学位論文要旨



No 113478
著者(漢字) 北野,誠
著者(英字)
著者(カナ) キタノ,マコト
標題(和) 微細藻類を用いるエイコサペンタエン酸(EPA)の生産
標題(洋)
報告番号 113478
報告番号 甲13478
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4196号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 軽部,征夫
 東京大学 教授 二木,鋭雄
 東京大学 教授 花木,啓祐
 東京大学 教授 満渕,邦彦
 東京大学 講師 池袋,一典
内容要旨 1.目的

 微細藻類を用いたエイコサペンタエン酸(Eicosapenntaenoic acid:EPA)の生産に関する研究は、EPAの生理作用(血小板凝集抑制作用、血清脂質改善作用、抗炎症作用)が明らかになるにつれて注目されるようになってきた。EPAを生産する方法は、現在、いわしを中心とした水産加工廃棄物等の海産物からの抽出・精製に頼っている。しかし、この生産方法では魚油に含まれ、心臓疾患の原因とされるエルカ酸が存在することや水産物特有の魚臭が製品中に残存する事などの品質上の問題や、精製プロセスが複雑になったり原料供給量の変動及び気象条件によるEPA含有量の変動に起因する生産上の問題があるため、新規なEPA生産源の探索が行われている。微細藻類を用いる炭酸ガスからのバイオコンバージョン方法によるEPAの生産は、藻類の増殖速度の限界や藻体中に含まれるEPA含有量の少なさから、生産手段としての効率は低く生産速度の向上が第一の課題となっている。したがって、培養中の藻体中のEPA含有量や全脂肪酸中にしめるEPA組成比を向上させるため、照度、培養温度そして初発pH等の操作因子についてその最適条件が調べられてきた。しかし、大規模な培養設備では、一定の照度を確保するため、広い受光面積を有する設備を必用とするので、均一な培養条件(たとえばpH)で培養するのは困難であるため、上述の最適培養条件を具現化し実用化することは難しい。

 したがって、本研究では上記の課題に鑑み、藻類を用いた実用的なEPA生産に関し、EPA生産速度を向上させる事を目的とし、そのための方法について検討した。本研究は、(1)生産株のスクリーニング、(2)高生産性培養方法の検討、(3)Post-harvest処理の順で研究を行いEPA生産速度の向上を試みた。また、(4)この藻類のEPA生合成経路の検討も行った。

2結果2-1生産株のスクリーニングと培養条件の検討

 まず最初にEPAを生産する微細藻類を見つけるため、日本国内の10ヶ所の水域から約2000株の藻類を単離し、そのうち高濃度にEPAを含有する4株を同定した。この4つの単離株の中では、珪藻綱Navicula saprophilaに近いと考えられた株がもっとも高いEPA生産性を示した。まず、この株の増殖速度に与える培養条件の影響を検討した。この株は、培養温度20℃で比増殖速度0.44d-1の最高値を示した。さらに、pHは4から10の範囲で増殖可能で(至適pH8-9)、照度は100から1000luxの範囲では影響を受けずに増殖した。そしてNaClが殆どない淡水においても生育可能であり、この株は極めて広い増殖スペクトルを示した。一方、この株の脂肪酸組成は、EPA近傍に他の脂肪酸(アラキドン酸、ドコサヘキサエン酸(DHA)等)が微量しか存在せず、EPAの分離・精製を考慮した場合好ましい性質を示す事が明らかとなった。

