学位論文要旨



No 113485
著者(漢字) 平嶋,竜太
著者(英字)
著者(カナ) ヒラシマ,リュウタ
標題(和) システムLSIにおける「設計資産」の法的保護 : 技術ノウハウの流通と保護法制
標題(洋)
報告番号 113485
報告番号 甲13485
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博工第4203号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣松,毅
 東京大学 教授 白木,靖寛
 東京大学 教授 野口,悠紀雄
 東京大学 教授 玉井,克哉
 東京大学 助教授 清水,初志
内容要旨

 発展・変化の著しい科学技術の様々な局面においても、情報化の波が確実に波及しつつあることは昨今の共通した現象といえよう。製品の設計・開発においても、情報処理技術の波及に伴った大きな変容が認識される。

 例えば、特定の設計・開発領域における技術ノウハウを一定の表現規則に従った抽象的な記号を用いて表象化された「情報」として体系的に整えることで、従来では想定し得ない幅広い利用が可能となる。端的には、ライブラリーを構築して有効な技術情報を共有・再利用することで、設計・開発における効率性・信頼性を向上させることが考えられる。さらに、当業者間でこのような技術情報を流通・取引することも想定されよう。

 一方、このような幅広い利用が可能になったことは、同時に不正な利用がなされる機会も高まったことも意味する。そこで、共有・再利用及び流通・取引といった利用が円滑に行われることを確保し、さらに促進するためには、このような技術情報に対して何らかの法的保護を与えることで、不正利用等から一定の法的救済を付与する制度的裏付けがなされる必要があろう。

 しかしながら、このような技術情報には、昨今の急速な技術進歩に伴い新たに出現してきたものも多く、必ずしも法的対応が十分でないものも多く見受けられる。かような法的対応の状況とは無関係に技術進歩は着実に歩みを続けており、両者のギャップは確実に拡がりつつある。そこで、それを埋める営みは、社会変化への法の適応という見地からも、技術進歩にとっての阻害要因を排除するという観点からも一定の必要性をもっていると考えられる。

 そこで、本論文では、次のような研究目的を設定している。

 第一に、技術の変容に適応した法的対応を要する技術ノウハウについて、現行法制及びその解釈論に依拠した場合、いかなる法的保護が提供されうるのかを明らかにする必要がある。

 第二に、現行法制の下での法的保護における問題点の抽出・把握である。問題抽出に際しては、現状で何らかの法的保護が提供されうるか否かにかかわらず、今後顕在化しうる点も含めて把握する必要がある。

 第三に、具体的対応策の提示である。仮に現行法制の解釈論によって適切な法的対応を提供することが困難である場合、立法論として望ましいと考えられる保護法制モデルを提示し、対応策としての指針を明確化する必要がある。

 以上で示した、現状把握、問題抽出・問題認識、対策立案という個々の目的に従った考察を行うと同時に、情報化の進展に伴って技術保護法制としての知的財産法は今後いかなる変容を遂げてゆくべきかという、より一般的な方向性の模索も視野に入れた検討を進めることとする。

 また、システムLSIにおける「設計資産」を研究対象とする。

 その理由として、近年の自動設計手法の普及により、「設計資産」の形態自体が変わりつつあるということ、「設計資産」について共有・再利用・流通という動きが活発に生じつつあるといった内在的要因に加えて、技術進歩の速さとバランスした早急な法的対応を必要とするにもかかわらず、未だ体系的な研究がほとんどなされていないこと、システムLSIは今後の半導体産業にとって非常に大きな期待が寄せられており、その発展にとって「設計資産」が重要な鍵と目されていること、また、半導体自体が今日の産業経済において大きな影響力を有するものであること等の外在的要因も挙げられる。

 以下、各章における検討内容の要旨を示す。

 第1章は、序論として上述のような大局的な問題状況、研究目的及び検討の流れについて説明を行う。

 第2章では、半導体集積回路関連技術の概要を明らかにする。その目的は、以後の理解の前提となる技術的バックグラウンドを整理・理解することにある。要点は、半導体集積回路の種類の把握、とりわけASIC(Application Specific IC,特定用途向けIC)分野についての理解、LSI設計開発工程の把握である。特に、設計開発工程は、第3章で検討する技術的構造転換の理解に必須である。

