学位論文要旨



No 113441
著者(漢字) 鄭,松岩
著者(英字)
著者(カナ) ゼン,ソンヤン
標題(和) 常圧下X線励起試料電流による表面分析
標題(洋) Surface Analysis by X-ray Excited Specimen Current under Atmospheric Pressure
報告番号 113441
報告番号 甲13441
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4159号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 合志,陽一
 東京大学 教授 二瓶,好正
 東京大学 教授 澤田,嗣郎
 東京大学 助教授 樋口,精一郎
 東京大学 講師 宮村,一夫
内容要旨 【はじめに】

 X線の照射により試料から光電子、オージェ電子及び非弾性散乱によって生じる2次電子が脱出する。試料の表面に印加されたバイアス電圧より放出したすべての電子は捕獲される。その際に試料に繋がっている電流測定器より測定される電流はX線励起試料電流である。真空中での試料電流はTotal electron yield(TEY)と等価である。一方、ガスあるいは空気雰囲気中で試料から脱出した高いエネルギーを持つ電子はガス分子を電離する。イオン-電子対を測定する方法がConversion electron yield(CEY)である。

 現在、試料電流検出法は常圧下における新しい表面分析法として関心を集めているが、そこで、本研究ではX線の励起によりTEYとCEYにおけるスペクトル強度及び分析深さを評価した。表面敏感性を更に向上させるため全反射条件を実現できる試料を用いて、全反射条件下とそれ以外の条件下におけるXANESスペクトルの信号強度(S)とバックグラウンド(B)の比を測定し理論的に考察した。また、TEYとCEYを利用して表面分析への応用について検討を行った。

【実験配置】

 実験配置を図1に示した。実験は高エネルギー物理学研究所、放射光施設PFビームランイン(BL)4Aで行った。自作の試料チャンバーを用いてTEYとCEYの測定を行った。試料は周囲と電気的に絶縁されて、電流測定器に繋がっている。電子を収集するために試料から2mmの距離にCuメッシュを設置してバイアス電圧50Vを印加した。

Fig.1.Schematic experimental arrangenment used for the measurement of sample current using X-ray excitation.
【結果と考察】1、TEYとCEYの測定強度および分析

 深さを評価するために、シリコンウエファーに蒸着した金薄膜の試料電流の視射角依存性を測定した(図2)。入射光と反射光の干渉によりTEYとCEYともに臨界角付近にピークが出現している。ピークのところでCEYの強度はTEYのものより約35倍の電流が流れる。これは、試料から放出した高エネルギーの電子により空気中の分子が電離されるためであり、高エネルギーの電子一個は複数のガス分子を電離していると考えられる。従って、CEYの測定強度がTEYの測定強度より高くなったものと解釈される。

Fig.2.Glancing-angle dependence of CEY(solid line)and TEY(dashed line)from a 1300Å Au film on Si wafer.The curves were normalized to the incident X-ray intensity.

 最大値に規格化した電流強度の視射角依存性の結果を図3に示す。CEYのピークはTEYのものより大きな視射角側にシフトをしている。これはCEYの分析深さがTEYより深いことを示している。試料にX線を照射すると入射X線のエネルギーより低いエネルギー吸収端から各々のエネルギーを持つ1次電子、2次電子が試料の表面から飛び出す。分析深さは1次電子の脱出距離に制約されると仮定した場合のモデルを図4に示す。真空中での試料電流が試料表面まで脱出した全電子の数である。分析深さは脱出したすべての1次電子の平均脱出距離である。一方、大気中での試料電流は脱出した電子のエネルギーに強く依存する。

Fig.3.Glancing-angle dependence of CEY(solid line)and TEY(dashed line).The curves were normalized to the maxima of the CEY and TEY curves.Fig.4.The processes of electron escape and leading to the measured electron currents.

