学位論文要旨



No 113465
著者(漢字) 富田,耕造
著者(英字)
著者(カナ) トミタ,コウゾウ
標題(和) ミトコンドリアにおける暗号変化の分子機構
標題(洋)
報告番号 113465
報告番号 甲13465
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4183号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡辺,公綱
 東京大学 教授 軽部,征夫
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 荒木,孝二
 東京大学 助教授 上田,卓也
内容要旨

 遺伝暗号は全生物で共通であり、普遍であると考えられてきた。しかし、1979年に哺乳類動物ミトコンドリアにおいて暗号が変化していることが発見されて以来、他の生物のミトコンドリア、あるいは核においても暗号が変化していることが次々に報告され、遺伝暗号は変化しうるものであるという考え方が提唱された。本論文では変則暗号の翻訳に関与すると考えられるtRNAの構造および機能解析をもとに動物ミトコンドリアにおける暗号変化の分子機構を解明することを目的とした。特にキョク皮動物ミトコンドリアのAAAコドンのリジンからアスパラギンへの変化の分子機構についてそのコドンに対応するtRNAを分子生物学的手法を用いて解析した。キョク皮動物ミトコンドリアではそのDNA解析から、通常普遍暗号ではリジンのコドンであるAAAコドンがアスパラギンのコドンに変化していることが明らかにされている。しかしキョク皮動物ミトコンドリアDNAにはアスパラギンtRNA(tRNAAsn)の遺伝子はアンチコドンGTTのもののみコードされていることが明らかにされており、どのようにしてこのtRNAAsn遺伝子転写産物が通常のアスパラギンのコドンであるAAU、AACコドンに加えてAAAコドンをもアスパラギンへと翻訳しているか不明であった(図1)。CrickのWobble則にしたがえば、アンチコドン1文字目の未修飾のGは通常コドン3文字のUおよびCとのみ対合できると考えられている。本論文では、この問題点をキョク皮動物であるヒトデミトコンドリアtRNAAsnを含めたいくつかのtRNAのRNAレベルでの1次構造解析、およびin vitroでの翻訳系を用いた機能解析をもとにして明らかにし、それらの結果をもとにしてキョク皮動物におけるAAAコドンのリジンからアスパラギンへの暗号変化の分子機構を考察した。

(図1) tRNA遺伝子のアンチコドン配列をもとにしたキョク皮動物ミトコンドリアにおけるAAN(N;A,G,C,U)コドンの読み分けの想定図。アスパラギンのコドンであるAAAはどのようにしてアンチコドンGTTをもつtRNAAsn遺伝子転写産物によって認識されているのか?(1)ヒトデミトコンドリアtRNAAsn、tRNALysの1次構造解析

 ミトコンドリアtRNAはキョク皮動物であるヒトデの全tRNAから固層化プローブ法を用いて分離した。本論文でヒトデミトコンドリアtRNAAsnの修飾塩基を含めた1次配列が明らかになるまで、アンチコドン1文字目のGはコドン3文字目のU、Cに加えてAとも対合できるI(イノシン)、あるいはその誘導体であると考えられてきた。Donis-Keller法およびKuchinoらの方法によって修飾塩基を含めた1次配列を決定したところキヒトデ(Asterina amur ensis)ミトコンドリアtRNAAsnのアンチコドンはGU(;シュウドウリジン)であり、1文字目のGは未修飾のままでありGあるいはIの誘導体は検出されなかった。一方、ヒトデミトコンドリアで唯一のリジンのコドンであるAAGコドンに対応するミトコンドリアtRNALysをも同様に解析したところそれはCUUアンチコドンをもつことが明らかになった。この一連のtRNAの構造解析からtRNAAsnのアンチコドンの2文字目がへと修飾を受けていることがAAAコドン認識に関与している可能性が強く示唆された。

(図2) キヒトデ(Asterina amurensis)ミトコンドリアtRNAAsn(a)、tRNALys(b)の修飾塩基を含めた1次構造。tRNAAsnはアンチコドンGUをもつ。RNA中のシュウドウリジン(;pseudouridine)残基の構造(C)。
(2)アンチコドンGUをもつtRNAのAAAコドン認識能の解析

