tRNAは特定のアミノ酸と結合してリボソームにアミノ酸を運ぶ役割をもった、蛋白質合成において重要な働きをするRNAである。一般的なtRNAは、三つ葉のクローバーリーフ様の二次構造をとり、三次元的にはL字型構造と呼ばれる立体構造をとることが知られている。ところが1987年にWolstenholmeらは、線形動物ミトコンドリアでは、ほとんど全てのtRNAが通常の三つ葉のクローバーリーフの内の一つの葉(Tアーム)を欠いた構造をとることを、その遺伝子レベルの解析から推定した。しかし、ミトコンドリアに実際にそのようなtRNAが存在し、翻訳過程で機能することは誰も実証していなかった。本論文は、これらの実証を目的とし、異常な二次構造をした線形動物ミトコンドリアtRNAがどのような立体構造をとり、どのように機能するかについて行った研究成果をまとめたものである。 本論文は5章から成っている。第1章は序論であり、研究の背景と、これまでの研究成果をまとめている。 第2章ではTアームが欠けたtRNAの一例として豚回虫ミトコンドリア(A.suum mt)tRNAMetを取り上げ、NMRによりその立体構造解析を行うために、大量のNMRサンプル調製のための化学合成と酵素的連結を併用した、tRNAの人工合成法について詳細に述べている。NMRにより立体構造解析をするためには大量のサンプルが必要であるが、ミトコンドリアtRNAは細胞内での存在量が少ないため、解析に必要な量を単離するのは非常に難しい。そのため、化学合成やin vitro転写合成などにより合成したtRNAを用いる必要がある。化学合成は鎖長の短い(10-30残基程度の)RNAを調製するのには便利だが、鎖長が長いほど収率が悪くなる、一方in vitro転写合成はtRNAの配列により収率にばらつきがある、などの欠点がある。そこで本研究では、化学合成したRNA断片を酵素的に連結する方法を採った。これは特定の三次的な塩基対を検出するために、特定部位に安定同位体標識した塩基を導入するのにも適用できるからである。こうして数mgのtRNAサンプルを取得する方法を確立した。合成tRNAを天然のものと比較したところ、アミノ酸受容能および、RNA分解酵素による感受性で両者に顕著な違いはなかったので、合成tRNAも天然のtRNAと同様な立体構造をとっていると結論された。こうして化学合成法で調製したtRNAが立体構造解析に適していることが示された。 第3章では上で得られたA.suum mt tRNAMetの1H-NMRによる立体構造解析の詳細を述べている。まず二次構造上の水素結合に関与するイミノプロトン(イミノプロトンは水のプロトンと交換しやすいので、水素結合しているイミノプロトンシグナルしか観測されない)の大部分を帰属し、クローバ葉型様構造をとることを確認した。ついで、三次構造上の塩基対を調べるために、RNA分解酵素による感受性テストで推定された三次的な相互作用が予想される5カ所の部位に[13C,15N]標識したUまたはG残基を導入し、そのNMRスペクトルを測定した。その結果4カ所のイミノプロトンが水素結合に関与していることが観測された。このように三次元的な塩基対が存在すると考えられる領域を拘束してコンピュータで立体構造モデルを構築したところ、A.suum mt tRNAMetではTアームが欠けているためL字型構造の肩の部分(elbow region)は小さいものの、全体的には標準的なtRNAと同じ様なL字型の立体構造に組めることが示唆された。tRNASerUCUで同様な実験を行った結果は第4章に述べられている。 第5章ではこのようなTアームの欠けたtRNAが翻訳系で機能し得るかを調べる研究の端緒として、アミノアシル-tRNAをリボソームへ結合させるのに必須なEF-Tuとの相互作用を解析している。細菌の系ではEF-Tu-tRNAコンプレックスの結晶構造解析からtRNAのTステムがEF-Tuの認識に必須であることが知られているので、Tステムの欠けたtRNAを認識する線形動物ミトコンドリアのEF-Tuは特殊な構造をもつことが予測される。C.elegansミトコンドリアのEF-TuはそのcDNA解析から標準的なEF-Tuに比べてC末端に60残基ほど余分なアミノ酸が付加していることが分かった。そこで大腸菌におけるこの酵素の発現系を構築し、発現蛋白質のEF-Tu活性を牛ミトコンドリアのin vitro翻訳系を用いて調べたところ、大腸菌や牛ミトコンドリアのEF-Tuと比較して低いものの活性のあることが確認された。 このEF-Tuが相互作用するtRNAの特徴を加水分解プロテクションアッセイで調べたところ、大腸菌tRNAは殆ど認識しないが、Tアームが欠けたA.suumミトコンドリアMet-tRNAMetはよく認識した。こうして線形動物のミトコンドリアのEF-Tuは、C末端に60残基のアミノ酸を余分にもっており、Tアームが欠けたtRNAを特異的に認識すると結論された。 以上要するに、本論文はTアームの欠けた線形動物ミトコンドリアtRNAの大量合成法を確立し、その立体構造をNMRで解析し、通常のtRNAに類似したL字型に近い立体構造をとることを明らかにし、またこれと相互作用するEF-Tuのキャラクタリゼーションを行ったものであり、これらの成果は生命科学と生命工学に資するところ大である。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |