学位論文要旨



No 113460
著者(漢字) 貞許,礼子
著者(英字)
著者(カナ) サダモト,レイコ
標題(和) 定序性高・中分子化合物の微細構造と機能
標題(洋) Fine Structure and Functions of Well-Defined Compounds with High or Middle Molecular Weight
報告番号 113460
報告番号 甲13460
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4178号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 瓜生,敏之
 東京大学 教授 堀江,一之
 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 助教授 加藤,隆史
内容要旨

 機能性分子の設計においては分子の構造が重要である。分子量のやや大きな(分子量が数百から数千の)中分子化合物やそれ以上の分子量の高分子化合物の場合には、一次構造だけではなく、その高次構造をも制御することが、機能性発現のために大切である。本研究では、特徴的な秩序構造をもち微細構造が制御されている高分子化合物および中分子化合物として、液晶ポリマーとデンドリマーをとりあげ、微細構造と機能との関わりについて研究した。

1.液晶ポリマーの相転移にともなう自由体積変化

 サーモトロピック液晶ポリマーは、ある温度範囲においてメソゲンが配向するようになり、液晶性を示す。本研究では、ポリマー中でメソゲンが配向する際に必要と考えられる自由体積について、その大きさおよび分布の温度依存性を陽電子消滅を用いて測定し、液晶性発現との関わりを検討した。ポリマー中に入った陽電子のうち自由体積部分に捕獲されたものは、電子と結合してポジトロニウムを形成する。その中の3/4を占めるオルソポジトロニウム(o-Ps)の寿命と強度がそれぞれ自由体積の大きさと数を反映する。また、ラプラス逆変換による解析を行うことによって、自由体積の大きさの分布を求めることができる。

 側鎖型のサーモトロピック液晶ポリマーとして、ポリアクリレート(a)およびポリスチレン誘導体(b)を、それぞれアゾビスイソブチロニトリルを開始剤とするラジカル重合により合成した(Figure 1)。合成したポリマーの液晶性は、偏光顕微鏡観察とDSCにより確認した。陽電子消滅測定により得られた寿命スペクトルを、非線形最小二乗法およびラプラス逆変換により解析した。

Figure 1.

 また、主鎖型の液晶ポリマーとしてポリエチレンテレフタレートとヒドロキシ安息香酸のコポリマー(HBA/PET)を選び、陽電子寿命測定および陽電子ドップラー拡がり測定をおこなった。

 aでは21℃にガラス転移点(Tg)がありTgから119℃までネマチック相が観察された。bのTgは74℃であり、107℃から130℃までスメクチック相を示した。液晶ポリマー中の陽電子の寿命スペクトルは3成分に分離することができた。非線形最小二乗法により得られたo-Ps成分の平均寿命と強度の温度変化をFigure 2に示す。また、Figure 3にラプラス逆変換による解析から求めたo-Ps成分の寿命の分布を示す。

Figure 2. Lifetime and intensity corresponding to the pick-off annihilation of ortho-Ps for the polyacrylate specimen as a function of temperature.Figure 3. Distribution function of the lifetime of ortho-Ps for the polyacrylate specimen.

 aでは、Tgより高温側でのo-Ps成分の平均寿命の温度に対する変化率が、Tgより低温側の場合より大きくなった(Figure 2)。また、Tgより高温側では、o-Ps成分の強度は一定になった。これは、Tg以上では自由体積に対応する空隙の数が変化せず、その大きさだけが増大していることを示している。寿命の分布をみると(Figure 3)、Tg以下では寿命の最大値は一定で、分布のピークだけが温度上昇に伴い少し長寿命側ヘシフトした。Tg以上になると、寿命の最大値は増大し、かつ分布の平均値および分散値ともに温度上昇に伴って増大した。すなわち、Tg以下では自由体積の大きさに一定の上限があり、Tg以上になるとその上限が増大して自由体積が大きくなるとともに大きさの分布が広がることを示している。bでは、aとは違い、液晶状態においても強度が温度上昇に伴って増大した。これは、液晶温度範囲でも自由体積の数が増え続けたことを意味している。また、液晶化温度で寿命と強度が不連続に大きくなっていることから、この温度における自由体積の増加がかなり急激なものであると推察される。寿命の分布をみると(Figure 5)、液晶化温度以上では分布の分散値とともに平均値も増大しており、大きな自由体積が数多く生じていることがわかる。

Figure 4. Lifetime and intensity corresponding to the pick-off annihilation of ortho-Ps for the poly(p-methyl-styrene)derivative specimen as a function of temperature.Figure 5. Distribution function of the lifetime of ortho-Ps for the poly(p-methylstyrene)derivative specimen.

 また、主鎖型液晶ポリマーについては、o-Ps成分が少ないことなどが判明し、陽電子消滅による微細構造の検討からポリマー鎖のパッキングに特徴があることが確かめられた。

2.デンドリマー組織を用いたナノ空間内への有機色素の孤立化と光誘起電子移動

 光合成の初期過程における電子移動反応と関連して、クロロフィル類似のポルフィリン錯体-電子受容体間での光誘起電子移動反応に関する研究は、極めて重要である。光誘起電子移動により移動した電子を効率良く化学反応に使えるようにするためには、逆電子移動反応を防ぎ電荷分離状態を長く保つことが大切である。自然界においては、クロロフィルの立体特異的な配置などによって電荷分離状態の長寿命化が実現されていることが明らかになってきている。本研究では、樹木状巨大分子(デンドリマー)の内部に1分子のポルフィリンを孤立化することによって電荷分離状態の長寿命化をねらい、光エネルギーを効率的に化学エネルギーへ変換する新規な反応系の構築を目指している。このアプローチの最大の目的は、水を電子供与体とする人工光合成反応系の構築である。

 従来、長寿命の電荷分離状態を実現すべく、ミセルや二分子膜などの分子集合体の場を利用して、電子移動の際の問題点であるポルフィリン錯体同士の会合をふせいだり、ポルフィリン錯体と電子受容体を立体的に分離する試みはあった。しかし、分子集合体に解離平衡が存在すること(安定性の問題)や、分子集合体へのポルフィリン錯体の分散が統計的におこること、の二つの理由により、ポルフィリン錯体の分子レベルでの孤立化が無条件に保証されてはいなかった。これに対して、デンドリマーポルフィリンにおいては、温度・濃度・溶存状態(溶液、膜)などの条件とは無関係に常にポルフィリンコアの完全孤立化が保証されている点が著しい特徴である。

 本研究では、人工光合成への新しいアプローチとして、新たに親水性の表面をもつデンドリマーを合成し(水溶性の光機能性ナノスペースの構築)、メチルビオロゲン等の電子受容体を添加した系について、デンドリマーのコアにある金属ポルフィリン錯体と電子受容体との間のデンドリマー層を通しての光誘起電子移動を達成した。

 新規な水溶性デンドリマーポルフィリン錯体として、Figure 6に示すデンドリマーポルフィリンを合成した。合成したデンドリマーポルフィリン錯体溶液の紫外・可視吸収を調べたところ、系にメチルビオロゲンを添加していったときの亜鉛ポルフィリン部分の吸収スペクトルが、L2の場合には変化したのに対してL4の場合にはほとんど変化しなかった(Figure 7)。このことから、L4においては基底状態でのポルフィリン-メチルビオロゲン間の相互作用が妨げられており、ポルフィリンがデンドリマー層に覆われていることが確認された。

Figure 6.Figure 7. Spectral changes upon titration of(A)[KO2C]8L2PZn(2.0M,aqueous borate buffer at pH9.2)and(B)[KO2C]32L4PZn(2.9M,aqueous phosphate buffer at pH7.2)with methyl viologen (MV2+) at 20℃.[MV2+]:0,1,5,10,50,and 100M for[KO2C]8L2PZn;0,1,10,100,1000,and 20000M for [KO2C]32L4PZn.

 Figure 8に電子受容体による亜鉛ポルフィリン部位の蛍光の消光結果を示す。L4の蛍光も消光されていることから、励起状態においては、デンドリマー層を通してポルフィリンとメチルビオロゲンが相互作用していることがわかる。また、電子受容体の濃度に対するL2とL4の消光の程度の違いから、カチオンであるメチルビオロゲンが静電相互作用によりデンドリマーのアニオン表面に強く引き寄せられているということが示唆された。Figure 9にこれを模式的に示す。

Figure 8.Stern-Volmer plots for the (n=2[2.0M],aqueous borate buffer at pH9.2,ext=411±2nm;n=4[2.9M],aqueous phosphate buffer at pH7.2,ext=432±2nm)and acceptor(methyl viologen [MV2+],naphthalenesulfonate[NS-])systems at 20℃.The fluorescence intensity was monitored at 660nm (O,[KO2C]8L2PZn/MV2+;□,[KO2C]8L2PZn/NS-;●,[KO2C]32L4PZn/MV2+;■,[KO2C]32L4PZn/NS-).Figure 9.

 L4デンドリマーポルフィリン錯体とメチルビオロゲンの水溶液に犠牲塩基としてトリエタノールアミンを加えた系に、ポルフィリンを励起する光を照射したところ、溶液の色が青色へと変化し、メチルビオロゲンが一電子を受け取ってできるラジカルに特徴的な吸収が観測された。このことから、デンドリマー層に覆われたポルフィリンから電子受容体へと電子が移動していることが裏付けられた。

 Table 1に、蛍光寿命測定の結果を示す。電子移動速度定数は2.6×109s-1と見積もられた。

Table 1. Fluorescence Lifetimes()of(n=2,4)aIn deoxygenated aqueous borate buffer(pH9.2)for[KO2C]8L2PZn(77M)and aqueous phosphate buffer(pH7.2)for[KO2C]32L4PZn(41M)at 25℃ using a Hamamatsu picosecond fluorescence-measuring system model C4780 equipped with a LN120C2 N2 laser-pumped dye laser(Coumarin 540A).bFrom If(t)=A1 exp(-t/1)+ A2 exp(-t/2)using the single-photon-counting date at 600-680 nm; the deviations are within 0.02ns.
3.デンドリテイック配位子を用いた金属イオン錯体の溶液中における光機能性

 3価のユーロピウムイオンは特徴的な発光をすることが知られているが、それ自体はほとんど吸収を持たないので、単独ではその発光は極めて弱い。適切な配位子が配位すると、配位子が吸収した光エネルギーを利用してユーロピウムイオンが発光する。

 ここでは、デンドリテイックビピリジンを配位子として用いて、ユーロピウムイオンのまわりをデンドリマー層で包んだ新規なユーロピウム錯体について、溶液中における配位挙動および光機能性を検討した。これまでビピリジンは、ユーロピウムへの配位があまり強くないという点があり、また、固体のときと溶液中では配位の状況が違う可能性も問題とされてきた。デンドリテイック配位子を用いた場合には、金属に配位する部位の環境をほぼ同じに保ったままで、表面の構造を変えることができることから、種々の溶媒中での挙動を比較することが可能になると考えられる。

 新規なデンドリテイック配位子として、Figure 10に示すデンドリテイックビピリジンを合成した。対照としては、ジメトキシビピリジンを用いた。

Figure 10.

 デンドリテイックビピリジンを配位子として利用して、アセトニトリル中におけるユーロピウムイオンの発光を調べた。系中の配位子の濃度を増やしていくとユーロピウムイオンの発光が強くなり、モル濃度がユーロピウムイオンに対して4倍のときに発光がもっとも強くなり、5倍になると発光は弱くなった。これに対してジメトキシビピリジンでは、3倍と4倍であまり差はみられず、5倍ではデンドリテイックビピリジンと同様に発光は弱くなった。また、デンドリテイックビピリジンを配位子として用いた場合には、ジメトキシビピリジンを用いた場合より低濃度においてもユーロピウムイオンの発光が確認された。これらは、デンドリテイック配位子の立体的な広がりによって、直接配位していないビピリジンからのエネルギー移動がおさえられていること、および錯体の安定性が向上していることなどが要因と考えられる。

審査要旨

 本論文は,定序性を持つ高・中分子化合物の微細構造と機能に関する研究の成果について述べたものであり,6章より構成されている。

 第1章は,序論である。ここでは,分子に定序性を持たせることが新しい機能性高・中分子化合物を創製する上で重要であることを述べるとともに,その定序性を評価する手法および実現する方法について概述し,本研究の目的と意義を述べている。