 第3章は、LSI設計開発における近年の動向について検討する。設計手法の変容、ASICの大規模化、システムLSIへの発展に加え、「設計資産」の流通促進という動きが勃興しつつあることを指摘し、LSI関連産業における技術的構造転換の萌芽が伸びつつあることを明らかにする。すなわち、システムLSIにおける「設計資産」が、早急な法的対応を考慮する必要のある対象であることを明確に示すことが本章の主な目的である。

 第4章では、現行の知的財産権法制における解釈論の下で、「設計資産」に提供されうる法的保護につき検証を行う。「設計資産」の派生形として、CPLD・FPGAの「配線情報」の法的保護についても検証する。また、比較法的見地から、アメリカ法、EUディレクティブ、WIPO条約等の下での法的保護についても概観する。本章の主な目的は、本論文における研究目的の第一に相当し、法的保護の現状把握を行うことにある。

 第5章は、第4章で明らかにされた法的保護の現状を踏まえて、現在及び将来的見地から考えられる問題点を抽出・把握する。具体的には、半導体集積回路法の現代的・将来的意義の希薄化、著作権法による保護対象への取り込みに伴う潜在的弊害、法的保護の実質的な必要性、複雑化する権利処理を問題点として指摘しており、これは、適切な法的保護手段を明確にする必要性と円滑な権利処理を実現する制度的対応という2つの課題に集約されるものといえる。本章の主な目的は、本論文における研究目的の第二に相当し、問題抽出・問題認識を行うことにある。

 第6章は、技術保護法制を理論的側面から考察する。知的財産権法制一般の機能に関する理論的説明を前提として、法と経済学(Law & Economics)における学説及び一連の議論を主に参照することで、知的財産権における権利の「排他性」について分析し、その実質的機能と意義につき検証を行う。その結果、知的財産権における権利の排他性とは、情報財における希少性(scarcity)を人工的に創成することに実質的な機能と意義を有しており、その具体的な内容・程度については、有体物の財産権の排他性とは独立に決めうるもので、経済学的効率性や情報の流通促進といった見地からは、liability rulesの形式をとったいわば対価徴収権的構成の方が望ましい場合も考えられるといえる。本章は、第7章で具体的対応策を構成するための基礎論として位置付けられる。

 第7章では、第5章で導出された諸問題を踏まえて、望ましいと考えられる具体的対応策を提示する。まず、現行法制における解釈論上の対応及び、立法論としての対応を個別に検討する。さらに、これらの結果を組み合わせて複数の対応策を設定し、これらの各対応策について比較評価を行い、理論的に適切と考えられる対応策を試案として提示する。

 結論的には、既存の法制の解釈論による対応では不十分であり、新たな保護法制を立法論を観念することが要請される。望ましいと考えられる保護法制モデルの主な特徴としては、「設計資産]一般を保護対象とする、模倣等の一定の不正使用行為に対する救済を受ける権利を登録によらず付与する法制と作成・使用等に対する排他的権利を登録により付与する法制を並立させて、いずれの法制による保護を受けるのかは保護を受ける者が選択する、原則として、登録による権利については対価徴収権として構成する、といった点が挙げられる。最大の特徴は、性質の異なる法制を組み合わせた、いわば「複合型」の保護法制として構成しているところにあろう。さらに本章では、より多面的な要素を考慮した予備的な対応策も提示し、法的対応へのリファレンスを構成する。これにより、政策決定に際して一定の役割を担うことを期している。また、残された問題についても言及する。本章の主な目的は、本論文における研究目的の第三に相当し、具体的対応策を提示することにある。

 第8章は、結言及び今後の展望である。第7章までの検討結果をまとめると共に、第7章で提示した保護法制モデルについての技術ノウハウ一般への適用可能性の展望、技術保護法制が今後新たに直面する課題についての将来的展望を行う。一般に技術進歩に応じて技術保護法制もその在り方が変容してゆくことを求められるとはいえ、とりわけ情報化の流れは、法制の枠組み全体に対して大きな転換を要求しつつあるように考えられる。

 以上のように、本論文では、システムLSIにおける「設計資産」を対象として、技術進歩により流通・取引が活発に行われるに至った技術ノウハウについての保護法制を考察している。そして結論的には、第7章で提示したような「複合型」保護法制を望ましい構成の一つとして提示するものである。このような結論は、システムLSIの「設計資産」保護法制を議論する上で一つの理論的立場を提案するものであると同時に、新しい技術保護法制の在り方を考察する際の一素材として顧慮されることも期待したい。

審査要旨

 今日、情報処理技術の各分野への波及・応用は目覚ましく、製品の設計開発の局面においても、コンピュータによる自動処理を用いた設計手法が普及している。半導体集積回路の分野でも、設計に関する個別的な技術情報・技術ノウハウのまとまりが、設計手法の変化に応じて新しい存在形態をとるともに、共有・再利用のために体系的に整えられ、「設計資産」として認識されるようになりつつある。

 また、昨今では1チップ上にコンピュータ・システム全体を搭載することを可能にした、いわゆるシステムLSIの実用・普及が急速に進んでいる。このような新しいLSIの登場は、単に半導体産業のみならず、情報化の進む現代の産業社会全体に対して多大な影響をもたらす考えられる。システムLSIの設計開発において「設計資産」は要となるものであり、多種多様な「設計資産」の利用可能性が、きわめて重要である。そのため、「設計資産」の流通・取引が当業者間においても活発になりつつある。

 このように「設計資産」の流通・取引の機会が増えるにつれて、不正利用等の行為からの一定の保護が重要となる。とりわけ、知的財産法制による保護のあり方が問われている。そして、実務レベルでも、「設計資産」の法的保護について次第に問題認識が高まりつつある。

 しかしながら、わが国において法律学的見地に立った学術研究に関しては、将来の対応策はもちろん、現行法制下での保護のあり方と問題点を扱った体系的研究さえも、ほとんど行われていないのが現状である。また、諸外国における研究においても、この問題に関しては未だ端緒についたばかりであり、「設計資産」の法的保護という包括的な視点からの研究はほとんどみられない。

 このような状況の下で、本論文では、システムLSIという次世代を担う半導体集積回路の「設計資産」を対象として、その技術的特徴を踏まえた上で、現行の知的財産法制による保護の可能性・限界を体系的に考察して問題点を抽出し、開発へのインセンティブを付与するとともに安定した流通・取引が行われることを確保する新しい保護法制のあり方を模索し、具体的対応策を提示することを試みている。

 本論文の主な内容について以下に示す。

 第1章では、本研究の背景となる技術変化の状況について概説し、大局的な意味での研究目的を提示した上で、より具体的な検討方針を示している。目的の要点は、現状把握、問題抽出、対策立案の3つにあることが提示されている。

 第2章では、半導体集積回路技術全般についての概要がまとめられている。具体的には、半導体集積回路各種についての分類、ASIC(Application Specified Integral Circuit)についての解説、一般的な設計開発工程の概観、製造工程のあらましについて整理している。

 第3章では、LSI設計開発における近年の主な変容について検討している。具体的に、設計手法の「自動化」がめざましく進展していること、様々な環境変化の下でシステムLSIへの期待が高まりつつあること、既存の「設計資産」を再利用した設計プロセスが活発になっていること、システムLSIの設計開発において「設計資産」の充実が不可欠であり、その流通・取引を促進する動きが既にみられることを示している。このような現状を踏まえて、今後のシステムLSI設計開発の場面では、既存の「設計資産」の流通・取引が積極的に行われること、および自動化された設計手法が技術情報としての「設計資産」の流動性を促進することに大きく寄与することを明らかにしている。

 第4章では、現行の法制度およびその解釈論の下における「設計資産」の法的保護について網羅的な検証を行っている。すなわち、各種「設計資産」について、現行の特許法、半導体集積回路法、著作権法、不正競争防止法の各知的財産法制による保護の可能性を解釈論的見地から検討している。さらに、契約法・不法行為による保護、および比較法的見地から、アメリカ法、EUディレクティブ、WIPO条約における保護についても検討を行っている。その結果、「設計資産」の法的保護の構造は複雑であって、現行の知的財産法制における保護のあり方に不明確な部分が多々残されていること、とりわけソフト・マクロによる「設計資産」については、その取扱いが定まっていないことを指摘している。