2-2高生産性培養

 培養温度を15、20、25℃、照度1000lux,炭酸ガス濃度は大気中レベル(0.04%)と高濃度レベル(2%)とした。通気量は、200ml 1-1min-1とした。この株のEPA含有量は、増殖期間中では対数増殖期に最高値を示したが、高濃度CO2(CO2 2%)を含む空気で培養した細胞(high CO2 cell)の方が、大気(CO2 0.04%)を用いた細胞(low CO2 cell)より高い値を示した。さらに、high CO2 cellの対数増殖期において培地中に酢酸を添加したところ、藻体の増殖速度と藻体中のEPAの含有量とも増加した。また酢酸を添加しない場合に、安定期において観察されたEPA含有量の低下は、酢酸を添加した場合には見られず緩やかに増加した。この結果から、この藻類のEPAの生産速度は、2%炭酸ガスと酢酸が共存する場合(混合栄養条件)では14mgl-1d-1となり、大気レベルの炭酸ガス(0.04%)で酢酸を添加しない場合(独立栄養条件)の2mgl-1d-1と比べ7倍になった。このような炭酸ガスや酢酸がEPA含有量を変化させる現象を明らかにするため、培養途中の藻類を異なった濃度の炭酸ガスや酢酸存在下に移し、それらが脂肪酸組成に与える影響について調べた。その結果、培地中の炭酸塩濃度が高いほどEPA含有量が高くなり、また混合栄養条件>従属栄養条件>独立栄養条件の順でEPA含有量に差が現れるなど先の実験で示された結果が炭酸ガスや酢酸の影響であることが明確になった。さらに、炭酸ガスと酢酸では添加後の脂肪酸組成に違いが見られることなどから、これらの物質は、EPA生合成経路における酵素反応に影響を与えていることを示唆した。

2-3Post-harvest処理

 収穫後の藻体中に含まれるEPA含有量を向上させるため、収穫後の藻体懸濁液に、EPA生合成経路のEPA前駆体であるオレイン酸、リノール酸、-リノレン酸を添加したところ、きわめて短時間にEPA含有量が増加する現象が見られた。また、オレイン酸等の脂肪酸源として、ゴマ油のような身近な油脂を用いても極めて短時間で同様にEPAの収量が増えることが明らかとなった。この処理方法は短時間内にEPA量を増加させるPost-harvest処理として有効であると考えられる。

2-4実験に用いた藻類のEPA生合成経路の検討

 藻類によるEPA生合成経路から分かるようにEPAは、リノール酸の6不飽和+炭素伸長反応と-リノレン酸の3不飽和+炭素伸長反応によって生合成される。実験に用いた藻類を培養する際、培地中に15と6不飽和酵素阻害剤で知られる除草剤Noruflurazoneを添加したところ、全脂肪酸中に占めるEPAの割合が増加した。また、この藻類の脂肪酸組成で最も多い割合を占めるパルミトレイン酸は減少した。添加したNoruflurazone濃度に関係なくEPAとパルミトレイン酸の組成の和が殆ど等しいことから、Noruflurazoneによる処理は、パルミトレイン酸が減少した分が、生合成経路の反応によってEPAの増加分に転じたと考えられた。どの反応経路を用いたかは、この藻類の脂肪酸には、-3経路の11,14,17-Eicosatrienoic acidや8,44,14,17-Eicosatetraenoic acidが存在しないことから、-6経路の11,14-Eicosadienoic acidを中間体として6不飽和化阻害を回避してEPA合成に繋がったものと考えられた。。

3.まとめ

 (1)スクリーニングの結果、高濃度にEPAを含む藻類のうち、実用上好ましい性質を備えていた珪藻綱、Navicula saprophilaを得た。

 (2)高濃度炭酸ガスを用いて酢酸存在下で培養する混合栄養条件下で、この藻類の増殖速度やEPA含有量が増加した。その結果、EPAの生産速度は、独立栄養条件下のそれと比べ7倍に向上した。

 (3)収穫直後の細胞懸濁液に、EPA生合成経路のEPA前駆体であるオレイン酸、リノール酸、-リノレン酸を添加すると、きわめて短時間にEPA含有量が増加した。処理1時間後でEPA含有量は約3倍に増加した。

 (4)15および6不飽和化酵素阻害剤として知られている除草剤(Noflurazone)の存在下で培養したところ、パルミトレイン酸が減少しEPAが増加した。この結果から、この藻類においてEPA生合成経路が示唆された。

 以上

審査要旨

 本論文は、近年、その生理活性作用が注目されているエイコサペンタエン酸(EPA)を生産する方法に関し、微細藻類を用いて生産速度を向上させ、さらに機構を明らかにすることを本研究の目的としたものであり、全6章より構成されている

