学位論文要旨



No 113440
著者(漢字) 大古,善久
著者(英字) Ohko,Yoshihisa
著者(カナ) オオコ,ヨシヒサ
標題(和) 酸化チタン薄膜光触媒の微弱な紫外光下での反応ダイナミクス
標題(洋) Reaction dynamics under weak UV illumination on TiO2 film photocatalyst
報告番号 113440
報告番号 甲13440
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4158号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤嶋,昭
 東京大学 教授 御園生,誠
 東京大学 教授 工藤,徹一
 東京大学 教授 橋本,和仁
 東京大学 助教授 宮山,勝
内容要旨 1.緒言

 よく知られているように、ZnO、CdS、TiO2などの半導体にバンドギャップ以上のエネルギーをもつ光が吸収されると、電子-正孔対が生成し、電子と正孔がそれぞれ表面吸着物と室温、大気圧で化学的に反応する。中でもTiO2は気相中や液相中で化学的に安定であるため扱いやすく、正孔のもつ強い酸化力のためにほとんど全ての有機物の分解に有効である。

 これまでTiO2に関する数多くの研究は、有害物の速い除去速度を目的として水銀灯などの強い紫外光源が使用された。これに対して当研究室では、光強度を弱くすると量子効率が上昇することに着目し、通常の生活空間で問題になるような微量な物質の分解には特に光源を用意する必要がなく、通常の空間に存在する程度の微弱な光強度でよいと主張して来た。この時、問題となる反応物濃度はppbv-ppmv程度である。さらに、高い光触媒能を持つTiO2担持材料を大面積で利用することにより、新しい気相静置系の環境浄化システムを提案してきた。しかし、このような微弱な紫外光下での光触媒反応ダイナミクスの理論的考察やモデル化はほとんど成されてこなかった。

 そこで本研究では薄膜TiO2光触媒を用いた気相分子分解反応のダイナミクスを取り扱った。本研究の特徴は入射光子数と反応物質の数を対応させながら反応速度を考察した点にある。極微弱光下では光触媒反応は完全な光量律速となる。一方、強い光強度でTiO2表面が非常に活性化された状態では、触媒表面への物質供給過程が律速になる。これらの完全な光量律速条件、完全な物質供給律速条件を気相の2-プロパノールの分解反応に関して、光量および気相物質濃度の関数として実験的に明らかにした。また、これらの解析を通して、光触媒表面での・OHの拡散距離や、拡散律速時に光触媒気相界面に生ずる境界層の厚さなどを見積もることが出来た。本研究は、環境触媒として汎用性が期待されるTiO2光触媒反応の速度論的解析の基礎を成すものである。

2.量子効率の光強度依存性(光量律速領域)

 ガラス基板上に焼結したアナターゼ型のTiO2膜を用いた。光触媒反応により、微弱な紫外光の下で2-プロパノールは選択的にアセトンに酸化される(図1)。その素過程はまず次式のように、・OHにより水素が引き抜かれ、

 

 不安定ラジカルCH3C・(OH)CH3が生成する。このラジカルは以下の様に酸素と反応しアセトンに自動酸化される。

 

 

 また、いわゆる電流2倍効果によってもこのラジカルはアセトンに分解される。いずれにしても、アセトン1分子の生成は1光子反応として扱うことが出来る。反応の量子効率を酸化チタンが吸収した光子数の関数として表したのが図2である。吸収光子数が減少すると量子効率は上昇する。しかし、光量が非常に小さくなると量子効率は光量に依存せず一定になる。例えば、1000ppmvでは4×1011quanta・cm-2・s-1光子数以下の領域で量子効率は28%であった。これは完全な光量律速に入ったことを意味している。また、量子効率の吸収光子数に対するカーブの形が異なる初期濃度で同じであり、初期濃度が高くなると同じ量子効率を与える時に必要な吸収光子数が増加した。

図1 2-プロパノール分解反応の各ガス成分の変化(●2-プロパノール,○アセトン▲CO2,2-プロパノール初期濃度100ppmv,照射光量45W・cm-2)図2 2-プロパノール分解反応の量子効率の吸収光子数依存性(2-プロパノール初期濃度●1000ppmv△100ppmv,▲10ppmv,○1ppmv)

