発展・変化の著しい科学技術の様々な局面においても、情報化の波が確実に波及しつつあることは昨今の共通した現象といえよう。製品の設計・開発においても、情報処理技術の波及に伴った大きな変容が認識される。 例えば、特定の設計・開発領域における技術ノウハウを一定の表現規則に従った抽象的な記号を用いて表象化された「情報」として体系的に整えることで、従来では想定し得ない幅広い利用が可能となる。端的には、ライブラリーを構築して有効な技術情報を共有・再利用することで、設計・開発における効率性・信頼性を向上させることが考えられる。さらに、当業者間でこのような技術情報を流通・取引することも想定されよう。 一方、このような幅広い利用が可能になったことは、同時に不正な利用がなされる機会も高まったことも意味する。そこで、共有・再利用及び流通・取引といった利用が円滑に行われることを確保し、さらに促進するためには、このような技術情報に対して何らかの法的保護を与えることで、不正利用等から一定の法的救済を付与する制度的裏付けがなされる必要があろう。 しかしながら、このような技術情報には、昨今の急速な技術進歩に伴い新たに出現してきたものも多く、必ずしも法的対応が十分でないものも多く見受けられる。かような法的対応の状況とは無関係に技術進歩は着実に歩みを続けており、両者のギャップは確実に拡がりつつある。そこで、それを埋める営みは、社会変化への法の適応という見地からも、技術進歩にとっての阻害要因を排除するという観点からも一定の必要性をもっていると考えられる。 そこで、本論文では、次のような研究目的を設定している。 第一に、技術の変容に適応した法的対応を要する技術ノウハウについて、現行法制及びその解釈論に依拠した場合、いかなる法的保護が提供されうるのかを明らかにする必要がある。 第二に、現行法制の下での法的保護における問題点の抽出・把握である。問題抽出に際しては、現状で何らかの法的保護が提供されうるか否かにかかわらず、今後顕在化しうる点も含めて把握する必要がある。 第三に、具体的対応策の提示である。仮に現行法制の解釈論によって適切な法的対応を提供することが困難である場合、立法論として望ましいと考えられる保護法制モデルを提示し、対応策としての指針を明確化する必要がある。 以上で示した、現状把握、問題抽出・問題認識、対策立案という個々の目的に従った考察を行うと同時に、情報化の進展に伴って技術保護法制としての知的財産法は今後いかなる変容を遂げてゆくべきかという、より一般的な方向性の模索も視野に入れた検討を進めることとする。 また、システムLSIにおける「設計資産」を研究対象とする。 その理由として、近年の自動設計手法の普及により、「設計資産」の形態自体が変わりつつあるということ、「設計資産」について共有・再利用・流通という動きが活発に生じつつあるといった内在的要因に加えて、技術進歩の速さとバランスした早急な法的対応を必要とするにもかかわらず、未だ体系的な研究がほとんどなされていないこと、システムLSIは今後の半導体産業にとって非常に大きな期待が寄せられており、その発展にとって「設計資産」が重要な鍵と目されていること、また、半導体自体が今日の産業経済において大きな影響力を有するものであること等の外在的要因も挙げられる。 以下、各章における検討内容の要旨を示す。 第1章は、序論として上述のような大局的な問題状況、研究目的及び検討の流れについて説明を行う。 第2章では、半導体集積回路関連技術の概要を明らかにする。その目的は、以後の理解の前提となる技術的バックグラウンドを整理・理解することにある。要点は、半導体集積回路の種類の把握、とりわけASIC(Application Specific IC,特定用途向けIC)分野についての理解、LSI設計開発工程の把握である。特に、設計開発工程は、第3章で検討する技術的構造転換の理解に必須である。 第3章は、LSI設計開発における近年の動向について検討する。設計手法の変容、ASICの大規模化、システムLSIへの発展に加え、「設計資産」の流通促進という動きが勃興しつつあることを指摘し、LSI関連産業における技術的構造転換の萌芽が伸びつつあることを明らかにする。すなわち、システムLSIにおける「設計資産」が、早急な法的対応を考慮する必要のある対象であることを明確に示すことが本章の主な目的である。 第4章では、現行の知的財産権法制における解釈論の下で、「設計資産」に提供されうる法的保護につき検証を行う。「設計資産」の派生形として、CPLD・FPGAの「配線情報」の法的保護についても検証する。また、比較法的見地から、アメリカ法、EUディレクティブ、WIPO条約等の下での法的保護についても概観する。本章の主な目的は、本論文における研究目的の第一に相当し、法的保護の現状把握を行うことにある。 第5章は、第4章で明らかにされた法的保護の現状を踏まえて、現在及び将来的見地から考えられる問題点を抽出・把握する。具体的には、半導体集積回路法の現代的・将来的意義の希薄化、著作権法による保護対象への取り込みに伴う潜在的弊害、法的保護の実質的な必要性、複雑化する権利処理を問題点として指摘しており、これは、適切な法的保護手段を明確にする必要性と円滑な権利処理を実現する制度的対応という2つの課題に集約されるものといえる。本章の主な目的は、本論文における研究目的の第二に相当し、問題抽出・問題認識を行うことにある。 第6章は、技術保護法制を理論的側面から考察する。知的財産権法制一般の機能に関する理論的説明を前提として、法と経済学(Law & Economics)における学説及び一連の議論を主に参照することで、知的財産権における権利の「排他性」について分析し、その実質的機能と意義につき検証を行う。その結果、知的財産権における権利の排他性とは、情報財における希少性(scarcity)を人工的に創成することに実質的な機能と意義を有しており、その具体的な内容・程度については、有体物の財産権の排他性とは独立に決めうるもので、経済学的効率性や情報の流通促進といった見地からは、liability rulesの形式をとったいわば対価徴収権的構成の方が望ましい場合も考えられるといえる。本章は、第7章で具体的対応策を構成するための基礎論として位置付けられる。 第7章では、第5章で導出された諸問題を踏まえて、望ましいと考えられる具体的対応策を提示する。まず、現行法制における解釈論上の対応及び、立法論としての対応を個別に検討する。さらに、これらの結果を組み合わせて複数の対応策を設定し、これらの各対応策について比較評価を行い、理論的に適切と考えられる対応策を試案として提示する。 結論的には、既存の法制の解釈論による対応では不十分であり、新たな保護法制を立法論を観念することが要請される。望ましいと考えられる保護法制モデルの主な特徴としては、「設計資産]一般を保護対象とする、模倣等の一定の不正使用行為に対する救済を受ける権利を登録によらず付与する法制と作成・使用等に対する排他的権利を登録により付与する法制を並立させて、いずれの法制による保護を受けるのかは保護を受ける者が選択する、原則として、登録による権利については対価徴収権として構成する、といった点が挙げられる。最大の特徴は、性質の異なる法制を組み合わせた、いわば「複合型」の保護法制として構成しているところにあろう。さらに本章では、より多面的な要素を考慮した予備的な対応策も提示し、法的対応へのリファレンスを構成する。これにより、政策決定に際して一定の役割を担うことを期している。また、残された問題についても言及する。本章の主な目的は、本論文における研究目的の第三に相当し、具体的対応策を提示することにある。 第8章は、結言及び今後の展望である。第7章までの検討結果をまとめると共に、第7章で提示した保護法制モデルについての技術ノウハウ一般への適用可能性の展望、技術保護法制が今後新たに直面する課題についての将来的展望を行う。一般に技術進歩に応じて技術保護法制もその在り方が変容してゆくことを求められるとはいえ、とりわけ情報化の流れは、法制の枠組み全体に対して大きな転換を要求しつつあるように考えられる。 以上のように、本論文では、システムLSIにおける「設計資産」を対象として、技術進歩により流通・取引が活発に行われるに至った技術ノウハウについての保護法制を考察している。そして結論的には、第7章で提示したような「複合型」保護法制を望ましい構成の一つとして提示するものである。このような結論は、システムLSIの「設計資産」保護法制を議論する上で一つの理論的立場を提案するものであると同時に、新しい技術保護法制の在り方を考察する際の一素材として顧慮されることも期待したい。 |