学位論文要旨



No 113447
著者(漢字) 顧,忠沢
著者(英字)
著者(カナ) グ,ゾンザ
標題(和) 光機能性分子性磁性材料の設計
標題(洋) Design of Photo-functional Molecule-based Magnetic Materials
報告番号 113447
報告番号 甲13447
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4165号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤嶋,昭
 東京大学 教授 北澤,宏一
 東京大学 教授 岸尾,光二
 東京大学 教授 橋本,和仁
 東京大学 助教授 北森,武彦
内容要旨 1.緒言

 近年、分子性磁性材料の構築が進んでいる。この分子性磁性材料は分子レベルでの設計や合成が可能であるため、これまでの無機系の磁性材料では達成できなかった新しい機能を持つ斬新な磁性材料の開発が期待できる。本研究では、このような分子性磁性材料の設計の自由度を利用し、光で磁気特性を自由に制御できる新しいタイプの磁性材料の構築をめざして検討を行った。材料の分子設計は主にプルシアンブルー類似体をベースとして行った。プルシアンブルーは金属とシアノ基が交互に並んで構成された物質であり、金属を幅広く選択でき、また、シアノ基の一部を異なる配位子で置き換えることも可能である。

 まず、光誘起金属-配位子間電子移動を利用した磁性制御を目的としてニトロシル基を導入した物質の設計、合成を行った。その結果、光照射によりスピンクラスターを生成できることを見いだした。また、コバルトー鉄シアノ錯体のシアノ基の一つをアミノ基あるいはチオシアノ基で置換した物質を合成し、光誘起金属-金属間電子移動による磁気特性の光制御に成功した。

2.実験2.1合成(1)[Ni(en)2]4[Fe(CN)5NO]2[Fe(CN)6]・6H2O(en=ethylenediammine)

 [Ni(en)3]Cl2とNa2[Fe(CN)5NO]の水溶液を混合した。数日後、混合比には依存せず、全てオレンジ色針状結晶が生成した。

(2)Ni[Fe(CN)5NO]・5.3H2O

 0.02MのNa2[Fe(CN)5NO]水溶液100mlに0.02M NiCl2を100mlより過剰に加えた。これにより灰色の沈殿が生じた。沈殿を熟成させるため一晩放置してから濾過した。

(3)CO[Fe(CN)5NH3]・6H2O

 0.8MのNa2[Fe(CN)5NH3]水溶液5mlに0.8M CoCl2水溶液を5ml加えた。赤色沈殿が生じた後すぐ濾過した。

(4)Rb1.6Co1.2[Fe(CN)5NCS]・4H2O

 コバルトめっきした白金板を0.1MのRb3[Fe(CN)5NCS]水溶液に含浸すると緑色の膜が白金基板上に生成した。

2.2測定

 UV-visible、IR及びMossbauerスペクトルは室温あるいは低温で測定した。ヘリウム循環冷却器を用いて温度を制御した。磁気測定はSQUIDを用いた。

2.3理論計算

 EHMOとEHTBを用いて分子軌道及びエネルギーバンドを計算した。

3.結果と考察3.1金属-配位子電子移動を介した電子状態の制御

 ニトロプルシド化合物は、200K以下で350-580nmの光照射を行うと鉄からNOへの電子移動が起こり、長寿命の準安定状態が生じる物質として知られている。本研究ではこのニトロプルシドの光応答性を利用した光制御型磁性物質の設計を試みた。

 まず、一次元的に架橋された多核金属錯体の側鎖に光機能性のニトロプルシドを組み込んたペンダント型物質-[Ni(en)2]4[Fe(CN)5NO]2[Fe(CN)6]・6H2O-の合成を行った。単結晶XRDの解析からこの物質は単斜構造をとっていることが分かった(space group P21/n with Z=2,a=14.745(3)Å,b=29.096(6)Å,c=7.414(2)Å,=102.85(2)°and V=3101(1)Å3)。図1に示すように、cis-[Ni(en)2]2+と[Fe(CN)6]4-がc軸方向に一次元波状の主鎖を形成し、[Ni(en)2][Fe(CN)5NO]は側鎖として主鎖中の鉄と連結している。14Kで290nm-480nmの光を照射したところNOの振動が1909cm-1から1792cm-1に移動し、またUV-VISの吸収が300nm-400nmで増大した。この変化は、ニトロプルシド中でFeからNOへ金属-配位子電子移動(MLCT)が起こったことで説明できる。すなわち、[Fe(CN)5NO]2-中の2b2(Fe dxy)の電子が光照射により7e(NO*)に移動する。この電子はNOの反結合性軌道に入るためNOの結合が弱まり、振動が低波数側へ移動する。また、この電子のより高い準位への遷移が新しい吸収ピークとしてUV-VIS領域に観測されたものと考えられる。なお、すべての変化は620nm-750nmの光で元にもどり、光で可逆なクロミック材料であるといえる。磁気測定から見ると、鉄が閉殻のため2Kまでの温度範囲で常磁性を示す。また、光照射前後で磁気特性に変化は見るれず、側鎖でのニトロプルシドの電子状態の変化が主鎖の磁気特性には影響を与えないことが分かった。

図1a)サンプル1の一次元鎖状構造、結晶水及びエチリンジアミンは省略。b)光誘起側鎖の変化

 次に、ニトロプルシドとスピン間の相互作用を強め、光誘起磁性を実現するため、ニトロプルシドを磁性ネットワークに取り込んだNi[Fe(CN)5NO]・5.3H2Oを合成した。粉末XRDのパターンは、合成されたものがfcc構造(a=10.16Å)をとっていることを示している(図2)。IRの領域には、2202cm-1、及び、2154cm-1にCNの伸縮振動、1949cm-1にNOの振動が観測された。これらは、鉄とニッケルがFeII-CN-NiIIのような架橋構造をとっていることを支持している。また、この物質は鉄の反磁性的な性質のためニッケル間の磁気相互作用は非常に弱く、2Kまでの温度範囲で常磁性的な性質を示す。この物質に475nmの光照射を行うと、200K以下の温度範囲において、光照射後、NOのIR振動が1949cm-1から1821cm-1に移動し、UV-VISの吸収が360nm-450nmで増大した。すなわち、光照射により準安定状態のニトロプルシドが生じることが分かった。さらに、磁気測定で光照射により磁気モ-メントが増大することを観測した。これはFeのd軌道に生じたスピンが周りのNiのスピンと相互作用しスピンを整列させ、物質中にスピンクラスターが形成されたためであると考えられる。ブリルアン関数へのフィッティングからクラスターのスピンはS=5であることが分かる(図3)。すなわち、Feのd軌道に生じたスピン(S=1/2)は、NO上のスピン(S=1/2)と反強磁性的にカップリングし五つのNiのスピン(S=1)と強磁性的に相互作用している。以上のような光誘起効果は熱処理により元の状態にもどり、可逆であった。

図2 サンプル2の三次元架橋構造図3 サンプル2における光誘起スピンクラスター生成
3.2金属-金属電子移動を介した電子状態の制御

 金属原子間の電子移動による磁気特性の制御はコバルト(III)-鉄(II)シアノ錯体で見いだされている。バンド計算から、この化合物の価電子帯はコバルトと鉄のt2g軌道から形成され、伝導帯はコバルトのeg軌道から形成されているので、価電子帯から伝導帯への電子移動は鉄からコバルトへのものと考えられる。また、伝導帯はCoとNの強い反結合性であるので、伝導帯に電子が移動することによりNとCoの結合が弱くなり、結合距離が長くなったと考えられる。光によるNとCoの結合距離の変化は光磁気特性に重要な役割を果たしていることが分かった。さらに、計算の結果から、ヘキサシアノ鉄の一個のシアノ配位子をCより結合力が弱いNの配位サイトを持つ配位子に取り替えることにより、光誘起磁気変化の実現が可能であると考えられる。そこで、CN-配位子をNの配位サイトを持つNH3あるいはNCS-と交換した物質の合成を試みた。

 まず、ヘキサンシアノ鉄の一個のCN-配位子を中性のNH3に交換したCo[Fe(CN)5NH3]・6H2Oを合成した。この化合物はニッケルニトロプルシドと同じfcc構造を形成する(a=10.20Å)。IRとMossbauerスペクトルからFeII-CN-CoIIIとFeIII-CN-CoIIが共存することが分かった。さらに、150K以下で620-750nmの光照射を試みたところ、IRスペクトルでFeIII-CN-CoIIに帰属される2162cm-1の振動の増大とFeII-CN-CoIIIに帰属される2117cm-1の振動の減少が観測された。また、磁化測定から2Kでの磁化は光照射により25%増大することが分かった(図4a)。すなわち、光照射により鉄からコバルトへの金属間電子移動が生じ、金属間の磁気的な相互作用が増加し、磁気転移温度及び磁気モーメントの増大が観測されたものと考えられる。さらに、分光測定と磁気測定とから、この化合物の電子状態が格子間の水分子の影響を受け、脱水することによりCoIIからFeIIIへの電子移動が誘起されることも観測された。