 そこで、量子効率を吸収光子数と反応物の表面吸着分子数の比(Inorm)に対してプロットし直すと、1-1000ppmvの異なる初期濃度にも拘わらず、同一の曲線に乗った(図3)。また、10-4/s-1以下のInormで完全な光量律速になることがわかった。この時、・OHあるいは2-プロパノールが、2-プロパノール分子間距離以上の広い距離を表面拡散して常に2-プロパノールと反応していると考えられる。この距離は今回の実験の最小濃度1ppmvの吸着量から計算して11nm以上であると推定できた。ここで、一連の光触媒反応過程の速度と光子の吸収頻度を比べると、本実験条件での単位時間当たりの吸収光子数が非常に少ないことがわかる(図4)。すなわち、一連の光触媒反応はms以内に終了するのに対し、光触媒に吸収される光子は1cm2あたり103秒に一回程度である。このことは光触媒中に存在する電子-正孔の定常濃度は限りなく小さいことを示している。これらの考察から、量子効率の最大値(28%)はこのサンプルの電荷分離効率を意味し、また量子効率の低下は、表面活性種同志の反応(式4)の増加によるものであると考えられる。

 

 もし、反応物の分子間距離が・OH拡散距離に比べて非常に離れた極微量な表面濃度の場合は量子効率が低下すると予想できるが、実験の可能な濃度領域ではこのような現象は観測されていない。

図3 吸収光子数と2-プロパノール吸着分子数の比(Inorm/s-1)に対する量子効率(2-プロパノール初期濃度●1000ppmv△100ppmv,▲10ppmv,○1ppmv)図4 一連のTiO2光触媒反応過程のダイヤグラム
3.反応速度の光強度依存性(物質輸送律速域)

 比較的強い光強度域での2-プロパノールの分解反応速度を吸収光子数に対して両対数プロットしたのが図5である。0.1-100ppmvまでの各初期濃度で吸収光子数の増加に対して反応速度は増加し、さらに吸収光子数が多くなると一定速度となることが示された。この時、触媒表面への反応物の拡散律速になっていることは気相を強制撹拌した実験からも確認できた。また、表1に示すように拡散律速条件での反応速度は気相濃度に比例して上昇した。これは、反応物の触媒表面への流束が気相濃度に比例するからである。一方、気相濃度が高くなると一定速度になり始める時の吸収光子数の値は増加したが、完全な物質輸送領域以外では、それらは比例関係になかった(表1)。これは、光触媒反応の速度が表面吸着量とも相関があることに起因していると予想される。すなわち気相濃度が高くなる程、表面反応速度が流束の増加に上回って拡散律速に入るためには、より多く光子数が必要となるためと考えられる。

図5 静置系での2-プロパノール分解速度の吸収光量依存性(2-プロパノール初期濃度●1000ppmv△100ppmv,▲10ppmv,○1ppmv)表1 初期濃度の増加に伴う拡散律速時の反応速度の比、光量律速時の反応速度の比および拡散律速に入る時の吸収光子数の比

 次に、拡散律速条件でのガラス容器内の濃度変化について、拡散方程式(式4)を用いたシミュレーションを行なった。

 

 まず、静置系の実験ではガラス容器内の中の正味の風速は0と仮定して、1次元の差分法により計算した。計算方法は、ある時間のx’の位置における気相濃度をC(x’,t’)、時間dt経過後の同位置における気相濃度C(x’,t’+1)として次のよう行なった。

 

 

 境界条件1:x’=1でC=0、

 境界条件2:x’=z’(z’=z/dx,z=ガラス容器の高さ8cm)で∂C/∂x=0、拡散係数D=0.099cm2・s-1、D’はD=(dx)2(dt)-1D’となる無次元数である。

図6 拡散律速時の濃度変化のシミュレーション(拡散係数D=0.099cm2・s-1、境界層の厚さline A:8.0cm,line B:2.0cm,line C:1.5cm,line D:1.0cm、実験データのマークは図5と同じ)

 しかしこの条件では、実際の濃度の減少の方が速かった(図6A)。一方、ガラス容器内の自然対流の可視化を実験的に見積もったところ、その流速は平均V=1cm・s-1であった。この時、理論的には境界層の厚さは2.4cm付近と見積もることが出来、この対流を入れて計算を行なった。すなわち、境界層の厚さをk番目の位置までとし、ガラス容器上部までの残りの空間(k’

 

 その結果、境界層c=1.5cmとすると実験を良く再現出来た。 (図6C)

 また、アセトアルデヒドの分解反応においても同様に異なる光量で分解実験を行なったところ、その拡散律速時の反応速度は、同じ初期濃度の2-プロパノールの速度とほとんど同じであった。気相分子の拡散係数D=0.1cm2・s-1が分子種にほとんど依存しないことを考えると、図5から得られる拡散律速条件は全ての気相分子に通用できると予想される。

4.まとめ

 以上の結果を基に、反応物濃度と光強度をx、y軸にとって完全な光量律速条件と完全な拡散律速条件を図示したものが図7である。拡散律速条件を分けるカーブ(カーブA)は濃度の増加に伴って急激に増加した。一方、完全な光量律速条件を分けるカーブ(カーブB)は、濃度が増加すると光量の増加率は減少することがわかった。量子効率は反応物の吸着分子数と吸収光子数の比によって決まるので、この光量律速に入る光強度は、吸着分子数によって決まっている。この図で横軸は気相濃度であるので、このカーブの形は、Langmuir型の吸着等温線の形を反映している。

図7 光量律速反応と拡散律速反応の条件を反応物濃度と光強度の関係から表した図(カーブA:拡散律速の境界条件、カーブB:光量律速の境界条件)

 さらに、カーブAの増加率が減少すると、カーブBの増加率が急激に上昇するという相互関係があることが読み取れる。これは、気相からの反応物の流束の増加に対して表面反応速度が上回って拡散律速に入るためには、より多く光子数が必要となるためである。

 なお、反応速度は、膜厚や表面積に依存する。また、酸素や湿度の影響を受ける。すなわち、各律速条件の境界光量はそれらに応じて変化するだろう。しかし、光量律速や拡散律速の反応速度の最大値は、電荷分離効率、そして気相拡散係数のみにそれぞれ依存すると考えられる(表2)。

表2 拡散律速・光量律速条件に影響を与える様々な要因
5.結論

 本研究より、気相中の極低濃度の反応物がTiO2光触媒の表面にまばらに吸着していても、非常に少ない光子から生成した・OHが広く表面拡散して効率良く反応するモデルを立てることに成功した。また、静置系での触媒表面への物質供給モデルも、移動速度論を基に立てることができた。これらの結果より、我々が目指すTiO2を用いた環境浄化システムの速度論的解析が可能となった。

6.発表状況

 (1)"Kinetics of photocatalytic reactions under extremely low-intensity UV illumination on titanium dioxide thin films"

 Y.Ohko,K.Hashimoto,and A.Fujishima

 J.Phys.Chem.A101,43,8057,1997.

 (2)"Kinetic analysis of photocatalytic degradation of gaseous 2-propanol under mass-transfer-limited conditions with TiO2 film photocatalyst"

 Y.Ohko,K.Hashimoto,and A.Fujishima

 J.Phys.Chem.in press.

 (3)"Autoxidation of acetaldehyde initiated by TiO2 photocatalysis under weak UV illumination"

 Y.Ohko,D.A.Tryk,K.Hashimoto,and A.Fujishima

 J.Phys.Chem.accepted.

 (4)"Photokilling effect of titanium dioxide containing papers"投稿準備中

参考(5)"Thermal variation of free-volumess size distribution in polypropylenes probed by positron annihilation technique"Y.Ohko,A.Uedono,and Y.UjihiraJ.Polym.Scl.B:Polym.Phys.,33,1183,1995.(6)"陽電子消滅によるアイオノマーの自由体積の評価"古崎典子,大古善久,氏平祐輔高分子論文集,969,50(1993).
審査要旨

 本論文は、六章から構成されており、微弱な紫外光下における酸化チタン薄膜光触媒を用いた静置系気相分子分解反応の速度論的研究によって新たに解明された反応ダイナミクスが述べられている。第一章では問題の設定と研究の方向づけがなされ、それに続く四つの章で具体的な研究成果が示されている。最後の章は全体の総括と研究に関する将来展望とが述べられている。

