学位論文要旨



No 113456
著者(漢字) 高橋,崇宏
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,タカヒロ
標題(和) 薄膜形成プロセスにおけるコンピュータ支援反応系設計法(Computer-Aided Reaction Design(CARD))の確立
標題(洋)
報告番号 113456
報告番号 甲13456
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4174号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小宮山,宏
 東京大学 教授 飯塚,悦功
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 教授 鳳,紘一郎
 大阪大学 助教授 江頭,靖幸
内容要旨

 工業プロセスへのコンピュータシミュレーションの導入は、研究開発過程における生産効率の飛躍的な向上を約束するものである。実験により研究がなされていた分野に対してシミュレーションを導入することで、コンピュータ上での"仮想実験"が可能となる。近年におけるコンピュータの高速化、コンピュータサイエンスの発達により、シミュレーションの適用可能な分野は際限なく広がり続けており、化学反応を扱うプロセスもシミュレーションの対象になりつつある。本論文では化学反応を扱うプロセスであるChemical Vapor Deposition(CVD)法を研究対象とした。CVD法は半導体デバイスに用いられる薄膜など形成するプロセスであり、すでに実用化段階にあるが、近年の半導体デバイス高集積化の要求によって多くの困難に直面しており、止まることのないプロセスの改善を強いられている。しかし、CVD法における諸々の問題を解決する方法は確立されているとはいえず、実験を繰り返し行って試行錯誤により問題を解決しているのが現状であり、投入される資金、労力、時間は莫大で、すでに限界に達している。このような現状を打破するためには、CVD法においてもシミュレーションによって"仮想実験"を行えるようにすることが必要である。実用化されれば、シミュレーションによって反応器の製膜状況を予測し、最適なプロセス条件をコンピュータ上で決定することが可能となり、大幅な資金、労力、時間の削減が可能となるであろう。本論文では化学反応を考慮したコンピュータシミュレーションを"仮想反応器"として用い、そのシミュレーションの結果を指針としながら反応系の改善や最適設計を行う手法の確立を目指した。そして、このような手法をコンピュータ支援反応系設計法(Computer-Aidcd Reaction Design(CARD))と名付けた。

 CARDの有効性を検証するためのケーススタディとして、SiH4/O2系熱CVD法を採用した。SiH4/O2系熱CVD法によるSiO2膜は半導体デバイスにおける絶縁膜として広く使用されているが、マイクロメーターサイズの凹凸面に対する膜の均一性が悪い(ステップカバレッジが悪い)という欠点がある。製膜温度を上げることでステップカバレッジが向上できることが知られているが、ある程度以上、製膜温度を上げると、表面が荒れたデンドライト状の膜が生成するため、製膜温度上昇によるステップカバレッジの向上には限界がある。そこで、SiH4/O2系熱CVD法にCARDを適用し、製膜温度を高くすることでステップカバレッジを向上させ、しかも表面荒れを抑えて平滑な製膜が実現できるように反応系の設計を行った。

 CARDによる問題解決の手順を図1に示す。この手順に則り反応系の設計を行った。まず、高温で製膜温度でステップカバレッジに優れ、表面が平滑な製膜を実現するという目的をふまえて、プロトタイプとなるSiH4/O2系CVD装置を作製した。反応温度873Kでこの装置を用いて製膜を行ったが、生成した膜は表面が荒れてデンドライト状になっており、ステップカバレッジはむしろ悪化していた。(図2)

図1 CARDによる問題解決の手順図2 SiH4/O2系における製膜状況(873K)

 そこで、この問題が起こった条件でSiH4/O2系の素反応データセットを用いた気相反応シミュレーションを行った。シミュレーションの結果、SiH4は反応時間0.006s以内にすべて消費されてSiO2になることがわかった。このことからデンドライト状の膜は反応器入り口付近で発生するSiO2クラスタからの製膜が原因であることが推測され、高温でのSiH4の反応を減速することで、ステップカバレッジに優れ、表面がなめらかな製膜が可能となることが示唆された。

 シミュレーションの解析結果から得られた反応機構をもとにして、SiH4の反応減速には全圧を上げる、SiH4の分圧を下げる、ラジカル捕捉剤を添加するという3つの問題解決法が探索された。そこで、仮想実験を行い、解決法の有効性を検討した。その結果、現実的な解決法はラジカル捕捉剤を添加することだけであることが示された。具体的には、C2H4、C2H6、NH3、NO2を添加することでSiH4の反応が減速されることが仮想実験から示された。(図3)さらに、適切な添加量についての示唆も得られた。以上より、仮想実験によって、行うべき製膜実験を大幅に絞り込むことができた。

SiH4/O2/C2H4系におけるSiH4濃度の時間変化(x=C2H4/SiH4 mole ratio)

 最後に製膜実験を行い、解決策の実際の有効性を検証した。仮想実験が示した添加物の効果の有無は製膜実験の結果と一致していた。(図4)また、適切な添加量についての予測も実験結果と半定量的に一致していた。

SiH4/O2系に炭化水素を添加した場合の製膜状況(SiH4/炭化水素=0.9/8)

 以上から、素反応シミュレーションによる仮想実験の結果を指針として反応系を設計、最適化することが可能であることが示され、CARDのCVDにおける問題解決法としての有効性を示すことができた。

 また、上記の素反応シミュレーションの解析結果による知見と、他の分野による知見を適宜用いることによって、直接シミュレーションを行うことなく、C2H4、C2H6より優れたSiH4の反応減速効果を示すn-C4H10を探索することができた。これにより、正確なシミュレーションを行うために十分な素反応データセットが得られない場合でも、他の分野の知見を組み合わせることで新しい反応系が設計できることが示され、将来的には図5で示すようなCARDによるエキスパートシステムが作成できる可能性が示された。このシステムでは、ユーザーからの要求に対して推論エンジンが知識ベースを参照しながら最適な解を求める。さらにその機能に加えて、知識ベースに参照すべき知識がない場合や、知識ベースの知識からは適した解が得られない場合は、仮想反応器で実験を行うことによって、必要な知識を得たり、反応機構を抽出するなどして最適解を求め、反応系の設計を行うという構成になっている。

図5 CARDによるエキスパートシステムの概要
審査要旨

 本論文は、「薄膜形成プロセスにおけるコンピュータ支援反応系設計法(Computer-Aided Reaction Design(CARD))の確立」と題し、緒言、結言を含め全10章からなっており、コンピュータシミュレーションの結果を指針として実験結果を予測し、最適な反応系を設計していく手法の開発を目指すものである。

 第1章は緒言であり、本論文の背景並びに目的について述べている。工業プロセスへのコンピュータシミュレーションの導入は、研究開発過程における生産効率の飛躍的な向上を期待させるものであり、コンピュータを用いた計算技術の発達により、化学反応を扱うプロセスもシミュレーションの対象になりつつある。本論文は、化学反応を扱うプロセスであるChemical Vapor Deposition(CVD)法を研究対象とし、化学反応を考慮したコンピュータシミュレーターを"仮想反応器"として用い、そのシミュレーションの結果を指針としながら反応系の改善や最適設計を行う手法を提案しており、その手法をコンピュータ支援反応系設計法(Computer-Aided Reaction Design(CARD))と名付けている。

 第2章では、CVD法における素反応シミュレーションやSiH4の燃焼、爆発、SiH4/O2系CVD法による製膜についての既往の研究報告がまとめられている。SiH4/O2系熱CVD法の素反応シミュレーションを行うために十分なデータセットは、燃焼の分野などで蓄積されているが、実際に素反応シミュレーションを行って、それを反応設計に結びつけた例はないことを指摘している。

 第3章では、実験とシミュレーションの方法について詳細が述べられている。シミュレーションは、SiH4がSiO2になる気相反応の素過程を扱うものと、気相に生成したSiO2がブラウン運動により凝集する過程を扱うものに分けられる。

 第4章では、CARDによって、プロセス中に生じている問題を解決し、最適な反応系を設計する手順を一般論として記述してある。

 第5章では、前章で提案した問題解決手順の有効性を示すケーススタディとして、SiH4/O2系熱CVD法における問題解決例を示している。SiH4/O2系熱CVD法によるSiO2膜は、製膜温度が低いときはマイクロメーターサイズの凹凸面に対する膜の均一性が悪く(ステップカバレッジが悪く)、製膜温度が高いときはデンドライト状になるという問題があるが、このプロセスにCARDを適用し、最適な反応系の設計を行った。その結果、製膜温度を高くし、C2H4、C2H6、NH3、NO2をラジカル捕捉剤として反応系に添加することでSiH4の反応を減速するという反応系がCARDによって提案され、提案された反応系に対応する製膜実験によってステップカバレッジに優れ、表面が平滑な膜を作成することができた。また、添加する物質の量についても半定量的な指針が得られることを示している。

 第6章では、反応モデルを仮定し、添加物(C2H4、NH3、NO2)によってSiH4の反応が減速する機構を示している。C2H4は分解過程でOH、Oを捕捉し、NH3、NO2はOを捕捉することによりSiH4の反応を減速していることが示された。

 第7章では、SiO2クラスタの凝集シミュレーションを用いて、SiH4の反応速度の変化に対する、クラスタの凝集状態の変化について評価している。クラスタの平均サイズがモノマーの1.7倍以下である条件が、実際の実験で平滑な膜が生成する条件に対応することが示された。

 第8章では、素反応データセットなどが揃っていない等の理由でシミュレーションを行うことが困難な反応系に対しても、CARDの適用が可能であり、最適な反応系を設計することができることを示している。前章までに示された結果とシミュレーションによらない知識を用いて、直接シミュレーションを行わず、C2H4、C2H6よりSiH4の減速効果の大きいn-C4H10を探索することに成功した。

 第9章では、現状におけるCARDの特徴、適用できる範囲を示し、最適な反応系を設計する上での克服すべき課題について考察している。また、課題を克服する方法として、CARDに知識工学の分野で研究されているエキスパートシステムの概念を取り入れ、CARDエキスパートシステムを構築することを提案している。

 第10章は結言であり、本論文のまとめを行っている。

 以上、本論文は、CARDと名付けた手法、すなわち反応シミュレーションによる結果を指針として、反応系を設計、最適化する新しい手法を提案し、ケーススタディを通してその有効性を示したものであり、化学システム工学の発展に寄与するところが大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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