学位論文要旨



No 113445
著者(漢字) 矢野,尚
著者(英字)
著者(カナ) ヤノ,タカシ
標題(和) 機能性ダイヤモンド薄膜の電気化学特性
標題(洋) Electrochemical Properties of Functional Diamond Thin Films
報告番号 113445
報告番号 甲13445
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4163号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤嶋,昭
 東京大学 教授 工藤,徹一
 東京大学 教授 尾嶋,正治
 東京大学 教授 橋本,和仁
 東京大学 助教授 辰巳,敬
内容要旨

 ダイヤモンドは、高熱伝導性・高硬度・化学的安定性など優れた物性を有する材料であり、しかも約1013cm以上の高い抵抗率を示す良好な絶縁体である。しかし合成する際に不純物としてホウ素をドープするとp型半導体性を示し、しかもドープ量により半導体性から導電性まで電気特性を制御できる。近年ダイヤモンドは、化学的安定性やホウ素のドーピングによる導電性の発現などの特性により、電気化学においてHOPGやグラッシーカーボンなどのsp2炭素材料に次ぐ新規の炭素電極材料として注目され始めてきた。これまでに、ダイヤモンド薄膜の電気化学特性として(1)水溶液において、水素過電圧・酸素過電圧が大きい、(2)レドックス系に対する応答が良い、(3)バックグラウンド電流が小さい、など電極材料として優れた特性を有することが報告されている。そこで本研究では、マイクロ波プラズマCVD法により作製したボロンドープダイヤモンド薄膜に対する電気化学特性の評価を目的とした。まず薄膜作製の際の指針となるホウ素のドープ量と電気化学特性の関係について示した。次に、導電性ダイヤモンド電極を還元反応に用いた場合について検討を行った。さらに、電極表面処理により電極表面および結晶粒界に存在するsp2炭素(非ダイヤモンド成分)のダイヤモンド電極の電極応答に対する影響について評価を行った。

 ダイヤモンド薄膜は、マイクロ波プラズマCVD法によりn型Si(100)基板上に作製した。Si基板は0.5mのダイヤモンドパウダーで物理的前処理したものを用いた。原料ガスは、H2をキャリアーガスとし、炭素源はアセトン/メタノールの体積比9:1の混合溶液を用い、H2で溶液をバブリングして真空チャンバー内に導入した。全供給ガス中における炭素の割合を約3%とした。ホウ素源はB2O3を用い、アセトン/メタノールの混合溶液中に溶解させてin situにドーピングを行った。プラズマの出力を5kW、全圧を115Torrとして、10時間成膜を行い、膜厚約40mの薄膜を得た。得られたダイヤモンド薄膜について、SEMやラマン分光法、四探針法により物性評価を行った。得られた薄膜から電極を作製する際、HF/HNO3体積比2:1の混合溶液を用いて、Si基板を除去し自立膜としたものを主に用いた。導線とのオーム接触をとる際、薄膜表面の一部にAuを蒸着した。電気化学測定は、Ag/AgClまたはSCE電極を参照極、炭素棒またはPtを対極とする3電極系の一室セル中で行った。

ボロンをドープしたダイヤモンドの物性評価と電気化学特性

 ダイヤモンド薄膜を作製する際の炭素源の混合溶液中に含まれるホウ素の割合(B/C)を10、102、103、104ppmと大きくしていくと、得られた薄膜の抵抗率が101cmから10-3cmまで下がることがわかった。ラマンスペクトルを測定したところ、10ppmでは1333cm-1のダイヤモンドであることを示す鋭いピークのみが見られ、結晶性の高い薄膜が得られたことがわかった。しかしB/Cが大きくなると1333cm-1のラマンシフトの他に無秩序のsp3炭素を示すラマンシフト(1200cm-1)が現われはじめた。これはダイヤモンド薄膜にホウ素をヘビードープすることにより現れるスペクトルであることから、ホウ素ドーピングによるダイヤモンド薄膜の光学物性への影響が顕著にみられた。次に、得られた各種ダイヤモンド薄膜について電気化学特性の評価を行った。電解質のみでは、B/C=10ppmの薄膜の電流-電位特性が半導体性を示したのに対し、B/Cが大きくなるにつれ電流-電位特性が半導体性から導電性に変化してゆくのが見られた(図1)。また1電子レドックス系で酸化還元ピークの電位差(Ep)を調べたところ、B/Cが増加するにつれEpが小さくなり、B/C=104ppmの薄膜ではほとんど金属に近い応答を示した。以上より、ダイヤモンド薄膜のホウ素ドープ濃度に依存した電気化学特性の変化が示された。