図4 光誘起金属金属電子移動

 さらに、CN-をNCS-に置き換えたRb1.6Co1.2[Fe(CN)5NCS]・4H2O(fcc構造、a=10.12Å)を合成した。この物質を電気化学的に酸化することにより光誘起磁性物質を得ることができる。14KでのIRスペクトルから、v(CN)が光照射により2124cm-1から2171cm-1と2116cm-1に変化することが分かった。2124cm-1がFeII-CN-CoIIIとNCS-、2171cm-1がFeIII-CN-CoII、2116cm-1がNCS-にそれぞれ帰属できることから、光照射により鉄からコバルトへの電子移動が起こったことがわかる。この電子移動は低温でのUV-VISスペクトルと磁気測定からも支持された。また、磁気測定から、光照射する前はFeIIとCoIIIが共に閉殻でありスピン間の相互作用が禁止され、2Kまでの温度範囲で磁気相転移が見られないことが分かった。一方、5Kで光照射を行うと、磁気相転移が9Kにあらわれ、光磁性材料であることが示された(図5)。さらに、この化合物の電子状態が格子間のアルカリイオンに強く影響されることが分かった。IRスペクトルから見ると、ルビジウムがナトリウムあるいはカリウムに交換すると、FeII-CN-CoIIIとNCS-に帰属される2124cm-1の振動が2163cm-1と2116cm-1に変化した。これらの振動はそれぞれFeIII-CN-CoIIとNCS-のv(CN)に帰属できる。すなわち、ルビジウムがナトリウムあるいはカリウムに交換するによって鉄からコバルトへの電子移動が起こることがわかる。なお、ナトリウムとカリウム化合物は9Kで磁気相転移を起こすことが分かった。

図5 光誘起磁気相転移
4.結言

 本研究では金属-配位子電子移動と金属-金属間電子移動を利用した光応答性磁性材料の分子設計を試みた。ニトロプルシド系の材料では、分子レベルでスピン間の相互作用を光により制御することができた。このアプローチは分子磁性体の設計だけではなく、分子デバイスの設計にも有効な指針を与えるものと考えられる。コバルト鉄シアノ錯体では、シアノ基の一つをN配位に変化させても光磁気効果を示すことがわかった。これはNサイトを有する機能性分子を光磁性ネットワークに配位させることができることを意味しており、光磁性に他の機能を付加した多重機能性光磁性材料への発展が可能であることをも示唆している。これらの付加価値を持つ新しい磁性材料の開発は将来の記録材料への応用などの見地から非常に重要な課題であり、今後、大きな流れに発展するものと予想される。

【参考文献】[1]Z.-Z.Gu,O.Sato,T.Iyoda,K.Hashimoto and A.Fujishima,Mol.Cryst.Liq.Cryst.1996,286,147-152[2]Z.-Z.Gu,O.Sato,T.Iyoda,K.Hashimoto and A.Fujishima,J.Phys.Chem.1996,100,18289-18291[3]Z.-Z.Gu,O.Sato,T.Iyoda,K.Hashimoto and A.Fujishima,Chem.Mater.1997,9,1092-1097[4]Z.-Z.Gu,O.Sato,M.Kai,T.Iyoda,K.Hashimoto and A.Fujishima,in preparation[5]O.Sato,Z.-Z.Gu,H.Etoh,J.-IIchiyanagi,T.Iyoda,A.Fujishima and K.Hashimoto,Chem.Letters,1997,37-38
審査要旨

 本論文は八章よりなる。第一章で問題の設定と研究全体の位置づけがなさている。それに続く六つの章では具体的な問題の解明がなされている。最後の章は全体の総括と本研究に関する将来的な展望とが述べられている。

 第一章は序論であり、分子性磁性体についての概説と本研究の発想を述べた。分子性磁性材料というものは従来の無機系磁性材料と異なって、多様な機能を持つ有機分子を用いて分子レベルで磁性材料の設計や合成が可能なので、これまでの無機系磁性材料では達成できなかった新しい機能を持つ斬新な磁性材料の開発が期待できる。この考えに基づき、本章では、光で磁気特性を自由に制御できる新しいタイプの磁性材料を構築する考えを提出した。

 第二章では、一次元的に架橋された多核金属錯体の側鎖に光機能性のニトロプルシドを組み込んたペンダント型物質-[Ni(en)2]4[Fe(CN)5NO]2[Fe(CN)6]・6H2O-の合成を行った。単結晶XRDの解析からこの物質は単斜構造をとっていることが分かった。cis-[Ni(en)2]2+と[Fe(CN)6]4-がc軸方向に一次元波状の主鎖を形成し、[Ni(en)2][Fe(CN)5NO]は側鎖として主鎖中の鉄と連結している。14Kで290nm-480nmの光を照射したところNOの振動が1909cm-1から1792cm-1に移動し、またUV-VISの吸収が300nm-400nmで増大した。この変化は、ニトロプルシド中でFeからNOへ金属-配位子電子移動(MLCT)が起こったことで説明できる。すべての変化は620nm-750nmの光で元にもどり、光で可逆なクロミック材料であるといえる。磁気測定から見ると、鉄が閉殻のため2Kまでの温度範囲で常磁性を示す。また、光照射前後で磁気特性に変化は見られず、側鎖でのニトロプルシドの電子状態の変化が主鎖の磁気特性には影響を与えないことが分かった。

 第三章では、ニトロプルシドとスピン間の相互作用を強め、光誘起磁性を実現するため、ニトロプルシドを磁性ネットワークに取り込んだNi[Fe(CN)5NO]・5.3H2Oを合成した。粉末XRDとIRスペクトルから、化合物中で鉄とニッケルがFeII-CN-NiIIのような架橋構造をとっていることが分かった。また、この物質は鉄の反磁性的な性質のためニッケル間の磁気相互作用は非常に弱く、2Kまでの温度範囲で常磁性的な性質を示す。この物質に475nmの光照射を行うと、200K以下の温度範囲において、光照射後、NOのIR振動が1949cm-1から1821cm-1に移動し、UV-VISの吸収が360nm-450nmで増大した。すなわち、光照射により準安定状態のニトロプルシドが生じることが分かった。さらに、磁気測定で光照射により磁気モ-メントが増大することを観測した。これはFeのd軌道に生じたスピンが周りのNiのスピンと相互作用しスピンを整列させ、物質中にスピンクラスターが形成されたためであると考えられる。ブリルアン関数へのフィッティングからクラスターのスピンはS=5であることが分かる。すなわち、Feのd軌道に生じたスピン(S=1/2)は、NO上のスピン(S=1/2)と反強磁性的にカップリングし五つのNiのスピン(S=1)と強磁性的に相互作用している。以上のような光誘起効果は熱処理により元の状態にもどり、可逆であった。

 第四章では、光照射で常磁性から強磁性への磁気相転移が起こる磁性材料(コバルト鉄シアノ錯体)の光効果のメカニズムを明らかにするため、その電子状態をEHMOとEHTBを用いて計算した。計算の結果から、化合物の価電子帯はコバルトと鉄のt2g軌道から形成され、伝導帯はコバルトのeg軌道から形成されていることが分かった。従って、価電子帯から伝導帯への電子励起は鉄からコバルトへの電子移動に対応するものと結論づけることができた。また、伝導帯はCoとNの強い反結合性軌道からなっており、伝導帯に電子が移動することによりNとCoの結合が弱くなることが分かった。これは、光照射によりCo-N間の結合距離が0.18Åほど伸びるという実験結果と一致する。以上のことは、光によるNとCoの結合距離の変化が光磁気特性に重要な役割を果たしていることを示している。

 第五章と第六章は第四章の理論計算の結果を基づき、さらに配位子修飾による機能性光磁性材料の設計、開発を目指して理論計算を行い、ヘキサンシアノ鉄の一個のシアノ配位子をCより結合力が弱いNの配位サイトを持つ配位子に取り替えても光誘起磁気変化が実現可能であることを導き出した。また、この理論的予測を裏づけるため、シアノ配位子をNH3あるいはNCS-と交換した物質を合成し、確かにこれらの化合物が光磁気効果を示すことを実験的に明らかにした。この結果はNサイトを有する機能性分子を光磁性ネットワークに配位させることができることを意味しており、光磁性に他の機能を付加した多重機能性光磁性材料への開発が可能であることを示唆している。

 第七章では、金属オキサレート錯体とNLO効果を有する色素を用いて初めて非線形効果を有する多重機能分子性磁性材料の開発に成功した。

 以上述べたように、本研究では光機能性分子性磁性体の設計、開発に関する検討を行い、いくつかの新規光磁性材料の開発に成功した。本研究において提案した分子設計の方針及び合成の手法は新しい光機能性分子性磁性材料の設計に有効な指針を与えるものと認められる。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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