 第一章は序論であり、酸化チタン光触媒反応の原理・特徴が説明されている。また、これまでの酸化チタン光触媒反応の研究の歴史を光強度と反応物濃度の関係から概観し、大量の反応物の酸化除去を目指して強い光源が使用されたことが明確に指摘されている。一方、実際に身の回りの微弱な紫外光を利用し酸化チタンを壁や床、紙などに大面積で使用する新しい静置系環境浄化システムによって自然に空気浄化が行える可能性が記述され、微量な反応物濃度に対する微弱な紫外光下での光触媒反応の速度論的研究と反応ダイナミクス解明の必要性が述べられている。

 第二章では、極微弱な紫外光下(光強度nW-Wcm-2)における2-プロパノールの気相分解反応効率が検討されている。この結果、吸収光子数が減少すると量子効率が上昇し、完全な光量律速に達するまでの量子効率の吸収光子数依存性とその気相濃度依存性が明らかにされている。さらに、吸収光子数と吸着分子数の比(Inorm/s-1)というパラメータを新たに定義し、1-1000ppmvまでの広い濃度範囲で量子効率がInormに対して一つに決まることを見い出されている。この時酸化チタン表面に生成するOHラジカルが吸着2-プロパノール分子間距離(少なくとも11nm)以上の距離を拡散して反応するダイナミクスが初めて提唱されている。また量子効率の最大値(28%)はこの酸化チタン薄膜の電荷分離効率を意味しており、Inormの増加に伴う量子効率の低下は電子と正孔の再結合ではなくOHラジカルとHO2ラジカルの反応確率の増加によるものであると説明されている。

 第三章では、比較的強い紫外光下(光強度W-mWcm-2)の2-プロパノールの気相分解反応速度の吸収光子数依存性とその気相濃度依存性が検討されている。この結果、吸収光子数が増加すると反応速度が上昇し拡散律速に達するが、拡散律速に入る光強度は各初期濃度で異なることが明らかにされている。これは、表面反応速度がLangmuir型の吸着分子数に比例するのに対し、拡散律速時の気相からの反応物の流束は気相濃度に比例するので、気相濃度が高い条件ほど拡散律速に達するまでに必要な光子数がより多くなるためであると説明されている。また異なる風速下における触媒表面への物質供給の影響について、反応物濃度の経時変化が、境界層厚を適切に考慮した1次元の拡散方程式を用いてシミュレーションされている。

 以上の結果から反応物濃度と光強度をそれぞれx,y軸に採った図中に、光量律速条件の領域と拡散律速条件の領域がまとめられている。この図を基にして、ターゲットとする反応物濃度に対して必要な最大光強度と最大反応速度を予測出来、装置設計の観点からも重要であると認められる。

 第四章では、第二章で得られた新しい反応ダイナミクスのモデルを酸素存在下で連鎖反応することが知られているアセトアルデヒドの気相分子分解反応について検証している。その結果、酢酸とCO2の生成量から求めた量子効率が、2-プロパノールの場合と同様に、吸収光子数と吸着分子数の比(Inorm/s-1)で決まることが明らかにされている。さらに、Inormの値が小さいときはラジカル停止反応の頻度が少ないために見かけの量子効率が180%に達し連鎖長が5となることが記述されている。

 第五章では、酸化チタン内添紙を使って、大腸菌に対する抗菌効果の光強度依存性について検討が試みられている。その結果、光照射90分後ではブラックライト下で93%、白色蛍光灯下で60%の殺菌率が得られている。

 第六章は全体の総括と本研究に関する将来展望とが述べられている。本研究で得られた反応ダイナミクスが、これまで複雑とされてきた酸化チタン光触媒反応の基礎となることが述べられている。また、新しい気相静置系の環境浄化システムの可能性について、比較的強い光源を配置し反応物の生成のない閉じた小さな空間に適用すべきであると結論されている。

 本研究の結果は、光触媒反応の研究および界面化学などの関連分野に重要な知見を与えるものであり、基礎・応用いずれの見地からもこの分野の今後の発展に寄与するものと認められ、高く評価出来る。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54638