 放出した高エネルギー電子により電離されるイオン-電子対が試料からの低いエネルギー電子の数より圧倒的に多くるため、電流強度は放出した高エネルギー電子に支配される。分析深さは検出した1次高エネルギー電子の脱出距離により決まる。従って、CEYの分析深さが深くなると考えられる。このようなモデルを用いて13keVの入射X線で金を試料として計算されたCEYとTEY分析深さは90Å、76Åであった。

 シリコンウエファーに蒸着した200Å、1300Å金薄膜を試料とする、CEYの視射角依存性(図5)が薄膜の厚さによらず同様な依存性を示すことから、CEYの分析深さ200Å以下であることが実験的にも明らかになった。

Fig.5.A comparison of the experimental glancing angle dependence in the CEY mode for 1300Å(solid line)and 200Å(dashed line)Au films.
2、全反射条件でのTEYによるXANES測定

 2つの視射角でAu L3吸収端前後の入射X線照射による放出電子スペクトルを計算した。放出電子スペクトルを積分すれば、試料電流検出によるXANE Sスペクトルになる。計算したXANE Sスペクトルを図6に示す。吸収ジャンプを信号強度とすると、この計算結果から全反射条件でのS/Bが全反射以外の条件より高いことを示している。そこで同じ系について実験を試みた(図7)。この実験結果から理論計算結果と同様に全反射条件でのS/Bが全反射以外の条件の場合より高い事が分かる。従って、全反射条件利用すれば、より表面敏感の測定できることが明らかになった。

Fig.6.Numerical simulations of Au L3-edge XANES by integrated intensity of emission electron spectra at glancing angles of 4 mrad (solid line)and 12 mrad(dashed line).Fig.7.Experimental Au L3-edge XANES by TEY detection at glancing angles of 4 mrad(solid line)and 12 mrad(dashed line).
3、表面分析への応用(1)フライアッシュについてのXANES測定

 石炭からのフライアッシュ(粉末)についてTEYのXANESを測定した結果を図8に示す。電流検出ではSO42-に対応するピークのみが現れている。従って、フライアッシュの表面の硫黄はすべてSO42-の状態で存在することが明らかになった。一方、蛍光X線検出の場合は試料内部から表面までの平均的な情報が得られるが、S2-、SO42-に対応するピークが現れている。これはフライアッシュの内部にはSO42-は別として少なくともS2-の状態の硫黄が存在しているが表面ではSO42-のみ存在していることを示す。TEYを用いて測定したXANESは表面近傍の情報を選択的に与える。

Fig.8.S K-edge XANES of fly ash powder obtained with the sample current and XRF detection methods.
(2)NiとNiOについてのXANES測定

 標準試料NiとNiO(粉末)についてCEYを利用してNi K吸収端のXANESを測定した(図9)。NiOのスペクトルの吸収端はNiのスペクトルの吸収端より高エネルギー側にシフトしている。シフトの大きさは6.9eVである。このように化学シフトが試料厚さなどを考慮せずに容易に測定できる。Niの場合2つの吸収ジャンプaとbがある。低エネルギー側のジャンプが1s軌道からp成分を含んだ3d-4sバンドへの遷移に対応している。高エネルギー側のジャンプは1s-4pの遷移である。NiOではNiに比べて原子間距離が大きい為に1s-4pの遷移が支配的になるため、bジャンプしか現れない。

Fig.9.Ni K-edge XANES spectra of Ni(solid line)and NiO(dashed line)in powder form by the CEY mode.
【まとめ】

 本研究により以下のことが明らかになった。(1)X線励起CEYの信号強度がTEYの信号強度より高い。(2)CEYの分析深さはTEYの分析深さより深い。(3)全反射条件を利用することにより表面選択的な測定可能であることが理論的考察と実験結果により明らかになった。(4)蛍光法とTEY検出のXANESを同時に行うことによりフライアッシュ表面と内部についての硫黄の化学状態の識別が可能である事が分かった。(5)さらにCEYでも試料の表面に存在する元素の化学状態についての情報が得られる事が分かった。

審査要旨

 本論文は6章より成る。

 第1章は序論で、表面分析法一般についての概念と、特にX線吸収スペクトルを用いる表面分析について各種の方式を比較しその得失について述べている。X線吸収にともなう電子の放出を測定する方式の相互比較と歴史的発展についても述べている。

 第2章は全電子収量法(TEY)と転換電子収量法(CEY)についての検討である。TEYを試料に流入する電流として測定する場合は、通常の電子分光方式とは異なり、高真空を必要とせず常圧下でもスペクトルを得ることができる。またCEYは放出電子が十分なエネルギーを持つ場合は、雰囲気ガスのイオン化による信号の増幅作用があり信号強度が増大し、一般的な条件下では利得は数十倍に及ぶ。同時に多くのガスではイオン化エネルギーに大きな差はないため一般的にガス共存化下での電子スペクトルの測定が可能となる。TEY、CEYあわせてガス共存下でX線吸収端スペクトル(XANES)の測定に有効であることをあきらかにしている。同時にTEYとCEYの分析深さの差をあきらかにしている。

 第3章は斜入射条件下でのTEYによるXANESスペクトルを議論している。Au L3吸収端について全反射条件によるS/Bの変化を検討し、さらにそれを数値的シミュレーション比較し、矛盾のないことを確かめている。全反射条件下ではS/Bが改善されることまた、CEYと組合せる場合は測定対象とする吸収端によってS/Bが変化するが、Au L3の場合はTEYよりも低下することを示している。

 第4章は石炭フライアッシュへの応用である。石炭フライアッシュは硫黄を含むが、環境科学の点からその存在状態は重要である。XANESスペクトルを蛍光X線法で測定したときにはかなりバルクに近い情報が得られる。TEYでXANESを測定するのは、粉末試料では必ずしも有利ではないが、試料電流法をとれば試料形態の影響はすくない。蛍光X線ではS2-とS6+が認められること、またTEY(試料電流法による)ではS6+が大部分であることをあきらかにしている。この結果フライアッシュは未酸化の硫黄が相当量残存するという新しい知見を得ている。同様の手法で硫化物蛍光体を分析したところ、安定な硫化物においても表面は硫酸塩となっていることがわかった。

 第5章はCEYと蛍光X線法による状態分析を扱っている。多くの触媒は粉体あるいは多孔質の焼結体である。状態分析に有力な通常の電子分光法は多孔質試料には必ずしも適当ではない。しかしCEYは散乱などの影響がすくなく適用可能であり、ここではゼオライト触媒を検討している。ニッケルを担持した触媒を対象とし、まずニッケルについてCEYによるXANESを測定し電子構造との関連をあきらかにしている。ゼオライトZSM-5に0.1%Niを担持させた試料は、Ni量が低いが十分に測定可能であった。蛍光X線法は分析深さが深いためスペクトルの強度、S/Bは非常によいが、飽和がおこり化学情報に関する微細構造は変形することを示し、一方CEY法は分析深さが10nm程度で飽和がおこりにくく、スペクトルの変形が避けられることを明らかにした。これはバルク試料のスペクトルの解析においても有効である。ZSM-5 0.1%NiはNiOのスペクトルと近いプロフィルを示し、電子構造が近いことを明らかにしている。

 第6章はまとめである。TEY,CEY両法の分析深さが一般にCEY>TEYでありおよそ10nm程度であること、各種マトリックスを検討し分析深さに関する値をあきらかにし、またS/Bが各種の条件下でどのように変化するか、さらに全反射条件によって表面敏感性を向上できるかなどを広く検討した結果をまとめている。とくに常圧下で測定可能で表面の凸凹にも影響を受けにくい、試料電流CEY,TEY法の有効性を述べている。

 以上、本論分は表面分析法に関する新しい知見を得ており学術上意義が大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク