ポルフィリンは、4個のピロールユニットが環状に結合した18系の芳香族化合物であり、それを配位子とする金属錯体は、ヘムタンパク、光合成などにおいて、生命活動に必須の機能を果たしている。従来、ポルフィリンの化学は、これら生体機能の解明とモデル化という観点から、著しい発展を遂げてきたが、その一方で、剛直な大共役環状構造、様々な金属との錯形成能、高い可視光吸収能、分子設計の柔軟さ、といった特徴を有することから、基礎化学的のみならず、応用分野においても関心が持たれている。中でも、ポルフィリンを利用した新規機能性分子の設計・開発は、近年最も関心の高い分野の一つである。 本論文では、生物学的な側面から離れ、合成化学的見地から、ポルフィリンを基本とする新しい機能性分子の開発を目的とした。ここでは特に、1)金属ポルフィリンホストによるアミノ酸の分子認識、2)新規ケイ素ポルフィリン錯体の合成・構造・反応性、の2点について詳細に検討している。 本論文は序論と以下の4章から構成されている。 序論は、本研究の背景と目的を述べている。すなわち、ポルフィリンに関するこれまでの研究について概説し、さらに化学的な観点から見たポルフィリンの特徴についてまとめている。 第1章では、ポルフィリン配位子の片方の面に橋かけを施したストラップポルフィリンの亜鉛錯体をホストとして、アミノ酸アニオンの分子認識を検討した結果が記述されている。すなわち、二種のN-保護アミノ酸アニオンの競争的結合における基質選択性を調べており、その結果、水素結合性のNHCO部位を持ち、かつ側鎖置換基を持たないグリシン誘導体が他のアミノ酸に比べて、卓越した選択性をもってホストにとりこまれることを見いだしている。さらに、それらの結果から1)基質官能基とホストとの間に形成される水素結合相互作用、2)ストラップの立体的な効果を議論している。 第2章-第4章においては、これまでに研究例がほとんどないケイ素のポルフィリン錯体の合成・構造・反応性について調べている。第2章においては、ケイ素-炭素結合をアキシャル結合として持つ、一連の有機ケイ素ポルフィリン錯体群の合成方法を確立するともに、その同定、およびX線結晶構造解析の結果を記述している。その中で、アルキル、アルケニル、アルキニル基を有するケイ素ポルフィリン錯体のポルフィリン骨格がほぼ平面構造をとることを示しているが、この結果は、フッ素、トリフレート基をアキシャル基とするケイ素ポルフィリン錯体中のポルフィリン配位子が平面から大きくひずんだ構造をとるとの報告とは対照的である。また、フェニル錯体の場合には、立体障害のため、ひずみ構造が例外的に誘起されることも示している。さらに、これらの結果を総括して、アキシャル基の立体電子効果とポルフィリン骨格の歪みとの関連性を議論している。 第3章においては、ケイ素ポルフィリン錯体のアキシャル結合の光反応性を調べている。ここではまず、アルキルケイ素ポルフィリン錯体のケイ素-炭素結合が、ポルフィリン部分を可視光照射で励起することにより、ラジカル的に開裂し、さらにそれがニトロキシ化合物によりトラップされて、三重項シリレン等価体(ニトロキシド錯体)を与えることを見いだしている。さらに、得られたニトロキシド錯体のケイ素-酸素結合が、光の刺激に応答してラジカル的に開裂することが示されており、photoswitchable radicalとしてのポテンシャルを明らかにしている。また、アルキルシリコンポルフィリンの光誘起ホモリシスによって極めて安定なラジカル種が生成することも見いだしている。 第4章においては、有機ケイ素ポルフィリン錯体のラジカル反応性を示すもう一つの例として、分子状酸素との反応によるパーオキシド錯体の生成反応に関して述べている。さらに、得られたパーオキシド錯体から誘導されるヒドロキシ錯体のポルフィリン骨格が平面構造をとることをX線結晶構造解析から示しており、類似のリンポルフィリン錯体との本質的な違いを指摘している。 以上、本論文においては、金属ポルフィリン錯体ホストによるアミノ酸アニオンの分子認識、およびケイ素ポルフィリン錯体の合成・反応性に関する検討を行っており、特に後半の成果では、従来のケイ素化合物とは全く異なる、ポルフィリン錯体ならではの新しい性質・特徴が示されている。ここで得られた知見は、光スイッチ・分子ワイヤーなどの開拓へと発展しつつあり、今後、化学生命工学の進展に寄与することが大きいと考えられる。 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |