学位論文要旨



No 113476
著者(漢字) 福村,知昭
著者(英字)
著者(カナ) フクムラ,トモテル
標題(和) 走査型ホール素子顕微鏡の開発と磁性体への応用
標題(洋)
報告番号 113476
報告番号 甲13476
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4194号
研究科 工学系研究科
専攻 超伝導工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北澤,宏一
 東京大学 教授 岸尾,光二
 東京大学 教授 河津,璋
 東京大学 助教授 前田,京剛
 東京大学 助教授 為ヶ井,強
 東京工業大学 助教授 長谷川,哲也
内容要旨 1.走査型ホール素子顕微鏡の開発

 個々の原子を観察できる走査型トンネル顕微鏡(STM)の発明以来、物質の微小領域を評価するための手段として走査型プローブ顕微鏡と総称される測定装置が急速に発達している。これらは様々な原子や分子等の空間構造を調べるばかりでなく、磁気記録媒体や巨大磁気抵抗物質などの強磁性体の磁区、高温超伝導体の磁束量子等の微視的な磁気構造を調べるのにも用いられはじめている。その微視的な磁場分布を観察するための走査型プローブ顕微鏡として主なものに、磁気力顕微鏡、走査型スクイッド顕微鏡、走査型ホール素子顕微鏡がある。そのなかで磁気力顕微鏡は磁場分布の空間分解能が高いが磁場の値を定量するには不向きである。また、走査型スクイッド顕微鏡は磁場の値の分解能は非常に高いが磁場分布の空間分解能は4m程度にとどまっている。一方、走査型ホール素子顕微鏡は磁場の値が定量的に得られ、磁場分布の空間分解能はホール素子の微細加工次第で0.5m以下にまで高めることができる。そして、上記の装置のなかで、走査型ホール素子顕微鏡は広い温度・磁場範囲での測定が容易であるため、広範な用途に用いることが可能である。そこで我々は走査型ホール素子顕微鏡の開発をおこなった。感磁部の大きさが1m未満のホール素子を持つ走査型ホール素子顕微鏡は既に開発されていた。それはホール素子を試料表面に非接触で近づけるために電子がホール素子と試料間にトンネルすると同時にホール素子が停止するというSTMと同じ原理を用いていたが、そのSTMの探針に相当する部分は曲率半径が10ミクロンオーダーと非常にブロードなため、磁場分布観察に加えてSTM観察を行うことは無理があった。我々は従来の走査型ホール素子顕微鏡のSTMの機能を強化するために、STM探針を同一基板上に成長させた微小ホール素子を開発した。図1は電子ビームリソグラフィーによって作製した微小ホール素子の電子顕微鏡写真である。図2に走査型ホール素子顕微鏡の概略図を示す。図3はそれを用いて観察した光磁気ディスクの磁場像とSTM像である。これより磁場分布・表面形状の空間分解能がともに約0.5mにまで達成されたことかわかる。

図1 開発した微小ホール素子の電子顕微鏡写真中央のSTM探針付近の十字部分が感磁部である。図2 走査型ホール素子顕微鏡の概略図図3 光磁気ディスクの磁場像(左)およびSTM像(右)磁場像の色はディスク表面に垂直な成分の磁場の大きさに対応する。
2.熱減磁状態のストロンチウムフェライト(SrFe12O19)永久磁石の磁場像・STM像の同時観察

 強磁性体の実用上重要な磁気特性である保磁力は結晶組織に大きく依存することが知られている。その結晶組織と空間的スケールが近い磁区の観察によって、結晶組織の磁気特性に対する影響をバルクの評価によるよりも直接的に調べることができるであろう。我々はアニールにより結晶粒径を変化させた熱減磁状態のストロンチウムフェライト磁石の磁場像・STM像の同時観察を室温でおこなった。その結果を図4に示す。磁場像とSTM像の明瞭な相関は見られなかったが、磁場分布が結晶粒径により大きく変化することが見いだされた。アニール試料の磁場分布は擬ストライプ状の形状をしており最大磁場の値は約700Gと大きいが、ノンアニール試料の磁場分布はバブル状で最大磁場の値は約200Gと小さい。ストライプドメインのモデルによる磁場計算を行った結果によるとこれは磁区の大きさの違いによるものである。さらに磁区の形状を議論するために、得られた磁場像から相関関数を求めたところ、アニール試料では長距離にわたりストライプ構造を反映している構造が見られたが、ノンアニール試料では短距離の範囲でのみそのような振る舞いが見られた。アニール試料では結晶粒にマルチドメインが、ノンアニール試料では結晶粒にシングルドメインが形成されていることを考慮すると、アニール試料での磁区形成には粒内の交換相互作用が支配的で、ノンアニール試料での磁区形成には粒間の交換相互作用が支配的であると考えられる。そして、この粒間の交換相互作用のばらつきがノンアニール試料においてストライプ構造の長距離の秩序を破壊していると推測される。

図4 フェライト磁石の磁場像・STM像試料表面は磁化容易軸に垂直な面である。磁場像の色は試料表面に垂直な成分の磁場の大きさに対応する。左からアニール試料磁場像、STM像、ノンアニール試料磁場像、STM像である。
3.層状ペロブスカイト構造マンガン酸化物La2-2xSr1+2xMn2O7単結晶の磁場像観察

 ペロブスカイト構造を持つマンガン酸化物は電荷・軌道・スピンという量子状態が競合しあって様々な物理現象を示すため物性物理の分野で盛んに研究されている物質である。そしてこれは巨大磁気抵抗を示すため、磁気抵抗素子としての応用にも関心が持たれている。その磁区を観察することは、巨大磁気抵抗現象の微視的な情報を得ることにもなりデバイス設計への指針にもなるはずである。しかしながらこの物質に関して磁区観察がほとんど行われていないのが現状である。ごく最近、マンガン酸化物の磁区が初めて観測されたが、試料は薄膜であったため観察結果がこの物質に内因的なものかどうかという問題があった。我々はそのような困難を避けるため劈開性を示す層状ペロブスカイト構造のLa2-2xSr1+2xMn2O7単結晶の磁区観察を試みた。この物質は輸送・磁化特性に層状構造を反映した大きい異方性を示し、60K以下では層間が反強磁性結合、60K〜90Kでは三次元強磁性、90K〜300Kでは二次元強磁性、300K以上では常磁性という独特な磁性を持ち、微小領域でどのような磁区構造をもつのか興味が持たれるところである。特に、60K以下で層間が反強磁性結合をするにもかかわらず層間の抵抗率が低いのは一見相反しており、磁区の存在がその矛盾を解くのではないかということが示唆されていた。そこで、磁区の温度変化を調べた。図5に各温度での磁場像を示す。ネール温度以下の51Kにおいて磁場の微弱な領域に加えて部分的に磁場の強い領域が見つかった。この部分は層間で強磁性結合をしており、低温における層間方向のキャリアの電気伝導経路になっていると考えられる。ネール温度より高温の72Kでは、磁場の強い直径約3mのディスク状の強磁性領域が配列しているのが観察された。さらに昇温させると、97Kでは磁場のより強い領域の乱雑な分布が観測された。このネール温度より高温での変化は、層内のスピンが層内方向に傾き、層間の強磁性的結合が高温になるにつれて弱まった結果と推定される。以上のようにLa2-2xSr1+2xMn2O7単結晶では、層状構造による異方性を反映した温度依存性の大きい磁区構造を持つことが明らかになった。

図5 マンガン酸化物La2-2xSr1-2xMn2O7単結晶ab面の磁区の温度依存性測定温度は左から51K、72K、97Kである。
4.まとめ

 磁場像・STM像を同時観察することのできる走査型ホール素子顕微鏡を開発し、強磁性体-フェライト永久磁石、層状ペロブスカイト構造マンガン酸化物単結晶-の観察を行った。ホール素子は磁場の値を直接測定するため、微小領域の磁場分布の可視化のみならず、磁場値の解析をおこなうことができるため、水平方向の磁場分布の相関に加え試料の深さ方向の磁気的結合も調べることが可能である。今後の発展が期待される装置である。

審査要旨

 本論文は、走査型ホール素子顕微鏡の開発とそれを用いた磁性体の観察による磁区構造の研究に関するものであり、5章より構成されている。序論(第1章)に続く内容は以下の三つに大別される。第一は、STM観察の可能な微小ホール素子をもつ走査型ホール素子顕微鏡の開発に関する研究成果(第2章)であり、第二は、マグネトプランバイト型構造を有するストロンチウムフェライト永久磁石SrFe12O19(以下SrMと称する)の磁場像・STM像観察(第3章)、最後は、層状ペロブスカイト構造マンガン酸化物La2-2xSr1+2xMn2O7(以下La327と称する)の磁場像観察に関する研究(第4章)である。以上の結果をもとに、結論(第5章)ではSrMとLa327の磁区構造と、走査型ホール素子顕微鏡の測定装置としての重要性に言及している。以下に各章を簡単にまとめる。

