学位論文要旨



No 113458
著者(漢字) クレインズ,スティーヴェン
著者(英字)
著者(カナ) クレインズ,スティーヴェン
標題(和) 地球における炭素循環とサンゴ礁 : サンゴ礁生態系による二酸化炭素固定促進概念の提案とシステム工学的評価
標題(洋) Coral reefs and the global carbon cycle : a systems assessment of a concept to enhance CO2 fixation by coral reef ecosystems
報告番号 113458
報告番号 甲13458
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4176号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小宮山,宏
 東京大学 教授 平野,敏右
 東京大学 教授 山田,興一
 東京大学 教授 定方,正毅
 東京大学 助教授 佐藤,徹
内容要旨 本研究の紹介

 本研究では、温暖化問題の緩和対策としてサンゴ礁利用の可能性を評価することが目的である。そのため、研究課題を二つに分ける。第一は、サンゴ礁と地球の炭素循環の関係を明確にするために、CO2固定に関係する各プロセスと、全体的なバランスを制御する機構を調べることである。第二の研究課題は、地球環境工学的にサンゴ礁生態系のCO2固定の促進概念を設計し、数値モデルを利用して、この促進概念が地球温暖化対策になる可能性を評価する。

 本研究ではシステム工学的に地球温暖化対策としてのサンゴ礁利用可能性の検討や評価を行う。これらのapproachは研究対象をシステムとして考察し、客観的に定義する。そのため、まず研究対象の空間と時間領域の境界を明確にする。そして、ある物質またはエネルギーを考慮し、それを持つ対象の空間と時間領域に含まれている重要なstate variablesを指定する。次に、このstate variablesを繋げるプロセスを決める。このプロセスとstate variablesの合わせたものが研究対象のシステムである。プロセスが、制御する要因にどのように依存するかを明確することが重要である。各プロセスと制御する要因の関係を数学式、又は数値モデルで表現できると、システム全体も数学的に定義するモデルができる。このモデルは研究対象に関係する多くの情報やデータを合成することによって、現象を理解しやすくするためのframeworkになる。

地球温暖化問題とサンゴ礁のCO2固定

 海洋沿岸領域の生態系であるサンゴ礁による大気から海洋の深海へのCO2固定促進が地球温暖化問題を緩和する対策として挙げられている。サンゴ礁による一次有機生産は大きい(Lewis1977)。Smith(1978)が地球のサンゴ礁の全面積をほぼ600,000km2と見積もった。Kinsey(1985)が従来のサンゴ礁の研究をまとめ、サンゴ礁の平均光合成による一次有機生産速度は約3gCm-2d-1と述べた。これらの値を用いて計算すると、一年間で約6億トンの炭素を有機物としてサンゴ礁が固定することになる。しかし、現実にはほとんどの有機物は再び呼吸や分解でCO2の形に戻ってしまい、ネット有機生産(光合成-呼吸)がほぼゼロとなる(Kinsey1985)。

 海のCO2固定の一番実現可能性の高い機構はbiological pumpを推進することである。Biological pumpは、有光層内で、植物プランクトンが光合成を行い、CO2を固定する。この固定されたCO2の大半はすぐ呼吸によりCO2の形に戻るが、ある量は植物プランクトンの体になる。この植物プランクトンが死ぬと、有光層から深海へ落ちていく。沈みながら、微生物により分解されるが、十分深いところでの変化であれば表層に戻す機構は拡散や上昇流しかないので、長い間大気に戻らない。

 Biological pumpの律速要因を次に述べる。海の有機物生産速度を律速する要因はCO2ではなく、他の必要な栄養塩だと考えられている。従って、biological pumpを推進する方法の一つは栄養塩の供給を高めることと、海の植物が窒素塩やリン塩の分子一つあたり、取り込む炭素の量を示すC:N:P比を大きくすることだと考えられる。サンゴ礁の中に存在している海藻類のC:N:P比は550:30:1程度であり(Atkinson and Smith1983)、植物プランクトンと比べて2-3倍大きい。そして、サンゴ礁で生産された有機物は植物プランクトンの糞や死体より大きいため、沈む速度が早く、酸化速度が遅くなると考えられる。

