遺伝暗号は全生物で共通であり、普遍であると考えられてきた。しかし、1979年に哺乳類動物ミトコンドリアにおいて暗号が変化していることが発見されて以来、他の生物のミトコンドリア、あるいは核においても暗号が変化していることが次々に報告され、遺伝暗号は変化しうるものであるという考え方が提唱された。本論文では変則暗号の翻訳に関与すると考えられるtRNAの構造および機能解析をもとに動物ミトコンドリアにおける暗号変化の分子機構を解明することを目的とした。特にキョク皮動物ミトコンドリアのAAAコドンのリジンからアスパラギンへの変化の分子機構についてそのコドンに対応するtRNAを分子生物学的手法を用いて解析した。キョク皮動物ミトコンドリアではそのDNA解析から、通常普遍暗号ではリジンのコドンであるAAAコドンがアスパラギンのコドンに変化していることが明らかにされている。しかしキョク皮動物ミトコンドリアDNAにはアスパラギンtRNA(tRNAAsn)の遺伝子はアンチコドンGTTのもののみコードされていることが明らかにされており、どのようにしてこのtRNAAsn遺伝子転写産物が通常のアスパラギンのコドンであるAAU、AACコドンに加えてAAAコドンをもアスパラギンへと翻訳しているか不明であった(図1)。CrickのWobble則にしたがえば、アンチコドン1文字目の未修飾のGは通常コドン3文字のUおよびCとのみ対合できると考えられている。本論文では、この問題点をキョク皮動物であるヒトデミトコンドリアtRNAAsnを含めたいくつかのtRNAのRNAレベルでの1次構造解析、およびin vitroでの翻訳系を用いた機能解析をもとにして明らかにし、それらの結果をもとにしてキョク皮動物におけるAAAコドンのリジンからアスパラギンへの暗号変化の分子機構を考察した。 (図1) tRNA遺伝子のアンチコドン配列をもとにしたキョク皮動物ミトコンドリアにおけるAAN(N;A,G,C,U)コドンの読み分けの想定図。アスパラギンのコドンであるAAAはどのようにしてアンチコドンGTTをもつtRNAAsn遺伝子転写産物によって認識されているのか?(1)ヒトデミトコンドリアtRNAAsn、tRNALysの1次構造解析 ミトコンドリアtRNAはキョク皮動物であるヒトデの全tRNAから固層化プローブ法を用いて分離した。本論文でヒトデミトコンドリアtRNAAsnの修飾塩基を含めた1次配列が明らかになるまで、アンチコドン1文字目のGはコドン3文字目のU、Cに加えてAとも対合できるI(イノシン)、あるいはその誘導体であると考えられてきた。Donis-Keller法およびKuchinoらの方法によって修飾塩基を含めた1次配列を決定したところキヒトデ(Asterina amur ensis)ミトコンドリアtRNAAsnのアンチコドンはGU(;シュウドウリジン)であり、1文字目のGは未修飾のままでありGあるいはIの誘導体は検出されなかった。一方、ヒトデミトコンドリアで唯一のリジンのコドンであるAAGコドンに対応するミトコンドリアtRNALysをも同様に解析したところそれはCUUアンチコドンをもつことが明らかになった。この一連のtRNAの構造解析からtRNAAsnのアンチコドンの2文字目がへと修飾を受けていることがAAAコドン認識に関与している可能性が強く示唆された。 (図2) キヒトデ(Asterina amurensis)ミトコンドリアtRNAAsn(a)、tRNALys(b)の修飾塩基を含めた1次構造。tRNAAsnはアンチコドンGUをもつ。RNA中のシュウドウリジン(;pseudouridine)残基の構造(C)。(2)アンチコドンGUをもつtRNAのAAAコドン認識能の解析 それでは、実際にtRNAAsnのアンチコドンGUはAAAコドンを認識できるのであろうか?この疑問に答えるため、E.coliのin vitroの翻訳系を積極的に利用するモデル系を構築した。具体的にはアンチコドンGUUあるいはGUをもつE.coliのtRNAAla(tRNAAlaGUUとtRNAAlaGU)をそれぞれ作成し、それにE.coliのアラニルtRNA合成酵素(AlaRS)をもちいて[3H]アラニンをチャージさせる。E.coliのin vitro翻訳系でテストコドンであるAAN(N;A,G,C,)コドンをフレームに含むmRNAを鋳型としてこれらのtRNAで翻訳を行った時に酸不溶性画分に[3H]アラニンが取り込まれるかを測定することにした。もし、がAAAコドン認識において重要な役割を果たしていれば、tRNAAlaGUUとtRNAAlaGUのAAAコドン翻訳能に明らかな差が見られるはずである。 AAAテストコドンを含むmRNAを用いたときtRNAAlaGUU、tRNAAlaGUともに[3H]アラニンの取り込みがみられた(図3-●-;AAA)。が、両tRNAでは明らかな違いがみられ、tRNAAlaGUのほうがtRNAAlaGUUの約3倍高いAAAコドン認識能を示すことがわかった(図3(d))。これはAACコドンの認識能にほとんど違いがみられなかったこと(わずかに約1.2倍tRNAAlaGUのほうがtRNAAlaGUUよりAACコドンを認識する)と対照的である。またAAGテストコドンを含むmRNAを用いたときには、翻訳効率は低いものの、tRNAAlaGUを用いたときのみ[3H]アラニンの取り込みがみられたが、tRNAAlaGUUを用いたときには全く[3H]の取り込みはみられなかった(図3-■-;AAG)。これらの結果から、ヒトデミトコンドリアにおいてtRNAAsnのアンチコドン2文字目がへと修飾を受けていることがAAAコドンをアスパラギンへと翻訳するために積極的に効いていることが強く示唆された。 (図3) E.coli in vitro翻訳系によるtRNAAlaGUU(b)およびtRNAAlaGU(c)のAAN(N;A,G,C)テストコドンの認識能の解析。AAAテストコドン(-●-)、AAGテストコドン(-■-)、AACテストコドン(-▲-)、マイナスmRNA(-△-)。in vitro翻訳に用いた合成mRNA(a)。それぞれのtRNAのテストコドン翻訳効率(□-bar ’tRNAAlaGUU’、■-bar ’tRNAAlaGU’)。ただしtRNAAlaGUUのAACコドン認識効率を1とした(d)。(3)ヒトデミトコンドリアtRNAHis、tRNAAsp、tRNATyrの1次構造解析 もしヒトデミトコンドリアtRNAAsnのアンチコドン1文字目がQへと修飾を受けていたとするとそれはAAAコドンを認識できないと考えられる。Qはコドン3文字目のUまたはCとのみ対合し、決してAあるいはGとは対合しないことが示唆されている。事実、tRNAAsnのアンチコドン1文字目は未修飾のGであり、Qへとは全く修飾を受けていなかった。このことは通常Uとして保存されているtRNAAsnのアンチコドン5’隣接部位(33位)がAAAコドンをアスパラギンに翻訳するキョク皮動物のミトコンドリアtRNAAsnではC(C33)に変化しているためであると推測された。さらに、原核、真核生物におけるQ合成酵素〔(原核生物の場合はtRNAグアニントランスグリコシラーゼ〕は基質であるtRNAのアンチコドンループのU33-G34-U35配列を強く認識していることが明らかにされている。しかしながらミトコンドリアにおいてそれまでQ合成酵素は存在しないと考えられていた。そこでヒトデミトコンドリアにQ合成酵素が存在するかを明らかにするため、U33-G34-U35配列(遺伝子上でT33-G34-T35配列)をもつヒトデミトコンドリアtRNA(tRNAHis、tRNAAsp、tRNATyr)を分離しその1次配列を決定した。その結果、tRNAHisのアンチコドンはGUGとQUG、tRNAAspではGUCとQUC、tRNATyrではGUAであることが確認された。これらのtRNAの解析から、ヒトデミトコンドリアにはQ合成酵素が存在することが明らかになった。おそらくミトコンドリアのQ合成酵素も原核、真核生物におけるそれと同じ基質特異性を持つと考えられるので、キョク皮動物ミトコンドリアtRNAAsnのアンチコドン5’隣接位のC33はQ合成酵素による認識を阻害するアンチデターミナントであると考えられる。 (図4)キヒトデ(Asterina amur ensis)ミトコンドリアtRNAHis(a)、tRNAAsp(b)、tRNATyr(c)の修飾塩基を含めた1次構造。Q合成酵素はヒトデミトコンドリアに存在する。(4)キョク皮動物ミトコンドリアにおけるAAAコドンのリジンからアスパラギンへの暗号変化のメカニズム ミトコンドリアにおける暗号変化はそれが蛋白質のアミノ酸配列の変化を伴わないとする、OsawaとJukesのコドン捕獲説によって一部説明されてきた。コドン捕獲説にしたがえば、あるコドンが別のコドンへと暗号変化するにはそのコドンがゲノムから一度消失する(非指定状態になる)必要がある。まず、キョク皮動物の祖先のミトコンドリアにおいてはもともとリジンのコドンであるAAAコドンがゲノムから消失する。この消失は方向性のある変異圧によってAAAコドンが別のリジンのコドンであるAAGコドンへと変化したために生じたと考えられる。それと同時にリジンのコドンであるAAA/AAGコドンに対応する遺伝子も消失、あるいは変化しAAGコドンのみに対応するtRNALysCUU遺伝子のみがゲノム上に残ることになる。そうしてAAAコドンはいずれのアミノ酸にも対応しないコドン、すなわち非指定コドンとなる。次に、方向性のある逆の変異圧によってAAAコドンが再びゲノム上に出現する(もともとアスパラギンであったところにAAAコドンが出現する)。この際、まず(1)tRNAAsn遺伝子の33位のTがCへと変化し、そのためアンチコドン1文字目がQ合成酵素(Q-enzyme)によってGからQへと修飾を受けることがなくなり、さらに(2)新たな生成酵素(pseudouridine synthase)の出現によってアンチコドン2文字目がUからへと修飾を受けるようになりアンチコドンGUをもつtRNAAsnが生じる。このようにして、AAAコドンは新たなアンチコドンGUをもつtRNAAsnGUによってアスパラギンへと翻訳されるようになったと考えられる(コドン捕獲)。 (図5) tRNAAsnの構造変化に基づくキョク皮動物ミトコンドリアにおけるAAAコドンのリジンからアスパラギンへの暗号変化のメカニズム。 はたいへんポピュラーな修飾塩基である。現在までRNAレベルで解析されたtRNA分子の90%以上にこの修飾塩基がアンチコドン以外の部位に見つかっている。したがって、キョク皮動物ミトコンドリアにおいてこのシュウドウウリジン酵素の一つが進化の過程で遺伝子レベルで変異が生じ基質特異性を変化させ、この変異によってアンチコドン2文字目をUからへと修飾できるようになったのではなかろうか。このようなポピュラーな修飾酵素の基質認識特異性を変化させる"同一起源酵素の機能多様化"がもしかすると、ミトコンドリアにおける暗号変化においてゲノムの縮小化および方向性のある変異圧と並んで暗号変化のために普遍的に必要であったのかもしれない。 |