray Absorption Spectra)と磁気XES(X-ray Emission Spectra)の実験を行い、MMEEに関する多くの知見を得た。図3(c),(d)はCo67Gd33アモルファス薄膜の磁気XESにおいて初めて観測したMMEEだけを抽出したスペクトルである。

図3 Co67Gd33アモルファス薄膜GdL1,2における蛍光発光(FY)スペクトル。(a)-(d)はそれぞれ、(a)FY7398eV-FY7378eV(b)FY7418eV-FY7378eV(c)MCD[FY7398eV-FY7378eV](d)MCD[FY7418eV-FY7378eV]
DyCo5単結晶のX線磁気ブラッグ散乱

 DyCo5はフェリ磁性体の金属間化合物で、Dyが中性子吸収原子であるため中性子磁気散乱による磁気構造解析ができない物質の一つであり、X線磁気ブラッグ散乱による磁気構造解析が必要とされている。X線磁気ブラッグ散乱は、X線回折に対する磁気的寄与を抽出する実験であり、磁気モーメントのスピン成分と軌道成分をそれぞれ独立な磁気構造として得る(SL分離)ことが可能である。実験例が非常に少ないことから実験方法や解析法の多くの部分が未知であり、磁気構造解析の方法を確立し標準化を計ることが必要である。

 散乱角が2=90°を満たすとき、磁気効果(R)は次式で与えられる。

 

 ここで、I+とI-は試料に印加する磁場が、それぞれ、正方向と負方向の場合に対するX線回折強度。S(k)、L(k)、n(k)は、それぞれ、スピン密度、軌道密度、電荷密度を表す。また、fpは偏光因子、g=E/mc2は入射X線の波数ベクトル(k)と印加磁場の振動方向との間の角度を表す。したがって、の異なる1組の実験により(S(k)/n(k))と(L(k)/n(k))を求めることができる。

 実験は、KEK-PFのBL-3C1にてDyCo5の(h0h)結晶面からの回折について行い、(303)〜(707)反射について磁気効果Rを得た。(505)と(707)の回折面については、Co原子からの散乱波の位相は互いに打ち消し合って消失し、Dy原子だけから構成される結晶面の回折強度が反映されている。一方、(303),(404),(606)に対する回折強度は、Co原子とDy原子の両方の散乱の寄与が混ざるので解析が容易でない。本研究では、LCo(k)/LDy(k)<<1,n(k)∝f(fは原子散乱因子)を仮定することによって、(303),(404),(606)に対するRについてもDyの磁気構造因子の軌道成分を選択的に求めることを試みた。

 図4は、(303)〜(707)反射に対する(S(k)/n(k))と(L(k)/n(k))をプロットした結果である。図中、白丸は計算に前述の仮定を用いて得たDyだけの(L(k)/n(k))に相当する。また、黒丸はDyだけの(S(k)/n(k))で、黒三角はDyとCoからの寄与が合成された(S(k)/n(k))である。ここで、Dy原子の軌道密度比とスピン密度比は、それぞれ、、Dy原子とCo原子からの寄与が合成されたスピン密度比はである。(L(k)/n(k))の変化は単調に減衰する曲線となっおり、M.Itoらによる純Tb(T=80K)の実験結果と良く整合する。また、(S(k)/n(k))〜0となっている理由としては、k<0.8の領域ではフェリ磁性結合するDyとCoのスピン磁気モーメントが互いに打ち消しあうこと、また、k>0.8の領域では(S(k)/n(k))の絶対値が十分に小さいことが考えられる。

図4 DyCo5の(h0h)反射から求めたスピン密度比と軌道密度比。
総括

 本研究では、希土類-遷移金属合金の磁性に関して以下の知見を得た。

 (1)磁気XANESの実験から、Fe-Tbアモルファス薄膜の垂直磁気異方性エネルギーとTb5d電子の軌道磁気モーメントの間に正の相関があることが明らかとなった。

 (2)磁気EXAFSの実験をDyFe2合金などについて行い、スピン分極分布を得た。

 (3)Co67Gd33アモルファス薄膜のMEEにともなうMCDをXESにより初めて観測した。

 (4)DyCo5の磁気散乱実験を行い、Dyの磁気構造因子の軌道成分を得た。

審査要旨

 本研究は、希土類-遷移金属合金の磁性を、主としてX線磁気XANES(X-ray Absorption Near Edge Structure)、磁気EXAFS(Extended X-ray Absorption Fine Structure)、磁気XES(X-ray Emission Spectra)、X線磁気ブラッグ散乱の実験によって詳細に検討・解析し、多くの重要な知見を得るとともに、黎明期にある放射光による磁性の研究の重要性を明らかにしたものである。

 第1章では、序論として背景となる放射光による磁性研究の概要と希土類-遷移金属合金の磁性に関する基礎的な事項について述べている。

 第2章では、Fe-Tb,Co-Tbアモルファス薄膜の垂直磁気異方性の起源を明らかにするために、磁気XANESの測定結果について、垂直磁気異方性と軌道磁気モーメントの相関の検討を行っている。放射光を用いてTbL3,2-edgeにおける磁気XANES実験を行い、磁気光学総和則を適用してTb5d電子の磁気モーメント中の軌道成分を求めている。その結果、薄膜の磁気異方性エネルギーに依存してTb5d電子の軌道成分が増加することが明らかにされた。この解析により、Fe-Tbアモルファス薄膜の垂直磁気異方性発現のメカニズムを、Fe3d電子とTb5d電子の混成およびTb5d電子とTb4f電子の原子内交換相互作用を考慮して説明することに成功している。

 第3章では、スピン分極分布を得るための磁気EXAFSの実験解析法の開発について述べている。DyFe2合金における実験で得た良質な磁気EXAFSスペクトルをもとに検討を行った結果、スピン分極分布を反映する関数(r)を新たに導入することにより、符号付きでスピン分極分布を得ることに成功している。(r)は最近接のFe原子位置で負符号、Dyの原子位置で正符号となっており、それぞれの磁気モーメントの向きに対応し、その強度はスピン磁気モーメントだけを考慮してシュミレーションして得た結果に良好に一致した。この結果により、結晶構造が既知の物質において、磁気EXAFS実験と簡単な計算を組み合わせることによりスピン分極分布を決定することができることが示された。磁気EXAFSは原理的にスピンの符号情報を含んでいるのであるが、この情報を引き出したのはこの研究が最初である。

 第4章では、多電子励起(MEE)にともなう磁気円二色性を調査している。磁気MEEスペクトルの構造については、磁気EXAFSスペクトルとの重なりが大きく、分離が困難であるために、ほとんど情報が得られていない状況であった。本研究では、磁気EXAFSからの影響が小さいRE-TMアモルファス薄膜の磁気XAS実験から、MEEの励起エネルギーを精度良く決定するとともに、磁気MEEの強度を精度良く測定した。また、磁気XES実験を行い、Co67Gd33アモルファス薄膜において磁気MEEだけを抽出したスペクトルを初めて観測することに成功している。

 第5章では、DyCo5におけるスピン磁気モーメントと軌道磁気モーメントを、独立な情報として得るために行われた白色X線によるDyCo5単結晶の磁気ブラッグ散乱に関する研究について述べている。実験は、DyCo5の(h0h)結晶面からの回折について行い、(303)〜(707)反射について磁気効果Rとスピン密度比、軌道密度比を求めた。この測定結果について、2元系以上の合金でスピン磁気モーメントと軌道磁気モーメントの分離を行うための解析法を検討し、合金中の1元素の軌道磁気モーメントが他の元素の軌道磁気モーメントに対して支配的であるときには、軌道磁気モーメントの大きい元素に関して軌道密度を得ることが可能であることを明らかにしている。

 第6章は総括である。

 以上、本研究は、未だ黎明期にある放射光を用いた磁気吸収と磁気散乱の実験により、希土類-遷移金属合金の磁性を詳細に調べたものであり、符号付きスピン分極分布やスピンと軌道磁気モーメントに分離した磁気構造など、他の実験法では得難い重要な成果を得ることに成功している。

 よって本論文は、金属物性学の進歩に寄与するところ大であり、博士(工学)の学位請求論文として合格と認める。

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