図1 異なるボロンドープのダイヤモンド電極の0.1M KOH中における電流-電位曲線(走査速度;100mV/s)

 また半導体性を示すB/C=10ppmの薄膜について、光電気化学特性も調べた。広いバンドギャップ(5.5eV)に対して光励起するためにエキシマレーザーを光源に用いて行ったところ、ArF(波長193nm/6.4eV)を照射した場合-1V vs.SCEで約110A/cm2の光電流が観測されたが、KrF(波長248nm/5.0eV)やXeF(波長351nm/3.53eV)では光電流がほとんど観測されなかった。このことからArFを用いた場合はダイヤモンドの価電子帯から伝導帯へのバンド間励起が起こり、それに伴い光電流が流れたものと考えられる。またこの電極のMott-Schottkyプロットからフラットバンド電位を求めると0.9±0.1V vs.SCEであったことから、ダイヤモンドの伝導帯は約-4.20V vs.SCEと非常に卑であることがわかった(図2)。

図2 ダイヤモンドのバンド構造と各種光源のエネルギー
導電性ダイヤモンド薄膜電極による還元反応

 ダイヤモンド電極は酸化側・還元側両方について電位窓が広いため、広範な電気化学センサーとして期待される。そこで、導電性ダイヤモンド電極(B/C=104ppm)を用いて水溶液系では酸素の還元を、非水溶液系ではフラーレンの還元について検討した。

 溶存酸素は電気化学的に活性で、電極の電位窓を狭める要因となるため、電気化学測定の際には除去する必要がある。ダイヤモンド電極を用いた時の溶存酸素の影響についてこれまでに報告されていない。そこでアルカリ水溶液中における酸素還元反応について検討を行った。図3に0.1M KOH水溶液中においてPtやグラッシーカーボンと比較した結果を示す。ダイヤモンドでは、酸素還元による還元ピークが他の電極材料に比べてよりカソード側に現れた。窒素雰囲気下で得られた電流-電位曲線をバックグラウンドとして差し引くと、ダイヤモンド上では酸素還元による還元電流の立ち上がり電位が、約-0.8V vs.Ag/AgCl付近となり、酸素の2電子還元反応(O2+H2O+2e-→HO2-+OH-)の酸化還元電位(-0.234V vs.Ag/AgCl)と比較すると、約0.5Vも過電圧を持つことがわかった。これは、同じ炭素電極であるグラッシーカーボンでは表面にごく微量存在するキノン類が酸素還元反応に対して触媒的な役割を果たすのに対し、ダイヤモンド表面にはそれに相当する官能基がほとんど存在しないため、反応の過電圧が大きく酸素還元が抑えられたものと考えられる。

図3 各種電極の0.1M KOH中における電流-電位曲線。実線;酸素雰囲気下、点線;窒素雰囲気下(走査速度=100mV/s)(a)白金(b)グラッシーカーボン(c)ダイヤモンド

 フラーレンは、理論的に6電子還元まで可能であるが、C605-/6-の酸化還元電位は非常に負であり、しかもC606-は室温で不安定なためこれまで低温下でしか得られなかった。しかしダイヤモンドが広い電位窓を持つことから、室温で6電子還元まで行えることが期待できる。トルエン/アセトニトリルの混合溶媒中において行ったところ、Ptでは5電子還元までしかできなかったのに対し、ダイヤモンドでは6電子還元まで行えたことから、ダイヤモンド電極は非水溶液系においても優れた電極特性を示すことが示された。

ダイヤモンド電極の表面処理による電気化学応答への影響(非ダイヤモンド成分の評価)

 ダイヤモンド薄膜をCVD法で作製する際、もともとsp2炭素が成長しやすい条件下で行っているため、得られたダイヤモンド薄膜の表面や結晶粒界などにごく微量のsp2炭素が存在する可能性が高い。このsp2炭素がダイヤモンド薄膜の電極応答に与える影響についてまだ明らかにされていない。そこで、導電性ダイヤモンド薄膜(B/C=104ppm)に対して電気化学処理を行うことで検討を試みた。まず0.5M H2SO4中における酸素還元反応について、まずアノード分極を行った後還元側へ電位を戻す操作を行い、アノード分極の電位端を変化させたところ、図4に示すようにアノード側の電位端がより正になるに従い、約-0.6V vs.Ag/AgCl付近に還元ピークが現われはじめ、しかもアノード端電位に依存して増加する挙動が見られた。しかしこの挙動は窒素雰囲気下では現れなかったことから、酸素由来の還元反応であることが分かる。この挙動について考察すると、グラッシーカーボンとの比較からダイヤモンドの表面ないし結晶粒界にごく微量に存在するsp2炭素がアノード分極により活性化され、酸素還元に対し電極表面での活性サイトとなっているのではないかと考えられる。ところで、アルカリ水溶液中で電位走査を行うと、ダイヤモンド表面に存在するsp2炭素が除去されることが報告されているが、0.1M KOH中で-1.8Vから+1.4V vs.Ag/AgClの間で電位を走査した前後における電流-電位曲線の比較を行った。1電子酸化還元系ではほとんど変化が見られなかったのに対し、2電子酸化還元系ではEpが増加した。このことから1電子酸化還元系では電極表面のダイヤモンド部分と非ダイヤモンド部分で区別なく電子移動が起こっているのに対し、2電子酸化還元系では非ダイヤモンド部分における応答性が良く、ダイヤモンド電極の電極応答に影響を及ぼしていたものと考えられる。

図4 0.5M硫酸中におけるダイヤモンド電極の電流-電位曲線(a)酸素雰囲気下+0.4Vまで(b)+1.4Vまで(c)+1.7Vまでアノード分極(d)窒素雰囲気下+1.7Vまでアノード分極(走査速度=100mV/s)

 以上の研究により本論文では、ダイヤモンド薄膜のホウ素のドープ濃度と電気化学特性の関係を明らかにし、ダイヤモンド電極を作製する際の指針を得ることができた。還元反応において溶存酸素の還元反応を抑えたり、フラーレンの6電子還元を室温で行えるなど優れた特性を持つことがわかった。またダイヤモンド電極の表面処理により、電極表面および結晶粒界に存在するsp2炭素によるダイヤモンド電極の電極応答への影響について評価を行うことができた。

審査要旨

 本論文は七章より構成されており、ホウ素をドープしたダイヤモンド薄膜をCVD法により作製し、その電気化学特性について述べられている。第一章では問題の設定と研究の方向づけとがなされ、第二章に研究で用いた実験系について述べられ、それに続く四つの章で具体的な研究成果が示されている。最後の章は全体の総括と研究に関する将来展望が述べられている。

 第一章は序論であり、前半ではダイヤモンドの物性、合成法、評価法および応用について述べられており、ダイヤモンドがいくつもの優れた性質を有した物質であることが紹介されている。後半ではまず同じ炭素電極材料で比較する観点から、sp2炭素電極材料の物性および電気化学特性が説明されている。次にダイヤモンドの電気化学についての報告例が紹介されており、従来のsp2炭素電極や金属電極と比較した場合ダイヤモンド電極が優れた電極材料になる可能性を有していることが示されている。しかしダイヤモンドの電気化学について未だ研究の初期段階にあるため、解明されていない部分が多いことを指摘している。

