学位論文要旨



No 113466
著者(漢字) 原田,裕次
著者(英字)
著者(カナ) ハラダ,ユウジ
標題(和) モリブデンおよびタングステン窒素錯体およびそれらから誘導される錯体の反応性に関する研究
標題(洋) Studies on Reactivities of Molybdenum and Tungsten Dinitrogen Complexes and Their Derivatives
報告番号 113466
報告番号 甲13466
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4184号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 干鯛,眞信
 東京大学 教授 荒木,孝二
 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 助教授 溝部,裕司
 東京大学 助教授 八代,盛夫
内容要旨

 遷移金属の窒素錯体に関してはこれまでに様々な種類の金属および配位子を含むものが報告されているが、[M(N2)2(phosphine)4](M=Mo,W)で表される窒素錯体は、配位窒素分子が温和な条件下で多様な含窒素有機配位子へ変換出来る点で非常に興味深い。当研究室では窒素錯体cis-[M(N2)2(PMe2Ph)4](1;M=Mo,W)およびtrans-[M(N2)2(dppe)2](2;M=Mo,W;dppe=Ph2PCH2CH2PPh2)のプロトン化によって得られるヒドラジド(2-)錯体と、ケトンやアルデヒドとの縮合反応によりジアゾアルカン錯体が得られることを報告している(Scheme1)。本研究では、ジアゾアルカン錯体を用いた含窒素有機化合物の新規な合成法の開発を目指して、さらに多様なジアゾアルカン錯体の合成を行い、それらの反応性について検討した。

Scheme 1

 まずジアゾアルカン錯体を用いたピラゾールの合成について検討した。ヒドラジド(2-)錯体[WCl2(NNH2)(L)(PMe2Ph)2](3a,L=PMe2Ph;3b,L=CO)とジケトンMeCOCHR2COR3(R2=H,Me;R3=Me,Et,Ph)の縮合反応からジアゾアルカン錯体「WCl2(NN=CMeCHR2COR3)(L)(PMe2Ph)2](4)が得られた(Scheme 2)。ButCOCH2COButおよびPhCOCH2COPhは立体障害のために3aとは反応しなかったが、3bと反応してジアゾアルカン錯体[WCl2(NN=CR1CH2COR3)(CO)(PMe2Ph)2](R1=R3=But,Ph)を与えた。

Scheme 2

 同様の条件下における3aとトリケトンの反応では、縮合反応は一方の末端カルボニル基でのみ進行し、[WCl2(NN=CRCH2COCH2COPh)(PMe2Ph)3](5;R=Me,Ph)が得られた。それに対して、3bとPhCOCH2COCH2COPhの反応では両末端のカルボニル基で縮合反応が進行し、[WCl2(CO)(PMe2Ph)2(NN=CPhCH2COCH2CPh=NN)WCl2(CO)(PMe2Ph)2〕が得られた(Scheme 3)。

Scheme 3

 4および5(R=Me)のEtOH/KON系での反応によりピラゾールが得られた。(Scheme 4)。

Scheme 4

 次にジアゾアルカンのシス位にカルベン配位子を導入し、両者を相互作用させることを検討した。イソシアニド-ジアゾアルカン錯体[MX2(NN=CMePh)(CNtBu)(PMe2Ph)2](M=Mo,W;X=Cl,Br)をトリメチルアルミニウムと反応させ、さらに加水分解を行うことでカルベン-ジアゾアルカン錯体[MX2(NN=CMePh){=C(Me)NHtBu}(PMe2Ph)2)](6)が得た。6(M=W,X=Cl)をCO下で[Me3O][BF4]と反応させることにより、カチオン性カルベン-ジアゾアルカン錯体trans-[WCl(NN=CMePh){=C(Me)NHtBu}(CO)(PMe2Ph)2][BF4」が得られることがわかった。

Scheme 5

 次に、単核の場合とは異なる反応性を期待して、ジアゾアルカン配位子中へのフェロセニル基の導入について検討した。まず、3aとFeRC=O(Fe=CpFe(5-C5H4)-,Cp=5-C5H5;R=H,Me)の反応により、新規なフェロセニルジアゾアルカン錯体[WCl2(NN=CRFc)(PMe2Ph)3)](7)を得た。7のCVチャートからは、Wの一電子酸化に帰属しうる可逆な酸化波(EPOX=0.15eV vs.SCE)と、Feの一電子酸化に由来する不可逆な酸化波(EPOX=1.13eV)が観測されたが、前者のEPOXは類似の構造を有するジアゾアルカン錯体[WCl2(NN=CMe2)(PMe2Ph)3]と同様の値(EPOX=0.13eV)を示した。次に、7の一つのPMe2Phを各種-アクセブター配位子で置換すると(Scheme 6)、W由来のピークが高電位側へシフトしたのに対し(EPOX=1.05-1.15eV)、Fe由来のピークはほとんどシフトしなかった。

Scheme 6

 次に、2から誘導される[M(CO)(DMF)(dppe)2](8a,M=Mo;8b,M=W)は様々な基質との反応が報告されているが、本研究では8と末端アルキンの反応性を検討した。まず8aとの反応を行ったところ、RがCOMeとCO2Meの場合にはアルキニルヒドリド錯体(9)が生成したのに対し、RがPhとp-Tolの場合にはビニリデン錯体[Mo(=C=CHR)(CO)(dppe)2](10)が得られた。これとは対照的に、8bとアルキン類の反応では、いずれの場合もアルキニルヒドリド錯体が生成し、ビニリデン錯体は生成しなかった。

Scheme 7

 8に代わる新規な低原子価を合成することを目的として2aとベンジリデンアニリン(PhCH=NAr;Ar=Ph,p-Tol,p-MeOC6H4)の反応を行った結果、C-H,C-C結合の開裂を伴いながら2aからイソシアニド錯体(9)が得られることがわかった。

Scheme 8
審査要旨

 遷移金属の窒素錯体はその配位窒素の反応性について詳細な研究が行われ、その成果は温和な条件下での新規窒素固定法の開発に重要な情報を提供してきている。一方、窒素錯体の配位窒素が容易に解離する性質に着目し、これらを反応活性の高い配位不飽和錯体の前駆体として特異な基質変換反応に利用できることも明らかにされている。本論文は、モリブデンおよびタングステンの有機ホスフィンを補助配位子とする窒素錯体の反応性についてこの両面より検討を加えた結果についてまとめたものであり、その全体は六章からなっている。

 第一章は序論であり、遷移金属窒素錯体に関するこれまでの研究成果を概観するとともに、本論文で取り上げたモリブデンおよびタングステンの窒素錯体が既に数多く単離されている遷移金属窒素錯体の中で特異的に高い反応性を有することが示されている。

 第二章から第四章までは、窒素錯体からヒドラジド(2-)錯体を経由して得られるジアゾアルカン錯体の合成と反応性に関するものである。まず、第二章では、タングステン錯体を用いたピラゾールの合成反応について述べられている。すなわち、ヒドラジド(2-)錯体と各種ジケトンおよびトリケトンの縮合反応により一連のジアゾアルカン錯体を合成し、それらの構造の詳細がX線解析および分光学的測定などにより明らかにされ、得られた新規な錯体についてそのジアゾアルカン配位子をピラゾールとして収率良く遊離させ得ることが見い出されている。この反応は有用な含窒素化合物であるピラゾールが窒素分子から直接合成できるという点で有機合成化学の面からも興味深い。

 第三章では、アミノカルベン配位子を有する新規ジアゾアルカン錯体の合成について述べられている。すなわち、ジアゾアルカン配位子のシス位に導入したイソシアニド配位子をトリメチルアルミニウムと反応させ、さらに加水分解することでアミノカルベン配位子へと変換することに成功している。目的としたジアゾアルカンおよびカルベン配位子の相互作用による含窒素有機化合物の生成には至らなかったものの、ここに示された反応は新規なカルベン錯体合成法として有用性が高く、また得られた錯体はジアゾアルカンおよびアミノカルベン配位子を含む錯体として希な例である。

 さらに第四章では、フェロセニル基を有するケトンおよびアルデヒドとヒドラジド(2-)錯体との縮合により得られるフェロセニルジアゾアルカン錯体について述べられている。得られた一連のフェロセニルジアゾアルカン錯体について電気化学的物性が検討され、それらの酸化還元挙動について考察がなされている。

 一方、第五章では、窒素錯体から得られる0価モリブデンおよびタングステンカルボニル錯体上での末端アルキン類の変換反応について述べられており、アルキニルヒドリド錯体またはビニリデン錯体が中心金属とアルキン上の置換基を変えることにより選択的に得られるという興味深い知見を見い出している。また得られた錯体のプロトン化によりカルバイン錯体の誘導にも成功している。

 さらに第六章では、窒素錯体から加温条件下で生じる配位不飽和モリブデンサイト上で、これまで例のないベンジリデンアニリン類のアリールイソシアニドへの変換が進行することが示されている。生成するイソシアニドは一連のイソシアニドー窒素錯体として得られ、いまだ量論反応にとどまっているが、容易に得られるイミン類を原料とすることから、イソシアニドの新規合成法として注目される。

 以上のように本論文ではモリブデンおよびタングステンの窒素錯体を用いて、多様なジアゾアルカン錯体の合成や窒素分子の含窒素有機物への変換反応を開拓するとともに、これら錯体が末端アルキンやベンジリデンアニリン類の特異な変換反応をも促進することを明らかにしている。ここに得られた成果は窒素を含めた一連の小分子の効率的な利用法開発のために重要な基礎的知見を与えるものであり、有機合成化学、有機金属化学、錯体化学等の分野への貢献は極めて大きいと考えられる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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