学位論文要旨



No 113488
著者(漢字) 吉田,勝彦
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,カツヒコ
標題(和) カイコガの膠着物質の性状と接着機構に関する研究
標題(洋) Studies on the character and adhesive mechanism of;the glue substance in the silkmoth,Bombyx mori
報告番号 113488
報告番号 甲13488
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1847号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,正彦
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 田付,貞洋
 東京大学 助教授 永田,昌男
 東京大学 助教授 石川,幸男
内容要旨

 寄主植物に対する卵の接着は、鱗翅目昆虫類において広く見られる現象である。この卵接着に用いられる膠着物質は、棲息環境下においていったん接着すると、非常に剥れにくい接着力を現わす。その結果、幼虫の成育にとって最適な環境で孵化することを保証している。従って、鱗翅目昆虫で一般に見られる卵の膠着物質は次世代個体の生命維持及び種の保存のために重要な役割を果たしていると考えられる。しかしこのような重要性にも関わらず膠着物質の性状に関する研究は多くはない。さらに、卵接着現象に関する研究はほとんど着手されていない。そこで、本研究は鱗翅目昆虫の卵接着現象に着目し、カイコガの膠着物質の性状と接着機構に関する実験を行なった。

1.カイコガの膠着物質中のポリペプチド組成並びにその性状の調査

 膠着物質中のポリペプチドの組成および各ポリペプチドのアミノ酸組成を調査した。さらに、レクチンを用いてポリペプチドに付加している糖の存否を推定した。膠着物質に含まれるポリペプチドをSDS-PAGE法により分離したところ、五本の主要な泳動帯が認められ、高分子量側から、DZCP-1、DZCP-2、DZCP-3、DZCP-4、DZCP-5と名付けた。これらのポリペプチドの推定分子量は順に、330kd、250kd、240kd、125kd、115kdであった。これら五種類のポリペプチドの粘液腺に含まれる割合は、21%:49%:21%:5%:5%であり、DZCP-2は全ポリペプチドの約半数を占めていた。DZCP-1、DZCP-2、DZCP-3のアミノ酸組成を調べた。その結果、DZCP-1並びにDZCP-2は、極性アミノ酸に富み、中でもGlu+Gln並びにAsp+Asnが約35%を占めていた。また、両者共にGlyの割合も高くDZCP-1は約25%、DZCP-2は約35%を占めていた。DZCP-3のGly並びにGlu+Gln含量は、他の二種のポリペプチドと比較すると少ないものの、それぞれ11.1%,12.9%を占めていた。これらのアミノ酸に代わって、他のアミノ酸が相対的に多く含まれている点がDZCP-3の特徴であった。数種のレクチンを膠着物質中のポリペプチドと反応させたところ、DZCP-1〜DZCP-5は全ていずれかのレクチンと結合した。このことから膠着物質中の主要なポリペプチドは全て糖鎖が付加していることが推測された。

 以上の如く膠着物質中のポリペプチドの性状並びに組成を明らかにした。このことからDZCP-2は膠着物質の接着機能に関与する物質であると推察された。また、そのアミノ酸組成の特徴から、極性アミノ酸並びにGlyが接着に関与することも推察された。

2.カイコガの膠着物質中のポリペプチドの系統間差異

 複数の系統の膠着物質中のポリペプチドを生化学的手法を用いて分析し、系統間における粘液腺膠着物質中のポリペプチドの構造上の共通点と差異を明らかにした。大造系統、1-22系統、1-27系統の膠着物質中のポリペプチドをSDS-PAGE法により分離したところ検出された泳動帯は、各系統共に5本であり、大造系統を含めて全て共通していた。しかし、その移動度には系統間差異が見られた。1-22系統の泳動帯を高分子量側から22CP-1〜22CP-5と名付け、1-27系統の泳動帯を高分子量側から27CP-1〜27CP-5と名付けた。これらのポリペプチドの組成を調べた結果、1-22系統では、22CP-3が最も多く約50%を占めていた。また、1-27系統では27CP-2が最も多く約47%を占めていた。このように各系統に共通して約50%を占めるポリペプチドが存在した。大造系統のポリペプチドの約50%を占めるDZCP-2の精製法である陽イオン交換クロマトグラム法を用いて、1-22系統並びに1-27系統のポリペプチドを精製したところ22CP-3並びに27CP-2はDZCP-2と同様の挙動を示し、それぞれ精製することができた。次に各系統のポリペプチドのアミノ酸組成を分析し比較した。22CP-3のアミノ酸組成は、極性アミノ酸が豊富であり特にGln+Gluが、約25%を占めていた。また、Glyも豊富であり、約25%を占めていた。このような特徴は大造系統のDZCP-2や1-27系統の27CP-2と共通していた。

 以上のことから、膠着物質中のポリペプチドに関する研究を行なう際には系統間差異を考慮し、単一の系統を用いる必要があることが判明した。各系統の主要ポリペプチドの性状には共通性が認められることから、これらの性状が接着機能と関与すると推察された。

3.カイコガの膠着物質中のポリペプチドの精製

 カイコガの膠着物質中のポリペプチドの精製について検討した。また、精製物の接着力の測定も行った。カイコガの膠着物質中のポリペプチドの精製法を確立する目的で、SDS-PAGEゲルからの電気的抽出法、分子ふるいクロマトグラム法、陽イオン交換クロマトグラム法による精製を検討した結果、DZCP-2の精製法としては陽イオン交換クロマトグラム法が最適であることが判明した。陽イオン交換クロマトグラム法ではDZCP-3、DZCP-4、DZCP-5は、同一の非吸着分画に回収されたが、この分画を、陰イオン交換クロマトグラム法にかけることにより、DZCP-3およびDZCP-4をそれぞれ精製することができた。陽イオン交換クロマトグラム法を用いて精製したDZCP-2の接着力をJIS K6850に定められた試験法で測定した結果、2.2kgf/cm2であった。一方、比較試料として用いたゼラチンや、BSAでは全く接着しなかった。このことから、DZCP-2は接着力を有することが明らかになった。

4.DZCP-2の部分一次構造の解明

 DZCP-2は接着力を有することから、そのCP-2の一次構造を明らかにし、その構造と接着機能の相互関係について考察した。DZCP-2をリシルエンドペプチダーゼを用いて部分的に切断し、ペプチド断片化した。断片化されたペプチドを陽イオン交換クロマトグラム法により二分画に分けられた。このうち、樹脂に吸着した分画は分子ふるいクロマトグラム法においてほぼ単一の分画として回収され、そのペプチドのアミノ酸配列は、N-Lys-Leu-Pro-Ala-Trp-Ile-Ala-Tyr-Tyr-Ser-Pro-Leu-Ala-Ala-Gly-Gly-Gly-Gly-Gly-Gly-Gly-Gly-Lys-Lys-Cであった。さらに、この断片化ペプチドの溶出量からDZCP-2には数ケ所にわたりこの断片化ペプチドと同様の配列が存在することが明らかになった。

 以上のことからDZCP-2の一次構造と接着機能との相関関係を考察し、DZCP-2中のGly残基の連続した配列が、ペプチド鎖を折れ曲がりやすくしていること、並びにLys残基が数残基固まって存在することから、これらのアミノ酸残基が膠着物質の分子間並びに分子内結合に関与していることを推定した。

5.カイコガの膠着物質の同化様式

 膠着物質の同化様式について検討した。膠着物質は卵と共に産下後直ちに固化することから産卵による膠着物質の体外への分泌の過程に固化を引き起こす因子が存在すると考えられる。すなわち、この過程に溶媒気散あるいは化学反応が起こっていると考えられた。化学反応型の一つとして酸化の可能性について検討した。膠着物質を窒素中において接着した場合、空気中で接着したものより強い接着力を示した。このことから無酸素状態でも膠着物質の凝集力は弱まることなく固化することが判明した。次に接着後、直ちに液体窒素にて冷却し酵素反応を停止させた状態で溶媒を蒸発させた。この結果においても固化し、接着力もコントロールと変わらないことから酵素は分子間並びに分子内結合には関与しないことが判明した。一方、湿度を高め膠着物質中の溶媒の蒸発を抑えると接着しないことから溶媒の蒸発が膠着物質の固化を引き起こしていることが明らかとなった。以上のことから、体外へ分泌された後の膠着物質の固化に関与する分子間並びに分子内結合には酸素や酵素は関与しないことが明らかとなり、膠着物質の固化は溶媒気散によるものであることが判明した。

 以上を要するに本研究は、膠着物質中のポリペプチドの組成並びに性状を明らかにし、粘液腺の主生産物であるDZCP-2が接着機能を有する物質であることを解明すると共に、膠着物質の接着固化が溶媒気散により引き起こされるものであることを明らかにしたものである。

審査要旨

 寄主植物等に対する卵の接着は、鱗翅目昆虫において広く見られる現象である。卵を接着する膠着物質は、確実な孵化を保証することにより種の保存を図るため、最適環境に卵を強い接着力で固着する。本論文はカイコガの膠着物質の性状と接着機構の一部を明らかにしたものである。

1.カイコガの膠着物質中のポリペプチド組成並びにその性状

 地域品種である大造の膠着物質を構成するポリペプチドをSDS-PAGE法により分離し、高分子量側から、DZCP-1,DZCP-2,DZCP-3,DZCP-4,DZCP-5と名付けた。これらの推定分子量は順に330,250,240,125,115kdで、各々の割合は、21,49,21,5,5%であり、DZCP-2が全ポリペプチド量の約半分を占め膠着物質の主体となっていた。各泳動帯をPVDF膜に転写しアミノ酸組成を調べた結果、DZCP-1とDZCP-2は、極性アミノ酸に富み、中でもGlu+Gln並びにAsp+Asnが約35%を占めていた。また、両者共にGlyの割合が高くDZCP-1では約25%、DZCP-2では約35%を占めていた。DZCP-3では、これらのアミノ酸量がDZCP-1,DZCP-2と比較して少なく他のアミノ酸が相対的に多く含まれていた。また、数種のレクチンを反応させたところDZCP-1〜DZCP-5の全てがいずれかのレクチンと結合したことから、膠着物質中の主要なポリペプチドには全て糖鎖が付加していると推測された。

2.カイコガ膠着物質中のポリペプチドの系統間差異

 SDS-PAGE法による分離同定、および、陽イオン交換クロマトグラフィによる精製とアミノ酸分析により、1-22、1-27の膠着物質は、大造と同種の5種類のポリペプチドにより構成されていたが、1-22では、DZCP-2とDZCP-3に相当するポリペプチドの推定分子量が逆転しており、1-22、1-27ともポリペプチドの移動度に系統間差異が見られた。

3.カイコガの膠着物質中のポリペプチドの精製と接着力

 DZCP-2の精製法としては陽イオン交換クロマトグラフィが最適であり、この非吸着分画を陰イオン交換クロマトグラフィにかけることにより、DZCP-3およびDZCP-4を分離精製することができた。得られた精製物の接着力をJIS K6850に定められた試験法で測定した結果、DZCP-2の接着力は2.2kgf/cm2であった。このことから、DZCP-2は単独でも接着力を有することが証明された。

4.DZCP-2の部分一次構造の解明

 DZCP-2の部分一次構造を明らかにし、その構造と接着機能との関係について考察した。DZCP-2をリシルエンドペプチダーゼによりペプチド断片化し、陽イオン交換クロマトグラフィ、分子ふるいクロマトグラフィによりほぼ単一の分画として回収した。ペプチドのアミノ酸配列は、N-Lys-Leu-Pro-Ala-Trp-Ile-Ala-Tyr-Tyr-Ser-Pro-Leu-Ala-※-Gly-Gly-※-Gly-Gly-Gly-Asn-Lys-Cであった。断片化ペプチドの量的な検討から、DZCP-2には数ケ所にわたり上記の配列が存在すると推定し、Gly残基の連続した配列がペプチド鎖を折れ曲がりやすくしていることが膠着物質の結合特性に関与していると考察した。

5.カイコガの膠着物質の固化様式

 膠着物質は卵の産下後約90秒で固化する。この固化の様式としては溶媒気散型と化学反応型が考えられた。膠着物質の窒素中における接着および液体窒素による凍結乾燥による接着で空気中で接着したものと同等以上の接着力を示したことから化学反応型の一つとして酸化の可能性および酵素反応による可能性は棄却された。一方、接着時において湿度を高め、膠着物質中の水分の蒸発を抑えると接着しないことから、溶媒である水分の蒸発が膠着物質の固化を引き起こす、溶媒気散型の固化様式であると推測された。

 以上を要するに本研究は、これまで未知であったカイコガの膠着物質を構成するポリペプチドの性状を調べ、約1/2を占める主ペプチドが接着機能を有すること、および、膠着物質の接着固化が溶媒気散によるものであることを明らかにしたものである。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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