学位論文要旨



No 113457
著者(漢字) 戸田,顕
著者(英字)
著者(カナ) トダ,アキラ
標題(和) 温度勾配のある場における物質移動について
標題(洋)
報告番号 113457
報告番号 甲13457
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4175号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平野,敏右
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 助教授 堤,敦司
 東京大学 助教授 鶴田,俊
内容要旨 まえがき

 物質の移動現象は温度勾配によっても生じることが知られている。微小な粒子が温度勾配のある場に存在すると、その温度勾配が駆動力となり、微小粒子の低温側への移動が誘起される。この現象は、熱泳動、もしくはサーモフォレシス(Thermophoresis)とよばれている。

 温度勾配の存在する様々な場において、熱泳動の効果により種々の現象があらわれる。例えば、熱泳動の効果により粒子の冷却面への堆積が促進され、その熱交換効率の低下を招いたり、流れを可視化する際に用いられるトレーサー粒子が流れに追従しなくなるなどの問題が指摘されている。また、熱泳動の効果は、排気ガス中の粒子の捕集なとで役に立つことが期待されている。熱泳動の影響を定量的に評価することは、様々なシステム中における粒子の挙動を正確に予測し、より高度な装置を開発する上で必要不可欠である。そのためには、熱泳動効果に関する基礎データが必要である。

 しかし、熱泳動効果の測定は、特に温度勾配が大きい場において非常に困難である。温度勾配により発生する熱対流も粒子の挙動に影響を及し、その影響が温度勾配とともに大きくかつ複雑になってしまうためである。同時に生じる熱対流と熱泳動の効果を、それぞれ別々に定量的に明らかにすることは困難である。そのためこれまでの研究では、測定場の温度勾配が数K/mmを越えると、熱泳動効果について正確かつ詳細に調べることができなかった。

 この問題を解決するためには、熱対流の効果が無視できる程度になる微小重力環境の利用が有効と考えられる。そこで本研究では、まず微小重力環境を利用した実験手法を新たに開発した。形成された測定場の妥当性について検討した後、温度勾配や粒子の性質を系統的に変化させながら実験を行い、熱泳動の効果を正確かつ詳細に明らかにした。

実験方法

 微小重力実験は、(株)地下無重力実験センターの落下塔を利用して行った。この施設では、10-5g程度の良質な微小重力状態を約10秒間にわたって実現することができる。2枚の平板(90×90mm)を水平におき、上方をヒーターで加熱することにより、その2枚の平板の間に温度勾配のある場を形成した。初め、平板間を数cm程度に開いた状態で定常温度になるまで加熱を行い、微小重力状態が実現された後に、その間隔を素早く2mmに閉じた。粒子は粒子溜に乾燥空気を送り込むことでエアロゾル状にし、微小重力状態が実現された後に、平板の間に水平方向に吹き込んだ。

 熱泳動の効果を詳細に測定するためには、場の温度分布と、個々の粒子の挙動を同時に測定する必要がある。温度分布の測定には干渉計及び熱電対を用いた。個々の粒子の挙動は、粒子をレーザービームで照明し、そのミー散乱光をCCDカメラにより記録することで観測した。各装置を図1のように配置し、粒子の位置及び干渉縞の状態を同じ画像上に記録した。画像は1/30秒毎、熱電対からの出力は1/40秒毎記録した。観察領域を拡大して記録することで、干渉縞及び粒子の位置測定を正確に行った。

図1 装置配置図
実験結果測定場の妥当性の検討

 温度勾配のある場を形成したときに、熱電対の出力及び干渉縞の間隔を測定したところ、それらは観測時間中変化せず、ほぼ一定値を保ち続けた。このことより、準定常な温度場が形成されることが分かった。場の温度分布は低温面から高温面に至るまで直線的であった。以上のことより、本実験では、準定常で直線的な温度分布をもつ、熱泳動速度の測定に適した単純な温度場が得られることが分かった。粒子挙動の一例を図2に示す。まず対照実験として、温度勾配がない場において粒子(MgO)の挙動を観測した。水平方向へ吹き込まれた粒子は、吹き込み停止時から観測開始時までの短時間内でその動きを止め、ほぼ一定の場所に浮遊し続けた。このことより、静電気力などの熱泳動効果の測定を妨げるような外力が働いていないことが確認された。温度勾配のある場では、粒子は一定の速さで、温度勾配方向のみの速度成分をもって低温側へ移動した。本研究ではこの粒子速度を熱泳動速度とした。微小重力環境を利用した本実験方法により、はじめて、熱泳動の効果のみによって誘起される粒子の挙動が観測可能となった。数10K/mmの温度勾配のある場において、温度勾配と熱泳動速度を、正確に測定できるようになった。

