本論文は、走査型ホール素子顕微鏡の開発とそれを用いた磁性体の観察による磁区構造の研究に関するものであり、5章より構成されている。序論(第1章)に続く内容は以下の三つに大別される。第一は、STM観察の可能な微小ホール素子をもつ走査型ホール素子顕微鏡の開発に関する研究成果(第2章)であり、第二は、マグネトプランバイト型構造を有するストロンチウムフェライト永久磁石SrFe12O19(以下SrMと称する)の磁場像・STM像観察(第3章)、最後は、層状ペロブスカイト構造マンガン酸化物La2-2xSr1+2xMn2O7(以下La327と称する)の磁場像観察に関する研究(第4章)である。以上の結果をもとに、結論(第5章)ではSrMとLa327の磁区構造と、走査型ホール素子顕微鏡の測定装置としての重要性に言及している。以下に各章を簡単にまとめる。 第1章では、序論として、走査型ホール素子顕微鏡の特徴を簡単にまとめるとともに、本研究の目的と意義を述べている。まず、微小領域での磁場を定量的に測定することができる走査型ホール素子顕微鏡を開発することの重要性に触れている。次に、永久磁石の保磁力の強度と結晶組織には大きな関わりがある点を指摘し、その結晶組織が永久磁石の磁区構造に及ぼす影響について研究することの意義を強調している。最後に、層状ペロブスカイト構造マンガン酸化物は、磁気抵抗素子として期待されている物質であり、かつ磁性の顕著な温度依存性を示す特異な強磁性体にもかかわらず、磁区構造など微視的なスケールにおける磁気特性に関する研究がほとんどなされていない点を指摘し、この物質の磁区構造を研究することの必要性を強調している。 第2章では、走査型ホール素子顕微鏡の設計開発および磁気記録媒体の観察について述べている。従来、走査型ホール素子顕微鏡は磁場像の観察のみに用いられていたが、本研究では、微小ホール素子の設計に工夫を凝らして走査型トンネル顕微鏡(以下STMと称する)の機能を付加することにより、磁場像とSTM像を同時観察できる装置へと改良することに成功している。STM探針を装着していないホール素子による磁場像・STM像の空間分解能がそれぞれ約0.5ミクロン、約2ミクロンであるが、ホール素子近傍に炭素から成るSTM探針を形成させることにより磁場像・STM像の空間分解能をともに約0.5ミクロンにまで向上させている。 第3章では、結晶粒径を変化させたSrMの走査型ホール素子顕微鏡による磁場像・STM像の観察の結果からSrMの磁区構造を議論している。結晶粒径が大きく粒内に複磁区が形成されている場合は、結晶粒内の交換相互作用により磁区構造が決定されるのに対し、結晶粒径が小さく粒内に単磁区が形成されている場合には、磁区構造を決定する主な要因は結晶粒間の交換相互作用であるというモデルが提出されている。この結晶粒間の交換相互作用の大きさは位置によって分布があるために、結晶粒径の小さい試料は一般の一軸性強磁性体に見られるようなストライプ型磁区構造をとらないと結論されている。さらに本研究では、磁場像観察により得られた磁場の値から空間分解能以下の磁区のサイズをモデル計算によって定量化し、それから磁区の大きさを決める重要な因子である単位面積あたりの磁壁のエネルギー並びに磁区の厚さを導出することに成功している。 第4章では、走査型ホール素子顕微鏡によるLa327単結晶劈開面の温度可変(4-100K)磁場像観察の結果から、La327の磁区構造を議論している。バルク試料の測定により、この温度領域では温度により三つの異なる磁性相を有することが知られていたが、この各磁性相の微視的なスケールの磁区構造もそれぞれ大きく異なることを明らかにしている。4-60Kでは垂直磁化の層状反強磁性相に加えて強磁性相が存在することを見いだし、磁気抵抗比が理論値より小さい値にとどまっているのはその強磁性相の共存によるものと結論している。60-85Kでは消磁状態の強磁性体には見られない円状の磁区からなる磁区構造を発見し、その磁区構造の起源は自発的なバブル磁区による可能性があるというユニークな説を提案している。そして85-100Kでは強い漏洩磁場を発する面内磁化の磁区構造を発見している。その磁区構造から、この相ではc軸方向の強磁性の相関が小さいことを結論し、強磁性状態にもかかわらずc軸方向の抵抗率が減少しない原因を与えていると推察している。最後に、このLa327系は従来考えられていた磁気抵抗素子としての実用のほかにも、バブルメモリや面内磁気記録としての実用の可能性を孕んでいることに言及している。 以上、本論文は、ストロンチウムフェライト永久磁石、および層状ペロブスカイト構造マンガン酸化物の磁区構造を、自ら開発した走査型ホール素子顕微鏡によりミクロンオーダーのスケールで観察することに加えて、得られた磁場の値から観察面の深さ方向の磁区厚さを評価することにより三次元的な磁区構造のモデルを提出している。層状ペロブスカイト構造マンガン酸化物の磁区構造は本論文によって初めて明らかにされたものである。これらの研究成果は、論文提出者の物性物理、計算科学、半導体加工技術等の広範な知識・技術を生かしたものであり、物質科学を中心とする境界領域科学に対しての貢献が大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |