【1】緒言 デンドリマーは規則正しい樹木状の枝分かれ構造を有し、従来の鎖状高分子とは異なり、コア、ビルディングブロック(組織を構成するモノマーユニット)、および表面の官能基(末端基)の3つの要素から構成される。コアユニットの形状を反映して、コーン状や球状の空間形態をとり、単一分子でナノメートル領域の三次元的な構造を提供する。ナノメートル領域の現象は、生体内の様々な反応と関連して重要であるが、これまでは化学的にも物理的にもアプローチが困難な領域であった。 これまでに数多くの機能性デンドリマーが合成されているが、その殆どが組織外表面に機能団を有するものであり、分子中央部に機能団を有するものは極めて限られている。これに対して、本研究では、デンドリマーを分子フラスコとして用いることを念頭に、デンドリマー組織を用いてポルフィリン錯体やアゾベンゼンを空間的・物理的に孤立化し、デンドリマー環境下ならではの新しい機能の開拓を目指した。 【2】ヘモグロビンモデルとしてのデンドリマー鉄ポルフィリン錯体 ヘムタンパクの活性部位(プロトヘム)は、嵩高いタンパクの疎水性環境にあり、孤立化している。ヘムタンパクの特異な生体機能は単純な鉄ポルフィリンを用いた均一系では実現できない。本研究では構造明確な樹木状多分岐巨大高分子であるデンドリマーを置換基とするデンドリマー鉄ポルフィリン錯体を分子設計し、ヘムタンパクの機能をお手本に新しい機能の開発を目指した。 Convergent法を利用して、疎水性表面を有するサイズの異なる一連のデンドリマーポルフィリンLnPH2(n=1,3-5;芳香環層の数)を合成した。1HNMRシグナルの緩和時間T1を測定したところ、表面近傍の組織の動きは特にL5PH2で著しく低下するが、内部のポルフィリン部分の運動性は、デンドリマーサイズの影響を殆ど受けないことが分かった。即ち、デンドリマーポルフィリンは、硬い殻と流動的な内部環境を有する「生卵」のような構造的特徴を有する。従って、特にデンドリマー組織が大きな場合には、デンドリマー組織を通した物質交換が極めて起こりにくいことが予想される。 上記のデンドリマーポルフィリンから、鉄(III)錯体(LnP)FeIIICl(n=1,3-5)を調製し、一電子還元して鉄(II)錯体(LnP)FeIIとした後、軸配位子として1-メチルイミダゾール(Im、30equiv.)を添加し、乾燥トルエン中にて分子状酸素に対する捕捉能を調べた。その結果、デンドリマー組織を持たない(Im)2(L/P)FeIIはすぐに-オキソダイマーにまで不可逆的に酸化された。これに対して、鉄ポルフィリン部位がデンドリマーに取り囲まれている(Im)2(L3P)FeII〜(Im)2(L5P)FeIIは-オキソダイマーにはならず、極めて長寿命の分子状酸素捕捉錯体(Im)(LnP)FeII(O2)(Figure 1,n=3-5)を与えた。一方、系内に水が存在すると、サイズの小さな(Im)(L3P)FeII(O2)と(Im)(L4P)FeII(O2)は中心鉄が不可逆に酸化され、酸素分子への可逆的吸脱着能を失った。しかし、これとは対照的に、デンドリマー組織が最も大きな(Im)(L5P)FeII(O2)は、1,000倍の水が存在しても2ヶ月以上安定に存在し、酸素の可逆的吸脱着能をそのまま維持した。即ち、デンドリマー組織がヘム中心を疎水的に保護していることが分かった。これと関連して、サイズが最も大きな(Im)(L5P)FeII(O2)を一酸化炭素の雰囲気下に放置したところ、半減期50時間という耐久性を示した。ちなみに、デンドリマー組織を持たない通常の鉄ポルフィリン錯体は瞬時に一酸化炭素錯体に変化してしまった。 以上、疎水性のデンドリマー鉄ポルフィリンにより酸素分子の可逆的な吸脱着を実現した。 Figure 1.Scheme representations of (Im)(LnP)FeII(O2)(n=3-5).【3】デンドリマー組織の光アンテナ機能:赤外線による分子状酸素の活性化 上記の研究の過程で、赤外分光光度計を用い、酸素捕捉錯体の同定を試みようとしたところ、大きなデンドリマー組織を有する酸素捕捉錯体(Im)(LnP)FeII(O2)(n=4,5)が赤外線の中で全く別の化学種に変化するという異常な現象を見いだした。吸収スペクトルから、生成物がオキソ鉄ポルフィリン錯体(Im)(LnP)FeIV=O(n=4,5)であることを明らかにした(Figure 2)。これはMaldi-ToF-Mass、Raman、ESRおよびMCDの測定結果からも支持された。興味深いことに、デンドリマーサイズの小さな(Im)(L3P)FeII(O2)は、赤外線を照射しても全く変化しなかった。 この反応が熱的プロセスであるのか否かを調べるため、1,1’,2,2’-テトラクロロエタン中、40、60、80及び120℃下(Im)(L5P)FeII(O2)を2時間加熱したが、相当するオキソ鉄ポルフィリン錯体は生成しなかった。すなわち、赤外線による酸素錯体の化学変化は光化学過程である。そこで、モノクロメータを用いて、デンドリマー組織の芳香環の吸収である1600cm-1、エーテル結合の吸収である1155cm-1およびデンドリマーが吸収をもたない2500cm-1の三つの異なる波数の赤外線を発生させ、上記の反応を調べたところ、1600cm-1の赤外線を照射した場合のみ、オキソ鉄ポルフィリン錯体が生成した。即ち、デンドリマー組織中の芳香環が吸収したエネルギーが反応に関与している。しかし、1600cm-1の赤外光子一個分のエネルギーは非常に小さく(0.2eV)、単光子励起ではO-O結合の開裂に必要なエネルギーはとても供給できない。一般にO-O結合の開裂に関しては、例えばROORの場合、1.5〜2.6eVのエネルギーを必要とする。そこで、赤外線照射下での反応速度と赤外線のフォトンフラックスの関係を調べたところ、10.9個フォトン(2.18eV)が同時に反応に関与していることが確認され、反応がこれまでに例のない「多光子過程」で進行していることが明らかとなった。 オキソ鉄ポルフィリン錯体は、生体内においてチトクロムP-450が触媒添加反応(物質代謝)の活性種に類似の化学種である。そこで、オレフィンに対する(Im)(L4P)FeIV=Oの酸素添加能を検討したところ、少量のメタノール存在下でスチレンへの酸素添加が起こり、速やかにかつ定量的にスチレンオキシドが生成した。また、この時、(Im)(L4P)FeIV=Oは鉄(III)ポルフィリン錯体に変化した。 以上、デンドリマー組織の大きな鉄ポルフィリン錯体を用い、赤外フォトンによる酸素分子の活性化を実現した。これは、今まで全くなかった新しい酸素活性化のアプローチである。また、赤外線を利用したナノ光反応器としてのデンドリマーの新しい可能性を示した。 Figure 2.Absorption spectral changes of (Im)(L5P)FeII(O2)on infrared radiation (5x10-5M,21℃).【4】デンドリマー組織の光アンテナ機能:赤外線によるフォトクロミズム 光機能性分子の設計はエネルギー変換、利用の観点から極めて重要な課題である。上述のデンドリマー組織の赤外線感受性の一般性を探求するため、デンドリマーコアにフォトクロミック分子であるアゾベンゼンユニットを導入した光反応性デンドリマーを分子設計し、アゾベンゼンの光異性化に対する赤外線効果について検討した。 Convergent法を利用して、モノマーユニットとして3,5-ジメトキシベンジル基、表面官能基としてメトキシ基を有するサイズの異なる一連のアゾデンドリマーtrans-LnAZO(Figure 3,n=1,3-5;芳香環層の数)を合成した。サイズの大きなアゾデンドリマーは、デンドリマーポルフィリンの場合と同様に、硬い殻と流動的な内部環境を有する「生卵」のような構造的特徴を有することをNMRにより確認した。 アゾデンドリマーは、通常のアゾベンゼンと同様に、合成した時点ではトランス体であり、紫外線を照射することによりシス体に変換し、また可視光あるいは熱の刺激によりトランス体に戻るフォトクロミズムを示した。クロロホルム中、トランス体に紫外線を照射し、シス体に変換させた後、cis-to-transの異性化に対する赤外線照射効果を調べたところ、デンドリマーサイズの大きなcis-L4AZOとcis-L5AZOは速やかにトランス体に戻った。これに対して、デンドリマー組織の小さなcis-L1AZOとcis-L3AZOは、赤外線を照射しても光異性化を全く起こさなかった。すなわち、デンドリマーの赤外線効果の発現にはデンドリマーサイズに関するしきい値が存在することが分かった。 赤外線単色光を用いた実験から、デンドリマー鉄ポルフィリン酸素錯体系と同様に、この場合もデンドリマー組織中の芳香環が吸収したエネルギー(1600cm-1)がcis-to-transの異性化反応に関与していることが明らかになった。異性化反応速度の温度依存性から、21℃におけるcis-L5AZOのcis-to-trans異性化反応のG‡は0.82eVであると見積もられた。従って、この場合も1600cm-1の光子一個では異性化反応を誘起することはできない。そこで、再び異性化反応速度と照射した赤外線のフォトンフラックスの関係を調べたところ、5次の非線形性(0.98eV)が確認され、反応が【3】の場合と同様に「多光子過程」で進行していることが明らかとなった。 すなわち、デンドリマーが赤外線の光捕集アンテナとして機能し、吸収エネルギーのうち5光子分をコアに送り込んでいることが明らかになった。 Figure 3.A schematic representation of trans-L5AZO.【5】デンドリマー組織の光アンテナ機能:分子内エネルギー移動へのモルフォロジーの影響 赤外線が誘起する上述の特異な化学反応は、反応場を取り囲むデンドリマー組織のモルフォロジーの影響を受ける。例えば、同じ数の芳香環を持ちながら、よりオープンなモルフォロジーを有するデンドリマー組織を用いた場合、【4】で述べた異性化反応は全く起こらない。従って、デンドリマー組織からコアユニットへのエネルギー移動が一体どのように起きているのかを調べることは興味深い課題である。そこで、コアにポルフィリンを有するモルフォロジーの異なる一連のデンドリマー(L5)nP(Figure4,n=1-5;デンドロンL5の数)を分子設計し、デンドリマー組織からコアへの分子内一重項エネルギー移動に関して、蛍光スペクトルを基に検討した。 Figure 4.Schematic representations of dendrimer porphyrins (L5)nP(n=1-4). 定常光を用いて、21℃にて(L5)4Pのデンドリマー組織(280nm)を励起すると、デンドリマーに由来する蛍光(310nm)が消光され、その代わりに、ポルフィリンに由来する発光(656,718nm)が観察された。吸収スペクトルと励起スペクトルの比較から、球状の(L5)4Pと(L4)4Pが高いエネルギー移動効率(80%)を示すことを見いだした。これに対して、非球状の(L5)nP(n=1-3)では、エネルギー移動の効率は極めて低いということが分かった。すなわち、球状のデンドリマーポルフィリンでは、分子内エネルギー移動がより効率的に起こる。 そこで、21℃にて同じレベルのエネルギー移動効率を示した(L5)nPと(L4)nPに関して、分子内エネルギー移動効率に関する温度依存性を検討した。その結果、サイズの小さな(L4)nPは昇温によって著しくエネルギー移動効率が低下した(80℃,36%)。これに対して、(L5)nPにおけるエネルギー移動効率は温度に依存せず、ほぼ一定であった(80℃,80%)。この結果と関連して、デンドリマー組織の数が全く同じ球状のデンドリマー(コアにベンゼンユニット)とコーン状のデンドロンの蛍光発光の量子収率を調べたところ、球状のデンドリマーが、エネルギーを蛍光として放出せず、分子内に蓄えていることが示唆された。 【6】まとめ デンドリマー鉄ポルフィリンの分子状酸素捕捉錯体の同定過程で偶然見いだした「光アンテナ機能」は、サイズの大きな球状デンドリマーに一般的である。本研究で実現された5光子、10光子励起の光化学反応は従来レーザー光を用いても実現不可能であった。この意味において、本研究の成果は新しい次世代の科学技術を開拓するものと期待される。 【7】発表状況 【原著論文】(1)J.Chem.,Soc.,Chem.Commum.,1996,1523.(2)Macromolecules,1996,29,5236.(3)Nature,1997,388,454.(4)Nature,submitted.(5)Science,submitted.(6)J.Macromol.Sci.,Pure&Appl.Chem.,1997,A34,2047.【総説】(7)Hyper-Structured Molecules:Chemistry,Physics,and Applications(Gordon and Breach Science,Monograph),in press.(8)高分子論文集,1997,54,674.(9)ネットワークポリマー,1996,17,179.(10)オプトニュース,1997,102,25.【学会発表】(11)36th IUPAC International Symposium on Macromolecules (IUPAC MACRO SEOUL’96).(12)214th American Chemical Society National Meeting (Las Vegas,Aug.1997).(13)6th SPSJ International Polymer Conference-Polymer Science and Technology to the 21st Century (Kusatu,Oct.1997).(14)The Second International Forum on Chemistry of Functional Organic Chemicals (IFOC-2,Tokyo,Nov.1997).その他15件。 |