学位論文要旨



No 113469
著者(漢字) 鄭,健禺
著者(英字)
著者(カナ) ゼン,ジエンユ
標題(和) ポルフィリンをベースとする機能性分子の設計
標題(洋) Design of Functional Molecules based on Metalloporphyrins
報告番号 113469
報告番号 甲13469
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4187号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 教授 荒木,孝二
 東京大学 助教授 溝部,裕司
 東京大学 助教授 八代,盛夫
 東京大学 助教授 橋本,幸彦
内容要旨

 ポルフィリンは、葉緑体や赤血球などに存在する生体関連化合物の一つであるが、1)剛直な大共役環状構造、2)様々な金属との錯形成能、3)中性・イオン性物質の中心元素への配位能、4)可視光吸収能、5)分子設計の柔軟さ、といった独特の特徴を持つことから、機能性分子のプラットフォームとしても極めて魅力的な化合物である。我々はこの点に着目し、種々の金属ポルフィリン錯体を分子設計し、それを触媒あるいはホストとする、特異的反応、認識機能などの開拓を進めてきている。本研究では、1)水素結合性官能基を有する金属ポルフィリン錯体をホストとするアミノ酸誘導体の認識、2)新規ケイ素ポルフィリン錯体の合成・構造・反応性、の2点について詳細な検討を行った。

1金属ポルフィリン錯体をホストとするアミノ酸誘導体の認識1

 ポルフィリンコアの一つの窒素原子に置換基を導入したN-置換ポルフィリンの金属錯体は、中心金属に結合したアキシャル基(X:右図)として、カルボキシレートなどのアニオン種を捕捉することができる。すでに、我々は、分子不斉性を有するN-メチルストラップポルフィリン金属錯体(1)がアミノ酸誘導体の不斉認識、ポリペプチド鎖のラセン構造の向きの認識において卓越した選択性を示し、その際、1と基質間の水素結合が、選択性の発現に重要であることが見いだしている。そこで、1によるアミノ酸アニオンの捕捉反応において、基質の官能基・サイズが認識されることを期待し、Z-Gly-OHを参照ゲストとして2種のZ-アミノ酸の競争的捕捉を試みた。

図表

 実験は、Z-Gly-OHおよびその競争相手となるZ-アミノ酸を、ラセミ体の1aと適当な溶媒中で混合することによって行なった。いずれの場合にも、アキシャル基の交換反応(Scheme1)は定量的に進行し、Z-アミノ酸アニオンがアキシャル位に捕捉された錯体(1b,1c)の混合物が得られた。反応の基質選択性を、得られた錯体の比率([1b]:[1c])から評価したところ(Table1)、Z-Sar-OH(Z-N-Me-Gly-OH)、Z-L-ProなどのNHCO部位を持たない基質との競争反応では、無水CDCl3中でZ-Gly-OHへの高い選択性が達成され、1と2点で水素結合が可能なZ-Gly-OHが優先的にレセプター上に取り込まれることがわかった(runs10,12,and14)。一方、同様の条件下で、Z-L-Leu-OHなど1と2点水素結合可能な基質との競争的捕捉反応を検討したところ、側鎖サイズの小さいZ-Gly-OHが選択的に捕捉された(runs1,3,4,and6)。また、基質中のNHCOの位置も選択性に影響を与え、例えばZ--Ala-OHとZ-Gly-OHの競争的捕捉においては、Z-Gly-OHへの高い選択性が観察された(run2)。

Scheme1Table1.Competitive Reaction of Z-Gly-OH and Z-Amino Acids with 1aaa[1a]0/[Z-Gly-OH]0/[competitor]0=1.25/5/5 in mM,at 25℃.b By 1H NMR.c[1a]0/[Z-Gly-OH]0/[Z-L-Pro-OH]0=1/2/6 in mM.

 次に、溶媒の効果を調べたところ、Z-Sar-OHとの競争におけるZ-Gly-OHへの選択性は、CD3ODなどのproticな溶媒中では、無水CDCl3中に比べ著しく低下した(run11)。従って、この場合に選択性を決定しているファクターは基質と1との間の水素結合であることは明らかである。これに対し、両基質とも水素結合可能なZ-Gly-OH/Z-L-Leu-OHの競争においては、溶媒の効果はそれほど顕著ではなく(runs4 and5)、基質の側鎖と1との間の立体反発が選択性を支配していることが示唆された。

2.新規ケイ素ポルフィリン錯体の合成・構造・反応性

 ケイ素ポルフィリン錯体は、ポルフィリン環の上下にそれぞれ一つのアキシャル基を有する中性の6配位型錯体であり、中心のケイ素原子が高原子価状態にあることから、通常の4配位ケイ素化合物にはない特異な構造・反応性を示すことが期待される。そこで、本研究では、特にSi-C結合を有する有機ケイ素ポルフィリン錯体に着目し、その合成法を開拓すると共に、その構造・反応性について詳細な検討を行った。

2.1ケイ素ポルフィリン錯体の合成2

 ポルフィリン環の上下にClをアキシャル基として有するテトラフェニルポルフィリンのSi錯体((TPP)SiCl2,2)は、Liポルフィリン錯体とHSiCl3の反応によって得た。2は種々のケイ素ポルフィリン錯体類の前駆体として有用であり、適当な試薬の存在下で容易にアキシャル基の交換反応をおこした。例えば、AgBF4との反応により、Fをアキシャル基とする錯体(3)が得られた。一方、2にグリニャール試薬(RMgBr)を作用させると、2つのアキシャル基のいずれもがRで置換された有機Siポルフィリン錯体(4-8)が定量的に得られた。また極めて安定と考えられる2のSi-F結合も、室温で容易にグリニャール試薬による求核攻撃を受け、有機Siポルフィリン錯体を与えた。

 

2.2ケイ素ポルフィリン錯体の構造2

 これまでに、F,CF3SO3基をアキシャル基とするケイ素ポルフィリン錯体について、4つのメソ位が順にup,down,up,downとなったruffled型の非平面構造をとっていることが報告されている。ここで、一連のケイ素ポルフィリン錯体(3-8)の構造をX線結晶解析により調べたところ、ポルフィリン骨格のコンホメーションがアキシャル基の種類に大きく依存することがわかった。例えば、C6H5をアキシャル基とする錯体(7)が、F,CF3SO3錯体と同様のruffled型ひずみ構造をとるのに対し、プロピル錯体(4)、ビニル錯体(6)はほぼ完全な平面構造をとっていた(Figure1)。また、トリメチルシリルメチル錯体(5)、2-フェニルエチニル錯体(8)のポルフィリン骨格もほぼ平面構造に近いものであったが、よく調べてみるとメソ位が順にup,up,down,downとなったwaved型のひずみ構造をとっていることがわかった。ひずみの程度をあらわすパラメーターとして、メソ位の炭素の4つのピロール窒素平面からの距離の平均(△r)とSi-Nの結合距離を算出したところ、両者の間に明確な相関関係が見られた(Table2)。

Figure1 ORTEP views (30% probability ellipsoids with hydrogen atoms omitted for clarity)、and schematic side views of the porphyrin skeletone of (a)Si(TPP)(CH-CH2)2(6),(b)Sl(TPP)(C6H5)2(7),and (c)Si(TPP)(C=CC6H5)2(8)Table2.Degrees of Distortion and Selected Structural Data of Silicon Tetraarylporphyrins.

 これらの結果より、F,CF3SO3基など電子吸引性のアキシャル基は、Si-N間の結合相互作用を増加させ、ポルフィリン骨格のひずみを誘起するのに対し、電子供与性のアキシャル基は、逆にひずみを緩和する効果があるものと考えられる。また、フェニル錯体(4)においては、アキシャル基とポルフィリン骨格の間の立体反発が働き、ひずみ構造が誘起されているものと考えられる。

2.3ケイ素ポルフィリン錯体の反応性

 一般に4配位のケイ素化合物のSi-C結合は安定で開裂しにくいことが知られている。しかし、今回合成したアルキルケイ素ポルフィリン錯体のSi-C結合は、可視光照射によってポルフィリン部分を励起することにより、容易にラジカル的に開裂することがわかった。例えば、プロピル錯体(4)を、ベンゼン中、安定ラジカルTEMPOと混合し、室温にて、420nm以上の可視光を4分間照射したところ、シリルラジカルがトラップされたニトロキシド錯体(9)と、プロピルラジカルがTEMPOと反応した化合物が定量的に得られた(Scheme3)。この反応は、暗所下では、90℃で160時間加熱しても全く起こらず、ポルフィリン部分の可視光励起が、Si-C結合のラジカル開裂に必須であることが示された。また、トリメチルシリルメチル錯体(5)は同一条件下で定量的にTEMPO錯体(9)を与えたが、中心のケイ素原子にsp2炭素が結合した6,7、sp炭素が結合した8は全く反応せず、Si-C結合のラジカル反応性が、アキシャル基の種類に大きく依存することが明らかとなった。

Scheme3

 次に、プロピル錯体(4)のベンゼン溶液に可視光を照射し、アキシャル基のプロピル基が完全に消失したのを1HNMRで確認後、暗所下、室温でESRスペクトルを測定したところ、4から発生したラジカルに由来するシグナルが、g=2.0025に観察された。このラジカル種は、極めて安定であり、室温で50日間放置しても、その強度はほとんど減衰しなかった。さらに興味深いことに、ここにTEMPOを加えても、暗所では反応せず、可視光の照射によって初めてTEMPO錯体(9)が生成した(初めの4に対し約60%の収率)。この結果から、ここで観察されたラジカル種は、暗所下ではなんらかのresting modeにあって安定化されており、可視光の照射により活性なラジカルに変換され、TEMPOと反応するものと考えられる (Scheme4)。

Scheme4
2.4ケイ素ポルフィリン錯体の光応答機能

 TEMPO錯体(9)のESRスペクトルを可視光照射下で測定したところ、TEMPOラジカルに由来するシグナルが、可視光照射と共に速やかに増加し、ケイ素上のアキシャル基のTEMPOがラジカル的に遊離することがわかった。興味深いことに、このサンプルを暗所下にすると、TEMPOラジカルの強度は減衰して、可視光を照射する前の状態にまでに戻り、さらに、このプロセスは何度も繰り返し可能であった

 (Scheme5)。詳細は検討中であるが、本結果は、ケイ素ポルフィリンがそのラジカル性を可視光によってコントロールできることを示すものであり、興味深い。

Scheme 5
1.Guest-selective binding of Z-amino acids by a strapped metalloporphyrin rcceptor with a hydrogen-bonding capability,Tetrahedron,1997,53(27),9115-9122.2.The first crystallographic studies on organosilicon porphyrins:electronic effects of axial group on the planarity of porphyrin ligand,Inorg.Chem.1998,37,in press.
審査要旨

 ポルフィリンは、4個のピロールユニットが環状に結合した18系の芳香族化合物であり、それを配位子とする金属錯体は、ヘムタンパク、光合成などにおいて、生命活動に必須の機能を果たしている。従来、ポルフィリンの化学は、これら生体機能の解明とモデル化という観点から、著しい発展を遂げてきたが、その一方で、剛直な大共役環状構造、様々な金属との錯形成能、高い可視光吸収能、分子設計の柔軟さ、といった特徴を有することから、基礎化学的のみならず、応用分野においても関心が持たれている。中でも、ポルフィリンを利用した新規機能性分子の設計・開発は、近年最も関心の高い分野の一つである。

 本論文では、生物学的な側面から離れ、合成化学的見地から、ポルフィリンを基本とする新しい機能性分子の開発を目的とした。ここでは特に、1)金属ポルフィリンホストによるアミノ酸の分子認識、2)新規ケイ素ポルフィリン錯体の合成・構造・反応性、の2点について詳細に検討している。

 本論文は序論と以下の4章から構成されている。

 序論は、本研究の背景と目的を述べている。すなわち、ポルフィリンに関するこれまでの研究について概説し、さらに化学的な観点から見たポルフィリンの特徴についてまとめている。

 第1章では、ポルフィリン配位子の片方の面に橋かけを施したストラップポルフィリンの亜鉛錯体をホストとして、アミノ酸アニオンの分子認識を検討した結果が記述されている。すなわち、二種のN-保護アミノ酸アニオンの競争的結合における基質選択性を調べており、その結果、水素結合性のNHCO部位を持ち、かつ側鎖置換基を持たないグリシン誘導体が他のアミノ酸に比べて、卓越した選択性をもってホストにとりこまれることを見いだしている。さらに、それらの結果から1)基質官能基とホストとの間に形成される水素結合相互作用、2)ストラップの立体的な効果を議論している。

 第2章-第4章においては、これまでに研究例がほとんどないケイ素のポルフィリン錯体の合成・構造・反応性について調べている。第2章においては、ケイ素-炭素結合をアキシャル結合として持つ、一連の有機ケイ素ポルフィリン錯体群の合成方法を確立するともに、その同定、およびX線結晶構造解析の結果を記述している。その中で、アルキル、アルケニル、アルキニル基を有するケイ素ポルフィリン錯体のポルフィリン骨格がほぼ平面構造をとることを示しているが、この結果は、フッ素、トリフレート基をアキシャル基とするケイ素ポルフィリン錯体中のポルフィリン配位子が平面から大きくひずんだ構造をとるとの報告とは対照的である。また、フェニル錯体の場合には、立体障害のため、ひずみ構造が例外的に誘起されることも示している。さらに、これらの結果を総括して、アキシャル基の立体電子効果とポルフィリン骨格の歪みとの関連性を議論している。

 第3章においては、ケイ素ポルフィリン錯体のアキシャル結合の光反応性を調べている。ここではまず、アルキルケイ素ポルフィリン錯体のケイ素-炭素結合が、ポルフィリン部分を可視光照射で励起することにより、ラジカル的に開裂し、さらにそれがニトロキシ化合物によりトラップされて、三重項シリレン等価体(ニトロキシド錯体)を与えることを見いだしている。さらに、得られたニトロキシド錯体のケイ素-酸素結合が、光の刺激に応答してラジカル的に開裂することが示されており、photoswitchable radicalとしてのポテンシャルを明らかにしている。また、アルキルシリコンポルフィリンの光誘起ホモリシスによって極めて安定なラジカル種が生成することも見いだしている。

 第4章においては、有機ケイ素ポルフィリン錯体のラジカル反応性を示すもう一つの例として、分子状酸素との反応によるパーオキシド錯体の生成反応に関して述べている。さらに、得られたパーオキシド錯体から誘導されるヒドロキシ錯体のポルフィリン骨格が平面構造をとることをX線結晶構造解析から示しており、類似のリンポルフィリン錯体との本質的な違いを指摘している。

 以上、本論文においては、金属ポルフィリン錯体ホストによるアミノ酸アニオンの分子認識、およびケイ素ポルフィリン錯体の合成・反応性に関する検討を行っており、特に後半の成果では、従来のケイ素化合物とは全く異なる、ポルフィリン錯体ならではの新しい性質・特徴が示されている。ここで得られた知見は、光スイッチ・分子ワイヤーなどの開拓へと発展しつつあり、今後、化学生命工学の進展に寄与することが大きいと考えられる。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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