学位論文要旨



No 113490
著者(漢字) 岩田,洋佳
著者(英字)
著者(カナ) イワタ,ヒロヨシ
標題(和) 植物形態の楕円フーリエ記述子に基づく評価ならびに統計遺伝学的解析
標題(洋)
報告番号 113490
報告番号 甲13490
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1849号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鵜飼,保雄
 東京大学 教授 崎山,亮三
 東京大学 教授 秋田,重誠
 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 助教授 平野,博之
内容要旨

 作物の形は、直接的、間接的に収量や品質に関係しており、作物改良上の重要形質のひとつである。また、作物の形は、品種の分類指標としても重要である。とくに市場において商品となる器官の形は、消費者の嗜好や、輸送や加工上の効率と大きな関連をもつ。作物の形は収量性などと同じくいっぱんに量的形質である。その遺伝様式の解明には、形を定量的に評価し、その評価値に基づいて統計遺伝学的解析をおこなうことが必要である。作物の形の定量的評価は比較的古くから試みられているが、ほとんどすべて手法の開発を目的としており、生物の形自体の詳細な解析例はきわめて少ない。

 本研究では、作物の形の定量的評価法の確立、および作物の形の遺伝様式の解明を目的として、種々の作物器官の形を楕円フーリエ記述子に基づき定量的に評価し、統計遺伝学的解析を行った。

 ここでは形の定量的記述法として、楕円フーリエ記述子をとりあげた。この手法は、形の輪郭の座標を周期関数として表現し、そのフーリエ級数展開を行い、級数の係数により形を記述するものである。この手法では、輪郭を直接記述するため、微細な形の変異の情報を抽出することが可能であり、とくに生物学的指標の少ない植物器官の形の記述に有効と考えられる。

 ダイコン根形の遺伝解析-ダイコンの根には表裏がないために、根に曲がりがあると、画像撮影時における置き方で、曲がりの向きが人為的な誤差の原因となる。楕円フーリエ記述子のすべての係数に基づく主成分分析では曲がりとそれ以外の特徴を異なる主成分として分離できないことが解析の結果認められた。そこで、係数を対称と非対称な変異を評価する係数の2群に分け、別々に主成分分析した結果、対称変異の根径/根長比、とまりの度合い、中間部の膨らみの度合いなどが、非対称変異である曲がりによる影響をうけずに評価できることが分かった。6近交系の総当り交雑によるF1の根形についてダイアレル分析を行った結果、根の形はサイズに比べて遺伝率が高く、また優性度が異なっていた。サイズについては超優性、形については多くの特徴が不完全優性の遺伝を示した。また、対称変異と非対称変異では遺伝様式が異なっていた。対称変異、とくに根径/根長比、とまりの度合い、中間部の膨らみの度合いは遺伝率が高かったが、非対称変異では、中間部の曲がりの度合いが比較的高い遺伝率を示したのを除いて他は低かった。遺伝様式は、根径/根長比、中間部の曲がりの度合いについてはおもに相加効果で説明でき、とまりの度合いは不完全優性、膨らみの度合いは超優性の遺伝をすることが分かった。なお、膨らみの度合いでは、優性方向が正負両方向の遺伝子が存在することが認められ、すべて正方向であったサイズとは性質の異なる超優性を示した。形の特徴間では、根径/根長比と中間部の曲がりの度合いの関係以外では、高い相関が認められず、それぞれ独立の遺伝的制御をうけていると考えられた。また、形の特徴とサイズとの間にも高い相関は認められなかった。異なる土壌条件(黒ボク土、粘土質土壌、砂質土壌)と生育段階について、それぞれ別個にダイアレル分析を行った結果、根径/根長比はすべての場合に遺伝率が高く、おなじ遺伝様式を示した。いっぽう、他の特徴では、遺伝率や優性程度が土壌条件や生育段階によって異なり、遺伝子型と、土壌条件および生育段階との間に交互作用があることが分かった。とくに、とまりの度合いは、土壌条件による優性程度の違いが大きかった。また、膨らみの度合いは、生育段階によって不完全優性から超優性まで優性程度が変化した。また、すべての特徴において、土壌条件および生育段階によって、分離遺伝子座における各親の優性遺伝子の割合が異なる親が認められ、これらの親が交互作用を大きくする要因となっていると考えられた。以上、楕円フーリエ記述子に基づく形の評価法により、ダイコンの根形の重要な育種対象である特徴が抽出でき、その遺伝様式を解明することができた。このことから、この評価法はダイコンの根形の遺伝的改良に非常に有用であると考えられた。

 カンキツ葉形の品種間差の評価-カンキツ属9品種の葉形について品種間差の評価を行った。楕円フーリエ記述子の第1から第6主成分までが、それぞれ葉長/葉幅比、中肋上の重心位置、中肋の直線性、葉頂と葉基部の尖りの度合い、中肋の直線性、葉柄接合部のくびれの度合いを評価していることが分かった。また、枝内葉位間に葉形のヘテロブラスティが認められ、その変異の傾向は遺伝的制御を受けていること、その変異は品種間の順位を逆転させるほど大きいことが分かった。また、第1葉と基部1/3の葉位では、主成分得点の分散が大きかったことから、葉形の品種間比較を行うには中間部の葉位からの採取が望ましいと考えられた。中間部の葉位のみを用いて葉形の品種間差を評価した結果、対称変異に関する特徴では品種間変異が大きく、非対称変異に関する特徴(中肋の直線性)では個体間変異が品種間変異に比べて大きいことが分かった。また、陽葉と陰葉、ハウス栽培と露地栽培の比較を行った結果、陽葉と陰葉では、サイズは異なるが形は変らないこと、ハウス栽培では、サイズだけではなく形も変化することが分かった。楕円フーリエ記述子に基づく形の評価により、これまで定量的評価が難しかった種々の微細な葉形特徴を評価でき、より多次元的な品種比較が可能となった。

 カンキツ葉形の遺伝子型×環境交互作用解析-国内8試験地で栽培されている7系統を供試してカンキツ葉形の遺伝子型×環境交互作用の評価を行った。葉形は葉のサイズに比べて、遺伝子型効果が環境効果および遺伝子型×環境交互作用効果に比較してかなり大きかった。したがって、葉形による品種判別は有用と考えられた。カンキツ葉形における遺伝子型×環境交互作用は、簡単なFinlay-Wilkinsonモデルでは評価が難しく、AMMIモデルの適用が有効であることが分かった。葉形およびサイズについて、遺伝子型×環境交互作用のパターンに一定の傾向をみいだすことは困難であったが、すべての形質にわたって安定性の高い遺伝子型と低い遺伝子型があることが明らかとなった。

 カンキツ葉形のダイアレル分析-カンキツ5品種の総当り交雑によるF1の葉形を楕円フーリエ記述子に基づき評価し、その主成分についてダイアレル分析を行った。その結果、中肋上の重心位置、翼葉の大きさがとくに高い遺伝率をしめした。いっぽう、中肋の直線性は遺伝率が低く、すべての遺伝効果が有意でなかった。また、品種間差および遺伝子型×環境交互作用の評価において強い遺伝支配が認められた葉長/葉幅比は、ここではあまり遺伝率が高くなかった。葉長/葉幅比、中肋上の重心位置、翼葉の大きさは、それぞれ超優性、不完全優性、完全優性であり、たがいに異なる遺伝支配をうけていることが示された。分離遺伝子座における各親の優性遺伝子の割合は、形の似た親間でほぼ等しく、これらの親は葉形に関与する遺伝子座についてほとんど同じ遺伝子型であると考えられた。また、葉全体を評価すると、葉身と翼葉のそれぞれの特徴を分けて評価できないことが分かった。このことから、より明確な遺伝解析には、葉身と翼葉を分けた評価もあわせて行う必要があると考えられた。

 インドネシアチョウジ集団の葉形変異の評価-遺伝的背景が未知であるインドネシアの永年生木本植物チョウジの16集団の葉形の解析より、集団間および集団内の遺伝的多様性の評価を行った。楕円フーリエ記述子の主成分分析の結果、第1から第4主成分として、それぞれ葉長/葉幅比、葉頂と葉基部の尖りの度合い、中肋上の重心位置、中肋の直線性が評価されることが分かった。また、葉長/葉幅比、葉頂と葉基部の尖りの度合い、中肋上の重心位置は、集団間変異が大きく、集団間の比較や分類を行う上で重要な葉形特徴であると考えられた。いっぽう、中肋の直線性は、集団間変異に比べて個体間変異が大きかった。楕円フーリエ記述子の係数に基づいてクラスタ解析を行ったの結果、野生種と栽培品種では葉形に大きな違いがあることが示された。また、Zanzibarは、品種内の集団間変異が大きかった。Zanzibarは、栽培品種中でもっとも市場価値が高いことから、異なる遺伝背景をもつ集団がZanzibarとして栽培されている可能性が高いと考えられた。以上のように、楕円フーリエ記述子に基づく葉形の定量的評価法により、インドネシアのチョウジ集団の遺伝的多様性の評価が可能であった。

 以上要約すると、ダイコンの根形、カンキツ葉形およびチョウジの葉形において、楕円フーリエ記述子の主成分に基づく解析により、これまで解析が困難であった微細変異を含めて、特徴べつに定量的評価が可能であることが明らかになった。さらに、この手法により評価値に基づいて、形の特徴の統計遺伝学的解析ができるようになった。解析結果から、これら器官の形は強い遺伝的制御をうけており、とくに対称変異の遺伝率が高いこと、また、遺伝様式が特徴によって異なることが分かった。本研究では、画像解析から楕円フーリエ記述子に基づく主成分分析までの形の解析の諸過程を、すべてパーソナルコンピュータ上で一貫しておこなえるソフトウエアパッケージSHAPEの開発を行った。これにより、楕円フーリエ記述子を用いた植物形態の画像解析の広範囲な利用が可能となった。楕円フーリエ記述子に基づく形の評価法は、汎用性、変異の検出能力、結果の解釈の容易さなどの利点をもち、今後、「形のものさし」として、作物をはじめ生物一般の形の遺伝的改良や分類等の研究に広く利用されると期待される。

審査要旨

 生産物の形態として、また光合成など生理現象との深い関連から、作物の形態は農学において重要な研究対象とされてきたが、研究の多くは定性的な観察や評点にもとづき、定量的な評価による解析例は極めて少ない。本研究では、作物の形の定量的評価法を確立し、それに基づき形の変動要因の解明のため統計遺伝学的解析を行うことを目的とした。

 まず2次元形態の記述法についての理論的考察を行い、定量的記述法として、形の輪郭の座標を周期関数として表現し、そのフーリエ級数展開を行い、級数の係数により形を記述する楕円フーリエ記述子を採用することした。

 ダイコンの6近交系の総当り交雑によるF1の根形についてダイアレル分析を行った。分析に先立ち、フーリエ係数を対称および非対称に分けて主成分分析することにより、根の曲りの影響を他の特徴から区別することが可能であることが分かった。遺伝的解析の結果、根の形はサイズに比べて遺伝率が高かった。またサイズについては超優性、形については多くの特徴が不完全優性を示した。対称変異、とくに根径/根長比、とまりの度合い、中間部の膨らみの度合いは遺伝率が高かったが、非対称変異では、中間部の曲がり以外の特徴は低かった。遺伝様式は、根径/根長比、中間部の曲がりについてはおもに相加効果で説明でき、とまりの度合いは不完全優性、膨らみの度合いは超優性の遺伝をしていた。形の特徴間では、根径/根長比と中間部の曲がりの関係以外は、たがいに遺伝的に独立であった。異なる土壌条件と生育段階について、個別にダイアレル分析を行った結果、根径/根長比はすべての場合に遺伝率が高く、同様の遺伝様式を示した。いっぽう、他の特徴では、遺伝率や優性程度が土壌条件や生育段階によって異なり、遺伝子型と、土壌条件および生育段階との間に交互作用が認められた。

 つぎに永年性樹木の作物であるカンキツ属の葉形について解析を行った。葉形では楕円フーリエ記述子の第1から第6主成分までが、それぞれ葉長/葉幅比、中肋上の重心位置、中肋の直線性、葉頂と葉基部の尖りの度合い、中肋の直線性、葉柄接合部のくびれの度合いを評価していることが分かった、また、枝内葉位間に葉形のヘテロブラスティが認められ、その変異の傾向は遺伝的制御を受けていた。対称変異に関する特徴では品種間変異が大きかった。また陽葉と陰葉では、サイズは異なるが形は変らなかった。ハウス栽培では、サイズだけでなく形も変化した。7系統の葉形の遺伝子型×環境交互作用を解析した結果、葉形では遺伝子型効果が環境効果および遺伝子型×環境交互作用より大きく、葉形による品種判別が有用であった。遺伝子型×環境交互作用は、Finlay-Wilkinsonモデルでは評価し難く、AMMIモデルの適用が有効であった。カンキツ5品種の総当り交雑によるF1の葉形を楕円フーリエ記述子に基づき評価し、その主成分についてダイアレル分析を行った。その結果、中肋上の重心位置、翼葉の大きさがとくに高い遺伝率を示した。いっぽう、中肋の直線性は遺伝率が低く、すべての遺伝効果が有意でなかった。また、品種間差および遺伝子型×環境交互作用の評価において強い遺伝支配が認められた葉長/葉幅比は、ここではあまり遺伝率が高くなかった。葉長/葉幅比、中肋上の重心の位置、翼葉の大きさは、それぞれ超優性、不完全優性、完全優性であり、たがいに異なる遺伝支配をうけていることが示された。

 さらに遺伝的背景が未知であるインドネシアの永年生木本植物チョウジについて、16集団を用いての葉形の解析より、集団間および集団内の遺伝的多様性を評価した。楕円フーリエ記述子の係数に基づいてクラスタ解析を行った結果、野生種と栽培品種では葉形に大きな違いがあることが示された、また、栽培品種中でもっとも市場価値が高いZanzibarは、品種内の集団間変異が大きく、異なる遺伝背景をもつ集団が名目上Zanzibarとして栽培されている可能性が高いと考えられた。なお本研究と関連して画像解析から楕円フーリエ記述子に基づく主成分分析までの諸過程を、すべてパーソナルコンピュータ上で一貫しておこなえるソフトウエアパッケージSHAPEを開発した。

 以上要するに、楕円フーリエ記述子の主成分に基づく解析により、植物器官のようにランドマークが少ない形態についても、たがいに独立で意味のある形態特徴に識別し、かつそれぞれを量的に評価することが可能であることを示し、それに基づき種々作物器官の形の統計遺伝学的解析を行い、形の遺伝様式について学術上重要な多くの知見を得た。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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