 第2章では,主鎖型ネマチック液晶ポリマー中でメソゲンが配向する際に必要である自由体積変化の温度依存性を解析するため,主鎖型液晶ポリマー中での陽電子消滅の寿命スペクトルの測定方法,解析方法などを確立している。その結果,陽電子消滅法が従来の方法では困難であった液晶ポリマーの自由体積の大きさと数,特に数を定量する優れた方法であることを初めて明らかにしている。さらに,降温過程で自由体積の大きさも数もともに極めて大きく減少し,また,等方性液体から液晶相になる温度及び液晶相から固体になる温度で減少度に変化があることを見出している。これらの結果は,液晶性発現と自由体積の大きさ・数の変化が相関していること明確に示しており,液晶性ポリマーの微細構造を知る上で重要な知見となり得る。

 第3章では,第2章で主鎖型ネマチック液晶性ポリマーの自由体積を定量するために用いた陽電子消滅法を側鎖型液晶性ポリマーに適用し,側鎖型スメクチック液晶性ポリマーの場合には側鎖型ネマチック液晶性ポリマーとは異なって,液晶温度範囲でも温度の低下と共に自由体積の数が減少し続け,固化温度で大きさと数が不連続に小さくなることを見出している。さらに,自由体積の大きさと数の温度依存性が側鎖型スメクチック液晶性ポリマーと側鎖型ネマチック液晶性ポリマーで異なるは,それぞれの状態での分子運動性を考慮に入れ,液晶としての秩序性と関連するものと推測している。

 第4章では,人工光合成への新しいアプローチとして,コア部位に亜鉛ポルフィリン錯体をもち且つ表面に多くのカルボキシレート基を有する親水性樹木状巨大分子(デンドリマー)を新たに合成し,メチルビオロゲン等の電子受容体を媒質に共存させた系で,コアにある金属ポルフィリン錯体と電子受容体との間での光誘起電子移動を検討している。その結果,基底状態での相互作用,光励起によて生ずる電子移動状態の安定性などはデンドリマー部位の層の厚さ(L)や電子受容体の電荷に大きく依存することを見出し,これらの現象はデンドリマー部位の疎水性,デンドリマー表面と電子受容体との電荷相互作用に由来していることを明らかにしている。さらに,L4デンドリマーポルフィリン錯体とメチルビオロゲンの水溶液に犠牲塩基としてトリエタノールアミンを加えた系で,メチルビオロゲンが一電子を受け取ってできるラジカルカチオンに特徴的な吸収を観測し,デンドリマー層に覆われたポルフィリンから電子受容体へと電子が移動していることを明確にしている。ここで生成したラジカルカチオンは,亜鉛ポルフィリンがデンドリマー相によって孤立化されいることから寿命が長く,この光誘起電子移動を化学反応に応用できる可能性があるとしている。

 第5章では,デンドリティックビピリジンを新たに合成し,これを配位子として用いることによりユーロピウムイオンの回りをデンドリマー層で包み込んだ新規なユーロピウム錯体を調製している。従来,溶液中でのビピリジンのユーロピウムへの配位数については諸説があり,また,固体のときと溶液中では配位の状況が違う可能性も問題とされてきた。そこで,新規に合成したデンドリティックビピリジンのアセトニトリル中におけるユーロピウムイオンへの配位挙動を検討し,ジメトキシビピリジンの配位挙動と比較している。その結果,ジメトキシビピリジンを用いた場合よりも低濃度でもユーロピウムイオンが発光することを見出すとともに,ジメトキシビピリジンとは異なりモル比をユーロピウムイオンに対して3倍よりも4倍とした場合に発光が強くなることから1:4錯体が安定な錯体であろうと推察している。このような配位挙動の要因として,デンドリティックビピリジンの立体的な広がりによって直接配位していないビピリジンからのエネルギー移動が抑制されること,およびデンドリテイック部位の疎水性相互作用により錯体の安定性が向上していることなどを挙げている。

 第6章は,本論文を総括するとともに,将来展望を述べている。

 以上のように,本論文は,定序性を持つ高・中分子化合物の微細構造の新しい解析手法として陽電子消滅法を提案し,その有用性を示すとともに,新規に合成した定序性高・中分子化合物の機能について述べている。これらの成果は,高分子化学,有機合成化学,機能性物質化学の進展に寄与するところ大である。

 よって本論文は,博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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