図2 粒子の挙動
温度勾配と熱泳動速度

 本実験手法を用いて、様々な粒子に対し温度勾配と熱泳動速度を測定した。測定された温度勾配と熱泳動速度を図3にまとめた。熱泳動速度は温度勾配とともに増加し、その増加の割合も温度勾配とともに大きくなることが分かった。

 本実験結果と、代表的な予測式から得られる速度を比較すると、温度勾配の増加とともに熱泳動速度が増加する傾向は同じであったが、その増加の割合に数倍の差が生じることが明らかとなった。予測式中には係数が含まれており、その値は、熱対流の生じる通常重力下で得られたデータをもとに決定されてきた。熱泳動の効果は、実際には、これまでの予想以上に大きいことが分かった。

粒子の性質と熱泳動速度

 図3に示したように熱泳動速度は粒径が小さいほど、また、粒子の熱伝導率が低いほど増加する傾向がみられた。粒径に関しては、同じオーダーの粒子であっても、熱泳動速度に数倍の差が生じている。このことから、粒子の"小ささ"と熱泳動効果について詳細に検討した。

図3 温度勾配と熱泳動速度

 熱泳動は、粒子と周囲気体分子との衝突により生じると考えられている。よって、その効果はクヌーセン数(Kn数)に依存すると考えられる。物質が粒子の場合、Kn数は一般的に気体分子の平均自由行程と粒子半径Rの比、Kn=/Rと定義される。

 粒径の影響を調べるために、SiO2粒子(1,2.7,10,30m)及びPMMA粒子(5,12,30m)を試料として実験をおこなった。いずれの粒子も球形で粒径がそろっており、本測定に適している粒子である。結果を図4a,bに示す。数mから数10mの粒径の範囲においては、粒径が小さくなるについて熱泳動速度が大きくなることがわかる。また、粒径の大きい範囲と比べて粒径の小さい範囲では、粒径の変化に対する熱泳動速度の変化が著しく大きくなっている。

図4a 粒径と熱泳動速度図4b 粒径と熱泳動速度

 2.7mのSiO2粒子を用い周囲気体圧力を変化させることで、平均自由行程と熱泳動速度との関係を調べた。圧力が減少し平均自由行程が増大することによっても熱泳動速度が増すことが分かった。

 粒径と平均自由行程の影響をKn数を用いて整理し、図5に示す。この図より、熱泳動速度に与える粒径及び平均自由行程の2つの影響は、Kn数を用いることで整理できることがわかる。すなわちKn数が増加するにつれて、熱泳動速度は大きくなる。熱泳動速度のKn数への依存性は従来の予測よりも大きく、特にKn数が大きい領域において注意が必要であることが分かった。

 本実験で得られた熱泳動速度は、熱泳動力と粒子の動きにより生じる気体の粘性抗力との釣り合いにより決定される。熱泳動力FTをストークスの式FT=6RUT/Cc及び測定された熱泳動速度UTからを求めた(図6)。ここで、は粘性係数、Ccは粒子が"小さく"なったときの、すべりの効果を考慮したもカニンガムの補正項である。単位面積あたりにはたらく熱泳動力が、粒径の減少及び平均自由行程の増加とともに大きくなる様子がわかる。

図5 クヌーセン数と熱泳動速度図6 クヌーセン数と熱泳動力
影響の予測

 粒子の挙動は、粒子に働く力を考慮して運動方程式をたて、それをオイラー法などで解くことにより、時間と位置の関係として予測することができる。粒子に働く力を熱泳動力、重力、及び粒子と周囲気体との速度差により誘起される粘性抵抗力だけである仮定し、その挙動を予測した。温度勾配と熱泳動速度に関する本実験結果、及び過去に提案されている予測式より、熱泳動力はに比例すると仮定し、その比例係数に本研究で明らかになったKn数の影響を考慮した。

 計算対象の場として対向流拡散火炎を想定したときの結果を図7に示す。実線で示した流線に添加された粒子の挙動を予測した。粒径が大きく慣性力の影響が大きい場合には、粒子は気流に追従することはできない。追従性に優れると考えられている数mの粒子も、熱泳動の影響を受け、本来表すべき流線からずれてしまう。粒径が小さくなるほどそのずれは大きく、熱泳動の影響がより顕著に現れる。

 温度勾配のある場における粒子の挙動は、粒径により大きく異なることが予測された。様々なシステム中における粒子の挙動を予測する際には、本研究で得られた知見を十分考慮する必要があることが分かった。

図2 粒子挙動の予測
まとめ

 ・微小重力環境を利用した新たな実験手法を開発することで、熱泳動効果によってのみ誘起される粒子の挙動を観測可能にした。

 ・系統的な実験を行うことで、熱泳動効果に与える温度勾配、粒子熱伝導率、クヌーセン数の影響を明らかにした。

 ・蓄積されたデータから、温度勾配のある場における粒子の挙動を予測した。

審査要旨

 本論文は、「温度勾配のある場における物質移動について」と題し、燃焼のように急激な温度勾配を伴う現象を的確に把握する場合不可欠である、温度勾配による物質の移動、とくに熱泳動またはThermophoresisと呼ばれる微粒子の移動について研究した結果をまとめたもので、8章からなっている。