 第二章では、ホウ素をドープしたダイヤモンド薄膜の作製法および電気化学実験系について説明されている。前半では、ダイヤモンド薄膜作製用CVD装置が紹介されており、大面積の薄膜が再現性よく作製でき、しかもホウ素のドーピングも他の方法に比べて安全かつ簡易であるといった特徴が説明されている。後半ではCVD法で得られたダイヤモンド薄膜から電極を作製する手順や電気化学測定に用いた装置類等を紹介している。

 第三章では、前半でダイヤモンド薄膜へのホウ素のドーピング量に対して、得られた薄膜の物性および電気化学特性の関係について検討を行っている。ドープ量の増加によりダイヤモンドの電気的性質が半導体性から導電性へ変化することを、抵抗率およびレドックス系に対する電気化学応答性などの結果より明らかにしている。この結果よりホウ素ドープダイヤモンド電極を作製する際の指針を与えている。後半では半導体性ダイヤモンド薄膜の光電気化学特性について検討を行っている。広いバンドギャップをもつダイヤモンドに対して、エキシマレーザー照射によりバンド間の直接光励起に成功し、また実験結果よりダイヤモンドの伝導帯の下端電位が真空準位に近いことから、光励起により得られた電子が高いエネルギーを有する可能性が示唆されている。

 第四章では、導電性ダイヤモンド薄膜の適用例として、水溶液系および非水溶液系での還元反応における電気化学特性について述べられている。まず、水溶液系の酸素還元においてダイヤモンドの電気化学的挙動を検討している。酸素還元反応は電気化学測定において電位窓を狭める原因となるが、従来の白金やグラッシーカーボンに比べダイヤモンドでは酸素還元が抑えられることを見出し、またダイヤモンド上では2電子還元反応が起こっていることを明らかにしている。次に非水溶液系でフラーレンの室温における6電子還元について述べている。フラーレンの6電子還元は室温では困難で、白金では5電子還元までしか進まないのに対し、ダイヤモンドでは6電子還元まで進んだことから、ダイヤモンド電極が非水溶液系においても優れた特性を有することを示唆している。

 第五章では、CVD法によりダイヤモンド薄膜を作製する際に同時に生じる非ダイヤモンド成分(sp2炭素)のダイヤモンド電極の電極応答への影響について検討している。まず酸性溶液中の酸素還元において、ダイヤモンド電極の電位走査のアノード端電位を変化させることによりカソード側の電位で還元電流の挙動が変化する現象を見出している。この現象をグラッシーカーボンとの比較などにより、ダイヤモンド表面上および結晶粒界に存在するsp2炭素がアノード分極により活性化され反応サイトとなることを考察している。また1電子レドックス系および2電子レドックス系において、アルカリ溶液中における電位走査によるダイヤモンド電極応答の変化について述べており、レドックス系の種類によりsp2炭素の電極応答への影響が異なることについて考察し、電極上での反応について簡単なモデルで説明している。

 第六章では、HOPG電極上へ電解合成した高分子薄膜に対し、電解質溶液中における走査プローブ顕微鏡によるin situ微細加工に成功したことが述べられている。この手法を用いることで、ダイヤモンド電極上に機能性薄膜をつけた場合に表面微細加工を行える可能性を示唆している。

 第七章では、本研究で得られた結果の総括および将来の展望が述べられている。この中で、n型導電性ダイヤモンド薄膜の作製が今後のこの分野の更なる発展につながる可能性が示唆されている。

 本論文における結果は、ホウ素をドープしたダイヤモンド薄膜が新規の電極材料として電気化学の分野に新たな知見を与えるのみならず、材料科学の分野においても有益な知見を与えるものであり、基礎・応用いずれの見地からも高く評価でき、かつこれらの分野における今後の発展に寄与するものと認められる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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