 第1章では、序論として、走査型ホール素子顕微鏡の特徴を簡単にまとめるとともに、本研究の目的と意義を述べている。まず、微小領域での磁場を定量的に測定することができる走査型ホール素子顕微鏡を開発することの重要性に触れている。次に、永久磁石の保磁力の強度と結晶組織には大きな関わりがある点を指摘し、その結晶組織が永久磁石の磁区構造に及ぼす影響について研究することの意義を強調している。最後に、層状ペロブスカイト構造マンガン酸化物は、磁気抵抗素子として期待されている物質であり、かつ磁性の顕著な温度依存性を示す特異な強磁性体にもかかわらず、磁区構造など微視的なスケールにおける磁気特性に関する研究がほとんどなされていない点を指摘し、この物質の磁区構造を研究することの必要性を強調している。

 第2章では、走査型ホール素子顕微鏡の設計開発および磁気記録媒体の観察について述べている。従来、走査型ホール素子顕微鏡は磁場像の観察のみに用いられていたが、本研究では、微小ホール素子の設計に工夫を凝らして走査型トンネル顕微鏡(以下STMと称する)の機能を付加することにより、磁場像とSTM像を同時観察できる装置へと改良することに成功している。STM探針を装着していないホール素子による磁場像・STM像の空間分解能がそれぞれ約0.5ミクロン、約2ミクロンであるが、ホール素子近傍に炭素から成るSTM探針を形成させることにより磁場像・STM像の空間分解能をともに約0.5ミクロンにまで向上させている。

 第3章では、結晶粒径を変化させたSrMの走査型ホール素子顕微鏡による磁場像・STM像の観察の結果からSrMの磁区構造を議論している。結晶粒径が大きく粒内に複磁区が形成されている場合は、結晶粒内の交換相互作用により磁区構造が決定されるのに対し、結晶粒径が小さく粒内に単磁区が形成されている場合には、磁区構造を決定する主な要因は結晶粒間の交換相互作用であるというモデルが提出されている。この結晶粒間の交換相互作用の大きさは位置によって分布があるために、結晶粒径の小さい試料は一般の一軸性強磁性体に見られるようなストライプ型磁区構造をとらないと結論されている。さらに本研究では、磁場像観察により得られた磁場の値から空間分解能以下の磁区のサイズをモデル計算によって定量化し、それから磁区の大きさを決める重要な因子である単位面積あたりの磁壁のエネルギー並びに磁区の厚さを導出することに成功している。

 第4章では、走査型ホール素子顕微鏡によるLa327単結晶劈開面の温度可変(4-100K)磁場像観察の結果から、La327の磁区構造を議論している。バルク試料の測定により、この温度領域では温度により三つの異なる磁性相を有することが知られていたが、この各磁性相の微視的なスケールの磁区構造もそれぞれ大きく異なることを明らかにしている。4-60Kでは垂直磁化の層状反強磁性相に加えて強磁性相が存在することを見いだし、磁気抵抗比が理論値より小さい値にとどまっているのはその強磁性相の共存によるものと結論している。60-85Kでは消磁状態の強磁性体には見られない円状の磁区からなる磁区構造を発見し、その磁区構造の起源は自発的なバブル磁区による可能性があるというユニークな説を提案している。そして85-100Kでは強い漏洩磁場を発する面内磁化の磁区構造を発見している。その磁区構造から、この相ではc軸方向の強磁性の相関が小さいことを結論し、強磁性状態にもかかわらずc軸方向の抵抗率が減少しない原因を与えていると推察している。最後に、このLa327系は従来考えられていた磁気抵抗素子としての実用のほかにも、バブルメモリや面内磁気記録としての実用の可能性を孕んでいることに言及している。

 以上、本論文は、ストロンチウムフェライト永久磁石、および層状ペロブスカイト構造マンガン酸化物の磁区構造を、自ら開発した走査型ホール素子顕微鏡によりミクロンオーダーのスケールで観察することに加えて、得られた磁場の値から観察面の深さ方向の磁区厚さを評価することにより三次元的な磁区構造のモデルを提出している。層状ペロブスカイト構造マンガン酸化物の磁区構造は本論文によって初めて明らかにされたものである。これらの研究成果は、論文提出者の物性物理、計算科学、半導体加工技術等の広範な知識・技術を生かしたものであり、物質科学を中心とする境界領域科学に対しての貢献が大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク