学位論文要旨



No 113449
著者(漢字) 楊,立昌
著者(英字)
著者(カナ) ヤン,リーチャン
標題(和) Ru(II)錯体触媒を用いるメタノールの転化反応に関する研究
標題(洋)
報告番号 113449
報告番号 甲13449
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4167号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 篠田,純雄
 東京大学 助教授 溝部,裕司
 東京大学 助教授 水野,哲孝
 東京大学 助教授 八代,盛夫
 東京大学 講師 石井,洋一
内容要旨 1.緒言

 酢酸の工業的製法として,Rh錯体を触媒,ヨウ化メチルを助触媒とするメタノールのカルボニル化反応(Monsanto法)が著名である。一方,Ru(II)-Sn(II)の直接結合をもつ異核クラスター化合物が,メタノールのみを原料として一段で酢酸(または速いエステル化による酢酸メチル)を生成する触媒となることが見い出されている。この反応は,(i)メタノールのみを原料とする単一原料プロセスである,(ii)触媒金属に高価で資源的にも稀少なRhを用いない,(iii)装置腐食性の高いヨウ化物助触媒が不要,などの利点をもっている。

 [Ru(SnCl3)5(PPh3)]3-錯体を触媒とする均一系液相反応の機構解析より,本反応の律速段階はメタノールからホルムアルデヒドを生成する脱水素過程であること,およびSnCl3-配位子からCl-が解離して生じるSn(II)上の活性点が重要であることが示唆されている,本研究では,これらの反応機構に関する知見を生かし,本反応に有効な触媒を配位子効果の観点から検討するとともに,ゼオライト担体上に触媒活性種を担持する不均一触媒の調製を試みた。

2.実験2.1[RuCl2(PR3)3]型錯体触媒によるメタノールの液相脱水素反応

 Ru(II)錯体として,[RuCl2(P(p-C6H4X)3)3](X=H(1),Me(2),F(3),OMe(4))および[RuCl2(PMePh2)3](5)を用いた。1は既報に従い合成し,2-5はRuCl3・3H2Oおよび対応する三級ホスフィンをメタノール中で反応させることにより得た。充分に精製したメタノールに所定量のRu(II)錯体を溶解し,均一な反応溶液を得た。反応温度は64℃(還流)とし,生成する気体をガスビュレットにより大気圧下で容量追跡した。液相生成物はGCにより分析した。

2.2RuCl3・3H2O/SnX2複合触媒によるメタノールのみからの酢酸生成反応

 メタノール(10ml)/アセトニトリル(10ml)の混合溶媒に,所定量のRuCl3・3H2OおよびSnX2を溶解することにより,均一な反応溶液を得た。反応は,真空下に溶封した封管中(140℃)で行った。生成物はGCおよびGC-MSにより分析した。なお,常圧・還流条件下(68℃),ガスビュレットを用いた反応により,酢酸メチルと水素との化学量論を確認した(>95%)。

2.3Ru(II)-Sn(II)/NaY型ゼオライト触媒の調製とキャラクタリゼーション

 NaY型ゼオライトは,SiO2/Al2O3=5.5のものを用いた。塩酸酸性水溶液(pH=4.5)中でNa+を[Ru(NH3)6]3+とイオン交換し(48時間),真空下で乾燥した(Na+交換率38%,スーパーケージ当りRu0.81個)。これをSnCl2・2H2O-NaClメタノール溶液中に分散し,室温で撹拌した後(24時間),ろ過・真空乾燥した。反応はHeをキャリアガスとする常圧固定床流通反応装置を用い,200℃で2時間前処理後,メタノールを恒温飽和器から供給した(5mol%)。反応温度は200℃とし,生成物をon-line GCおよびGC-MSで分析した。EXAFS測定の参照物質である[Ru(NH3)6]Cl3・(NEt4)4[Ru(SnCl3)6]は,それぞれ市販品および既報の方法に従って合成・単離したものを用いた。

3.結果および考察3.1[RuCl2(PR3)3]型錯体触媒によるメタノールの液相脱水素反応に対する三級ホスフィンの配位子効果

 いずれのRu(II)錯体を用いても,ホルムアルデヒド・メチラール・ギ酸メチルおよびこれらに対応した化学量論量の水素が生成した。なお,CO・CH4・CO2の副生は痕跡量であった(<0.5%)。遊離ホスフィンの添加効果から,ホスフィン配位子の解離により[RuCl2(PR3)2]が生成し,これが活性種となることが示唆された。触媒濃度に対する依存性と合わせ,反応速度式としてR=kK[Ru]0/(K+[PR3])が得られた(k:[RuCl2(PR3)2]に対する1次速度定数,K:ホスフィンの解離定数,[Ru]0:Ru(II)錯体の仕込み濃度)。Kの値は,円錐角の最も小さい5が最小であり,円錐角のほぼ等しい錯体(1-4)ではほとんど変わらなかった。ホスフィン配位子の解離に,それ自身のかさ高さが影響する効果と考えられる。また,1-4の水素生成速度は,ホスフィンの塩基性序列とは逆となった。1-4について,ホスフィンの共役酸(HPR3+)のpKa値に対して初期速度の対数をプロットしたところ,よい直線関係が得られた(図1)。従来のメタノール脱水素反応の機構に基づき,ホスフィンの塩基性が低いほどRu上の電子密度が減少し,メトキシ配位中間体(Ru-OCH3)におけるRu(II)の-水素への親電子的攻撃が促進されるものと考えられる。