 それでは、実際にtRNAAsnのアンチコドンGUはAAAコドンを認識できるのであろうか?この疑問に答えるため、E.coliのin vitroの翻訳系を積極的に利用するモデル系を構築した。具体的にはアンチコドンGUUあるいはGUをもつE.coliのtRNAAla(tRNAAlaGUUとtRNAAlaGU)をそれぞれ作成し、それにE.coliのアラニルtRNA合成酵素(AlaRS)をもちいて[3H]アラニンをチャージさせる。E.coliのin vitro翻訳系でテストコドンであるAAN(N;A,G,C,)コドンをフレームに含むmRNAを鋳型としてこれらのtRNAで翻訳を行った時に酸不溶性画分に[3H]アラニンが取り込まれるかを測定することにした。もし、がAAAコドン認識において重要な役割を果たしていれば、tRNAAlaGUUとtRNAAlaGUのAAAコドン翻訳能に明らかな差が見られるはずである。

 AAAテストコドンを含むmRNAを用いたときtRNAAlaGUU、tRNAAlaGUともに[3H]アラニンの取り込みがみられた(図3-●-;AAA)。が、両tRNAでは明らかな違いがみられ、tRNAAlaGUのほうがtRNAAlaGUUの約3倍高いAAAコドン認識能を示すことがわかった(図3(d))。これはAACコドンの認識能にほとんど違いがみられなかったこと(わずかに約1.2倍tRNAAlaGUのほうがtRNAAlaGUUよりAACコドンを認識する)と対照的である。またAAGテストコドンを含むmRNAを用いたときには、翻訳効率は低いものの、tRNAAlaGUを用いたときのみ[3H]アラニンの取り込みがみられたが、tRNAAlaGUUを用いたときには全く[3H]の取り込みはみられなかった(図3-■-;AAG)。これらの結果から、ヒトデミトコンドリアにおいてtRNAAsnのアンチコドン2文字目がへと修飾を受けていることがAAAコドンをアスパラギンへと翻訳するために積極的に効いていることが強く示唆された。

(図3) E.coli in vitro翻訳系によるtRNAAlaGUU(b)およびtRNAAlaGU(c)のAAN(N;A,G,C)テストコドンの認識能の解析。AAAテストコドン(-●-)、AAGテストコドン(-■-)、AACテストコドン(-▲-)、マイナスmRNA(-△-)。in vitro翻訳に用いた合成mRNA(a)。それぞれのtRNAのテストコドン翻訳効率(□-bar ’tRNAAlaGUU’、■-bar ’tRNAAlaGU’)。ただしtRNAAlaGUUのAACコドン認識効率を1とした(d)。
(3)ヒトデミトコンドリアtRNAHis、tRNAAsp、tRNATyrの1次構造解析

 もしヒトデミトコンドリアtRNAAsnのアンチコドン1文字目がQへと修飾を受けていたとするとそれはAAAコドンを認識できないと考えられる。Qはコドン3文字目のUまたはCとのみ対合し、決してAあるいはGとは対合しないことが示唆されている。事実、tRNAAsnのアンチコドン1文字目は未修飾のGであり、Qへとは全く修飾を受けていなかった。このことは通常Uとして保存されているtRNAAsnのアンチコドン5’隣接部位(33位)がAAAコドンをアスパラギンに翻訳するキョク皮動物のミトコンドリアtRNAAsnではC(C33)に変化しているためであると推測された。さらに、原核、真核生物におけるQ合成酵素〔(原核生物の場合はtRNAグアニントランスグリコシラーゼ〕は基質であるtRNAのアンチコドンループのU33-G34-U35配列を強く認識していることが明らかにされている。しかしながらミトコンドリアにおいてそれまでQ合成酵素は存在しないと考えられていた。そこでヒトデミトコンドリアにQ合成酵素が存在するかを明らかにするため、U33-G34-U35配列(遺伝子上でT33-G34-T35配列)をもつヒトデミトコンドリアtRNA(tRNAHis、tRNAAsp、tRNATyr)を分離しその1次配列を決定した。その結果、tRNAHisのアンチコドンはGUGとQUG、tRNAAspではGUCとQUC、tRNATyrではGUAであることが確認された。これらのtRNAの解析から、ヒトデミトコンドリアにはQ合成酵素が存在することが明らかになった。おそらくミトコンドリアのQ合成酵素も原核、真核生物におけるそれと同じ基質特異性を持つと考えられるので、キョク皮動物ミトコンドリアtRNAAsnのアンチコドン5’隣接位のC33はQ合成酵素による認識を阻害するアンチデターミナントであると考えられる。

(図4)キヒトデ(Asterina amur ensis)ミトコンドリアtRNAHis(a)、tRNAAsp(b)、tRNATyr(c)の修飾塩基を含めた1次構造。Q合成酵素はヒトデミトコンドリアに存在する。
(4)キョク皮動物ミトコンドリアにおけるAAAコドンのリジンからアスパラギンへの暗号変化のメカニズム

 ミトコンドリアにおける暗号変化はそれが蛋白質のアミノ酸配列の変化を伴わないとする、OsawaとJukesのコドン捕獲説によって一部説明されてきた。コドン捕獲説にしたがえば、あるコドンが別のコドンへと暗号変化するにはそのコドンがゲノムから一度消失する(非指定状態になる)必要がある。まず、キョク皮動物の祖先のミトコンドリアにおいてはもともとリジンのコドンであるAAAコドンがゲノムから消失する。この消失は方向性のある変異圧によってAAAコドンが別のリジンのコドンであるAAGコドンへと変化したために生じたと考えられる。それと同時にリジンのコドンであるAAA/AAGコドンに対応する遺伝子も消失、あるいは変化しAAGコドンのみに対応するtRNALysCUU遺伝子のみがゲノム上に残ることになる。そうしてAAAコドンはいずれのアミノ酸にも対応しないコドン、すなわち非指定コドンとなる。次に、方向性のある逆の変異圧によってAAAコドンが再びゲノム上に出現する(もともとアスパラギンであったところにAAAコドンが出現する)。この際、まず(1)tRNAAsn遺伝子の33位のTがCへと変化し、そのためアンチコドン1文字目がQ合成酵素(Q-enzyme)によってGからQへと修飾を受けることがなくなり、さらに(2)新たな生成酵素(pseudouridine synthase)の出現によってアンチコドン2文字目がUからへと修飾を受けるようになりアンチコドンGUをもつtRNAAsnが生じる。このようにして、AAAコドンは新たなアンチコドンGUをもつtRNAAsnGUによってアスパラギンへと翻訳されるようになったと考えられる(コドン捕獲)。

(図5) tRNAAsnの構造変化に基づくキョク皮動物ミトコンドリアにおけるAAAコドンのリジンからアスパラギンへの暗号変化のメカニズム。

 はたいへんポピュラーな修飾塩基である。現在までRNAレベルで解析されたtRNA分子の90%以上にこの修飾塩基がアンチコドン以外の部位に見つかっている。したがって、キョク皮動物ミトコンドリアにおいてこのシュウドウウリジン酵素の一つが進化の過程で遺伝子レベルで変異が生じ基質特異性を変化させ、この変異によってアンチコドン2文字目をUからへと修飾できるようになったのではなかろうか。このようなポピュラーな修飾酵素の基質認識特異性を変化させる"同一起源酵素の機能多様化"がもしかすると、ミトコンドリアにおける暗号変化においてゲノムの縮小化および方向性のある変異圧と並んで暗号変化のために普遍的に必要であったのかもしれない。

審査要旨

 遺伝暗号は全生物で共通であり、普遍であると考えられてきた。しかし、1979年に哺乳類動物ミトコンドリアにおいて暗号が変化していることが発見されて以来、他の生物のミトコンドリアや核でも暗号が変化していることが次々に報告され、遺伝暗号は変化しうるものであるという考え方が提唱された。本論文は普遍暗号以外のこのような変則暗号の翻訳に関与すると考えられるtRNAの構造および機能の解析を通して、動物ミトコンドリアにおける暗号変化の分子機構の解明を目的として行われたものである。

 論文は主として6章より成り(7と8はそれぞれ参考文献と謝辞)、第1〜3章ではそれぞれ本テーマに関する研究の背景、目的及び方法を述べている。第4,5章が結果及び考察とその結論、第6章で総合的な考察を行っている。

 本論文ではキョク皮動物(ヒトデ)ミトコンドリアを材料とし、普遍暗号ではリジンのコドンであるAAAコドンがヒトデではどのようにアスパラギンのコドンへと変化するかの分子機構に焦点を当て、これらに関係するコドンに対応するtRNAを分子生物学的手法を用いて解析している。従来ウニやヒトデなどのキョク皮動物ミトコンドリアDNAにはアスパラギンtRNA(tRNAAsn)の遺伝子はアンチコドンGTTのもののみコードされていることが明らかにされており、どのようにしてこの遺伝子からできたtRNAAsnが通常のアスパラギンのコドンであるAAU、AACコドンに加えてAAAコドンをもアスパラギンへと翻訳しているか不明であった。CrickのWobble則ではアンチコドン1文字目の未修飾のGは通常コドン3文字のUおよびCとのみ対合できると考えられている。本論文では、ヒトデミトコンドリアtRNAAsnを初めとしたいくつかのtRNAについて、それらのRNAレベルでの1次構造解析からアンチコドン周辺の塩基配列を修飾塩基まで含めて明らかにし、さらにin vitroの翻訳系を用いてそれらのアンチコドンとコドンがリボソーム上で実際にどのように対合するかを検討した。第4章は4節から成っている。第1節ではヒトデ・ミトコンドリアからtRNAAsnとtRNALysを単離し、それらの塩基配列を決定し、前者はアンチコドンGU、後者はCUUをもつことを明らかにした。この結果から、tRNAAsnのアンチコドンの2文字目がへと修飾を受けていることがAAAコドン認識に関与している可能性が強く示唆された。第2節では大腸菌のin vitroの翻訳系を利用するモデル系によってこの実証をもくろんだ。アンチコドンGUUあるいはGUをもつ大腸菌のtRNAAla(tRNAAlaGUUとtRNAAlaGU)を用いて、AAA、AAG、AACをそれぞれ含む人工mRNAを鋳型としてこれらのtRNAで翻訳を行ったところ、AAAコドンの翻訳能はtRNAAlaGUの方がtRNAAlaGUUより約3倍高かった。AAGを含むmRNAではtRNAAlaGUだけがその翻訳能を示した。これらの結果から、アンチコドン2文字目のUからへの修飾がAAAコドン解読に決定的であることが結論された。第3節ではアンチコドン1字目のGのQへの修飾とAAAコドン認識との関係を種々のtRNAの比較から論じている。Q修飾酵素の認識部位はアンチコドンループのU33G34U35配列であるが、tRNAAsnGUでは33位がCに置換されているため、G34のQへの修飾が起こらないので、AAAコドンの認識が可能になっている(G34→Q34の置換は立体障害によりAAAコドンとの対合が不能になる)と結論された。実際UGU配列をもつtRNAHisとtRNAAspではQ34が検出された。第4節と第5、6章では、以上の実験結果に基づいてキョク皮動物ミトコンドリアにおけるAAAコドンのリジンからアスパラギンへの暗号変化のメカニズムを、OsawaとJukesのコドン捕獲説に則って論じている。

 以上要するに、本論文はミトコンドリアにおける暗号変化のメカニズムをAAAコドンのリジンからアスパラギンへの変化に焦点を当て、tRNAの解析と翻訳反応を利用したコドン-アンチコドン対合能の解析によって明らかにし、さらにキョク皮動物ミトコンドリアにおける暗号変化のメカニズムを論じたものである。この成果は遺伝暗号の成立要因に関して重要な知見を与え、生命科学に資するところ大である。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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