 第5章では、第3章で検討した技術的現状と第4章で検証した法的保護の現状に基づいて、「設計資産」の法的保護を巡る問題点を将来的展望も含めて抽出・提示している。具体的には、現行半導体集積回路法の希薄化する現代的・将来的意義、ソフト・マクロによる「設計資産」を著作権法の保護対象に取り込むことで生じうる潜在的弊害、「設計資産」の種類によらない実質的な法的保護の必要性、再利用・流通に伴う権利処理の煩雑化を問題点として列挙している。これらをまとめて、今後の法的対応を要する主要な課題として、「設計資産」全般について明確な法的保護手段を整備することと円滑な権利処理の制度的実現という2点を提示している。

 第6章では、立法論としての対応を策定する拠り所として、主にLaw &Economicsの分野における議論を参照しつつ、知的財産法制の理論的基礎について考察を加えている。知的財産権は、人工的な希少性(scarcity)を創成する機能を有していること、および権利の排他性により担われる実質的機能は専らそのような希少性創成にあることを指摘した上で、排他性の内容を有体物の財産権と一致させる必要性に乏しいことを説いている。さらに、経済学的効率性や情報の流通促進といった見地からは、liability rulesの形式をとる法的保護手段の方が、情報財の保護法制として優れている可能性を示唆している。

 第7章では、第5章で導出した問題点や課題に対する具体的な対応策を模索し、理論的枠組みとしてとるべき法的対応を提示している。具体的に、解釈論および立法論それぞれの立場から考えられる対応について詳細な分析を行い、その結果に基づき具体的な対応策モデルを複数組み立て、多面的な比較評価を行った上で、理論的に望ましいとする保護法制についての基本構造を提示している。その主要な特徴は、(1)「設計資産」一般を保護対象とすること、(2)「設計資産」を流通させること等を要件として登録を要せずに模倣等の行為を一定期間禁止する権利を付与する法制と、登録を行うことにより当該「設計資産」の作成・利用等についての排他的権利を付与する法制を併存させた法制とすること、(3)登録によらない法制では、差止による救済まで認めるものとすること、(4)登録による権利は、対価徴収権として構成すること、(5)登録によらない法制と登録による法制のいずれの法制による保護を受けるのかという選択は、原則として保護を受けようとする者自らの自己判断によりなし得るとすることである。

 このような特徴を有する保護法制の確立により、少なくとも理論的には、「設計資産」の新規開発へのインセンティブ強化と同時に多種多様な「設計資産」の流通・取引が安定かつ円滑に行われ、さらにシステムLSIという技術分野の発展にもつながりうるというのが、本論文における結論である。

 第8章では、本論文の結論と今後の展望を述べている。すなわち、提示した保護法制モデルが他の技術ノウハウへ適用可能であるのかということ、および技術保護法制が今後直面すると予期される課題について展望を行っている。

 以上のように、本論文は、技術進歩に伴ってその存在形態や社会的価値に変容を生じつつある技術ノウハウという情報に着目して、システムLSIにおける「設計資産」という限られた対象であるにせよ、技術的・法的両面にわたって詳細な分析・検討を行って問題点を指摘し、既存の法制における限界と問題点について浮き彫りにしている。また「設計資産」に固有の特徴を顧慮することなしに安易に既存の知的財産法制の枠組みに押し込むことは不適切であり、異なる形式の法制を組み合わせた保護法制として構成することが理論的には望ましいという、今後の保護法制のあり方に関する一つの立場を定立している。

 もっとも、本論文で提示されている法制が、問題状況に対する最適な保護法制であるという確証は現実問題として容易にはなし得ない。例えば、対価徴収権に関して、対価決定が実際にうまく機能しうるのかという具体的見通しについて本論文で十分に触れられていない。また、本論文で提示された保護法制モデルが、システムLSIの「設計資産」に留まらず、一般化された技術ノウハウ保護法制としての拡張可能性を有するのかという観点からも分析・評価を一層深めるべきであろう。

 このような改善すべき点が散見されるとはいえ、本論文は、システムLSIにおける「設計資産」に関する法的保護という、今後、実務的・理論的にも重要となる問題について、先行研究がほとんどみられない時点において体系的研究を行ったものであり、新しい保護法制モデルの提案という一つの理論的立場を提示した点でも、今後の技術保護法制全般における研究の布石としての貢献をしたものであり、高く評価できる。

 よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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