 サンゴを壊さずに利用し、biological pumpを推進するためにはどうすべきであろうか。サンゴ礁は普通、礁とラグーンに別れている。礁の上では有機生産が盛んであり、有機物が沢山できている(Kraines et al.1996,Kinsey 1985)。しかし、この有機物のほとんどはラグーンの中で分解され、海に運ばれる前にCO2に戻ってしまう。従って、ラグーンの滞留時間を短くすることでCO2の吸収源になると予想され、更に生物の分布を抑制すると更にCO2を吸収させることができると考えられる。

 サンゴ礁からできた有機炭素をbiological pumpに利用できれば、CO2は深海に固定することになる。対策にするためには、この自然にある機構を人工的に推進しなければならない。しかし、このようにサンゴ礁の美しくて重要な生物であるサンゴを全部壊すということは絶対にしてはならないことである。サンゴを壊さずにCO2の固定を促進することが本研究の課題である。

観測現場

 大気中のCO2の固定に対するサンゴ礁の役割を調べるため、現場調査を二カ所で行った。第一の現場は、琉球列島の宮古島の保良湾である。保良湾は、面積約1km2で、最大水深6mの小さなラグーンが南側のサンゴ礁で外洋と繋がっている。第二現場は、赤道の近くにあるマーシャル共和国のマジュロ環礁である。マジュロ環礁は、面積が約400km2、最大水深が67mの、保良湾と比較して極めて大きな現場である。ラグーンが環礁全体の面積の90%を超え、残りの10%がサンゴ礁と島である。しかし、ラグーンの南側は完全に陸が繋がっており、そこでは外洋との海水交換は全くない。従って、外洋との隔離が高く、ラグーンと外洋の海水交換が小さいと考えられている。対策によって、海水交換を大きくできる可能性がある現場と考えられた。

サンゴ礁生態系のモデル化

 本研究では、数値モデルは三種類を用いた。流体シミュレーションからサンゴ礁内の水の流れ、外洋との交換、滞留時間を検討した。有機炭素と無機炭素生産モデルを構築し、サンゴ礁の光合成や石灰化を見積もった。そして、粒子移動モデルで、粒子状有機炭素のFate、流れによる滞留時間と分解速度の関係を調べた。

宮古島の保良湾の研究結果

 サンゴ礁の物質循環に関しては海水中の流れや拡散による移動がとても重要な役割を示す(Kraines1995a)。保良湾のサンゴ礁では、沿岸海域で普通に見られる潮汐による周期的な海水の出入りではなく、ほとんど一方的にサンゴ礁の西側から入り、東側から出る流れが観測された(図1)。流体シミュレーションを保良湾に適用し、流れを計算した。潮汐と風だけでは測定した流れを再現できなかったが、サンゴ礁の礁そのものが海水の流れに重要な影響を与えると考えられた。沖で生じた風波がサンゴ礁に当たると、その波が崩れる。崩れると、波が持つ運動量のフラックスが急に減り、力を生じる。その力に対応するため、海よりサンゴ礁の上の水位が数cm高くなる。この機構は、radiation stressと呼ばれる(Longuet-Higgins and Stewart1964)。保良湾では、サンゴ礁の東側が西側より深いため、そこでのradiation stressはあまり効かないので、相対的に波が崩れる西側の水位が高い。水位が上がった西側サンゴ礁からラグーンへ入り、東側にある抜け道を通って海へ戻る流れができる。Radiation stressの効果が含まれているシミュレーション結果は実測した一方流れを再現した(図2)。

 修士課程で構築したサンゴ礁内の溶存酸素や無機炭素の変化を再現するモデルを基に、炭素生産に制御する要因の生産率との関係を調べるためにPFR-CSTRモデルを構築した(Kraines et al.1997)。サンゴ礁の上の流れの影響を計算するため、サンゴ礁は押し出し流れで、ラグーンにある測定装置の周りは完全混合器だと仮定する。これらの数学式を解き、その得られた関係式を用いて測定された溶存酸素と流速データからガス交換率、流れの影響などを差し引き、その時の生産率を計算する。同時に測られた光量とモデルから得られた生産率との関係を明確にした。

