本論文は、複数の配列の合成・個々の適応度の測定と、一定のルールによる次世代個体の作製という操作を繰り返すことによる、機能性バイオポリマーの配列探索に関するものである。 これまでに、設計図に基づいてものを作り上げるという「合理的設計」の戦略により、様々な人工物が作製されてきた。しかし、核酸やペプチドに代表されるバイオポリマーを設計の対象とする場合、構造と機能の関わりが完全には明らかにされていないため、目的に叶った分子の設計図をあらかじめ描くことが難しく、合理的な戦略のみで設計を行うのが不可能である。そこで、配列空間を探索する戦略により、新しいバイオポリマーを作り上げることが検討されている。その際、一定のルールに基づく次世代個体の作製と目的に叶う個体の選択を繰り返し、高い機能を示す構成要素の組み合わせを段階的に探索することにより、構成要素のあらゆる組み合わせを検証しなくとも、目的に叶うものを迅速に見つけだすことが可能になると期待される。 配列空間の探索によるバイオポリマーの設計の従来法の主なものを比較してみると、対象となる分子の種類および対象となる反応の種類において汎用性がもっとも高いと考えられるのが、複数の配列の合成および実験室レベルでの活性評価を数世代にわたって繰り返す方法である。この方法は、目的とする反応を行う際に競争や阻害などのノイズが原理上混入し得ないというメリットも持っている。そこで、多様なバイオポリマーの配列を探索的な手法で設計する第一歩として、本研究では、合成・活性評価を繰り返すことによる探索方法に焦点を絞った。 この手法により目的に叶ったオリゴマー配列を探索する際には、ある世代の集団中に存在する配列に対して何らかの演算を行い、次世代個体の配列を決定しなくてはならない。本論文は、まず最初に、効率よく配列探索を行うための次世代作製のルールを検討し、次にそこで得られた知見を用いて実際に実験室レベルで分子の活性を高めることができることを確認し、さらに、その分子設計に関していくつかの条件下の探索効率を比較する、という流れで進行する。 第1章は、緒論であり、バイオポリマーの探索的・進化的設計の従来法を概説し、合成と評価を繰り返す手法の長所および短所について整理した。また、本研究でモデル系として用いる分子間相互作用について、これまでに得られている知見をまとめた。 本論は、第一部と第二部より構成されている。 第一部(第2章)は、配列の合成・適応度の測定と一定のルールによる次世代個体の作製を繰り返してオリゴマー配列の探索を行う過程をシミュレーションし、様々な条件下における探索効率を比較するものである。シミュレーションに用いる実験系は、リプレッサーに結合する17残基からなる二本鎖DNAが未知であると仮定して、これを設計するというものである。Saraiらの研究により、リプレッサー結合配列(ORl)のすべての一塩基置換体の自由エネルギー変化が測定され、しかも、この系に関する自由エネルギー変化の加算性も示されている。従って、17残基からなる任意の塩基配列に対して、リプレッサーに対する結合能を計算により求めることができる。シミュレーション結果を比較して、様々な探索条件の評価を行うという方法で、先行研究で用いられた探索条件を段階的に改変することにより、効率の良い探索を実現する条件を見いだした。結果として、先行研究で用いられた条件で探索を行った場合と比べて、野生型と同じ適応度を示す個体を得るために要する時間を1/2に、またそれを得るのに必要な分子の合成回数を2/5に低減することが可能になった。 この研究により、今後合成・評価を繰り返す方法で配列探索を行う際に有用と思われる、次のような知見が得られた。 (1)組換えの方法として、2個体間の一点交叉ではなく、多くの個体間での配列ブロックの混成を行うことにより、探索効率が高まる可能性がある。配列ブロックが細分化されているほど、ブロック混成により急激な配列変化が生じ、高い適応度の配列が生じやすくなるが、一方で高い適応度の配列が壊れやすくもなるため、個々の探索について、それに適した配列ブロックの大きさが存在すると考えられる。 (2)突然変異の導入と組換えのステップを分離し、組換え前の適応度上位の個体に突然変異が集中的に導入されるようにすることにより、探索効率が高まる場合がある。組換えによる適応度の変化が緩やかに生じる場合がそれにあたると考えられる。 (3)適応度上位の個体の配列ブロックの次世代における残りやすさを、世代によって変化させ、初期の世代では上位の個体が残りやすく、あとの世代では一定以上の順位のものが均等に残るようにすることにより、高い探索効率を実現しつつ同時に配列の多様性を保つことができる。 以上の知見は、PCRを用いたDNAシャフリングにより核酸やペプチドの設計を行う際にも、有用なものとなるであろう。 第二部は、第3章および第4章からなる。ここでは、第一部で得られた探索効率向上のための知見のうち、特に多個体間の配列ブロックの混成に着目した。 自然界における遺伝子の進化と対比してみると、2個体間の交叉は、親から子への短いスパンの遺伝子の受け渡しに対応し、配列ブロックの混成は、数万世代といった長いスパンの間にエキソンに代表されるようなブロック単位が混成されることに対応していると考えられる。多個体間で配列ブロックを混成することにより、2個体間の組換えの場合よりも配列の変化が急激に生じるが、数十残基程度のバイオポリマーを設計する場合のように、配列の長さと基本要素の種類に対して十分な個体数を用意できる場合には、一度のステップで多個体間の配列混成を行うことによって、配列空間を探索し分子の機能を高めてゆく速度を上昇させることができると考えられる。 第3章では、配列の合成・適応度の測定・配列ブロックの混成と点突然変異による次世代個体の作製という操作を実験室レベルで繰り返すことにより、世代を重ねるごとに、可変領域を持つ一本鎖DNAの配列が、トロンビン結合能を高める方向に変化してゆくことを確かめた。 最初に「第1世代」の10個体をランダムに生成させ、それぞれの配列の合成と適応度の測定を行い、順位付けを行った。上位5個体の間で配列ブロックの混成とそれに続く点突然変異(2つの個体につき1残基)の導入を行い、次の10個体(第2世代)を生じた。同様にして5世代にわたって10個体ずつを作製した。集団中にはあわせて36種類の配列が出現し、各世代における適応度の最大値は、表面プラズモン共鳴現象を利用したバイオセンサーの応答値で159(第1世代)から2629(第5世代)まで上昇した。これにより、適切な方法を用いて個々の分子の活性測定を行えば、配列の合成・適応度の測定・配列ブロックの混成と点突然変異による次世代個体の作製という操作を繰り返すことによって、実験室レベルで分子の活性を高めることが可能であることが示された。 以上の操作の過程で、既知のトロンビン結合DNAに近い配列の他に、GGGNGGGNGGGという新規のモチーフを含む配列も複数現れ、そのどれもが、生成した36種類の個体を適応度の順に並べたときに、上位1/2以内に含まれていた。そこで第3章では、このモチーフに由来する配列をいくつか合成し、トロンビンに対する阻害能や結合能を調べた。その結果、Tri18と名付けた、18残基の一本鎖DNAは、プロトタイプと同等のトロンビン阻害能およびトロンビン結合能を示すことが明らかになった。この分子は、3つのGカルテットにより安定化された立体構造をとっていると考えられる。 第4章の研究は、第3章で用いたのと同じ方法でトロンビン結合DNAの配列探索を行った場合の探索効率と、他のいくつかの戦略を用いた場合のそれとを比較するために行った。それに先立ち、実験で生成した36個体間のすべてのペアにおける、配列の類似度と順位差の平均値の相関を調べた。全体的な傾向として、配列の類似度の高いオリゴヌクレオチドのペアの方が、そうでないペアよりも順位の差、すなわち適応度の差が少ないと考えられたため、任意の個体に対して、実験室レベルで適応度を測定した個体のうち配列の類似度がもっとも近いものの適応度を割り当てるという方法で配列探索のシミュレーションを行うことにより、それぞれの条件下でどのように探索が進むかをおおむね予測することができると考えられた。 複数の条件下におけるトロンビン結合DNAの探索過程をシミュレーションした結果、配列ブロックの混成を用いて次世代個体の作製を行うことにより、他の組換え戦略を用いる場合よりも効率よくDNAのトロンビン結合能を高めることができるであろうと推測された。 このように、本研究により、バイオポリマーの配列探索についてのいくつかの有用な知見が得られた。本研究は、合成と評価を繰り返すことによる配列探索の手法を、様々な対象に適用するための第一歩であると考えられる。 |