本論文は「微小ホール素子を用いた高温超伝導体Bi2Sr2CaCu2O8+y単結晶における磁束状態の研究」と題し、高温超伝導体Bi2Sr2CaCu2O8+y単結晶における磁束状態に関し、微小ホール素子を用いて行った研究成果をまとめたものである。1986年の高温超伝導体の発見により、超伝導研究は新たな時代に突入したと言える。そのなかで、いわゆる磁束状態の研究は、高温超伝導体の実用と密接に関係した磁束のピン止めの理解に不可欠であり、多くの研究者が現在も取り組んでいる。高温超伝導体が持つ高い超伝導転移温度、短いコヒーレンス長、層状構造はいずれも磁束の揺らぎを助長するため、磁束液体状態のような新たな相が実現される。中でもBi2Sr2CaCu2O8+yは最も大きな異方性を持つ高温超伝導体のひとつであり、磁束固体(格子)から磁束液体への融解転移が始めて確認された系でもある。また、磁束格子融解転移の臨界温度以下の低温では、ピーク効果と呼ばれる臨界電流の異常な増大が観測される。このような磁束格子融解転移等の各種相転移の存在は、磁束系が新たな物質系として研究対象となることを示している。こうした見方をしたとき、磁束系は通常の物質に比べ、その密度を何桁も大きく変化させることができることから、より多様な相転移を示す可能性がある。 本研究では良質のBi2Sr2CaCu2O8+y単結晶を浮遊帯域溶融法で作製し、様々な酸素分圧下でのアニーリングまたはヨウ素をインターカレーションすることによりキャリア濃度および異方性パラメターを制御し、これに伴う磁束系の相図の発展を詳しく検討している。また、これらの従来詳しく検討されてきた超伝導面に垂直に(c軸に)磁場を印加した場合の磁気相図に加え、磁場をc軸から傾けた場合の相図についても詳細な研究を行い、新たな知見を得ている。 本論文は7章から構成されている。 1章は緒言であり、本研究の背景および本論文の構成が述べられている。 2章では、本研究の主題である高温超伝導体の磁束状態に関する予備知識が記述されている。特に磁束格子の弾性論および磁束系の相図の理解の現状が簡潔にまとめられている。 3章は、研究の目的および実験方法が述べられている。本研究で用いられた局所磁化プローブとしての微小ホール素子の作製法、評価および測定システムが記述されている。 4章では酸素の過剰ドープおよびヨウ素インターカレーションによるBi2Sr2CaCu2O8+yにおける磁束系の相図の変化が磁場をc軸に平行に印加した場合について詳しく調べられている。特に、酸素ドーピングによる磁化異常の変化を異方性の変化と酸素により導入される不均一性により説明している。また、ヨウ素をインターカレーションした場合にも、不均一性の導入が磁化異常に寄与していることを明らかにした。これらの結果は、磁束状態の変化が異方性の変化のみではなく、不均一性の導入による影響を受けていることを示したものである。 5章においては、磁束系の相図を磁場と超伝導面の角度の関数として、詳しく研究している。また、微小ホール素子を用いた傾いた磁場下での磁気測定について詳しく記述しており、様々な誤差要因についての検討も行っている。ピーク効果および磁束格子融解転移が起こる磁場は低角から有意の角度依存性を示し、磁場が超伝導面に近付くにつれ、発散的に小さくなる。多くの場合、高温超伝導体では様々な物理量が異方性パラメター()によるスケーリングを満たすことが知られている。このようなスケーリングは、各磁束からの磁場が十分重なりあう高磁場では正当化されるが、Bi2Sr2CaCu2O8+yにおける磁束格子融解転移やピーク効果のように磁束間隔が磁場侵入長とあまり違わない低磁場で起こる場合には、電磁気的カップリングの重要性が増すため、破綻すると考えられる。実際、Bi2Sr2CaCu2O8+yにおいて妥当と考えられる異方性パラメター(=100)を仮定した場合のスケーリングと比較し大きな逸脱があることを明らかにしている。本研究では、スケーリングからの逸脱の原因として2つの要因を検討した。第1は超伝導面内磁場によるジョセフソンカップリングの減少による異方性パラメターの増加であり、第2は超伝導体内の磁束密度の不均一性による電磁気的カップリングの効果である。前者は一見もっともな説明を与えるが定量的な検討の結果、面間をデカップルさせる磁場の大きさおよび異方性依存性の欠除に問題があることを示した。一方、磁場の不完全なスクリーニングによる電磁気的カップリングの寄与は通常無視されているものの、その寄与により本研究で見い出されたような角度依存性が得られることを示した。 6章では、c軸から傾いた磁場下における新たな磁化異常についての詳細な実験が記述されている。磁場をc軸から大きく傾けたとき、従来から知られているピーク効果の低磁場側に新たな磁化異常が出現する。この新たな異常はピーク効果と逆の角度依存性を持ち、磁場をc軸から約80°傾けた付近で両者は最接近した後、再び大きく離れるという角度依存性を示す。本研究では、この新たな異常を既に磁気装飾法により数十Gの低磁場で見つかっている一様に傾いた磁束格子の不安定性と関連づけ、磁気装飾法では到達することのできない数百Gの磁場においてもこの不安定性が維持されると考えることにより説明している。さらにこの結果から異方性の大きな超伝導体における磁場をc軸から大きく傾けたときの磁気相図を提案している。 7章は、総括であり、各章で得られた結果をまとめ、本研究で得られた成果を要約している。 本研究が高温超伝導体の磁束状態の研究に微小ホール素子を適用し、さらに角度依存性といった新しい測定にまで応用し、重要な知見を得たことは特筆に値する。また、ここで得られた研究結果は、超伝導体の実用に向け数々の新たな知見を与え、工学にとって大きな貢献をしたと言える。 よって、本論文は博士(工学)の学位申請論文として合格と認められる。 |