図1 HP(p-C6H4X)3+のpKa値と[RuCl2(P(p-C6H4X)3)3]錯体触媒の初期速度(R)との関係
3.2RuCl3・3H2O/SnX2複合触媒によるメタノールのみからの酢酸生成反応のX(ハロゲン)依存性

 いずれのSnX2(X=F,Cl,Br,I)を用いても,液相生成物は酢酸メチルのみであり,選択性は極めて高かった。SnCl2について,触媒活性の仕込みモル比([Sn]/[Ru])依存性を検討したところ,SnCl2を添加しないときには酢酸メチルは全く生成せず(図2),Sn(II)成分が不可欠といえる。なお,活性は[Sn]/[Ru]=16付近で最大となった(図2)。[Sn]/[Ru]=16の反応溶液の119Sn-NMRを測定したところ,[Ru-Cl(SnCl3)5]4-およびtrans-[RuCl2-(SnCl3)4]4-に同定されるピークが検出された。種々のSnX2を用いて反応を行った結果を表1に示す。触媒活性の序列は,F>Cl>Br>Iのように電気陰性度の順となった。見かけの活性化エネルギーもこの序列と一致しており,求電子性のより高いRu(II)活性中心をもつ錯体で律速過程(メタノール脱水素)が促進されたものと解釈できる。なお,最大配位数6をはるかに越える[Sn]/[Ru]比で活性が最大となった点については,SnX2がルイス酸として作用し,X-配位子を引き抜くことにより,活性点を生成し易くなったものと考えられる。

図2 RuCl3・3H2O/SnCl2複合触媒による酢酸メチル生成速度の[Sn]/[Ru]比依存性表1 RuCl3・3H2O/SnX2複合触媒の酢酸メチル生成活性a
3.3NaY型ゼオライトのスーパーケージ中でのRu(II)-Sn(II)異核クラスターの調製とキャラクタリゼーション

 W/F=1300g-cat h mol-1の条件で反応させたところ,約30時間の誘導期を経てメタノール転化率9.0%で酢酸メチルを生成した。なお,[Ru(NH3)6]3+イオン交換またはSn(II)処理のみでは,酢酸メチルの生成は認められなかった。XPS測定の結果,誘導期間中に,(i)Ru(III)→Ru(II)の還元,(ii)触媒調製時にゼオライトの外表面近傍に存在するSn(II)種のゼオライト内部への拡散,の2過程が起こることが示唆された。さらに,Ruの存在状態について検討するため,以下の試料のRu-KEXAFSスペクトル測定を行った。すなわち,(a)[Ru(NH3)6]3+でイオン交換後,(b)SnCl2・2H2O-NaClによる処理後,(c)Heによる前処理後,(d)誘導期途中,(e)反応開始300時間後,および参照物質(f)[Ru(NH3)6]Cl3,(g)(NEt4)4[Ru(SnCl3)6]である。図3に示すように,(b)と(d)では明らかにRuへの配位状況が変化しており,前者は(f)に,後者は(g)に類似している。同様に(a),(c)は(f)と,(e)は(g)と同じ位置にピークを与えた。このことから,SnCl2・2H2O-NaCl処理やHeによる前処理を行った段階では,アンミン錯体の構造はまだ保持されており,誘導期間中にRu(II)-Sn(II)結合が生成したと考えられる。誘導期における気相成分を詳細に検討したところ,[Ru(NH3)6]3+のNH3配位子とメタノールとの反応で生成したと考えられるトリメチルアミンが確認された。また,トリメチルアミン量が減少するに従って,酢酸メチルが生成し始めるという挙動がみられた。これらの結果も考慮すると,誘導期間中には上記(i),(ii)の過程以外に,(iii)NH3配位子がトリメチルアミンとして脱離する,(iv)Sn(II)種がRu(II)に配位して活性種を生成する,の過程も起こると推定される(スキーム1)。なお,EXAFS測定で求められたRuに対するSnの平均配位数は2.6であり,分子径を考慮すると,複数のSn配位子は互いにシス配置をとると考えられる。

Ru-Sn/ゼオライト触媒(b,d)および参照物質(f,g)のFT-EXAFSスペクトル(f:[Ru(NH3)6]Cl3,g:(NEt4)4[Ru(SnCl3)6])スキーム1スーパーケージ中でのRu(II)-Sn(II)活性種の推定生成過程
審査要旨

 本論文は5つの章より構成されており,メタノールのみからの酢酸の一段生成反応に高い性能を示す触媒を目指した基礎研究がなされている。

 第1章は序論であり,酢酸製造工業とその問題点,および新規な酢酸製造法に関する基礎的な研究の現状がまとめられている。また,その中で本論文の中心テーマであるRu(II)-Sn(II)の直接結合をもつ異核クラスター触媒によるメタノールのみからの酢酸の一段生成反応が位置付けられている。

 第2章では,メタノールのみからの酢酸生成反応の律速段階と考えられているメタノールの脱水素過程(ホルムアルデヒドと水素を生成)が詳しく検討されている。すなわち,種々の三級ホスフィン配位子をもつ[RuCl2(PR3)3]錯体(PR3=PPh3(1),P(p-C6H4Me)3(2),P(p-C6H4OMe)3(3),P(p-C6H4F)3(4),PMePh2(5))を合成・単離し,これらを触媒とするメタノール脱水素反応を速度論的に解析している。その結果,(i)配位不飽和種を生成する三級ホスフィン配位子の解離平衡は,立体的なかさ高さが大きい三級ホスフィン配位子ほど有利となる(12>5),(ii)ほぼ等しい立体的なかさ高さをもつ三級ホスフィンが配位した錯体の脱水素活性は,より電子吸引性の高い三級ホスフィン配位子で大きい(4>1>2>3),の2点を明らかにしている。後者の特徴は,より電子吸引的な配位子によりRu上の電子密度が低められ,メタノール脱水素触媒サイクルに含まれるメトキシ中間体からの-水素引抜き過程が有利となることを示唆している。このように,錯体触媒反応における配位子の役割を立体的効果・電子的効果に分けて考察できたことは,今後の錯体触媒設計のための一つの指針を与えるものである。

 第3章では,RuCl3・3H2OにSnX2(X=F,Cl,Br,I)を添加した複合触媒を用い,メタノールのみからの酢酸生成反応におけるハロゲン効果を液相均一系で検討している。酢酸メチルは,SnX2の添加なしでは得られず,in situで生成するRu(II)-Sn(II)異核クラスター種が活性をもつことを推定している。実際,119Sn-NMRスペクトルにより反応溶液中にRu(II)-Sn(II)異核クラスター種([RuCl(SnCl3)5]4-およびtrans-[RuCl2(SnCl3)4]4-)を検出し,これらのクラスター種を別途合成・単離した上で,それぞれが触媒活性をもつことを確認している。一連のSnX2を用いて活性を比較した結果,酢酸メチルの生成速度,見かけの活性化エネルギーともにハロゲンの電気陰性度が大きいほど(F>Cl>Br>I)有利であることを見い出している。このことは,律速段階とされるメタノール脱水素過程が,電子吸引性の配位子により促進されるという前章の結論と調和している。錯体触媒反応における系統的なハロゲン効果の興味深い例であり,またこのように簡便に調製される複合触媒系で,酢酸生成能をもつRu(II)-Sn(II)異核クラスターが得られたことも注目される。

 第4章では,ゼオライトを担体として用い,メタノールのみからの酢酸生成反応に有効な固気相不均一系触媒の調製および触媒活性種の生成機構が検討されている。フォージャサイト型ゼオライトの一つであるNaY型ゼオライトのNa+を[Ru(NH3)6]3+でイオン交換後,SnCl2・2H2O-NaClのメタノール溶液で処理すると,9%の転化率でメタノールのみから酢酸メチルが生成した(200℃,W/F=1300g-cat h mol-1)。この触媒は,(i)30時間程度の誘導期をもつ,(ii)長寿命(>100h)である,の2点が特徴的である。XPS,on-lineガスクロマトグラフ,EXAFSを用いたキャラクタリゼーションの結果,誘導期間中に,(i)NH3配位子がN(CH3)3として気相に脱離する,(ii)イオン交換時に3価だったRuが2価に還元される,(iii)ゼオライト外表面付近に存在するSn(II)種が徐々に内部に拡散する,(iv)スーパーケージ中に存在するRu(II)にSn(II)種が配位し,Ru(II)-Sn(II)異核クラスターが生成する,の4つの過程が起こるものと推定している。また,このようにスーパーケージ中にship-in-bottleの形で生成したRu(II)-Sn(II)クラスター種は,フォージャサイト型ゼオライトに特有の細孔構造により凝集が抑制され,長寿命が実現したものと考察している。

 第5章は,本論文の総括である。

 以上述べたように,本論文ではメタノールのみを原料として一段で酢酸(または酢酸メチル)を生成する極めてユニークな反応に有効な触媒を得るための基礎的知見が,液相均一系・固気相不均一系のいずれにおいても豊富に得られており,分子レベルでの触媒の理解と設計に対して貢献するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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