マジュロ環礁の研究結果

 マジュロ環礁の調査の主な目的は、ラグーン内の流れと滞留時間を把握することであった。そこで、流速計の係留設置と、CTD(塩分、温度、水深の垂直分布)観測を行った。フーリエー変換を利用し、各々の流速計での潮流を計算した。潮位変化を考慮した二次元モデル結果は実測値から得られた潮流を良く再現した。次に、CTDデータから密度場を決め、三次元診断モデルで密度差、風、radiation stress、とtidal stressで生じる流れを計算した(図3)。観測されたCalalin海峡へ向かう循環のパターンが再現され、海峡から出る流速と流向もほぼ合っていた。観測値に見られた海峡の出る流れがモデル結果にも表れた。測定点Bの低層で測定された不思議な南方向流も計算結果で説明ができた。これは西側にある浅い地形に沿って、密度差やCoriolis Forceの影響によって生じた流れだと考えられた。

 各フォーシング要因単独での計算を行い、得られた流れ場による外洋との交換量を計算した。密度差があまりないため、密度から得られた流れはほとんど外洋と交換しない。Tidal stressの効果もほぼ無視できる程度であった。風がかなり強いので、ラグーン内の水が大きな循環で流れた。しかし、この流れだけでは、沖とラグーン内の交換があまり起きなかった。一方、radiation stressで起こした流れが非常に大きな交換を生じた。ほとんどマジュロ環礁の海水交換はこのradiation stress機構によって起こることが明らかになった。調査期間のマジュロ環礁の滞留時間は約2週間と計算された。

 上述した流体シミュレーション結果に基づいて、マジュロ環礁の中で粒子状有機炭素物の三次元移動シミュレーションを行った。各フォーシングから得られた流れ場を利用した場合、radiation stressの流れ場で外へ運ばれる粒子が一番多かった。だが、粒子を輸送するもう一つの機構が考えられた。風と潮汐を合わせると、風による循環が粒子を海峡の近くまで運び、そして潮汐による海峡の海水の出入りでその粒子が海洋へ輸出される。計算結果から、ある条件ではこの風と潮汐による輸送機構はradiation stressが生じる流れの効果より大きいことが分かった。

結論

 宮古島の保良湾で見られた不思議な流れを、水深の依存性を含むradiation stressの効果でほとんど完全に説明できた。そして、マジュロ環礁の流体シミュレーションを行った結果、海水の外洋との交換はほとんどradiation stressの効果で決まった。粒子状有機炭素物の移動シミュレーション結果、フォシング要因を別々に考察した場合、radiation stressが一番効率よく粒子を外洋へ輸送するが、風と潮汐を合わせた機構もとても重要な役割する可能性があることが分かった。

参考文献Atkinson MJ,SV Smith.1983.C:N:P ratios of benthic marine plants.Limnol Oceanogr28:568-574.Kinsey DW.1985.Metabolism,calcification and carbon production I:Systems level studies.Proc Fifth Intl Coral Reef Congr4:505-526.Kraines SB.1995.Construction of a Model of Mass Flux in a Coral Reef.Master’s Thesis.Department of Chemical System Engineering,University of Tokyo.Kraines SB,Y Suzuki,T Omori,K Shitashima,S Kanahara,H Komiyama.1997.Carbonate chemistry and the influences of the coral reef biological processes at Bora Bay,Miyako Island.Mar Ecol Prog Ser156:1-16.Kraines SB,Y Suzuki,K Yamada,H Komiyama.1996.Separating biological and physical changes in dissolved oxygen concentration in a coral reef.Limnol Oceanogr41:1790-1799.Lewis JB.1977.Processes of organic production on coral reefs.Biol Rev52:305-347.Longuet-Higgins MS,RW Stewart.1964.Radiation stresses in water waves:a physical discussion with applications.Deep-Sea Res11:529-562.Smith SV.1978.Coral-reef area and the contributions of reefs to processes and resources of the world’s oceans.Nature273:225-226.Figure 1:Current direction distributions from Oct1993Survey of Bora Bay,Miyako IslandFigure 2:Flow simulation results including radiation stress for Oct1993Survey at Bora Bay,Miyako IslandFigure 3:Majuro3-Dimensional Diagnostic Model Results
審査要旨

 本論文は「Coral reefs and the global carbon cycle:a systems assessment of a concept to enhance CO2 fixation by coral reef ecosystems (:地球における炭素循環とサンゴ礁:サンゴ礁生態系による二酸化炭素固定促進概念の提案とシステム工学的評価)」と題し、全8章からなる。サンゴ礁がCO2の吸収源であるか放出源であるかに関して続いている議論に解を与え、温暖化問題の対策として利用する可能性を評価することを目的としている。

 第1章は序章であり、研究課題に関する現状と論文の基本構成をまとめた。第1に、地球の炭素循環におけるサンゴ礁の役割を明らかにするために、CO2固定に関係するプロセスと全体的なバランスを制御する機構を調べること、第2に、地球環境工学的にサンゴ礁生態系のCO2固定の促進概念を設計し、数値モデルを利用してこの概念が温暖化対策として成立する可能性を評価することの必要性を述べている。さらに、研究遂行のためのシステム工学的方法について考察している。

 第2章においては、観測を行ったふたつのサンゴ礁、宮古島保良湾とマーシャル共和国マジュロ環礁の特徴、測定項目、測定方法、データの解析方法について述べている。測定項目は、地形(水深、植生分布)、気象データ(日照、風、気温、潮汐)、海水の物理化学的データ(流れ、温度、塩分、比重など)、化学的データ(pH、溶存および粒子状の有機炭素、無機炭素、酸素、窒素、リン、アルカリ度など)である。

 第3章は、保良湾の流れの流体力学的モデルの構築に関する。特に、これまでサンゴ礁の流れの解析において十分考慮されていなかったラジエーションストレスが流れの重要な駆動力であることを見いだし、水深依存性を含めそれを考慮したモデルを構築した。その結果、流れの測定結果を極めて良好に再現することができた。

 第4章は、第2、3章の結果に基づき、保良湾におけるCO2の収支を推定したものである。流れの計算結果に基づき、湾内を完全混合糟列モデル、リーフ上をプラグ流モデルで表現することにより、化学的組成の複雑な時系列データを良好に再現することができた。その結果は、保良湾がCO2の吸収源である可能性を示す。しかしながら、推定誤差の範囲を超えていると結論することはできないので、より詳細な検討が必要である。

 第5章は、第3章で開発した流体力学的モデルを環礁に適用したものである。リーフ型サンゴ礁である保良湾に対してラジエーションストレスを導入したモデルは、環礁に対しても有効であった。

 第6章は、マジュロ環礁の化学的測定と流れ計算を合わせ、CO2収支について議論を行った。化学的測定の結果は、CO2を放出していることを示唆する。一方流れの計算結果は、環礁内の海水の滞留時間分布は平均十数日であり、数時間である保良湾と比較して長いことを示す。この環礁においては、光合成で固定された有機物の酸化、無機化が進行するため、CO2の放出源となっているものと推論した。

 第7章は、本論文の評価を行い、さらに他の研究者の最近の研究結果も総合してサンゴ礁を温暖化緩和対策として利用する可能性について論じた。環礁の流れを制御し、それによって海水の礁内滞留時間を短縮する方法、および、サンゴ礁をラジエーションストレスによる流れを誘起する構造物として利用し、CO2固定能の大きい他の生態系と組み合わせる方法の提案を行っている。

 第8章は結論である。サンゴ礁のCO2循環における役割は、光合成、石灰化に代表される生物活性と、生産された有機物の移動と化学反応の相互作用により決定される。そのCO2吸収・放出特性には、有機物酸化の進行度を通じて、海水の礁内滞留時間が深く関係している。滞留時間を評価する手法として、サンゴ礁に適用できる流れモデルを開発した。最後に、サンゴ礁を温暖化緩和策として利用する具体的方法について提案を行った。

 以上、要するに本論文はこれまで不明であったCO2循環におけるサンゴ礁の役割を定量化するための方法を構築し、その温暖化緩和対策としての利用法を具体的に提案したものであり、化学システム工学の発展に寄与するところが大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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