 第1章は、「序論」で、物質移動現象を誘起する様々な要因の一つとして温度勾配があり、温度勾配による物質の移動現象の具体的な例を挙げ、本研究の位置づけをおこなっている。

 温度勾配による物質移動現象として、熱拡散(ソレ効果)ならびに熱泳動が知られている。いずれも正確な計測が困難な現象であるが、特に後者の場合、それに起因する現象が多数存在するにも関わらず、気体-固体の2相分散系で生じるため、信頼に足る基礎データが不足しており、不明な点が多く残されている。本研究は、それらの不明な点を明らかにするために計画されたものである。

 第2章は、「研究目的」で、熱泳動に関するこれまでの研究を概観し、それらの研究の問題点を指摘するとともに、本研究の方針について述べている。

 これまでの熱泳動の測定方法としては、静電気バランス法、スリット法、粒子非存在領域計測法、粒子体積計測法などがあるが、これらの方法には、温度勾配の大きな場における熱泳動の測定には適さない、あるいは場が複雑になりすぎて誤差が大きくなる、などの欠陥がある。これに対して、無重力環境を利用すれば、温度勾配の高い条件でも、自然対流の影響を無視できるなどの利点があり、熱泳動を精度高く計測できる。本研究では、このことに着目し、無重力環境を利用し、温度勾配の高い場での熱泳動の効果を、正確かつ詳細に明らかにすることを目的とした。

 第3章および第4章は、それぞれ「実験装置及び方法」および「実験装置及び方法の検証」で、本研究に用いた実験装置ならびに実験方法とそれらの信頼性について述べている。

 実験は、主として、約10秒間の質のよい微小重力状態を実現できる、地下無重力実験センター(JAMIC)の自由落下塔施設を利用しておこなった。落下中微小重力状態になるカプセルの中に、微粒子を注入し、その挙動を記録する装置、微粒子の存在する空間に温度場を形成させ、その温度場を測定する装置を組み込み、微小重力環境持続時間内に必要なデータを取得した。これらのデータの誤差は、主として試料に用いた微粒子の径のばらつきによるもので、適切な試料を選ぶことにより、3%以下にできることを示した。この誤差の数値は、従来の測定法のそれに比べて、1桁以上小さい。

 第5章は、「熱泳動効果の測定結果」であり、実験結果について述べている。

 熱泳動に及ぼす温度勾配、微粒子の材質および寸法、雰囲気圧力などの影響を詳細に調べ、今回の実験で得た熱泳動速度の値が従来の方法で得られた値より大きいこと、今回の実験の条件、すなわちクヌーセン数が0.0048〜0.38の範囲で、熱泳動速度がクヌーセン数の関数として表せること、などを示した。

 第6章は、「理論予測式の検討」で、熱泳動を理論予測するための式について、歴史的経緯をも含めて、検討を行った結果について述べている。

 これまでの理論予測は、ボルツマン方程式から出発し導かれた式を用いて行ってきたが、実験結果を用いて定める定数などが含まれており、用いた実験結果の誤差の大きさが、そのまま予測式の誤差の大きさとなっている。今回の実験では、誤差を小さく抑制でき、その結果として、熱泳動速度は、動粘性係数と比温度勾配の積に比例し、その比例係数はクヌーセン数に依存すると考えてよいことを示すことができた。

 第7章は、「影響の予測」であり、本研究で得られた熱泳動の予測式を用いて、実際の場における微粒子の挙動に及ぼす熱泳動の効果を検討した結果について述べている。

 温度勾配のある場を微粒子が通過する場合、温度勾配が10K/mm程度であっても、熱泳動の効果は顕著に現れる。このような場における粒子の挙動を考える場合にも、熱泳動による効果が粒子径によって変化することを指摘し、特に、流速が小さく一様でない場においては、粒子の移動は、熱泳動により強い影響を受けることを示した。

 第8章は、「総括」で、本研究で得られた結果を総括している。

 以上要するに、本研究は、微粒子の熱泳動について、これまで例がなかった無重力環境を利用し、精度の高い実験をおこない、それによって得た信頼性の高い多くのデータにより、熱泳動による微粒子の移動現象に関する基礎知識の蓄積に寄与したものである。本研究の結果は、実用の燃焼装置や反応装置などで見られる、温度勾配の比較的高い領域における微粒子の挙動の解明に役立つものであり、燃焼学ならびに化学システム工学に貢献するところ大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認める。

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