 第1章は緒論であり、本研究の行われた背景について述べ、本研究の目的と意義を明らかにしている。

 第2章「生産株のスクリーニングと栄養条件の検討」では、高いEPA生産能を持つ株を単離・同定し、それを用いて最適な栄養条件を探索している。その結果、EPAを生成することができる微細藻類4株を単離・同定し、この中で最もEPA生産速度が大きい珪藻綱に属するNavicula.saprophilaを得ることができたと報告している。さらに、この株を用いて混合栄養増殖を行わせたところ、酢酸存在下においてこの株の増殖速度が向上したことを示している。

 第3章「酢酸を炭素源とするEPA生産」では、第2章で選ばれた増殖速度が高い株についてEPAの生産速度を求め、EPA生産速度を調べている。また、酢酸添加がEPA生産に及ぼす効果について評価している。その結果、最初に培養時に通気するCO2濃度の影響について検討したところ、低CO2細胞のEPA含有量の最大値10.5mgEPA g-1biomassに対し、高CO2細胞では対数増殖後期でEPA含有量が最大値16.0mgEPA g-1biomassを示し、高CO2細胞の方が低CO2細胞よりもEPA含有量が多いことを明らかにしている。さらに、この状態に酢酸ナトリウムを添加した混合栄養条件区では、その最大値34.0mg EPA g-1biomassを記録したと報告している。すなわちEPA含有量は、高い濃度のCO2通気下で酢酸を添加した混合栄養条件下で高いEPA含有量がえられることを明らかにしている。また、他の脂肪酸では、パルミトレイン酸がEPA以上に酢酸の添加と関係していることを示唆しており、この結果を受けて第4章に展開している。

 第4章「植物油を炭素源とするEPA生産」では、この株の生合成過程で蓄積するパルミトレイン酸よりもEPAに近い脂肪酸であるリノール酸やリノレン酸に注目し、これらを含む植物油を用いてEPA含有量を向上させる試みを行っている。その結果、植物油を添加した場合コントロールに比べてEPA含有量は向上し、4種類のの植物油のうちでは、ごま油を添加した場合に最も高いEPA生産量を示したと報告している。さらにこの知見を最適化し、ごま油濃度100mgL-1、培養時間3hで最高の値を示し、比較的に低濃度・短時間でEPAの生成が行われることを明らかにしている。この株(N.saprophila)がEPA生合成前駆体としてごま油を利用したかどうかを確かめるため、生細胞と死細胞でのEPA含有量を比較したところ、EPA組成において生細胞の方で大きな値となったことに加え、生細胞でEPA前駆体であるオレイン酸やリノール酸の組成比が、死細胞のそれぞれの値に比べ減少したことから、この株がこれら脂肪酸をEPA前駆体として使ったことを検証している。

 第5章「Nacicula saprophilaの生合成の機構」では、脂質種の脂肪酸組成を調べ、EPAの局在を調べている。 また、脂肪酸生合成阻害剤である除草剤(Norflurazone)を用いて、この藻類のEPA生合成ルートを検討している。その結果、EPAは脂質種の中で、Monogalactosyl diacylglycerol(MGDG),Phosphatidylethanolamine(PE)そしてPhosphatidylcholine(PC)に分布しており、特にMGDGとPCに多く局在していたと報告している。混合栄養条件下では、PCのEPA組成比は増加し、酢酸添加によるEPA含有量増加はこの脂質種のEPAの増加を促進していたことを明らかにしている。除草剤を添加し藻体の脂肪酸組成変化を調べたところ、パルミトレイン酸量が減少し、かわりにEPAが増加したこと、脂肪酸組成に-3経路に属するEPA前駆体がないこと、および、-6経路に属するリノール酸や11、14-eicosadienoic acid、-リノレン酸そしてアラキドン酸が存在することから、N.saprophilaのEPA生成経路は、-6経由でEPAが出来ているものと推定できたと報告している。

 第6章は総括であり、本研究を要約して得られた研究成果をまとめている。このように本論文では、微細藻類が生育上基本とする光独立栄養増殖を用いない混合栄養条件下での新しいEPA生産方法を検討としたもので、従来に比べ格段に高いEPA生産速度を得ることを可能としており、微細藻類によるEPA生産において、極めて重要な生産方法を明らかにしている。

 よって本論文は博士(工学)の学位審査請求論文として合格と認められる。

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