学位論文要旨



No 113491
著者(漢字) 大久保,悟
著者(英字)
著者(カナ) オオクボ,サトル
標題(和) 湿潤熱帯低地の土地環境と土地利用に関する研究
標題(洋)
報告番号 113491
報告番号 甲13491
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1850号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武内,和彦
 東京大学 教授 石井,龍一
 東京大学 教授 大森,博雄
 東京大学 助教授 丹下,健
 東京大学 助教授 恒川,篤史
内容要旨

 湿潤熱帯における人間活動の拡大は熱帯林を破壊し,土壌浸食などざまざまな土地荒廃をもたらした。とりわけ農業的土地利用の集中する湿潤熱帯低地には,本来集約的土地利用に適さない淡水泥炭湿地やマングローブまで開発が及んでいる。こうした湿潤熱帯低地において持続的生物生産を維持するためには,土地環境の特性を把握すると同時に,土地利用の適正を評価し,合理的な土地利用計画を策定することが不可欠であると考えられる。

 そこで本研究では,広域スケールで,地形・土壌・地質の指標を用いて土地環境の類型化を行い,土地利用との関連性を明らかにした。つぎに地域スケールで,土地環境と土地利用の空間的な結びつきを把握し,土地環境タイプごとに土地生産力を評価,土地利用のあり方を検討した。

1.広域的にみた土地環境と土地利用の把握

 湿潤熱帯地域の土地環境を把握するために,湿潤熱帯に特有な環境を含み,異なる土地環境が狭い範囲の中で連続的にみられる半島タイを広域的な研究対象とした。土地環境と土地利用の関連とその経年変化を衛星画像をもとに把握し,土地利用変化を明らかにすることを目的とした。

(1)半島タイにおける土地環境区分と土地利用区分

 日本の三次メッシュの大きさに相当するように,対象地を30秒幅のグリッドに分割し,地形,地質,土壌による土地環境区分を試みた。その結果,対象地域は6グループに分類され,それぞれ山地・丘陵地-深成岩-Slope Complex型,山麓緩斜面-深成岩・固結堆積岩-Udults型,台地高位面-固結堆積岩-Udults型,台地中位面-固結堆積岩-Udults・Aquults型,台地低位面-固結・半固結堆積岩-Aquults型,海成低地-未固結堆積物-Aquents・Humods・Fibrists型と判断された。これら土地環境タイプの空間分布をみると,山地から低地部へのシークエンスに沿って規則性を持って配列されていることがわかった。

 つぎに衛星画像を用いた土地利用分類を行った。対象地全域をカバーするように,1970年代と1980年代のLandsat MSSデータを用いて教師なし分類を行い,植生密度の高い森林,植生密度の低い森林,草地,裸地,水域,雲域の土地被覆タイプに分類された。雲域,水域を除くタイプを,陸域の土地利用タイプとし,以下の分析に用いた。

(2)土地環境と土地利用およびその経年変化の関連把握

 土地環境と土地利用の結びつきとその経年変化のパターンを,土地利用図と土地環境区分図との重ね合わせにより行った。その結果,土地環境と土地利用には両年ともに強い対応関係が確認された。とくに森林域は山地・丘陵およびその緩斜面に対応する土地環境と結びついていることがわかった。各土地環境タイプにおける土地利用変化の多様さを,Pielouの均衡性指数でみた結果,山地部において土地利用変化の多様度は小さいのに対し,低地部における変化はとくに多様であることがわかった。植生密度の高い森林の減少は,台地,低地での土地環境下で多く起こっていることがわかった。

 各土地環境における土地生産力を,NOAA/AHVRRによる年累積植生指数を用いて比較した結果,山地・丘陵地から低地部にかけて連続的に値が減少し,海成低地の特徴を示すグループで最も低い値を示した。

 これらの結果,丘陵地緩斜面および低地部における土地利用の変化が大きかったことから,これらの地域における土地利用秩序を考える必要があること,衛星画像から判断される植物の生産力が海成低地部で低かったことから,これらの地域における土地生産力の改善,もしくは土地生産力の再評価を行う必要があることが示唆された。

2.地域スケールにおける土地環境の把握と土地生産力評価

 広域的に把握された,湿潤熱帯の土地環境と土地生産力の推定を実証するために,上記に示した土地環境が,狭い範囲のなかで連続的に確認できる半島タイ南東部ナラチワ県Bacho地域を対象に,地形・土壌による土地環境区分と空間分布,および現在の環境下における土地利用形態をもとにした土地生産力評価を行った。

(1)地形・土壌による土地環境の把握

 事例地域を対象に,地形と土壌の成立過程をふまえながらその特性を明らかにし,空間的結びつきを把握した。広域的な土地環境把握でみられた山地から海岸低地のシークエンスを再現するために,海岸線に直行するトランセクトに沿って,空中写真による地形分類と,現地土壌調査を行った。その結果,丘陵中腹凸型急斜面-Slope Complex,丘麓緩斜面-Udults,台地低位面-Aquults,台地高位面-Udults,海成低地-Fibrists,海成低地-Humods,海成低地-Psammentsの7つの地形・土壌タイプが確認され,この順に各タイプの配列がみられた。

 また広域的な把握によって,植物の純一次生産量と相関関係のある年累積植生指数が低い値を示した低地泥炭湿地と砂堆列において,さらにミクロな土地環境の把握を行った。その結果,海進と海退の繰り返しにより発達した後背湿地と砂堆列群では,成立時期の違いと成立過程の違いによると考えられる土壌層位の変化が,内陸から海岸にむけて連続的にみられた。とくに生物生産の制限要因として考えられる,泥炭湿地の次層にみられる海成粘土層に含まれるパイライト量,砂堆列の次層にみられる水成ポドゾルの発達程度が成立時期の違いを反映して,空間的な変化がみられた。

(2)土地環境単位における土地生産力把握

 過度な利用による土地荒廃を避けるためには,潜在的な土地生産力を把握し,閾値を越えない利用を行わなければならない。ここでは,様々な土地環境の複合体からなる地域全体を通して持続的な生物生産を考え,現存する土地利用形態をもとに,多軸的な土地生産の潜在力評価を行った。

 まず事例地域において,評価対象の抽出を試みた。地形・土壌図と土地利用の関係を把握し,丘麓緩斜面と台地高位面に広く分布するゴム林,硫酸酸性化した泥炭湿地と砂堆列に分布し,薪炭林として利用されているMelaleuca cajupti(フトモモ科),面積は小さいものの丘麓緩斜面や台地高位面,砂堆上に分布し,果樹など地域住民の生活に密着した多様な樹種が確認されるホームガーデンの構成樹種群を,潜在的な土地生産力の評価対象として抽出した。残丘から台地高位面にかけてゴム林の生長量をもとに評価した結果,丘麓緩斜面で最も高い値を示した。残丘頂部から丘腹斜面では有効土層の薄さが,段丘上位面では地下水位の季節的上昇が制限要因となっていると示唆された。M.cajuptiの単位面積当たりの最大収穫量をもとに,厚さの異なる泥炭湿地と砂堆の比較を行った結果,泥炭の厚い湿地で潜在的な生産力が高いことがわかった。ホームガーデンの構成樹種群により,丘麓緩斜面と台地高位面および砂堆の評価を行った結果,丘麓緩斜面と台地高位面で生物量からみた種多様性は高く,砂堆では低い結果が得られた。しかし樹種の多様性からは,いずれの土地環境タイプでも高く,樹種の選択を適切に行うことで,いずれの土地環境下でも果樹を中心とした生物生産は可能と考えられた。

 以上の結果をもとに,湿潤熱帯の土地環境の土地生産力を総合的に評価した。この際潜在的な土地利用の多様性を考慮すると,広域的な過去20年の土地利用変化にみられたように,丘麓緩斜面から台地高位面の可能な土地利用の多様性は高く,さらに経済的価値の高いゴムや果樹の生産力も高いと評価され,この地域において最も土地生産力が高い土地環境と評価された。他の土地環境では可能な土地利用の多様性は低いが,それぞれの土地環境に適した植物による生産力の評価は高く,とくに泥炭湿地に生理的適地を持つと考えられるM.cajuptiは,さらなる有効利用が期待される。砂堆における土地生産力は,広域的,事例地における把握の両方においても土地生産力は低いと評価されたが,砂堆列群に特異なホームガーデンの構成樹種群による土地利用は,潜在的に可能と考えらた。

3.総合考察と湿潤熱帯低地における土地利用の考え方

 湿潤熱帯低地とその周辺における土地環境を地形・土壌からとらえた結果,生物生産にかかわる要因として,潜在的に土地生産力の低い土地環境と開発に対し不可逆的な変化を示す土地環境の存在の,2つの問題点が整理された。

 開発に対して不可逆的な環境変化を起こす土地環境として,丘陵地急斜面と泥炭湿地があげられた。山地・丘陵地の森林伐採は,丘麓緩斜面から虫食い的に集約的土地利用の拡大により起こる。多くの研究が示すように,熱帯林伐採による土壌侵食などの土地荒廃は,急傾斜地に顕著であるため,今後適切な土地利用規制が必要と考えられる。また熟成度の低い海成粘土層を下層に持つ泥炭湿地では,硫酸酸性化の危険をはらむため,不適切な排水は著しい土地の硫酸酸性化につながることを考慮しなければならない。

 潜在的に土地生産力が低い土地環境として,砂堆列があげられた。この土地環境下では,砂堆列に特異的なホームガーデンの構成樹種を用いた利用が,土地改良とあわせて必要と考察された。

 FAOの手法に代表される従来の土地生産力評価は,特定の商品作物による一義的なものであり,土地利用の選択肢と代替案は提示されてこなかった。様々な土地環境タイプの複合体である地域スケールでは,土地生産力を一義的に評価できない。個々の土地環境に適した評価対象を用いることにより,地域全体の土地生産力を多面的に評価し,最終的に統合化する方法をとるべきであると結論づけた。

審査要旨

 湿潤熱帯における人間活動の拡大は,熱帯林の破壊や土壌侵食の加速化などさまざまな土地荒廃をもたらしてきた。湿潤熱帯低地において生物生産を持続させるには,土地利用を支える土地環境の特性を把握するとともに,土地利用適正を評価し,土地環境の特性に合致した合理的な土地利用計画を策定することが不可欠である。そこで本研究では,湿潤熱帯に特有な土地環境の様々なタイプを含み,しかも異なる土地環境が狭い範囲の中で連続的にみられる半島タイを対象に,広域スケール,地域スケールにおいて,土地環境と土地利用の空間的な結びつきを把握し,類型化された土地環境タイプごとの生物生産力を評価し,合理的な土地利用のあり方を検討した。

 まず湿潤熱帯地域の土地環境を広域的に把握するために,地形・地質・土壌を用いた土地環境分類とその把握,および衛星画像をもとにした土地利用と土地利用変化との関連性を明らかにした。対象地域は,山地から低地部へという環境傾度に沿って6つの土地環境タイプに分類された。また,土地環境タイプと土地利用には強い対応関係が確認された。とくに森林域は,山地・丘陵地に代表される土地環境と強く結びついていた。土地利用変化に関しては,山地部では土地利用変化は小さいのに対し,低地部では変化が非常に多様であることがわかった。また,衛星画像を用いた純一次生物生産量の推定を行った結果,山地・丘陵地から低地部にかけて連続的に年累積植生指数の値が減少し,海成低地を指標とするグループで最も低い値を示した。

 つぎに地域スケールの研究として,半島タイ南東部ナラチワ県Bacho地域を対象に,空中写真などをもとに地形・土壌による土地環境区分を行うとともに,空間的配列を調査し,現在の土地利用条件下における土地環境タイプごとの生物生産力評価を行った。海岸線に直行するトランセクトに沿って,空中写真による地形分類と,土壌断面調査を行った結果,丘陵地から海岸にかけて7つの地形・土壌タイプが確認され,これらの土地環境タイプの空間的配列を確認できた。また泥炭湿地と砂堆列において,詳細な土地環境特性の調査を行った結果,海進と海退の繰り返しにより発達した後背湿地と砂堆列群では,地形・土壌の成立時期の違いと成立過程の違いを反映した土壌層位の変化が認められた。

 過度な利用による土地荒廃を避けるためには,潜在的な生物生産力を把握し,それに従った適切な土地利用を行う必要がある。ここでは,3つの異なる土地利用形態について生物生産力の評価を行った。残丘から台地高位面にかけてゴム林の生長量をもとに生物生産力を評価した結果,丘麓緩斜面で最も高い値が得られた。つぎに,Melaleuca cajuputi林の単位面積当たりの最大収穫量をもとに,厚さの異なる泥炭湿地と砂堆の比較を行った。自己間引きの法則に従う林分において,単位面積あたりの平均個体の最大材積量をもとに評価した結果,泥炭層の厚い湿地,泥炭層の薄い湿地,砂堆の順に生物生産力が高いことがわかった。さらに,ホームガーデンの構成樹種群により,丘麓緩斜面と台地高位面および砂堆で生物生産力の評価を行った。その結果,丘麓緩斜面と台地高位面のホームガーデンでは,階層構造が複雑であり,高木層の種多様性が高いのに対し,砂堆上のホームガーデンでは階層構造が単純で高木層の種多様性が低い結果が得られた。一方樹種の多様性は,いずれの土地環境タイプでも高く,それぞれの土地環境に適した樹種がホームガーデンの構成樹種として選択されていることが確認された。以上の結果をもとに,湿潤熱帯の土地環境が保持している生物生産力を総合的に評価した。土地の利用可能性を考慮すると,丘麓緩斜面から台地高位面では,多くの土地利用形態が考えられ,さらに経済的価値の高いゴムや果樹に対する生物生産力も高いと評価された。他の土地環境タイプでは土地の利用可能性は低いが,それぞれの土地環境に適した土地利用を選択すれば,生物生産力はかならずしも低くないことがわかった。

 本研究で提示した生物生産力に着目した土地評価手法は,いくつかの土地利用形態を評価対象にした生物生産力評価を行い,それぞれの土地環境の特性に適した土地利用形態の選抜と,それぞれの土地利用形態に対し生物生産力を最適にする土地環境の選抜との組み合わせにより,土地利用システムの提示を行うものである。様々な土地環境タイプから構成され,様々な土地利用の可能性が考えられる現実の地域では,土地環境と土地利用との両方の特性を考慮した土地利用区分が望ましいと考えられる。

 以上要するに本研究は,湿潤熱帯低地の土地環境特性と土地利用の関連性を,生物生産力の評価をもとに把握し,土地利用システムの提示を行った研究として評価できる。よって審査員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54015